Chrononglyph

このブログは、こっぱちゃ(@koppachappy)が個人的に思うことを書き残す日記系ブログです。 2004年09月から1日1本相当の連載維持を目指して運営中。

4代目開設および公開運営復帰について
2023年05月より他活動の影響で維持管理が難しくなり非公開運営を続けておりましたが、2024年09月より公開運営を再開しています。 当面の間は2023年以降の記事のみ公開するプロトタイプ版運営となります。2022年以前の記事についてはコンプライアンスチェック後に順次公開予定です。
#7733

ストレス対策としてのブログ

今日の出来事ブログ運営

例のストレスマーカーがかなりの赤信号を発信していることを検知したため、
ここ数日は温泉に行く、食べたいだけ食べるなど、ストレスを低減することを心がけました。
ちなみにここでいうストレスマーカーとは、
自分と接点があるわけでもないがまったく無いとも言い切れない微妙な関係の人の、SNSにおける日常の発信です。
こういう距離感の人の当たり障りのない発信に対して理不尽な苛立ちを感じることがあったら、
それはかなりの欲求不満に陥っていると判断しています。


この手のストレスを感じるときというのは生活がワンパターンになりすぎていたり、
SNS(というかTwitter)を読みすぎていることが多いような気がします。
前者の対策としては要するに普段やらないようなことをやればいいわけですが、
後者に関してはSNSの代替となるものをしっかり用意しないとなかなか効果を実感できません。
とはいえ、半ばSNS中毒に陥っているような状態では代替を探すのものそう簡単ではない。
少なくともそれはスマホから簡単に摂取できる情報である必要があります。
なぜならSNSがスマホから簡単に摂取できるから。それよりも物理的に遠いものは代替としては役不足です。


今回、この代替としてブログのアーカイブがかなり有効的に機能しました。
現時点で自分がモヤっていることをピンポイントに言語化している過去記事を運よく見つけることができ、
過去の自分がいま言いたいことを余すことなく代弁してくれていたことで非常にスッキリしたというわけです。
これこそが日常系ブログの良いところなんでしょうね。自分専用の処方箋としての機能を有している。
だからこそ今後も考えていることの言語化については遠慮容赦なくやっていこうと思った次第ですが、
それ以上に「いま考えていること」に関連したアーカイブを引っ張ってくる技術については、
ブログのwebサイトとしての機能以上に重要な要素なのではないかと改めて思った次第です。
通常、そんな技術は独力で開発しようがないほど途方もないものですが、
いまの時代なら全アーカイブをLLMに食わせて、プロンプトに一番近い記事を提案してもらうだけで実現できます。
まぁ、とはいえそれもそうそう簡単な道のりではないのでしょうが。
タグ整理や過去記事の整理など、実現のために必要な人力作業は山のようにあります。


基本的にはメンタルが下向いたときは過去記事を漁るモチベーションはかなりあるので、
その際にどの記事がどんな話題かをインデックスで把握できるかどうかだけでかなり変わってくると思います。
スマホ版Obsidianで記事一覧にタグを表示するプラグインを導入するだけで効果はありそうだし、
もしそれができなければ、それこそがwebサイト版のフロントエンドを作る意義としてカウントできそう。
いずれにしろ、今回は過去の自分にかなり助けられました。


#7732

あの打ち上げの日々から19年

今日の出来事メテオス

もうすぐ『メテオス』20周年ということで、久々に3DSLLを引っ張り出して遊んでいます。


『メテオス』はスマブラの生みの親である桜井さんがフリーになって初めて制作したゲームで、
いわゆる落ちものパズル的なゲームではあるものの、3つ揃えるとブロックを「打ち上げる」という異色のゲーム。
桜井作品としてもパズルとしても個性の光る作品ですが、
商業的には大失敗しており知る人ぞ知るマイナーな作品になってしまいました。
しかし自分個人としては生涯で面白かったゲームの五指に入るほどの思い入れのある作品であり、
当時「メテオス・ランキング大会」という非公式ランキングサイトで競い合った思い出があります。


