Chrononglyph

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#8302

今度こそ運動習慣を

今日の出来事運動

緊急入院の非日常が終わっていつもの生活が戻ってきたわけですが、
当然ながら再発してほしくはないので、そのためにできることはなんだろうと少しだけ考えました。
……まあ、考えるまでもありません。運動しろという話です。
しかしいまの自分にとって、運動習慣は日常の動線にまったくないわけです。
仮に「スクワットがもっとも合理的だ」という科学的な事実があったとしても、
それを日常に組み入れるのはなかなか困難でしょう。
一方、いまの自分は少なくとも今月中はほぼテレワークが確定しており、仕事が終わっても延々PCで作業が当たり前。
運動習慣が無いどころか、「身体を動かす機会」さえも減っている現実があります。
こんな生活を長期で続けていたら、今後は動脈瘤1個では済まないかもしれません。


実は2024年にも似たような問題意識にたどり着いたことがあり、
そのときは近所のジムが入会後2ヶ月は会費を大幅割引するというキャンペーンを展開していたので、
「24時間営業のジムはどうか」と思い至りました。
ちょうど、祖父の訃報で田舎に行っていたので叔父にジムのことについてあれこれ訊いた記憶があります。
とはいえ、結論から言うと自分のような運動習慣が皆無の人間にいきなりジムはやや過剰。
本気で身体を作りたいという意志があるわけでもないし、運動器具について詳しいわけでもない。
24時間営業で近場のジムはまあまあな金額の会費がかかるので、意識の低さに対してコスパが悪すぎる。


そういうわけで、とりあえずウォーキングが現実的なとっかかりとしては一番有望なのではないかと思っています。
器具不要の筋トレなら自宅でもできるじゃんと言われるかもしれませんが、
自宅で筋トレをしたことのない人間にとって、自宅で筋トレは心理的ハードルが高すぎるんですよね。
もう自宅=運動する場所ではないという先入観が強すぎるので、いまさらこれを崩せない。
だからこそジムは割り切って身体を動かす場所と認識できるのでその点では有望なのですが、コスパは悪そう。
それなら外で歩くのがちょうどいいじゃん、という話になるわけです。


散歩自体は気分転換を目的としてたまーにやっていたので、
その頻度を増やしつつ若干早歩きにするのが良さそうです。
前も書きましたが普段使いの靴がもう限界なのでウォーキングにも耐えられる靴を買いたいのと、
あとは気分転換目的となると音楽プレイリストが重要になってくるのでその辺の整備もやりたいですね。
いまのところ、まずは週2回×40分くらいを目安にしようかなと思っています。
それがどれほど健康寿命を伸ばすことに寄与するのかは分かりませんが……。


#8301

文章以外の入力方法

今日の出来事ai

GPT-6 Astraを使ってみましたが、かなりのポテンシャルを感じますね。
既存ナレッジについてわりとざっくりと問題提起をすると、かなり細かいところまで考慮した上で提案などしてくれる。
ただ、かなり贅沢にトークンを消費するため、1回の指示だけで5時間リミットを使い切ることもザラにあります。
GPT-6にやってみて欲しいことはいろいろありますが、このトークン消費量ではなかなか難しそう。
かといってProプランは16,800円/月とかなり高額なので、
現状完全非営利のプロジェクトにしか使ってない以上、それほどの出費はさすがに選択肢に入りません。
ちなみにGPT-5.6 Solでもまあまあそれなりにトークンを消費するので、
それほどややこしくないが量があるようなタスクをお願いする場合、GPT-5.6 Terraを活用することも検討しています。
GPT-5.6シリーズはトークン消費量の多い順にSol、Terra、Lunaと3種類のモデルがあり、
デフォルトではSolを使うようになっていて、下位モデルは軽量重視のAPIなどに活用されることを想定しています。
Terraにグレードを落とすことでどんなデメリットがあるのか分かりませんが、
その辺も調べつつ使い分けるのが無難そう。


あとは、Codex開発の当面の課題であるデザインの問題。
言語化できるロジカルな改修、つまりプログラミングの部分についてはまったく問題ないのですが、
画像アセットを作りたい場合、UIを凝ったものにしたい場合などはその言語化が難しいので、
Codex単体ではなかなか思い通りに開発できないもどかしさを感じています。
これの解決方法は3つあり、まずネット検索を駆使して無料の素材などをCodexに読み込ませ、
「これを参考に作って」と指示する方法。
これは著作権侵害のリスクがある上、必ずしもドンピシャの素材が見つかるとは限りません。
それからGPT-Image、つまり画像生成でどうにかするという方法。
ただこれは結局自分がまず言語化しなければならず、デザインの細部まで思い通りにするのはまあ難しいでしょう。


というわけで、諸々考えると「自分で描くしかない」というところに辿り着いてしまうわけです。
もちろん、自分で描いたデザインをそのまま完成形まで持っていくにはタイパが悪いので、
ラフを描いて、それをCodexに投げるとかGPT-Imageに完成してもらうといった想定になります。
まあいずれにしろ、「ラフ程度を描く」というのはAI開発において必須になるのではないかと思っていて、
iPadでラフを描くことについて模索してみるか……
と思ったらApple Pencilを紛失してしまい、バカみたいな理由で足止めを食らっています。
iPadはホロドリのためにケースを外して使っていたのですが、ケースに付けていたペンがどこかへいってしまいました。
部屋の中はかなり探したのですが見つかっておらず、最悪Amazonで整備品を9,000円前後で買います。


