Chrononglyph

このブログは、"こっぱちゃ"の日記系個人ブログです。2004年より連載中。毎日00時更新、掲載は7日遅延します。執筆に際しAI不使用。 記事を読んだら「いいね 」押して頂けると執筆の励みになります。
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021
2022
07
08
09
10
11
12
#8207

本心に沿うための貯蓄

今日の出来事金銭関係

06月といえば夏のボーナス。
正直言うと自分は毎期ごとにボーナスというのは貯蓄やら返済やらすでに使途が決まっているやらで、
これまでのボーナスは必ずしも満額が余剰金というわけではありませんでした。
しかし今期については諸事情で現時点で「ほとんど余剰金として使ってもいい」ということが確定しており、
そういう意味では支給日がかなり楽しみです。
当初、さすがにもう限界が近いスマホの買い替えに注ぎ込む予定でした。
具体的にはこのタイミングで2年以内にサブ機になる前提でiPhone Airを買ってしまおうと。
現状、スマホを恒常的に2台持ちしたいニーズがかなりあるのでサブ機がなるべく早くほしい状況ではあるんですよね。
しかし当初からサブ前提で半端な格安スマホを買っても長持ちしないので、
それならばそこそこスペックの端末を買ってしばらくメインで使いつつ現行機をサブ落ちさせ、
2台持ちしながら本命の超ハイエンド折りたたみiPhoneを待つ、という計画です。


ただ、そうするとボーナスのうち20万円をすぐに切り崩すことになるわけです。
それでも最悪半年で使い切ってもいい余剰金としてはかなりの金額が残る想定ですが、
本当に2台持ちのために使っていいのかについては十分考える必要があるでしょう。
10万円以上の買い物候補としては、秋に延長サポートが切れるデスクトップPCの存在もありますしね。
本来であればサブスマホなんかよりもこっちを優先しないといけないわけで……。


思うに、「ある程度自由に使ってもいいお金」は想像以上に心理的余裕を生むのではないかと最近改めて思います。
自分は実家時代にあまりにも散財しすぎたこと、その他諸々の金銭トラブルの反省などもあり、
近年は逆にお金については徹底的に使わない主義を貫いてきました。
しかし、それによって生活にマンネリ感が漂いあらゆる方面でなかなか進展を見れていないのは事実です。
メイン活動がいずれも基本的にはお金を消費しない活動ということもあって、
「お金を使わないこと」はこれまでほとんど問題視してきませんでした。
それよりも時間や体調の方がはるかに重要なリソースだったという認識です。
しかし、ある程度の散財が心理的余裕に寄与し、それがクリエイティビティに影響を与える可能性も否めないかなと。
あと単純に、もうそこそこいい歳なのにずっとルーチンワークから抜け出さないのももったいないなと。
グルメにしろレジャーにしろその他エンタメにしろ、楽しめるときに楽しんでおいた方がいいのではないかと。
それを行使するために、手元に「いくらでも使っていいお金」をある程度ストックしておくことは、
実はかなり重要なのではないかと思っています。


もちろん、その方針が常に正しいとは限りません。むしろ間違っているときの方が多いと思われ、見極めが重要です。
これまでも、本心から楽しめる見通しも無いのに「お金を出せばきっとそれ相応に楽しめる」などと思って、
結局すべてが中途半端な体験として消化してしまった娯楽は枚挙にいとまがありません。
そういうことは2010年代に数多く体験してきました。
お金があるとこの辺の判断はどうしても緩くなりますが、この方針は「積極的に緩くしよう」というものではありません。
ここぞというときに躊躇しない。
そのときにそれなりの額でもポンと出せるためのお金をいつでも用意しておく、というような感じですね。
いわゆる将来のための貯蓄等とは別に、そのための積立をしておいてもいいんじゃないかと。


まぁ、「結局デスクトップPCは買わないのか」と言われるとそれも良くないのは承知していますが……。
ともあれ、とりあえずボーナスが入ったらこの辺は改めて吟味しようかなと思っています。


#8206

野次馬順張りスタイル

今日の出来事暗号資産

04月末〜05月中旬まではCodex開発がノっていたので好調だったと言えそうですが、
ここに来て明確に低迷期に突入してしまいました。
原因は、PPI発表直前にスケベ心でロングを入れてしまった仮想通貨SOLです。
狙い澄ましたかのように自分がロングしてから実にBTC=30,000ドル分ほどの大暴落を記録しており、
油断していたらロスカットされていたと思います。
今回は両建てしているため破産は免れていますが、それでもショートは慎重かつ段階的に入れたのもあって、
ショート目線の機会損失もあって現時点の含み損はかなりのものです。
しかしまさか、ここまで下落するとは……。


