Chrononglyph

このブログは、こっぱちゃ(@koppachappy)が個人的に思うことを書き残す日記系ブログです。 2004年09月から1日1本相当の連載維持を目指して運営中。

4代目開設および公開運営復帰について
2023年05月より他活動の影響で維持管理が難しくなり非公開運営を続けておりましたが、2024年09月より公開運営を再開しています。 当面の間は2023年以降の記事のみ公開するプロトタイプ版運営となります。2022年以前の記事についてはコンプライアンスチェック後に順次公開予定です。
#7666

レンダリングの変化点

今日の出来事Next_jswebサイト更新作業

半分以上AIにお任せでしかも短期間の突貫工事で作ったためいまのところメンテナンス性が最悪のこのブログ。
なんでそこまで可読性が低いのか、なんとなく原因が分かりました。
それは自分がNext.jsの最新版で変更された仕様の内実をまるっきり勘違いしていたことによります。


同じNext.jsで作ったピクチャレ大会はNext.js ver.13を使って作りました。
当時はプロジェクト作成時のフォルダ構造を「Pages Router」か「App Router」か選択できたのですが、
前者は従来からあるシステムであるのに対して後者は最近できたばかりの最新システム。
前者の方がネットに落ちているノウハウの量も多いだろうと思いPages Routerを選択しました。
しかしその後、公式がApp Routerを全面的に推奨するようになり、
たった1年余りでPages Routerは古いものというような風潮に。
そこで4代目本家ブログの制作にあたってはApp RouterとTypescriptを採用することにしました。
当時はルーティングのフォルダが「pages」か「app」の違いだろうというくらいにしか考えておらず、
しかもAIにほとんどお任せなのでそんな浅い知識でも動いてしまったんですね。


実際にはこれらのシステムの違いは
もはや違うフレームワークと言っても過言ではないほど変更箇所が多く、もっとも大きな違いは
App Routerはページ用のスクリプトが原則すべてサーバーサイドレンダリング(SSR)になるという点です。
SSRとは、サーバーで諸々の変数を処理してからHTMLを出力してクライアントに渡す方式です。
一方、クライアントのブラウザで諸々の処理を行う方式をクライアントサイドレンダリング(CSR)と言います。
Pages Routerでは専用の関数によってそれぞれの役割が明確に分かれていて、
まずgetServerSideProps関数でサーバーサイド処理を実行してその戻り値を取得し、
それに基づいてクライアントサイドで処理する部分を書くというやり方ができました。
これはPHPにおけるwebアプリの書き方にもよく似ていて直感的で分かりやすいです。


しかしApp Routerは全部サーバーサイドで処理するので、そういった従来の書き方が通用しないことになります。
ここで問題になるのが、ページを表示してからボタン押下などに連動して値を変更したいような場合。
そういう処理はクライアントサイドでしか処理できません。
そこで、App Routerではそういう部分はコンポーネント(部品)化して個別に処理することになります。
コンポーネントもデフォルトではSSRですが、
先頭行に"use client";とつけることで特別にクライアントで処理してくれます。
ファイル単位で処理を分けろということですね。
Pages RouterではコンポーネントはSSRできなかったので、そこは進歩した点です。
まあいずれにしろ、Pages Routerを知っているからと言ってApp Routerを使いこなせるわけではなく、
むしろフレームワークとしてイチから学習し直さなければならないレベルで変化点が多いです。
素直にPages Routerで開発するべきだったのかもしれない。


そんなことも理解せずに開発を無理やり進めた結果、
あらゆるページで動的な仕組みを導入できないサイトが完成してしまったというわけです。
そして後々useStateを利用する仕組みを導入しようとしたときに壁にぶち当たり半ば挫折していたわけですが、
その原因はApp Router移行時による仕様変更であると今回ハッキリと分かりました。
とにかく締め切りに追われて見切り発車で進めるとこうなってしまうという教訓ですね。


今回を機にApp Routerの仕様もだいぶ理解できたので、
4代目ブログのフロントエンドはいずれ根本的に作り直すかもしれません。
まあ動的な機能も必要ないテキストサイトなので支障ないと言ってしまえばそれまでなのですが、
そう言ったこととは無関係にとにかく動線も安定性も最悪なので……。
それにApp Routerの仕様を知ったことでにわかにプログラミングしたい欲の復活も感じています。
やはりこういうのは技術に触れることが一番大事なのかもしれない。


#7665

結婚は人生の墓場?