#8300

良心の話

ネット活動の目的を承認欲求を満たすためだったと言い切ってしまうのはあまりにも乱暴だが、
しかし思い返してみれば確かに、ネットの向こうの誰かがそれを満たしてくれるのだという淡い期待は昔からあった。
そして近年改めてそれについて思い悩んだ結果、ネットの向こうに漠然と「それ」を求めるのは不毛だと観念した。
少なくとも、不特定多数を相手に「それ」を求めるのはあまりにも割に合わない。
それは決してネット社会が理不尽だからではなく、
単に僕が自分という人間を正しく認識できていないからそう感じるのだと思った。
かといって、自分は無能だと割り切ることがこの問題を解決しないのも明白だった。


昔から、こうした社会的欲求に関する問題解決を妨げているのは自尊心、つまりプライドだとなんとなく思っていた。
プライドを捨てさえすれば、長年抱えている承認欲求の問題は解決するかのように思えた。
基本的に承認欲求は他者から注目されることによって満たされ、それ自体に善悪の区別は無い。
たとえばSNSでインモラルな発言をすれば正義棒を持った人たちが一斉に叩きに来るが、
承認欲求を満たすということが主目的なら、これほど手っ取り早い方法は他になかなか思い当たらない。
なにも炎上当事者にならなくても、正義棒を持つ方でもずいぶんとこの欲求は解消されそうなものだ。
そして僕がそうした手っ取り早い手段を知っていてもその選択肢を選ばないのは、
つまるところプライドがそうさせているのだと思っていた。


しかし、一方で僕は確かにこの20年余りで承認欲求が満たされないことによる不自由を感じてきた。
それによって若年期のすべてと青年期のほとんどを消費してしまっていると思えば、とてつもない損失とも考えられる。
果たしてプライドは、それほど多大な犠牲を払ってまで固持する価値があるのだろうか。


そうしてふと社会の側に思いを巡らせてみると、それは必ずしも自分だけの問題ではないように感じられた。
家族、知人・友人、会社の人たち、街を歩く人たち、メディアに出る人たち……
要するに自分の人格を隠さずに表社会で活動している人たちもまた、
善悪どちらの行動でも満たされる承認欲求の問題を、軽率に悪の行動で満たさないように自律している。
そしてそこには正しく他者を賞賛するための枠組みがいくつもあり、
人は表向きにはそのルールに沿って正攻法で他者から認められようと躍起になっているように見える。
僕もその一人として、やはりできれば正攻法で他者に認められたいという気持ちは当然ある。
果たしてこの気持ちはどこから来ているのだろうか。


儒教を教えた孟子は、たとえば井戸に落ちそうな赤子を見れば誰もが憐れみの心を抱くとし、
それは人が生得的に備えている能力であると唱えた(性善説)。
フランスの思想家ルソーも、
自然人は本来善良であるが、「人間(社会)の手に渡ることで悪になる」と教育や平等の重要性を説いた。
ここでいう生得的な能力が「良心」であるとするならば、
それは僕が長年「承認欲求の敵」と考えてきたプライドに重なるところがあるように思える。
ということはつまり、僕が承認欲求を得られないという長年の問題の根本原因は社会制度であるとも言えてしまう。


つまりごく個人的なプライドが原因と思われていたこの件は、
個人の価値観、趣味嗜好、合理性、あるいは人間関係といった問題にとどまらず、
突き詰めれば現代の社会システムで人は人らしく生きることができるのかという問題にぶち当たるのではないか。


そしてそれは一見すると個人ではどうにもならないようにも思える。
自分一人が社会の仕組みを否定したとしても周囲がいまのルールを支持するかぎりは意味が無いからだ。


もちろんこの考えは必ずしも正しいとは思えないし、表面的にはひどく他責的な考えのようにも思える。
そもそも「良心に従って生きていれば誰でも社会的欲求が満たされる」
などという純愛に満ちた世界は理想郷以外の何者でもなく(そもそもそんな世界で社会的欲求が満たされるのか?)、
現代社会はそれには遠く及ばずとも、歴史的にみればかなりマシな部類のようには思う。
ただ、それでもきっと多くのほころびがあり、少なくない人が理不尽とダンスを踊り続けている現状もあるのだろう。
さしあたり、ネット社会という仕組みは比較的大きなほころびが潜んでいるように思う。


このブログは基本的に個人の問題解決を目指す場であり、社会問題の解決を目指すことは趣旨に反する。
けれども、ここから先は自分のためにこそ、社会の課題を正しく認識することも求められていくのかもしれない。
僕は理不尽とダンスを踊るために生まれてきたのではないと言い切れる日は来るのだろうか。


#8299

価値観の乖離

今日の出来事人間関係

若干今後の立ち回りを誤ると揉めてしまいそうな案件が浮上しつつあるので、状況整理をします。
いちおう関係者は見ていない想定ですが、万が一のために情報は若干ぼかして書いています。


自分は上京以降、定期的に集まる相手がいます。
このブログでも「ゲーム会」という呼称で当時のことはそれとなく書き残してきました。
創設当時は会社の同期のゲーム同好会みたいな位置付けでワイワイ楽しんでいたのですが、
中心メンバーの1人が会社を辞め、次いで自分もより大きな企業に転職してしまったことで
少なくとも会社の同好会としての名目は消滅し、それ以後は年1回くらいの頻度で集まるようになっています。