もしこれを乗り越えたら、やはり仮想通貨は寝る前利確の超短期取引、
もしくは日足EMA200に対して機械的に順張りできる長期スイングトレードだけにしようかなと。
あとはテクニカルのみを根拠に積み上がったアルトコインの下落を狙う2022年スタイルを、
AIアシストを使ってリベンジしてみるというのもアリかもしれない。
いずれにしろ、「もう少しで終戦だろうからロング!」「アメリカ政府の封鎖が解除されるからロング!」
といった単独のニュースを根拠にした野次馬順張りスタイルはあまりにも危険だということです。
実際自分はこれで2回煮湯を飲んでいます。
ただ、単独のニュースをきっかけにフィーバーすることもあるので難しいところではあるんですよね。
しかもそういうのは乗り遅れたら終わりなので、少しでも早い判断が求められます。
ビットコインETF開始当時やトランプ大統領の2期目就任当時はまさに仮想通貨界隈全体がお祭り騒ぎでした。
いまでいうと、国内株のキオクシアがそんな感じです。
こういうのはものすごい利益が出ることもありますが、その分撤退が難しいので見た目ほど簡単ではありません。


とにかく自分は仮想通貨は常時やっているわけではなく、つまり経済ニュースも常に追っているわけではありません。
そういう人間が単発ニュースで便乗すると、他のこと、
たとえば今回では仮想通貨全体の低迷からETFフローが純流出をしているといったより重要なニュースを取りこぼし、
結果的に痛い目に遭いやすいのではないかと思います。
やはり、やるからには影響範囲のある分野はちゃんとチェックする必要があるのではないかと。
そこまでやってなお、勝てるかどうか分からないのがこの世界ですからね。


下手すると今回のこれはかなりの長期間塩漬けすることになりそうで、その時点で憂鬱です。
まもなくビットコインは年初来最安値にタッチしますが、果たしてそこを突き抜けてさらに下を目指すのか、
それともさすがにここまで落ちれば反発するのか。
とにかくETFフローやマイクロストラテジー株が回復しなければどうにもならず、
これからOpenAIやAnthropicの上場でさらにAI関連に資本が流れることも予想され、
しかも世の中はインフレが続いていてリスク資産には不利な局面。
さまざまな要素が重なり合い、いま仮想通貨界隈は正念場を迎えています。


#8205

一年の余暇をどう使うか

「1年のうち余暇は何%で、それをどう活用しているか?」みたいな話が某所で盛り上がったので、
自分の場合はどうなんだろうということをざっくり計算してみようと思います。


まず、ここでの1年は2026年度として、うるう年ではなかったので1年を365日(=8,760時間)と定義します。
そして2026年度の休日は121日ですが、年末年始やGWに有給を使うことを考慮して125日とします。
また昨今の通勤形態が今後も続くと仮定すると、テレワーク日は96日、出勤日は144日となります。
休日・在宅勤務・出社でそれぞれ生活リズムは異なるので、
それぞれで睡眠時間、勤務時間、移動時間、食事等の時間を足し合わせていきます。
また、自分の場合はブログにざっくり1日1.5時間かかっているものとして計上します(これは余暇活動ではないとします)。


以上をすべて足し合わせて、残る時間は2,047時間。1日平均で5.6時間と考えると結構多いような?
ただ、これには微妙に体調が悪くて動けない時間、交流関係の束縛時間、各種作業時間、
ネットサーフィンなど暇つぶしをしている時間などもすべて含んでいます。
体感ではこの2,047時間のうち何もしていない時間だけで少なくとも3分の1、682時間は浪費している気がする。
残る1,364時間のうち半分くらいは交流時間、残りは開発系の作業時間でしょう。
おそらくもっとも時間を無為に捨てていた大学時代は3分の1どころかほとんどだったと思うので、
これでも本来怠惰のモンスターである自分の歴史を振り返るとだいぶマシになっていそうではあります。
しかし、現状では時間が「余っている」という感覚はまるでありません。


とはいえ残業続きというわけでもなく、年間休日も比較的恵まれている業種だと思っているので、
これで「プライベートの時間が少なすぎる」はさすがに舐めていると批判されかねません。
確かにブログで1日平均1.5時間取られているのは特殊な事情かもしれませんが、
年間の余暇2,047時間というのは現代社会人のアベレージからすると決して少なくないはずです。
とすれば、この切迫感は浪費している時間があまりにも多いのを自覚していることに他なりません。
ここを具体的に改善すれば、時間的な余裕感はだいぶ出てくるんじゃないだろうか。
そして先日書いたゲームの話もしかり、QOLを上げるためにはいよいよここに切り込む必要があるのではないかと。
タイパがどうのこうのと言われて久しい世の中ですが、それに逆行する必要があるのではないかと。
せめて日曜日はまったり何も考えずにゲームをする日にしたい。


ただ、そのために「何もしていない時間」を戒め、時間を捻出しようとするのは本末転倒のような気がします。
有意義な時間を捻出するというのは意外と一筋縄ではいかないものなのかもしれない……?