今日の出来事結婚観

社会人実質1年目から4年目までお世話になった人から久々に連絡が来て、少しやり取りをしていました。
この方は自分が社会人デビューした直後にチームメイトになった先輩で、
ひとまわりほど歳上の人の良い2児の母親です。
当時の会社はドがつくブラック会社で深夜残業は当たり前、
繁忙期は日付を超えることすら当たり前になるような圧倒的な仕事量に加えて、
なぜかそれを長い朝礼や謎の課題などで阻害してくる上層部など、あらゆる理不尽が詰まった職場でした。
仕事のできない人、ミスをした人に対するイジメも横行しており、
それによって精神を崩壊した人は数知れず。女子社員が目の前で泣き叫ぶ様を何度も見てきました。


そんな地獄で自分が本当の意味で壊れずに済んだのはこの先輩がいたおかげだと認識しています。
何事も話しやすく相談にも乗ってくれ、学生時代に圧倒的コミュ障だった自分をほぼ一人前に育ててくれました。
ある意味で社会人としての基礎を作ってくれた人で、本当にその点は感謝しています。


先輩はこの春に初孫が産まれたそうで、それがいまの一番の生きがいだと言っていました。
そこから自然と「あんたは結婚しないの?」と結婚観の話になりました。
そこでブログでも年間通して書いてきた
「もしかしたら独身の方が幸せになれるのかも?」と考えているということを率直に話してみたところ、
意外にも全面的に同意されました。
結婚は人生の墓場というのは嘘じゃない。結婚で幸せになるのって実はかなり難しいんだよと。
「あたしは結婚も子育ても試練だと思ってる笑」と言っていました。
それが真実かはさておき、こういう既婚者の率直な気持ちを聞く機会は滅多にないので非常に考えさせられます。
「結婚は人生の墓場」というのは結婚できない独身が正当化のために使う言葉という印象がありましたが、
軽率に結婚すれば実際に取り返しのつかない「墓場」へと辿り着いてしまうのでしょう。


一方で、「でも恋愛はした方が良いよね」とも言われ、これもおおむね同意見です。
やはりパートナーがいた方が良いというのは事実。
ただ、女子はたいてい結婚願望があるので「恋愛はしたいが結婚はしたくない」というのは無理がある。
自分も昨日は誕生日恒例の寿司屋で豪遊をしてきましたが、
一人でいるとそういうことをすればするほど虚しくなってしまうというのも偽りない気持ちとしてあり、
やはりリアルを真っ当に楽しむためにパートナーは「前提」なんだろうなと改めて思います。
独身というのは抜け道のような生き方なんですよね、結局。
ネットコンテンツがあまりにも充実しすぎていて抜け道の方が王道のように錯覚することはありますが、
なんだかんだで駅前に行けばカップルや親子連れで溢れているわけで。


親族で唯一結婚を催促してきた祖父が今春に亡くなったことによって、
今年は年間を通して生涯独身を積極的に受け入れる方向に一気に舵を切った一年だったと思います。
しかし、本当の本当にそれで良いのかについては、
今回の既婚者のリアルな意見も汲みつつ再度考えてみる価値はありそう。


#7664

36

独り言夢と目標

先の帰省前日、幼少期から書き続けてきた数千枚のルーズリーフを数年ぶりにパラパラとめくってみた。
そこには、これまでの多くの足跡と夢と目標、そして僕が何を好きだったのかが克明に書かれていた。
これらを知ることができ、それらすべてに共感できるのは僕しかない。
ということはつまり、これらを実現できるのは世界で自分ただ一人しかいないのだ、と改めて実感した。


昨日の記事で、来年の計画としてゲーム制作、web制作、創作という3本柱が果たして妥当なのか、
という話を書いた。それらは過去の実績の延長線上にある目標に過ぎず、
制作過程を楽しめないのであれば年間目標にしたとしてもただの「義務」にしかならないのではないかと。
果たして、そこまでして他人に見向きもされない自己満足の活動を推進する意味はあるのかと。