ただ、もともと共通の会社にいた時点で全員が中途採用された30代ということもあり、
それから6年が経った現在は全員のオッサン化が著しく、加齢によっていくつかの問題に直面しています。
まず、コンシューマーゲームをなかなか楽しめない。
これは自分も含めた問題なので決して他人事ではないのですが、とにかくアクションゲームでは場が持ちません。
ヘタクソなのでゲーム上の成績はどうしても悪くなるし、そうなると純粋に面白くない。
最初期は何時間もスマブラをやっていましたが、いまはとてもできる気がしません。
直近では『スーパーマリオワンダー』『マリオカートワールド』『カービィのエアライダー』
といった任天堂系の大型タイトルを買って提案してみましたが、どれも1時間すら持ちませんでした。
まあこれについては自分のタイトル選定が悪い可能性も多分にあるとは思っています。
……が、とはいえリズム天国や桃鉄なら盛り上がるのかと言われるとそれも微妙だし、
自分自身も身銭を切って買う以上は自分単独でも楽しめそうな無難なタイトルしか選べないという事情もあります。


そんな我々オッサンにとって最後の頼みの綱がボードゲームです。
いまのところ、ボードゲームならまあまあ無難に盛り上がってはくれている。
もちろん100%ではなく、たとえば人狼系だとイマイチなのでボードゲームを買うときはかなり気を遣っています。
そしてそれにかかる費用やそもそも場所の提供については慣例としてすべて自分が負担してきました。


そんな中、前回のゲーム会で唯一の既婚者であるオッサンの1人が、
特に理由も言わずにいつもお開きにする時間より2時間ほど早く先に帰ったんですね。
ボードゲームに依存している会なので1人欠けるとできなくなることも多く、
そのときはその1人が帰った段階で残りのメンバーも帰ることになりました。
ただ、のちに2時間早く帰ったのは嫁の都合だったらしいということが分かり、
独身サイドからはそれなら事前に「今回は何時に帰ります」と言うべきだったんじゃないか、
お膳立てをすべてやってもらっている立場としてはそれはおかしいんじゃないか、という話が挙がりつつあります。
やや過剰反応かもしれませんが、下手に煽ると今後の開催が難しくなりかねない予感がしています。


自分個人としては別に「主催として楽しんでもらわないと困る」と思っているわけではないので、
お膳立てした結果早く撤収されたことについては何も思いません。
むしろ楽しくないのに楽しもうとして引き延ばす方が不自然でしょう。
ただ、実態としてはもう目的は形骸化しているし、ボドゲ同好会を名乗るほどボドゲが好きなわけでもない。
では肝心のトークが盛り上がるかというと、
たいていはかつてみんなで在籍していた某社のヤバい現状暴露会みたいな話に着地してしまって、
それ自体とても有意義とは思えない。
かといって年1回顔を合わせる程度の仲なので、それ以上踏み込んだ話ができるわけでもない。
じゃあ有意義でないなら辞めればいいかと言われると、
自分としては都内で自宅に招ける知り合いは決して多くないので、貴重な縁をこちらから切ることもしたくない。
なんとも取り扱いにくい案件になってしまっているわけです。


さらにややこしいのが、もともとそういう雰囲気はあったのでここ数年は独身サイドから提案することはなく、
まあ多くとも年0〜1回でいいんじゃないかという話にはなっていたんですね。
しかし最近は年2回集まっていて、これがいずれも件の既婚者の提案が発端となっています。
提案した=誰よりも集まりたいと考えている、というのは短絡的な邪推でしかありませんが、
提案し、かつお膳立てしてもらう立場にも関わらずトークは表面的な世間話だけ、ゲームは盛り上がれない、
そして事前に言わずに早く帰るというのはどういうことなんだと思う気持ちは分からなくもないです。


最初は純粋に楽しいコミュニティとして成立したものの
その後のお互いの興味関心やライフステージがすっかり変わってしまって如何ともしがたくなったケースは、
どのように立ち回るのが最適なんでしょうね。
この件は有効な打開策を見出せないなら最初から時短前提で開催するか頻度を落とすのが無難な気がします。
しかしその「無難な選択肢」を積極的に選ぶかぎりは他者との繋がりを長期で維持するのは難しいように思われ、
本当に末長く続けたいという意思がお互いにあるならどこかで腹割って話す必要があると思いますが……
そこまでする間柄かと言われると本当に微妙なんですよねぇ……。


#8298

汎用人工知能の第一歩

今日の出来事ai

「GPT-6 Astra」が発表され、近日中に一般ユーザー(無課金除く)も使えるようになるそうです。
GPT-6は開発者が「将来、AGI(汎用人工知能)の歴史を振り返ったとき、
GPT-6が最初だったと語られることになるのではないかと思う」と豪語しているOpenAIの次世代AIモデル。
とはいえ、ユーザーのプロンプトに基づいて回答を出力する、
いわゆるチャットボットとしての賢さはGPT-5.6 Solと同等性能らしく、
その意味でシンギュラリティを越えたと言っているわけではありません。
なので今後もチャットとして使うならGPT-5.6シリーズ(Sol / Terra / Luna)を使うことになると思います。


GPT-6 Astraが飛躍的に進化したのは、ざっくり言えば文字入力のみに頼らない情報の処理能力だそうです。
あるユーザーはAIに『ポケットモンスター ファイアレッド』をプレイさせる独自のベンチマークで、
GPT-6がわずか18時間で殿堂入りまでクリアしたと報告しています
それまでのAIモデルは、GPT-5.6は96時間、GPT-5.5にいたっては200時間以上かかっていました。
初代ポケモンを18時間というと、もう人間と比べてもなんら遜色ない認識力を持っていると言える気がします。
AIはスクリーンショット(映像)のみを頼りに操作しているそうなので、
プレイ条件も人間とほぼ変わりません。