#8204

寝起き改善施策

今日の出来事身体の問題

台風接近に伴い、今日と明日は強制的に在宅勤務ということになりました。
こういうとき、テレワークを選べるのはなんだかんだでIT系の強みなんじゃないかと思います。
逆に言えば、台風が来ようが休めないということでもあるのですが。


そして自分は寝違えたのか03時に目が醒めるほどお腹〜腰回りの痛みに悩まされ、
せっかくの強制テレワーク日なのにあらゆる物事が進展しませんでした。
おそらく横になったときの姿勢が悪く肋骨を圧迫したことによる痛みで、3年ぶり2回目です(#07215 / 2023年09月18日)。
ストレッチなどをして脇腹を伸ばして改善しようとするのですが1日ではなかなか効果が出ず。
座っているだけでそこそこツラいのであらゆる作業をする気になれず、
かといって横になっても、特定の角度以外は痛みを感じるのでひたすら痛くない角度を追求していました。
立って歩いている分にはツラくないので、いっそ出社の方が楽だったかもしれません。


こういうことが起きるたびに、そろそろ睡眠環境も本格的に改善しようかなという気持ちにもなります。
いまの睡眠環境は、まず前提として都内の単身向け賃貸マンションなので部屋が1部屋かつ狭いです。
それでも1人で過ごす分にはまったく困っていません。
ただ、来客があるとさすがに狭すぎるので、入居時はベッドは買わず、
来客時に片付けられる敷布団を実家から持ってきてずっと運用しています。
もう丸6年以上この睡眠環境で寝ているので今更軽率に変えたくないという事情もあるのですが、
ただ、床+敷布団だとどうしてもマットレス+敷布団の柔らかさには劣るので、
この反発力の低さが肋間神経痛みたいな症状をまれに引き起こす要因になっているのかもしれません。
まぁでも、実家に帰るとマットレスがちゃんとある実家のベッドの方が寝にくいと感じることもあるので、
単にマットレスを敷けば解決するという問題でもないような気もしますが。


おそらくですが自分はかなりの頻度で寝返りを打っており、それが直接的な要因になっている気もします。
ただ、無意識下で行われる寝返りを制御するのは土台無理な話。
できるとしたら、どんな寝返りを打っても朝起きたらどこか痛くならないような姿勢を心がけるとかでしょうか。
寝返りの制御という観点では、マットレスよりもむしろ抱き枕の方が適しているのかも?


#8203

センスについて

今日の出来事言葉の定義

個人的には、AI時代の到来によって「語彙力」「言語化能力」はかなり価値が上がったかなと思います。
自分のやりたいことを正確に言語化できれば、あとはAIがなんでもやってくれるような時代。
しかし個人の「やりたいこと」を言語化するまでのプロセスはAIはまだ十分にアシストできません。
それをも丸投げすることはできなくはないですが、そうすると成果物に対して自分が生み出したとは言えなくなり、
ある意味では言語化能力は人間に託された最後の役割のようなところがあると思います。
この最後のプロセスは、「センス」などと呼ばれることもあるでしょう。
センスだけは、AIに任せられない最後の砦のような気がします。


しかし改めて考えるとセンスという言葉も簡単なようでよく分からない概念です。
辞書で引くと、以下のように書いてあります。



センス【sense】


物事の微妙な感じや機微を感じとる能力・判断力。感覚。(大辞林第三版)




きび【機微】


表面からは知りにくい微妙な心の動きや物事の趣。(同上)




びみょう【微妙】


① なんともいえない味わいや美しさがあって、おもむき深いこと(さま)。
② はっきりととらえられないほど細かく、複雑で難しいこと(さま)。
〔自分の意見や判断をはっきり言いたくない場合や、婉曲に断ったり否定的に言ったりする場合に用いられることがある。〕
(同上)



個人的には、センスという概念はこうした辞書的意味だけでは説明しきれない側面があると思っています。
確かに、物事や人間心理の機微を正確に読み取って
それを芸術作品等のアウトプットに反映するのを「センスがある」と言うことに異論はありません。
しかし一方で、コンテキスト(文脈)を正確に読み取った上で、
「この部分にはこういう表現が一番しっくり来る」と多くの人が納得するようなアウトプットができることも、
個人的にはセンスがあってこそなせる業なのかなとも思います。
前者はアウトプットする対象概念を読み取って反映することを言うのに対して、
後者は対象概念の前後・周囲にある概念との相対的な位置関係を考慮しているという点で、大きく異なります。
文学で言えばある〈微妙〉な事象を説明するのに巧みな表現を使っていればそれは前者の意味のセンスだし、
前後の文脈を踏まえて物語を流れるように展開し読者を引き込むのは後者のセンスでしょう。