2005年当時はコミュニティに所属しなかったこともあって単一タイトルの長期活動が難しく、
ポーズ技によるランキングの陳腐化や『おいでよどうぶつの森』など同年に発売される作品への期待に押されて、
自分の中でメテオスは静かに衰退していきました。
しかし純粋なゲームの面白さとしては本当に群を抜いていて、
いまでもこうしてたまに引っ張り出してはメテオを打ち上げているというわけです。


実は9年前にもタイムアタックに挑戦したことがあり(#04525 / 2016年06月02日)、
そのときは5分タイムアタックの自己べ更新に挑戦したものの挫折、
その後2分タイムアタックの自己ベを無事に更新しています。
ということで今回こそはとここ数日5分タイムアタックに挑戦しているのですが、これがなかなか難しい。
もうしばらく頑張ってみないと更新の糸口は見えてきそうにありません……。
いま、密かに20周年までにこれを達成することを目標としています。


また、『メテオス』の日本語版はバグが多いとされており、後発の北米版や欧州版はバグが少ないとされています。
そこでバックアップ兼バグが少ない快適環境を求めて海外版メテオスを入手すべく、
今日は秋葉原の中古ゲームショップを6店舗ほど渡り歩いてみました。
が、結果的に収穫はゼロ。すべてのお店でDSが陳列されているコーナーは全部見ましたが、
海外版はおろか日本版すら1本も見当たりませんでした。やはりマイナーゲームなんだなと実感……。
実店舗で見つけるのはかなり厳しそうな雰囲気なので、
本当に欲しいならネットショップを渡り歩くしかなさそうです。
ちなみに海外版ソフトを買う場合気になるのはリージョンロックですが
(各国の法律等の都合で、異なる国のハード・ソフトの組み合わせで起動できなくする措置)、
ニンテンドーDSについてはDSiシリーズのリリース頃(2008年)より前に発売したソフトはロックされていないそうです。
メテオスは黎明期の作品のためセーフ。


あとは本気で自己べを狙う場合は録画環境を揃えたいところで、
DSシリーズの録画には昔から「偽トロキャプチャー」という非公式・非合法の周辺機器があります。
本体を改造してキャプチャーボードを搭載し映像出力のUSBポートを増設するというもので、
現行法では改造本体の販売は違法とされています。
また、おそらく任天堂のコンテンツ配信ポリシーにも違反するため法的にはかなり厳しいと言わざるを得ません。
同様にSDカードに映像信号を飛ばすソフトを入れる改造不要のキャプチャ方法もあるようですが、
こちらは3DS以降のゲームにしか対応していないとのことでメテオスは非対応。
記録したいなら直撮り環境を整えるしかないですね……。
スマホ用アームと3DS専用の純正スタンドがあればそこそこ快適に録画できそうではある。
5分タイムアタックで45万点を超えてきたら買ってみようかなと(直近の自己べは41万)。


Nintendo Switch 2でリメイクされることを夢見ている本作ですが、
桜井さんが近年YouTubeで語ったところによると商権はもうご本人の手に届かないところにあるようで、
そういう意味ではあまり期待できなさそうなのが悲しいところです。
権利問題がクリアならWii Uのバーチャルコンソールにも登場していたでしょうしねぇ……。


#7731

散漫な興味関心

今日の出来事行動力の問題

近年の自分は、概ね数日〜数週間単位で興味関心がコロコロと変わっていき、
その興味関心の移り変わりの速さに対して半ば振り回されているという感覚があります。
それは基本的には制御できない暴れ馬のようなもので、馬の行く先々に合わせて自分の方針も変えざるを得ない。
しかし、いずれも結果が出る前に次の場所へ行ってしまうので実績がまるで積み上がっていかないという。
この悩みに対して、現時点の自分は3つの異なる「途中回答」を持っています。


  1. 「暴れ馬」の正体は無秩序なネットサーフィングにあるのではないか
  2. 「結果」の程度は問われておらず、小さな結果を出すだけでも振り回されている感は軽減できるのではないか
  3. 興味関心を抱く自分を俯瞰する習慣を作ればさらに振り回されている感は軽減できるのではないか