これまでの生成AIでは、人間がAIにやってほしいことを「プロンプト」という形式で言語化して、
AIはそれを解釈することによってコーディングやPCの自動操作を実現していました。
しかしGPT-6以降はもはや人間が目の前の景色を言語化する必要さえなく、
CodexならCommand+Commandでデスクトップ画面を共有するだけでやりたいことを理解してくれます。
外部アプリの代理操作も結構できるみたいで、さらに可能性が広がりました。
数年前、web屋さん界隈では「プロンプトエンジニアリング」などという言葉が流行りましたが、
もはや人力エンジニアは言語化スキルさえステータスにならない時代が到来するのかもしれません。


GPT-6 Astraがリリースされたら、たとえばUnityやBlenderみたいなクリエイティブなアプリは操作できるのか、
あるいは簡単なゲームならアセット集めも含めてやってくれるのか、
いろいろやってみたいことはあるのですが、トークンコストはかなり高いみたいなので、
Plusプランで使い倒すためには追加課金も必要になってくるかもしれません。
退院後、さっそく期間限定イベントのプラットフォーム開発を再開しているのですが、
ChatGPT / Codexはいつの間にか5時間リミットが復活したこともあり、
GPT-5.6 Sol mediumでもちょっとした開発でモリモリ消費してしまっています。
リミットを使い切ってしまって開発が止まることもしばしばあり、この感じだとGPT-6はかなり厳しそう。
今後はリソースが余っている深夜帯を狙って自動実行することも視野に入れる必要があるのかもしれません。


#8297

ビンゴバトルオンライン解禁

一昨日はこのブログの22周年の日だったわけですが、
かつて「本家ブログ2周年記念企画」として始動した「ピクミン3同盟」の20周年の日でもありました。
それを前身とするピクチャレ大会はいまもなお運営を続けているわけですが、
なんの因果かその20周年記念日に『ピクミン3デラックス』のNintendo Switch 2対応アップデートが突如発表され、
なんと2人対戦専用モードである「ビンゴバトル」がおすそわけ通信に対応しました。


そもそもNintendo Switch 2はフレンドとビデオチャットやボイスチャットができる機能を備えており、
同じソフトを持つフレンド同士でのオンラインプレイができるのはもちろん、
ソフト側が対応していればソフトを持たない相手ともオンラインプレイができるようになっています。
『ピクミン3』は2013年発売のWii Uタイトルで、
当時から「ストーリー、ミッション、ビンゴバトルで各1本のゲームとしてリリースできるほどビンゴバトルは奥深い」
と開発者が豪語するくらいビンゴバトルはリプレイ性の高く奥深い対戦ゲームとして世に送られたのですが、
2013年の当時ですらオンライン対戦できないというただ1点で評価を落としていました。
実際自分も実家時代にビンゴバトルはたまにやっていましたが、前作の2Pバトルモードよりも明確に面白く、
12ステージ×3バリエーションというステージの豊富さに加えてビンゴシート自体も毎回ランダムなので、
手軽ながらも何度やっても新鮮に遊べる対戦ゲームの花形として好印象がありました。
そのビンゴバトルが13年の時を経て突如オンライン対応したわけです。これには正直驚き。
きっと任天堂も「ビンゴバトルは面白いのにオンライン非対応なのはもったいない」と思っていたんでしょうね。
それがNintendo Switch 2へ対応したことでついに実現できるようになった。
時代が『ピクミン3』に追いついた瞬間です。


そして『ピクミン4』もまだNintendo Switch 2 Editionへのアップデートを残しています(いちおう1と2も)。
これはダンドリバトルもオンライン対応する布石なのかなと思っています。
ダンドリバトルは、ただでさえ面白いビンゴバトルをさらに調整・ブラッシュアップした位置付けのゲームモード。
今作からようやくCPUと遊べるようになり、
本編に組み込まれたことにより実質的にVS CPUがスコアアタックにもなったことでやり込み余地がさらに広がり、
ソロプレイとしてはすでにかなりやり込まれていますが、対人戦がオンライン解禁されたらさらに盛り上がりそうです。


ただ、12ステージ×3バリエーション=実質36ステージのビンゴバトルと違い、
ダンドリバトルはわずか6ステージで派生バリエーションも存在しないため、コンテンツ量はちょっと寂しいんですよね。
大型アップデートがあるならぜひともここを拡充してほしいと思っていますが、どうなることやら……。


とにかく、これによってピクミン界隈は21年目にしてオンライン対戦という新たな扉を開くことになり、
公式からの供給という点では完全新規タイトル発表の次くらいにアツい展開だと思っています。


#8296

心の栄養補給

さて日常的な「今日の出来事」系の記事としては2週間ぶりということになります。
入院前も直前は頭痛、その前はガッツリ残業からのコミケとバタバタしていたこともあり、
体感では状況が落ち着いていると実感できるのは少なくとも3週間以上ぶりのように思います。
この間、興味関心についても状況がガラッと変わってしまったので振り返りも兼ねておさらいしていきます。