確かに、他者承認というインセンティブを第一に考えるならばそれらは不毛だと言わざるを得ない。
しかし一方で、この3本柱が僕の「好き」を体現した概念であることは過去の足跡からも明らかである。
思春期に浴びるように体験したさまざまな憧れを取り込み、
自分もそれを提供する側になりたいと思ったのは必然的なことだった。
僕の場合はそれがこの3つの概念として導出され、
しかし、それらは環境とスキル、あるいは精神失調や自尊心の壁によって長年実現を阻まれてきた。
そこで不眠症も克服し、AIによって技術革新が進み、諸々の壁がかなり低くなった昨今、
改めていまこそ思春期の未練を果たそうというのが2025年に3本柱を掲げた大義名分である。
思春期の自分に成り代わって、彼に自慢できるような何かを作りたいと。


しかし、それは思い出に基づく信念に過ぎなかった。
「好き」の原動力であるところの思春期の情熱は20年以上前の薄い記憶と化し、
もはやそれだけでは擦れた大人となってしまったいまの僕を突き動かすことはできない。
「いまの自分」も率直に好きだと感じ、それを実現したいと思う率直な気持ちがなくてはならない。
昔の思い出だけではもはや実感のある情熱を捻出できないのである。
思い出を重視しいまの気持ちを軽視してきたことがいかに悪手だったかは、
社会人以降の計画実現率の低さを見れば明らかである。


思春期の夢には非常に強い思い出補正がかかっており、それ自体が本当に実現すべきものかどうかは怪しい。
しかし、それと「いまの『好き』な何か」を突き合わせたとき、
その最大公約数的な何かに僕がいまもなお実現したいことのヒントが隠されているような気はする。
3本柱のうちweb制作と創作はすでに進んでいるプロジェクトのいわば延長線上に過ぎない。
これらは、むしろ過去と未来を繋げるための活動としてなら年間計画として妥当性はあると思う。
「ゲーム制作」は、数千枚のルーズリーフの中に書かれた夢の中でも一番古いものであり、しかもまだ動き出せていない。
過去20年の未練が詰まっていると思うと、年間計画としては重すぎるのではないかという気持ちはある。
仮に着手するとしても、年間でできる範囲に切り分けるのが妥当だろう。
そして忘れてはならないのは、「いまの自分」は本当にそれをやりたいのか、という視点である。


結局のところ、大切なのは消費者として他者が実現した夢を体験してきたかどうか、ということなのだろう。
自分の夢や目標を計画する以前に、まず目の前のエンターテイメントを純粋に楽しめてこれたかどうか。
世俗を絶てば、これらすべての夢や目標は存在し得ない。
その意味で、どこまで自己満足だったとしてもそれが社会の中にあることを否定できない。
自分が何かをしたいと願うのは他人の成果に触れたからであって、
膨大な積みゲーを横目に良いゲームが作れるかと言えば、作れないのである。


料理を覚えたいのなら、まずは料理の味を知らなければ話にならない。
「料理ができるようになりたい」という欲求そのものは、あらゆるノウハウも教えてはくれない。
ステータスを盛りたいというのは単に他者よりも優越性を持っていたいという劣等感であり、
劣等感自体は「好き」や「憧れ」とは本質的に関係ない以上、何も生み出しはしないのである。


僕がいまやるべきことは、年間計画や夢や目標の妥当性を云々する前に、
まずは目の前に広がっている無数のエンターテイメントを本心から味わうことなのかもしれない。


#7663

2025年計画草案 #4

今日の出来事年間計画

来年の年間計画草案第3版では、ゲーム制作、創作、web制作という3本柱を掲げました(#07630 / 2024年11月04日)。
具体的には新本家サイトの復活、大キリ番記事に小説を書く、ゲームの「試作」を完成させるという目標です。
正直に言うと、いまのところこれらが実現できる未来は見えません。
なんだかまた各締め切り前に悶え苦しんでいるような気がします。


確かにこれらは達成できれば嬉しい。その目標のレベル感にそこそこの妥当性もあるような気がする。
しかしそれはあくまで2024年以前から引いた線の延長線上としての「目標」のみの話であり、
純粋にいまの自分の興味関心に基づいて決めたわけではありません。
そうすると何が問題になるのかというと、途中経過をまったく楽しめない「義務」になってしまう可能性が高い。
昨今の意欲低下はこの辺の目標や計画に対する誤認であるのではないかと改めて思います。