①についてはまあそうだろうなと思うんですが、しかし如何ともしがたいというのもあり。
近年のネットとの接し方は能動的な検索よりもキュレーションが圧倒的に多くなっていて、
要するにAIが話題を選んでくるわけですね。つまりこの仮説が正しいなら自分はAIに振り回されていることになる。
情報収集を「狭く深く」することでこれを避けることができ、
ある意味『原神』はそれを実践できているおかげで長続きしているとも言えます。
情報量が広く深い界隈ほど長続きしやすく、たまーにポケモン本編に立ち戻りたくなるのもその影響かなと思っています。
キュレーションメディアに触れる必要もないくらい単一の話題が充実していればいいのですが、
現状だと『原神』とてさすがにそこまでのレベルではない……
というか、どんな話題にも奥深さはあるもののある程度の深さまで来ると満足してしまう自分がいます。
1人で表面上の情報を食うだけでは限界があるということなのでしょう。


②の小さな結果さえ出せばいいのにという考えは、最近の行動力に関する課題でもあります。
最近の悪い癖として、興味関心のとっかかりだけをブログに書くものの結果的に何もしないということがあります。
逆に言えば、「ブログに書く」という小さな行動でも散漫な興味関心は消化できるということです。
あとは誰でもいいので他人に話すだけでも結構消化できることが多い。
どちらもできないと消化不良に陥ります。
2020年ごろは「小さな行動によって消化する」というムーブとは真逆のことをよくしていて、
興味関心の初動の強さに比例してかなり大きめの企画をすぐに発案したりしていました。
発案したらそのままタスクリストにスライドし、
やりたくて思いついたものが延期に次ぐ延期で義務に変わり、義務感に苛まれるまでがセットでした。
〇〇が好きなら専用の参加型特設サイトを作ってみようとか。そういう企画は例外なくすべて頓挫しています。


これは最悪の例で、せめて散漫な興味関心をブログ等で消化している昨今の方がマシなのかもしれない。
ただ、可能ならブログ以外の形での「成果」を期待したいところです。
そういうものがないので一向に前に進んでいるという実感がありません。ブログは「進んで当たり前」ですし。
最近は2020年の反省もあって比較的現実的な企画を思いつくようになってきたのですが、
それを実際に着手するために「あと一歩」の踏ん切りがつかないことが多く、どうしたものかと思っています。
この一歩が前に出ないのは計画実現率の低さから来る自己不信、承認欲求を発散する相手がいない等、
いろいろな要因が絡み合っていると思われ、一朝一夕では解決できなさそうです。


③の俯瞰する習慣が大事というのも、まあおおむねその通りかなと思っています。
「興味関心がある=何かやらねば」と短絡的に考えること自体がそもそも軽率である可能性があり、
もちろん「何もしていない=興味がない」ということでもありません。
その辺は実績と意欲とを安易に結びつけないように気をつけたいところです。
そこそこ強い興味がありニーズやスキル感の問題もクリアできそうなら躊躇なく何かをするべきでしょうが、
「何かをしたい」という衝動は、興味関心の強さにかこつけた単なる誇大妄想に過ぎないパターンも往々にしてあります。
できないことを妄想しても時間の無駄なので、そこはちゃんと現実的に考えたいところではある。


昨今の情報収集の在り方は必ずしも主体的でない場合があり、
主体的でないなら「振り回されている」と感じるのも無理はないのかなとは思います。
とはいえこれでは延々と消化不良感の否めない日々が続いてしまうので、
もう少し主体性を取り戻す方向で情報収集から行動までのプロセスを見直せたらとは思っています。


#7730

文章力を試したい

今日の出来事ブログ執筆

エゴサは精神に良くないと知りつつもしてしまうことが体感で年に1〜2回あるのですが、
そこで2020年当時のブログに対して「この人の文章は面白い」と書かれているのを知りました。
これだけでは厳密に好評価と断定はできないため皮肉を込めて言っているのかもしれませんが、
それに続く内容への感想の雰囲気から、おそらく好意的な評価をいただけたのだと解釈しています。
ブログを表に出さなくなり固定読者とのコミュニケーションの機会も閉ざされたいま、
ブログを評価してもらう機会というのは大変貴重です。
もう少し具体的な感想が欲しかったところですが、単純でバカな自分はこれでも結構モチベにプラス効果が働きます。
いまさらですが、WordPress時代は「いいね」の数に結構一喜一憂していました。


