ゲームの楽しみ方と集合知
昨日の続きになりますが、ポケポケで「ダークライEX」さえ来れば強そうなデッキが完成するということで
ここぞとばかりに貯め込んでいた砂時計を使って10連を引き、見事に爆死しました。
そして、それでもデッキを組めるタイプはないものかとカードライブラリを見返す中で、
超タイプの「ヨノワール」が目に留まりました。
ヨノワールは2進化ポケモンで、自分の任意のポケモンからダメージをヨノワールに移し替える特性を持ちます。
ヨノワール自身のHPは130となんとも言えないラインですが、
前線に立つポケモンの場持ちをかなり良くする効果と言えます。
ふと、これを「フシギバナEX」「シェイミ」などの草ポケモンと組み合わせるのはどうかと思いつきました。
フシギバナEXはHP190という現環境でトップクラスの耐久性能を持ち、
しかも4エネわざは自身のHPを30回復するという耐久性能を補助する効果を持っています。
また、シェイミは毎ターン味方全体のHPを回復する特性を持っています。ラフレシアの軽量版ですね。
フシギバナEXを前線に出して、ヨノワールをベンチで待機させておけば1度は受けたダメージを全部請け負える。
フシギバナEX自身の効果やエリカ、きずぐすりなどのサポートカードを駆使しつつ、
シェイミやラフレシアがフシギバナをサポートするついでにヨノワールが請け負ったダメージも徐々に消化する。
ヨノワール自身のダメージをある程度回復すればフシギバナEXは2回目の全回復も狙っていけます。
これにゴツゴツメットなども組み合わせれば、長期戦になればなるほど有利な陣営が完成します。
ヨノワールは特性しか使わないので超エネルギーは必要ありません。
まぁ、実際これが通用するのかは分かりません。
あいにくフシギバナEXは持っていないので試しようがない……ですが、
このエピソードを試しもしないのに書いたのはそれよりも重要なことを思い出したからです。
それは、ゲームに限らず娯楽というものは自分から「見出す」ものだということ。
13年前、芸術というものは好意的な解釈によって色付くもので、
それは自己中心的のようで実は芸術や文化を楽しむうえで重要な要素なのだと書きました(#03040 / 2012年06月12日)。
これはローアーケース(ごく小さな音や可聴域外の音を使った音楽)やジョン・ケージの「4分33秒」など
極端に前衛的な音楽との出会いから見出した価値観ですが、これはゲームにも言えると思います。
いわゆる「企業系Wiki」が跋扈するようになって久しいですが、
ポケポケのように構築(ビルド)が存在するようなゲームの場合、
企業系Wikiなどの集合知には必ず「このデッキテーマの結論構成はこれ!」というようなコンテンツがあります。
格闘ゲームやMOBAなどキャラ性能が異なるゲームなら、性能を格付けした「ティアランク」というものがあります。
しかし、そういうものが存在し、検索すればすぐに出てくるほど近い距離にあるおかげで、
我々現代ゲーマーは試行錯誤する楽しみを忘れているのかもしれません。
最近だとその試行錯誤をインフルエンサーが肩代わりしていることもあり、潮流としては加速していると思います。
試行錯誤した結果、要素と要素の間により良いシナジーを発見すること。
それ自体も本来はゲームの大きな楽しみであったはずです。
しかし昨今はその過程はネットの集合知や有名人が担うようになり、リリースとほぼ同時に結論が出てしまう。
そうすると、結論とされるシナジーを下回る構築をたとえ思いついても「使ってもしょうがないか」となるわけです。
ネットの集合知やガチ勢を上回るシナジーを発見するのもなかなかしんどいので、
よほどの情熱がないかぎりは検索すればいいかとなってしまう。
ポケポケは本来、引いたカードの中だけで試行錯誤することも楽しみのひとつとして意図されているはずです。
しかし結論構成が目の前にある状況では、それを持っているか否かで格差を感じてしまう。
持っていなかったら課金して引くしかない、というのはいかにも思考停止のようですが、
実際にヨノワールを見る前の自分もそういう思考に囚われていました。
ダークライEXを引かなければバトルに参加する価値は無いだろうと。
しかしそれはあまりにもゲームの本質を見失っていると、ある意味ヨノワールが教えてくれました。
まぁ、ヨノワールデッキを作るにしても結局フシギバナEXを引き当てないといけないのですが……。
明らかにティアランクが低いキャラやデッキを使って勝率が悪いのは馬鹿げている。
確かに現代において、それに対して正面から反論するのは難しいのかもしれません。
しかし、そもそもそれは「ゲームを楽しむ」ということからどこか逸れていないかと思うわけです。
ネットの集合知をシャットアウトして、ゲーム内情報のみを頼りに能動的に楽しみを見出すこと。
それこそが本来のゲームの基本的な楽しみ方であり、
昨今ゲーム意欲の減衰を感じる自分に足りていなかった行動なのかもしれません。