まずバタバタする前のマイブームはホロライブのソシャゲ、『ホロライブドリームス』でした。
これのリリース当時からの勢いがかなり強く、年間マイブームはこれになるかもという予感がしたほどです。
そしてお察しかもしれませんがその勢いは入院に殺されました。
ただ、イベントをガッツリ走る気力は無くなったかもしれませんがエンジョイ勢として継続できる余地はあります。
入院前で収録楽曲のうちほとんどのHARD譜面でフルコンを達成していて、
現状ダントツのHARD最難関『KINGWORLD』を除けば残りも埋まるのは時間の問題という状況。
ここまで来れたなら残りを埋めるのは大した労力ではありません。
それをとっかかりにして貯めていた低レベルEXPART譜面を埋め始めることもできるので、
まだもう少しコンテンツとしては遊ぶ余地がありそうです。
ただ、イベントに関しては入院中のイベントでイベントメモリー(逃すとおそらく入手不可)を1枚逃してしまい、
イベントを全部追うぞというモチベはこれによって削がれてしまった感があります。
また、退院後少しやってみましたが入院前と比べて明らかにプレイ精度は落ちています。
こうなるとALL PERFECTを積極的に狙う活動は難しくなるので、精度を入院前水準まで持っていけるかが問題です。
まあ基本的には今後のガチャラインナップやイベントの魅力度に左右されそうではある。


開発系では、入院直前に作っていたこのブログにサインアップ機能を追加するミニプロジェクトについては
予定通り昨日リリースしました。
あとは年間計画のキモでもある期間限定イベントのプラットフォーム制作についてですが、
実はこれも水面下で良いところまで進んでいて、Codexに全部お任せできる部分は終わっています。
あとは人力での動作確認と細かいデザイン修正が終わればリリースはできそうな雰囲気。
これさえ突破すればひとまず直近のタスクは白紙に近い状態に持っていけそうです。
あとは入院中に構想していたブログの安定運営をシステムでフォローするためのアシスタントをどうするかですかね……。


今日は心の栄養補給も兼ねて、退勤後はひたすらなつかし系J-POPや好きなゲーム音楽の動画を巡回していました。
たまに感情が死んできたなと思ったら半年に一回くらい同じことをやっていて、
特にレパートリーが豊富というわけでもなく思春期からずっと聴いているような定番曲ばかりです。
THE FIRST TAKEにはたまに懐メロが登場しますが、そういうのを中心に聴いている感じですね。
これが本当にメンタルに沁み渡るんですよ。
音楽はどんなに歳をとっても環境が変わっても自分にとっては多方面からメンタルを支えてくれる存在なんだなと。


とりあえず今月は仕事に関してはかなりのんびりやらせてくれそうな雰囲気なので、
今週は療養期間と割り切って来週からは本格的にタスクを復活させていきたいところです。


#8295

現在を生きる

今日でこのブログは22周年を迎え、これから23年目を歩むことになる。
この23年目は、未来永劫訪れなくてもおかしくなかった。
いまここにある日常は決して当たり前に与えられる自由ではないのだと、08月20日からの入院生活で思い知った。
あの日、動脈瘤が破裂していたら僕はもうこの世に居ない可能性もあっただろうし、
そうでなくてもそこで血栓ができて脳血管に到達していたら
既存の活動のすべてを断念せざるを得なくなって別の人生が始まっていたかもしれない。
読み返すと、動脈瘤が形成された当日のブログには「スーパー銭湯でしっかり休養すればよかった」と書いている。
当時、まさか動脈解離だとは微塵も思っていないので、あのままサウナに入っていたら一体どうなっていたのだろうか。
23年目を何事もなく迎えた平々凡々たる現在の僕は、そうしたさまざまな断絶の可能性を振り切って存在している。
そして当然の成り行きとして、
「仮に明日、自由を行使できる日常が断絶したとして自分はそれを受け入れられるか」という問題に思い至った。
このまますべてが中途半端なままある日突然断絶した場合、
多くの未練、仕掛かりの活動、道半ばの成果は不本意なまま記憶の彼方にのみ漂うことになり、
つまりは自由の断絶と同時に自分が「生きた証」そのものも断絶するのではないかという不安が生じるようになった。


2026年08月19日以前の自分の人生の基本方針には、非常にざっくりとした言い方をすれば、
まず理想があり、必ずその「下」に現在があり、その不足を埋め合わせるためにこそ人生を消費するという考えがあった。
つまり現在は常になんらかの不足を感じていて、その不足を解消するためにする課題解決活動こそが人生なのだと。
ところがこの場合の理想は常に現在の「上」を行くので、不足が完全に解消されることは永遠にない。
この価値観に固執するかぎり、僕は心から満足することもありえないしゴールテープを切ることもない。
課題解決自体は計画ありきの行動でも、大局的に見ればきわめて無計画で場当たり的な生き方だと言わざるを得ない。
ヒトが生物である以上は生物的な〈死〉というゴールからは免れないのだが、
これまでの方針は、現在といつか必ず来るゴールとの接続はいっさい考慮されていなかったように思う。
活動の終わりとしての〈死〉を真面目に考えたのはこれが初めてだったかもしれない。


そもそも、生と死は必ずしもスイッチのように0と1で切り替えられるような概念ではないのだと改めて思う。
脳卒中で寝たきりの病院生活は、
生物として死んではいないものの自由をほぼ完全に奪われているという点で、人としてはほぼ死んでいる。
カテーテル検査で顕在意識を含むほとんどの自由を奪われていたときの僕は、その意味では99%死んでいた。
つまり生きている実感というのは(日頃との相対的な)自由に対する実感であり、
それは健康を損なうことであっさり奪われてしまうのだ。
そして人は生きているかぎり脳卒中ほどではないにしろ大なり小なりさまざまな体調不良に悩まされ、
そのたびに人はその意味において死んだり生き返ったり、
あるいは資本主義のルールによって〈生〉を部分的に差し出すことでカネに換金したりしている。
不健康にしろ社会的責務にしろ、それは相当の個人差はあるものの基本的には加齢によって緩やかに増え続けていき、
つまり人は加齢に従って徐々に死んでいくものと考えることができる。