これまでの人生で文章そのものを褒められた経験というのはわりとあり、
ブログ黎明期も「長くても読みやすくてすぐ読める」等の評価をもらうことがよくありました。
実際に読みやすさについてはかなり気をつけている部分で、長い運営歴の中で何度も試行錯誤しています。
レトリックや言葉遣いについては近年はあまり意識してこなかった分野ですが、
厨二病全盛期はそれこそポエムを作ってラジオで賞をもらうようなこともあり、
その経験が決定的に「文筆活動が好き」であるという自負をもたらしました。
少なからずブログの長期運営や大学進学にも影響を与えています。


唯一の反例として、大学時代後期当時、新潟県が運営する
(なんでも相談してくださいと標榜していた)Uターン就職支援窓口へ相談メールを送った際、
「あまりにも読みにく過ぎて3回読んでやっと理解した」とボコボコに言われた経験があります。
まぁこれはかなり抜きん出て意地悪そうな職員だったので例外として考えて良さそうなものですが……。
いま読み返してみると大学時代のブログ記事も決して読みやすいとは言えないため、
もしかしたら妥当な評価だったのかもしれません。
いまはさすがに大学時代よりはかなり良くなっているという自負はあります。


実はこの好評価を発見する前から、かねてよりブログの「出張版」を書きたいと思っていました。
ブログはいわばクローズドなプラットフォームであり
積極的に評価を受け付けているとは言い難いですが、
自分の文章をより多くの人に読まれる場所に発表したらどうなるんだろうと。
またボコボコに言われやしないかとやや不安なところもありますが、
いわば「キリ番記事」の上位活動として、本気で随筆を書いて発表する機会も設けたいと思っています。
そのとっかかりとして実は4代目移転と同時に「note」にアカウントを作成しており、
年内に1本の出張記事を書くことを密かな目標にしています。
ブログプラットフォームの「note」が妥当なのか、
「カクヨム」「小説家になろう」のような物書きさんが集まるプラットフォームが良いのかについては検討中ですが、
まぁ初回はよりカジュアルに臨めそうなnoteでいいのかなと。


維持するだけで精一杯だった2023年以前から一転、20周年を機に移転してからブログ運営は比較的安定しており、
言葉選びを少し工夫するくらいの余裕は得られているという実感があります。
ここからさらに一皮剥けるためには、やはり手っ取り早いのは他者の評価。
果たしていまの自分にリスクを承知して一歩踏み込む勇気があるのか否か。
もしそれを乗り越えられたら、さらにもう一段階丁寧な言葉選びができるような気がします。


#7729

原神の現状 #13

今日の出来事原神

やや勢いが落ちつつある『原神』、ここ10日ほどの近況をまとめておきます。


まず今日からver.5.4となり、前半のガチャである「夢見月瑞希」「シグウィン」が登場しました。
とりあえず全体回復ヒーラーとして優秀なシグウィンは抑えておきたいと思い、
貯まっていた30連分を注ぎ込んだものの見事にハズレ。まぁでもこんなものでしょう。
問題は天井まで行ったときにすり抜けた場合で、課金してでももう一周分回すかどうかは悩みどころです。


リリース直後から始めたものの放置期間が長かった自分は所持キャラ数が多くありません。
キャラを確保することはそれだけパーティ編成の可能性を広げてできることを増やすことに直結するため、
極論を言えばどんなキャラであっても財布の許すかぎりは確保しておくべきだとは思います。
とはいえ、今後のガチャすべてで未所持キャラ全部を引くのは現実的ではなく、
どうしてもどこかで線引きをする必要はあるでしょう。
どのキャラを引くかどうかはもちろんですが、沼った場合にどこまで追うかも決めたいところ。
去年秋に復帰してからのガチャ履歴はこんな感じです。



  • ver.5.0前半(ムアラニ&楓原万葉):スルー。
  • ver.5.0後半(キィニチ&雷電将軍):復帰ボーナスで雷電将軍を引き、2凸。
  • ver.5.1前半(シロネン&千織):スルー。
  • ver.5.1後半(ナヒーダ&胡桃):ナヒーダを1回すり抜けで引き、1凸。
  • ver.5.2前半(チャスカ&リネ):スルー。
  • ver.5.2後半(ヌヴィレット&鍾離):鍾離を40連まで引くも当たらず。
  • ver.5.3前半(マーヴィカ&シトラリ):シトラリを3,680円課金して入手(すり抜け直後の10連で当たり)。
  • ver.5.3後半(アルレッキーノ&クロリンデ):アルレッキーノを紀行課金分で入手。