動機づけの話にも書いたように(#07633 / 2024年11月07日)、昨今の活動はもともと純粋に好きだったものが、
大人になるにつれ他者承認を得るための踏み台として消費されるようになった経緯があります。
それはweb制作などかなり歴史の長い活動も例外ではありません。
そしてその歴史の中で、少しずつではあるものの確かに純粋な「好き」が薄れていく実感はありました。
いま、承認欲求を完全に得られなくても続けられる自信のある活動はこのブログだけです。
だからこそ、既存の趣味がどんどん衰退していく一方、
承認欲求並みに強い欲求であるところの金銭欲を満たせる仮想通貨界隈に侵食されつつあるわけですね。
基本的に承認欲求目的の活動は自分の基本スキルの低さもあり、圧倒的に割に合わないと言うのが結論です。


こうした本音ベースの分析を踏まえて考えると、果たして冒頭の3本柱は妥当なのか?
創作もweb制作もゲームも、「本当は承認欲求を得たいが、ほとんどそれを得られる見込みの無い自己満足」
と言われても否定できないのは事実です。
しかし、そこまで非合理であるとわかっていても捨てがたい未練もある。
とはいえ現実的な諸々と勘案すると、非合理な目標を3本も立てるのはあまりにも非現実的です。
そう考えると3本柱という考え方は必ずしも妥当ではなく、もう少し絞るべきなのかもしれません。
となるとweb制作はまあ大したタスクでないのでやってもいいとして、
創作は大キリ番記事がある以上優先度が高く、ゲームは後回しという結論になってしまうわけですが……。
果たしてそれでいいのか? という気持ちはあります。


せっかくの機会なのでこの辺は次の記事でもう少し深掘りしてみることにしましょうか。


#7662

正義と距離感について

今日の出来事人間関係

まだトラブルに発展しているわけではないのですが、重要なことを思い出したので自戒を込めて。
というのは、人間関係トラブルというのは往々にして、
自分の正義に反する他人に対して、それを指摘する勇気を持てなかった場合に溜まる鬱憤が火種になる
ということです。もちろん一概には言えませんが、そういう側面があることは経験上否定できません。


ここでいう正義とは、社会通念上正しいとされていること……であることが多いですが厳密にはそうではなく、
あくまでも主体がそれを正しいと信じていることであり、微妙にニュアンスが異なります。
それは客観的な善悪というよりも、正義を行使しようとしている個人の都合によることが少なくありません。
また多くの場合、主体にとって「正義に反する」とされる行動を行う客体は、
それを特に悪意無く(あるいはやむを得ず)行っていることが多い印象があります。
単に客観的に(法律等で)悪とされること、要するに犯罪を犯しているのであれば話は早いのですが、
「個人の正義に反する無自覚な行動」というのはコンプラ的にも微妙なライン上のケースであることが多く、
一概に悪と言い切れないような難しさがあります。


そして微妙な問題だからこそ指摘しにくく、それについて言及しがたいもどかしいような空気になり、
そのモヤモヤ感が少なからず主体から客体に対するひそやかな信用の低下の一因となり、
そしてそれは累積していくのではないか、と思うわけです。
だからと言ってなんでもかんでもズケズケと指摘すれば、それはそれで自尊心を傷つけ主体の信用を損いかねない。
とはいえこうした局面で主体が「我慢すること」を選択すればするほど、
見えないところで不可逆的に人間関係が悪化していくわけで、結構難しい問題です。


誰もが誰かの正義に反している可能性があると思います。
自分もかなり最近まで結構なコミュ障で、失礼なことを周りに言ってきたような自覚はあります。
それは多くの人にとって正義に反することで、きっと自分の知らないところで信用を毀損し続けてきたのでしょう。
おそらく当ブログでは一生涯擦り続けることになるであろう例のイトコとの絶縁の件も、
そういう積み重ねが爆発した結果と見ることもできます。
このことは深く反省し、より「マトモな」社会性を身につけるために不断の努力をしなければならないし、
それ自体はかなり納得して具体的に改善してきたように思っています。


ただそれ以上に問題なのが、自分が果たして「指摘されやすい人柄」であるかどうかということ。
結局のところ、そこが人間関係をこじらせる根本原因のような気がするんですよね。
自分のコミュ障気質のように、確かに他人の正義=絶対ではないとはいえ、
指摘されたら(されなくても)直すべきような欠点というのは無数にあります。
そういう欠点は指摘されることが改善の近道であることは確かです。