もし、以前の人生観のまま走り続けていけば少なくとも今後健康の問題が越え難い壁になることは間違いない。
自己実現を主軸にした生き方では健康を損なうことは「不測の事態」でしかなく、
不健康になればなるほど努力で埋め合わせるのも困難になっていく。
そうしてもがいた末に寝たきりの生活になったとき、「自分の人生はこれで良かった」と果たして言えるだろうか。
僕は不自由な入院生活を経て、現在をあくまで不足の場と捉えてひたすら課題を潰し続けるような従来の生き方は、
もしかしたら中年以降は通用しなくなるのではないか、という発想に至った。


しかし一方で、少なくとも22年ブログを書いてきたことは良かったとも思った。
脳神経外科の病棟では、身体の自由をほとんど奪われ認知症と戦っている老人が多くいた。
彼らは数十分前の記憶を保つことさえ難しく、
これまでに生きてきた「自分の物語」をすでに失い、過去の自分との連続性は断絶している。
彼らはそれでも彼らをよく知る他者との関係が途絶えていないことによって、かろうじて人間らしさが残っている。
もし、身寄りも無く孤独のまま認知症になればその人の過去は完全に失われてしまうのだろう。
その点、ブログは「自分の物語」を記憶能力だけに頼らないように外部出力する営みであり、
自由を失い、記憶を失ってもなお客観的連続性を失わずに済むというのは今後ますます価値が高まっていくと思う。


日記系ブログの執筆は、その日の終値を確定し受け入れ、評価・総括・反省し、ひとまず完結させる活動である。
記憶を外部出力するにあたり何らかのパッケージ化は避けられないので、必然的にそのような機能を持つことになる。
こうした営みを鑑みると、〈死〉というゴールに対して具体的な道筋を描くことは困難かもしれなくても、
1日や1週間、あるいは1つのイベントなど、人生をより小さな単位で完結させていくことはできるかもしれない。
さまざまなレンジで過去を完結させていくことを積み重ねれば、
いつか不意に自由の断絶が起きたとき、「自分の人生はここまでか」と納得することを微力ながら援護してくれると思う。
逆に言えば、現在を「途中」と捉えるかぎりにおいて、そのような覚悟は永遠に育たない。
2026年08月19日以前の人生観が問題解決を積み重ねる未来志向なのだとすれば、
過去を部分的に完結させていくブログのような営みは、それを対称的に補完する過去志向と考えることができる。


言うなれば、僕は〈自分〉が主人公の作品を描く売れない漫画家である。
ストーリーは無秩序に枝分かれし、そのすべてが中途半端なまま次を描かれるのを待っている。
これからはそれを片っ端から完結させ、あるいは剪定し、物語としての体裁を整えることになりそうだ。
一巻の終わりにはせめて、あとがきを書けるくらいの余裕を持ちたいものである。


#8294

椎骨動脈解離で入院生活 #12

今日の出来事入院

入院12日目。


経過観察を経てようやく造影CTスキャンの日がやってきました。
カテーテル検査でスキャンした動脈瘤がこの6日で悪い方向に変化していれば手術、していなければいったん退院。
ここまで全部ハズレを引いている自分の末路は果たして。


まず朝食は無し、お茶のみ。
そして昼前くらいの時間になると看護師さんがやってきて造影剤を注入するための管を入れに来ました。
点滴は入れないが点滴の注射的なことをするということです。
このときの看護師さんがなかなか下手くそで、最初の1人目は2回刺して2回とも失敗し、
「私じゃダメなのでバトンタッチしますね」と2人目が呼ばれたのですが、その人も1回目は失敗。
2人目の2回目でようやく成功し、右腕が4回も刺されることになってしまいました。
点滴の注射針は健康診断の採血などと比べるとかなり太く、痛みは倍くらいあると思います。
しかもそれを、おそらく血管内に適切なポジションにするためにグリグリ動かすのでさらに痛いんですよね。
まぁ、今回は点滴はこれで3回目だったので若干その痛さにも慣れつつありましたが。
看護師さんが言うにはCT検査造影の注射針は普通の点滴の注射針よりもさらに太く、
必ず右腕でなければならないという制約があるため一段と難しいそうです。
昔の自分は「痩せているので注射は失敗されたことがない」とドヤ顔で書いていますが(#04893 / 2017年05月29日)、
点滴はまた事情が違うのか、多少皮下脂肪がついてきたのか、ここの看護師さんがちょっと下手なのか……。


MRIは磁力を使うので人体には無害ですが、CTスキャンは放射線を使う精密検査。
しかも造影剤の成分も違うようで、MRI造影検査ではガドリニウムを使うのに対し、CTスキャンはヨードだそうです。
おそらくカテーテル検査で使われたのも今回より少なかったですがヨードだったと思われます。
このヨード、体内(血管)に注入されるととても熱く感じます。
CTスキャン中に機械が自動で注入するのですが、まず針の入っている腕の血管を通り、
脇の下辺りを通過して胸まで来た……と思った次の瞬間、股間から頭まで一気に駆け巡る感覚がありました。
あ、心臓ってこうやって全身に血液を輸送してるんだ、思ったより強力だな、と人生で初めて実感しました。
ちなみにこのときにめちゃくちゃ失禁したような感覚に陥るので一瞬焦ります。もちろん実際には無事なのですが。