基本的に石があるならピックアップ2人のどちらかを引きに行くという方針ですね。
どちらもさほど魅力的でなければ思い切ってスルーして石を貯めるという感じです。
ver.5.0以前からもちょいちょいログインはしていたので大量の石が余っていたはずなのですが、
ver.5.1後半でナヒーダがすり抜けてしまった関係で大幅に消費し、ver.5.2後半で完全に尽きてしまいました。
以降、最高でも1シーズン3,680円以下の課金にとどまっているため、
この程度なら別に課金してもいいかなという認識です。
3,680円は10連1回分+αに過ぎないので、すり抜けてしまった場合のケアとしては力不足なんですけどね……。
昨今の原神熱を鑑みて、シグウィンの課金上限は仮にすり抜けてもそこまでを限界として、
ver.5.4後半のフリーナに関しては6,100円課金も視野に入れるのが妥当かなと思っています。
万が一どちらもすり抜けずに石が余ったらリオセスリもターゲットに入るかも。
意外と紀行やデイリーミッションが大事なので、コツコツと頑張っていけたらと思います。


ところで前回(#07718 / 2025年02月01日)、雷電将軍がアルレッキーノと比べて明らかに見劣りしてしまい、
メインアタッカーとしての座を奪われてしまったことを案じていましたが、
あれからビルドを進めて元素爆発で45,000ダメージくらいは出るようになりました。
そもそも雷電将軍の本領は飛び抜けた元素エネルギー配布能力であり、あくまでもサポーターです。
回復したい場合は自身の元素爆発を撃つしかないが必要エネルギーが多いアルレッキーノは
単体で戦うとエネルギー不足で回復が間に合わないケースが多々あり微妙でしたが、
雷電将軍と一緒に使ってみたところこの元素エネルギー配布能力が大いに役立ち、
改めて雷電将軍の立ち位置を思い出した次第です。


この2人なら深境螺旋11層もそこそこ行けそうな予感はしていますが、問題は後半用のメンバーが皆無なこと。
もうひとり強力なキャラとしてナヒーダがいますが、雷電将軍はナヒーダとも相性抜群なんですよね。
なので雷電将軍を入れる方にナヒーダも入れたいし、アルレッキーノも入れたい。引っ張りだこです。
この悩みを解決するキャラはいないものだろうか……。
こういう人材不足的な問題がしばしば発生するため、やはりガチャはなるべく引くに越したことはないと思っています。


#7728

最先端に飛び付けない

今日の出来事webサイト制作作業

数日前、ビルドできない現行CMSの後継として「Nuxt Content」が有望だという話を書きました(#07728 / 2025年02月11日)。
ただ、いろいろ試行錯誤した結果、実際にはあまり有望とも言えない現状が明らかに。


前回、Nuxtを断念した理由はバージョンアップ直後でノウハウが転がっていないからでしたが、
今回は同じことがNuxt Contentで起きました。メジャーバージョンアップはなんと先月末ということで、
現行最新のver.3は生まれたてほやほやです。
こうなると、まずChatGPTと二人三脚で行うプロンプトエンジニアリングはかなり難しい。
ver.3で作るのは難しいのでver.2以前でということになるのですが、
Nuxt Contentは結構マイナーらしくそもそもバージョン関係なくノウハウが転がっていない。
これでは自分みたいにサクッと作って長期運用したいズボラなユーザーはついていけません。


Nuxt ContentやNuxt Studioは画期的で面白い技術だと思いますが、
さすがにこの現状は開発やその後の保守運営で苦しむことが明白なので、断念せざるを得ませんでした。
そこでさらに掘り下げてみると、「Astro」というフレームワークを発見。
これはアイランドアーキテクチャと呼ばれる技術によって作られており、
コンポーネント単位でそれぞれ別のフレームワーク、つまりReactやVue.jsなどを柔軟に使える特徴を持っています。
そして、AstroもMarkdownを直接読み込むルーティングに対応しているため、
特定のフォルダにMarkdownファイルを格納するだけでそれを表示することができるもよう。
要するに自分が作ろうとしているブログなどに適しているというわけですね。