しかし人として未熟だったり、心が弱かったりすると自分の欠点を指摘されることに対してどうしても抵抗感がある。
そういうオーラを発している人も世の中には少なくありません。
基本的に指摘するということは勇気が要ることであり、しかも見返りは少ないため割に合わない行動です。
指摘されようものなら必ず自己正当化や反論をしてくる人には誰も指摘しようとしません。
そのため、心が弱い人ほど欠点を誰からも放置されどんどん悪化していくという悪循環に陥りやすいのだと思います。
もっと悪質な場合、心の弱さを逆手に周囲をコントロールすることもあり得ます。
高齢無職やDVなど狭いコミュニティではそういう加害者がかなりいるイメージ。
「弱い部分を指摘する=悪」でありそれはタブーだという風潮さえ作れれば
倫理や人の優しさを盾に永遠に欠点と向き合わずに済み、欠点があるゆえに無責任な自由を謳歌できるわけです。
そんな人がいる環境で鬱憤を溜め続けたらどうなってしまうのでしょうか。


こういう人との距離感の取り方みたいな問題は本当に個々のケースで答えが違ってくると思うので
非常に難しい問題ですが、少なくとも言えるのはただただ溜め込むだけでは良くないということです。
今後も末長く付き合う相手にそれを指摘できそうなら、多少割に合わなくても指摘してしまった方が良い。
短期的には人間関係が悪化しても、長期的にはより信頼できる間柄になるかもしれませんしね。
また、どこまで踏み込んで良いのかどうかは探ってみないと分からない部分も多々あります。
うまい指摘の仕方もどんどん追求していくべきなんだろうなと。
人間関係の構築は途方もないほど奥深いですが、
社会に参加する以上はこれも一生向き合うゲームなんだろうと観念しています。


#7661

ゴールド免許交付

今日の出来事自動車免許

上京直前の休職期間に平日に時間が取れるチャンスを使って取った運転免許証が、
この5年間で一度たりとも使わずに本日めでたくゴールド免許になりました。
ゴールドなので次は5年後となりますが、来年からはマイナンバーカードとの統合が可能になるそうなので
自分が手にする免許証はこれが最後になるんじゃないかと思っています。
もしかしたら住所変更時に再交付してもらうかもしれませんが。


いちおう、2029年冬に更新することになったときのために今回のことを備忘録を書き残しておきます。
自分の住居では付近にある警察署では免許更新の手続きはできず、
免許更新センターまで平日に出かけなければなりません(要予約)。なので今日は有休です。


ここはかなり大きな建物で大量の更新希望者を捌くために高度に合理化されていて、
免許更新希望者は基本的にコンベアを流れる商品かのごとく線の上を順に歩くだけで終わります。
免許証と予約時に発行したQRコード(スマホでスクショする必要あり)を読み込ませ、
新しい暗証番号を入力すると手続きのための用紙が出力され、これを持って各手続きを進めます。
順序は更新料支払い、視力検査(条件によってメガネ必須)、写真撮影。更新料はゴールドの場合3,000円。
これらが終わると引換券と交通ルールブックを渡され、30分名目の講習を受けます。
講習は20分のDVD(重大事故例、基本ルール、最近の道交法改正状況、臓器提供意思カードについて)を見て、
基本的にはそれで終わりで、あとは後続の交付についての説明。
講習終了後は交付窓口へ行って番号で呼ばれたら新しい免許証を受け取り、
ICチップに記録されている本籍を確認したら終了です。


講習は一定間隔でしかやっていないので、運が悪いとここで結構待たされます。
自分は20分ほど待たされました。トータルでかかった時間は1時間半ほどでしょうか。
ちなみに免許更新のためにいちおう散髪しておこうと思って床屋に寄ったのですが、
そこが平日にしては予想外なほど地元のおじいちゃんで埋め尽くされていたため15分ほど遅刻してしまいました。
が、まったく咎められなかったのでよっぽど大幅な遅刻でなければ問題なさそう。
15時予約なのに15時半とかに行ったらさすがに何か言われそうですが、同じ時間枠内なら大丈夫なのかも。
となると、むしろ早く行きすぎるとダメなのか……?