CTスキャンは無事に終わり、あとは主治医の判断待ち。
まあ忙しいだろうから夕方くらいまでは待機かなと思っていたら検査終了後30分くらいで来てくれました
(主治医は自分が仕事を半ば放棄して緊急入院したことをとても心配しており、
1時間でも早く帰りたいという発言を重く受け取ってくれたのだと思います)。


結果は……退院決定。
6日間で動脈瘤は変化しておらず、「ひとまずは」手術等の必要性は無いとの判断が下りました。
もちろん、残りの人生でどうなるかはわからないので、まずは2週間後に今度は外来としてMRIを受けるわけですが。
その後は退院の手続き。まずは2週間後の受診までの分の諸々の薬を受け取りました。
高血圧の薬と、あとはなぜか高尿酸血症の薬、頭痛がしたときの頓服薬、あとはなぜか下剤。
尿酸については今回の件はまったく関係ありませんが、
血液検査をしたときに尿酸値が妙に高かったのでいちおう飲みましょうという話になりました。
ビールは飲まないし痛風鍋もまだ食べていないのになぜ……。
下剤は入院中にあまりにも💩が出ないことを心配され、食後に飲まされていました。
が、それでも標準の頻度では出なかったのでいちおう処方されたという感じですね。
これはもう長年のカフェイン摂取のせいだと思っています。
今回の入院、カフェインが解禁された10日目まではコーヒーを一切摂取しませんでした。
自分はもう遅くとも中学時代から毎日コーヒーを飲む習慣がついていて、
1日で1杯も飲まない日はイベントや外泊などの特殊事情がないかぎりは皆無です。
おそらく1週間以上連続で飲まなかったのは小学生時代以来だったんじゃないかなと。


で、トイレ事情……というより消化器系がもうそのカフェインに連動する仕組みになってしまっているんでしょうね。
そのことが今回初めて明らかになりました。自分の腸はもはやカフェインをあげないと働いてくれない。
下剤が効かないというのは見方を変えれば深刻ですが、
まあ日常に戻ってコーヒーを飲めるようになればこの下剤を使う日は来ないでしょう。


その後退院の手続きが進み、病室からは無事に撤退。
会計専用窓口に行って提示された今回の入院費は保険適用前で実に58万円!!!!
まぁ、どう転んでも「思ったより安いじゃん!」みたいな展開は無いだろうとは思っていました。
何度も何度もMRI検査して、CT検査とカテーテル検査までして現実的な金額に収まるはずがないだろうと。
3割負担マジックでどうにか10万円前後にならないかなーと思っていたら、自己負担額も予想をだいぶ超えてきました。
ただ支払い猶予はだいぶあり、「1ヶ月以内に振り込んでいただければ」とだいぶざっくりした説明をされました。
そこを曖昧にすると支払わない人もいるのでは……?


動脈瘤の問題がひとまず去ったと思ったら次はカネ、そしてこのあと仕事の問題か……。
と思いつつも数日ぶりに帰宅、まずは高額医療費制度について健康保険の窓口に問い合わせるべく調べていました。
高額医療費制度とは、月の医療費がその人の所得ランクに応じて決められる月の限度額を超えた場合、
その超過分について補助が受けられ、本人負担はその人のお財布事情の現実的な範囲に収めてくれる制度です。
保険適用前58万円ならどう考えても該当するだろうと思って改めて領収書を見てみると、
病院宿泊費(いわゆるベッド代)が丸々7万円分保険適用外になっていることを知りました。
制度ルールを読むと本人が希望したことで手配された個室等にかかる特別料金、
いわゆる差額ベッド代は高額医療費制度の対象外とあり、仮に補助を申請したとしてもこの7万円は救済されません。
これでは申請する意味があまりないことになってしまうので困りました。


確かに宿泊していた病室はベッド代がかかると言われましたが、
そもそも入院当日は緊急入院という名目で入ったこともあり、病室は病院側がすべて決めていました。
そしてふと、支払い窓口で待機しているときに他の患者が
「緊急搬送されて入院が決まり、病室が自動的に決まった場合は差額ベッド代がかからないって聞いたんですけど……」
みたいな相談をしていたことを思い出し、自分もそれに該当するじゃんと今更のように気づきました。


ということでまずは保険組合より前に退院したばかりの病院の入院費担当窓口に問い合わせて事情を説明したところ、
「差額ベッド代は明確な本人の同意があって頂くもので、そうでない場合は頂戴していません」
とあっさりベッド代7万円は帳消しにしてくれることになりました。
なんというか、お世話になったのにゴネて安くしてもらったような感じがして罪悪感がありますが……
7万円の差は大きいし保険適用されないのはキツいのでそのまま話を進めてもらうことに。
あと、高額医療費制度はマイナ保険証によって収入情報が連携されていてすでに適用されているとのことでした。
その関係もあって自己負担額を書くと年収レンジがバレるので書けないのですが、
最終負担額は結局入院中の食事代サービス代諸々を足し合わせて見舞金でほぼカバーできる範囲に収まり、
諸々のありがたい制度のおかげで12日入院したにしてはかなり負担が減りました。
金銭についてはひとまずクリアしたと言ってよさそう。
次は仕事です。