Nuxt Contentにしろ、Astroにしろ、テンプレートを改造して形だけ整えることはできると思います。
実際、表示してみるだけなら本当に爆速で実現できました。
ただ、それを末永くメンテ・機能追加していけるかと言われると……。
10年後、それらの技術が衰退している可能性の方が高いのではないかと思ってしまいます。
結局のところ、可能なかぎりミニマムなところから設計してオリジナルのCMSを作った方が長期的にはいいのかなと。
APIとフロントエンドを別々に作る方法が遠回りのようで実は一番手っ取り早いのかも。
そうなるとNext.jsで作ってしまうのが無難だという話に立ち戻ってくるわけで。
地盤がしっかりした技術でないとAIに訊けないというのもあり、
AI以前よりも新しい技術に飛びつきにくくなっている側面はかなりあると思っています。
面倒ですが、基本設計からちゃんとやってみましょうかねぇ……。


#7727

大量リムーブの反省

今日の出来事twitter

2年半前、Twitterのメインアカウントでフォローしていた人を一気に678人リムーブ(フォロー解除)し、
その少し後にさらに公式アカウント270個ほどをリムーブするということをしました(#06818 / 2022年08月17日)。
今更ながら、いや今更だからこそ、この立ち回りが正しかったのかどうかを振り返っていきたいと思います。


当時の記事を読み返すと、その思惑としては「相互フォロー全盛の時代にとりあえずフォローしただけの相手は、
無責任にただフォローしていてもお互いに損にしかならない」というような考えがあったようです。
もう少し当時の記憶を肉付けすると、当時はたしかまだおすすめの精度がイマイチで使っていませんでした。
それで基本的にはフォローしている人のつぶやきを新着順に読むというのが一般的で、
Twitterというのはさまざまな人の一人言を読むツール、というイメージでした。


その一人言というのは無責任な自分語りがあまりにも多く、ときに辟易していたのは事実です。
やはり、タイムラインから受けるストレスというのは現在と比べると格段に多かった。
だからこそメンタルをやられていた2019年以降はしばしば強い意志で「ツイ禁」したり、
あるいは自分自身もメンヘラツイートをぶちかますようなこともありました。
いまとなっては信じられませんが、ブログの新着記事URLをTwitterに都度投稿していたのもこの頃です。
いまの価値観で言えば、当時のTwitterというのは非常に確率の低い「承認欲求ガチャ」だったと思います。
認めてほしい人のあまりの多さに対して、認めてくれる人があまりに少なかった。


最初にリムーブした678人というのはただ相互フォローしているだけの赤の他人であり、
お互いの一人言に対して反応することも滅多になかったし、「いいね」をつけることもありませんでした。
当時は、「他人はコントロールできないが、付き合う相手は選ぶことができる。
合理的に考えれば、なるべく自分を認めてくれるような他人を選ぶべきだ」という考えがあり(#06853 / 2022年09月21日)、
認めてくれない他者は積極的に切り捨てても良い、という考えのもと大量リムーブを決行しました。
当時もそれは利己的すぎるかもしれないと内省していますが、果たして大量リムーブは正しかったのでしょうか。


当時はネット活動の不振から「ネット活動では承認欲求は満たせない(割に合わない)」という考えが根強くあり、
Twitterからもほとんど身を引くつもりでいました。
それは単にお互いに何も反応しないフォロー関係は不毛だ、というようなレベルではなく、
自分のメイン活動であるピクミンをも引退するつもりで思い切ったフォロー整理をしていたという意図があります。
本当にたまたま偶然、その直後に完全新作が発表されたことで引退は撤回することになりましたが、
直前にフォロー整理を行なったことでピクミン専用の発信アカウントとして再出発せざるを得なくなりました。
なぜなら、自分から認めてくれない他者を積極的に切り捨てた以上、
自分自身が無益なつぶやきでタイムラインを汚すわけにいかなかったからです。