身分証としての運転免許証は依然として重要なので今後も更新の機会はあると思いますが、
車を運転する機会は本当に無いですね。
東京都内に住んでいるかぎり、よっぽど車好きでなければ持つ必要はなさそう。
前も書いたかもしれませんが、唯一機会があるとしたら旅行先で移動のためにレンタカーが必要になるようなケースです。
ある程度の田舎だと車以外に移動手段が無いことがあり、
そういうところへ旅行したいという機運が高まったときには脱ペーパーを目指すことになるでしょう。


……が、いまのところそんな機会がこの先生きているうちにあるのかどうかさえ怪しいところですが……。
新潟時代は結構一人旅とかしていたのに、そのモチベも完全に経ち消えてしまいましたしね。
まああれは実家というプライベートをしばしば侵される空間に半ば嫌気がさしていたことと、
あとは東京へのあこがれが大きかったのが主な要因なのでしょう。
だからこそ、上京によって両方が満たされてしまったいまは旅行する必要性が無くなってしまったと。
そう考えると以前(#07552 / 2024年08月20日)検討した関西旅行も実現可能性はかなり怪しいです。
それこそダンドリ検定みたいなきっかけがないと難しそう。


#7660

カラーパズルの可能性

今日の出来事スマートフォンゲーム

そういえば最近ずっと鳴かず飛ばずだったオフライン系のスマホゲームですが、久々にヒットしました。
それはパズルゲームの『COLORMA』。読み方は「カラーマ」でしょうか。
色彩パネルを配置して自然なグラデーションを作る、いわゆるカラーパズルです。
『彩独2』など類似のスマホアプリは過去にも遊んだことがあり、
おそらく制作自体が簡単なことからストアには同等品が無数にあるのではないでしょうか。
『COLORMA』はその中でも比較的UIが洗練されていてオシャレ感の強いアプリとなっています。
(ちなみに、インベントリの位置はデフォルトでは押しにくいですが下に変更できます)


まだ最初の練習パックしかクリアしていませんが、
その中でも単に配置するだけでなく並び替えをするステージ、デコイが存在するステージ、
図形が書いてあるパネルに配置するとすべての同じ図形にコピーされるギミックのあるステージなど、
思っていたより応用性に富んでいてパズルゲームとして面白いです。時間計測が無いのも良い。
単にグラデーションを作るだけなら簡単な作業なのですが、
特に並べる形が「線」ではなく「面」になると一気に難易度が上昇し、色選択の試行錯誤が生じるのが面白い。
じわじわとハマるタイプのゲームです。
同等作品は序盤からしばらくずっと線タイプの簡単すぎるステージをやらされるので
そこで飽きてリタイアしていましたが、これはUIが秀逸なのでもう少し進めるモチベーションがあり、
それをきっかけにして面白さに気づけたという感じですね。


自分は2005年のDSソフト『メテオス』や2009年のDSiウェア『Art Style: SOMNIUM』の信者なので、
パズルゲームに関しては「応用性」をすごく重視しているようなところがあります。
SOMNIUMはステージを進むごとにルールを再構成するような面白いギミックがとても魅力でした。
そういう意味で言えば『Baba Is You』は個人的にはパズルの頂点と言っても過言ではありません……
が、かなりの難易度なので気合を入れないと着手しにくくサクサク感はありません。
『COLORMA』は単調でサクサク進める系かと思いきや意外と飽きない程度の応用性もありそうな雰囲気で、
個人的にはかなり有望なパズルゲームです。


ちなみにサクサク系でいうと近年最大のヒットは『テント・アンド・ツリーパズル』ですね。
これは数独のように基本ルールが洗練されていていくらやっても飽きないタイプのパズルです。
ただ、自分はもうサクサククリアできるレベルのパックはだいたい制覇してしまい、
残っているものはクリアに十数分かかるようなマス目の広いものなので最近はあまり起動していません。
こっちはログボもデイリーパズルもあって継続性はありそうな雰囲気なのですが、
デイリーパズルの数が多すぎて着手したらすぐにデイリーが義務になって楽しくなくなるのが目に見えているため、
通常パックは200ステージ以上クリアしているにも関わらず未着手です。
ほどよいボリュームだったらかなりの継続性がありそうなのにもったいない。
逆に『COLORMA』はログボもデイリーも無いのがもったいないなと感じます。
かつてあった『激問』のように、デイリーで1〜2ステージだけ配信というのがちょうどいいのかもしれない。
あるいは通常ステージ数ステージクリアをデイリーミッションとするとか。


自分はオフラインスマホゲームをアクション、パズル、その他と大別していますが、
やはりスマホはパズルに良作が多く充実しやすい傾向にあるように思います。
タッチパネル操作だからというのもありますが、スマホというデバイスの身近さがパズルに合っているのかなと。
電車の中などでさっと取り出して1ステージだけやりたい、みたいなニーズにすごく合う。
アクションはやはりコンシューマー機でガッツリやりたいですね。