まず退院直後くらいのタイミングで例の無能な営業から「現在のプロジェクトは今季限りで終了となりました。」
と、こいつ感情入ってんのかと思うような文面で契約終了を知らせてきました。
まあ10月以降も現行プロジェクトにいられる席もタスクも実力も無いことは十分承知していたので、
それ自体はどうでもいいんですが、問題は09月末までの処遇です。
怒涛の7欠勤で現場はどうなっているのか。炎上しているなら休み明けからは残業フィーバーになるし、
炎上していないならそれはそれで自分はお役御免ということなので待機になりかねない。


17時から現場上司と会話する機会を得て、いろいろ現場の実情を確認しました。
まずもともと先々週終わるはずだった(自分が担当の)実装工程はベテラン社員のアシストでどうにか目処は立て、
後続のシステムテストについてもその人の旗振りですでに動いていると。
UATの日程はクリティカルな支障は出ていないので、ひとまずプロジェクト自体がヤバいわけではないとのこと。
となると自分がお役御免になるパターンか……と思っていましたが、
リリースに向けて整理しなければならないドキュメントがたくさんあるので、
そちらを担当してほしいといちおうタスクは与えてもらい、明日から出勤することは合意を取れました。
いちおう仕事面も危惧していたようなことは起こらず、無難なところに着地したかなという感じです。
今回の件で、自分のような勤務形態の人間はこういう契約で客からカネをもらっているかぎり、
やむを得ない理由であろうと連続欠勤してしまうともう戦力として数えてくれないのだと痛感しました。
そして戦力になれないと一気に社会的地位が危ぶまれてくる。
正直、この辺も今後ちゃんと身の振り方を考えなければならないところだと思います。
自称webエンジニアとしてこの業界に入って約7年、果たして得られたものはあったのかと……。


そんなこんなで長い長い入院生活が終わり、日常が戻ってきました。
今回の件は自分にとって、2014年の地方のブラック企業入社や2019年の上京に比肩する人生の分岐路だったと思います。
もう健康のことを気遣わなくていい人生は終わりました。
それだけでなく、さまざまな面の自分の有限性について気づき直すことができました。
2026年08月20日はたぶん、自分にとって青年期と中年期の境界線として語ることになるんじゃないかと予感しています。


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椎骨動脈解離で入院生活 #11

今日の出来事入院

入院11日目。


早く帰りたいのは間違いないんですが、なんだかここまで来ると逆に退院後が怖くなってきました。
入院費はいくら請求されるのか、仕事はどうなっているのか、そもそも復帰できるのか……。
仕事はそもそも現在のプロジェクトが泣いても笑っても来月末で終わり、
来月は丸々テスト工程(しかもそのうち半分くらいはUAT=お客さん側の作業)となっているため、
まあ楽観すればもともと実装工程を担当している自分の出番は少なかったはず……です。
ただ実装工程が詰めの作業中で残業もこなしながらバタバタとやり過ごしていた矢先の緊急入院なので、
自分が書いたコードを起因として炎上している可能性はゼロではない、というかまあまあある。
それだけ怖いですが、自分も半ばどうにもならなかったのでもう甘んじて現実を受け入れるしかありません。
逆に言えば、そこさえ乗り越えれば現プロジェクトでそこまで困りそうなことはもうほとんど無い。
明らかに戦力になれなかった自分を現場が次シーズンも留めておく理由は無いと思われるため、
04月からのプロジェクトはかなり中途半端感がありますがこれで終わるんだろうなと思っています。


問題は次です。転倒→動脈瘤破裂→DEADという可能性がわずかでもある現状を考えると、やはりテレワークを重視したい。
むしろその考えを突き詰めると、
以前も妄想したことのある「1四半期だけ実家で仕事」は今回の入院を盾にわりと交渉しやすいと思われ、
現在の現場から予定通り09月末までと宣告されたらすぐにそれを本社にダメもとで相談してみようかなと思っています。
突然の脳卒中リスクがわずかにでもあるいま、誰かと同居するというのはそれだけで心強いし、
外食&スーパーの日々と比べれば食生活もかなり安定しているし、
生活費が浮く分を入院費に充てることができる。一石三鳥です。まぁ、実際には難しいんでしょうけど。
前のプロジェクトにいたときも一瞬考えたことがありましたが、
社内規約を見たら「2時間以内に通勤可能な場所に住んでいること」という条件があって断念したことがあります。
結局フルテレワークOKでもたいていの現場は何かあれば出社できる体制が前提になっているため、
地価の安い地方で生活しながら東京の仕事を受けるというのはまあまあムシの良い話ではあるんですよね。


もちろん一石三鳥とはいえリスクも少なくないわけで、
特に実家で仕事に集中できるのかという問題は自分でどうにか乗り越えなければならない壁になります。
あと、実家は短期でさえ入院生活並みに生活リズムが壊れやすくなるので、そこをどう自律するかという問題もあります。
まぁでも今回は状況を鑑みるといちおう相談してみてもいいのかなと。
いまの担当営業は頼りになさそうなのでこちらから相談するのはちょっと憚られるところですが……。


ちなみに一昨日午後の一時帰宅から今日までの3日間はひたすらブログを書きまくり、
結局最低目標の14本は今日で書き切りました。もしかして入院環境ってブログ執筆みたいな作業向いているのでは……?
両手が動いて意識さえハッキリしていれば今後寝たきりになってもブログだけは続けられる……のかも?
そこまでして続ける意義があるのかどうかはさておき。


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