それにより2023年以降(特に去年から)は急速にサブアカウントの数が増えました。
メインアカウントがピクミン専用になったことで、他の趣味について情報収集する受け皿が必要になったからです。
当初はコンシューマーゲームに関する話題だけは相変わらずメインアカウントでしていましたが、
最近だともうそれすらサブアカウントで済ませることが多くなっています。
もちろん、サブアカウントでつぶやいたところで反応をくれる人はほとんどいません。


かつてはただフォローしただけの間柄でも何気ない投稿から会話が始まることがまれにありました。
メインの趣味とは言えないまでも自分の興味のあることについての発信をメインアカウントで根気よくしていたら、
2022年以降もそういう交流があったのかもしれないのに……とふと思いました。
少なくとも、繋がりがゼロに等しいサブアカウントで呟くよりは有意義であるように思える。
まぁ、それを正当化するためには自分が他者の何気ないツイートを受容する必要があり、
これまでにそういうことが実践できていたのかと言われると……。


もともと、Twitterは「ゆるいつながり」を標榜するSNS的な何かだったはずであり、
それ自体にまるでリアルの人間関係かのような有意義さを求めるのはお門違いだというのはその通りでしょう。
他者の何気ないつぶやきを見てストレスが溜まるようならそもそもTwitterに向いていないし、
その時点で自分自身の性格的な欠陥を感じずにいられません。


結局、大量リムーブによって「関係性がないわけではないが日常的なつぶやきをするアカウント」が少数残り、
タイムラインが低速化することによってそれら日常ツイートがさらに悪目立ちするようになってしまい、
ストレスフリーを徹底するために彼らをもミュートすることによって、最終的に虚無空間が出来上がりました。
とはいえ、今更ミュート解除したところで日常ツイートを積極的に読みに行く理由も無いわけで。
これに関してはもう後戻りできないところに来てしまったと感じています。
そもそも日常ツイートに対しストレスを感じるということ自体、
大量リムーブによって自分だけは無益な投稿をできなくなったという「縛り」のせいなのではないかとも感じます。
そう考えれば、昨今のTwitterで感じるストレスは自業自得であると言え、
それをもって大量リムーブは失敗だったと結論づけることもできるでしょう。


とはいえ、趣味別にアカウントを使い分けて一人言の垂れ流しから卒業するというのは近年のTwitterの潮流でもあり、
決して自分だけの話ではないと感じています。
少なくともタイムラインを見るかぎり、ここ数年でそういう運用に切り替えた人はかなりいる。
言い方は悪いですが、分別を弁えられる人とそうでない人で明暗が分かれたイメージです。
前者は近年の価値観に沿って無益なつぶやきはなるべくしないようにしている一方、
そういう潮流に気付けない人がいまもなお一人言をひたすら垂れ流している。


大量リムーブは自業自得ですが、
リムーブしなかったとしても世間の流れ的に一人言の垂れ流しが許されていたとも限らない。
それ自体は自分も許容する・しないはさておき人として良くないことだと思っていて、
図らずも一人言の垂れ流しから卒業できたことそのものは道徳的には良いことだと思っています。
ただ、Twitterがもっと充実していたころと比べると一抹の寂しさは感じずにはいられません。
2ちゃんねるの時代からあった「なんとなくみんなでワイワイ話す場所」をついに手放したという感覚。


当時、意味は無いと思っていた678人との繋がりは、
自分が自分にルールを課すこともなく自由につぶやきを許すという点で意味はあったのではないかと感じます。
そのか細い関係があったからこそ、有意義ではなくとも承認欲求を満たそうとする行動ができていた。
そういうプラットフォームがあるからこそ日々の隅々まで意識していたという側面もあるでしょう。
割に合わないと感じていたのは事実ですが、そういうアウトプット先があるだけマシだったのかもしれない。
いまは、有意義な活動結果以外ではTwitterで承認欲求を満たすことが完全にできなくなってしまいました。
もちろんこの方が無責任な発信は減るし、より良い成果を求めざるを得ないという良い面もあります。
ただ一方で以前よりも承認欲求不満に陥りやすくなってきているのは事実だろうと思います。
無差別フォロー自体は過去の遺物であることは間違いないので、
まあ時代がこうさせたと言ってしまえばそうなのかもしれません。