音楽でも、すぐれた作品は「ここでこの音源を使うのは分かってるね!」と思わずうなるような展開をするものです。
それは作曲家の音源的なボキャブラリーが豊富だからこそ為せる業なのでしょう。それもセンスだと思います。
こういうことは文学や音楽に限らず、ゲームや漫画、ファッションや家電製品までさまざまな芸術にも言えることです。
webデザインにだって言えると思います。
デザイン的にすぐれたwebサイトは、余白、色使い、フォント、レイアウトに統一的なコンセプトが感じられ、
あらゆるデザインパーツがその文脈を逸脱しないように設計されているものです。
実際にサイトを作っていると、
「このフォントはしっくり来ないな……」「この色はこのサイトらしいかも!」などといった試行錯誤をするものです。
webサイトは(芸術とみなした場合)どちらかというと後者的なセンスを重んじるものなのかもしれません。


この「文脈」というのは必ずしも作品内の関係性だけで言えるものではなく、
その芸術を味わう人の世界観にも大きく影響されます。
大衆文化ならその時代の大衆にとって「しっくりくる何か」を表現することが求められるし、
あるクラスタに向けた作品であれば、その属性のコンセンサスをしっかり守っていることが求められるわけです。


直感的には、消費する人に迎合できればセンスがあると言い切れるものでもないような気がしますが、
少なくとも従来世界は「機微な情景」を表現できる人はセンスがあるとみなされてきたと思います。
しかし今後、コンテキストを読み取って答えを出すのはAIの仕事になると思われ、
そういう意味ではAIで生み出せば従来型のセンスはあって当たり前の時代になるのかもしれません。
特にwebサイトのような簡単にAIが量産できる分野は、逆に大衆迎合的なデザインは忌避される可能性さえあります。
AIイラストの世界はただめちゃくちゃハイクオリティなだけで没個性な顔は「マスピ顔」と言って忌避されており、
すでにそこからいかに崩して個性を盛り込むかという世界になってきています。
もしかしたら、20年後くらいには「センス」という辞書的意味も大きく変わっているのかもしれません。


#8202

所有欲に追いつかない余暇

今日の出来事ゲーム一般

自分の中で衰退し続けているコンシューマーゲーム。
ただ、衰退しているからといって嫌いになったわけではなく、むしろゲーム文化はずっと好きです。
しかし、とにかく「ゲームをする」という行動が日常の動線から外れてしまっているいま、
本腰入れてゲーム以外のタスクを退けてゲームのためだけの時間を確保し、腰を据えないとプレイできません。
これはゲームがどうこうというよりライフスタイルの問題、あるいは精神的余裕の無さに起因していると思われ、
そういう意味では今後改善したい課題ではあります。
少なくとも、日常の動線から外れたからといってゲームを「卒業」すると宣言するのはダサいと思っています。
まぁ、確かに自分の腕前で中年以降も持続可能かと言われるとかなり厳しいのは現状なんですが……。


とにかく昨今は、2025年のNintendo Switch 2発売で高まったゲーム復帰の期待から一転、
『ポケモンレジェンズZ-A』『カービィのエアライダー』と立て続けにビッグタイトルを積んでしまった反省から、
2026年はビッグタイトルだからといって軽率に買うまいと思っていました。
が、そこへ自分の最推しポケモンが主人公×サンドボックスゲームという反則級に心を動かすタイトルが登場。
それでも当初は「直近2タイトルを積んでいる自分にやる資格はないか……」と思っていたのですが、
SNSで上がってくるプレイ報告に刺激され、
これのために実家帰省するという条件をつけて結局今年1本目として『ぽこあポケモン』を買うに至りました。


しかしそこまで心を動かされたぽこポケでさえ、実家帰省中は順調に進行していたものの、
東京に戻ってきた途端にプレイ機会が失われて結局中盤で放置していまに至っています。
やはり現状では何も考慮せずにゲーム時間を確保するのはもはや不可能で、
一週間に詰め込まれたタスクよりも意図的に優先してゲームを遊ぶ時間を確保する必要がありそうです。
とはいえ、やるべきことの量と猶予時間のバランスを考えると、わかっていてもなかなか優先度を上げられていません。


これの問題点は、ゲームのプレイ機会は確実に減っているのに、
新作が欲しいと思う気持ちは減衰しているわけではないということなんですよね。
それは所有欲なのか、ゲーマーとしての自尊心なのか、新作への期待感なのか……。
明確な動機は分かりませんが、とにかく次々に積んでいるという状況があってもなお、ゲームが欲しいという気持ちはある。
そしていま、スクエニの新規IPである『冒険家エリオットと千年物語』というRPGが欲しくなっています。
これは『オクトパストラベラー』のチームが制作する2D-HDグラフィックのアクションRPGで、
昔ながらのドット絵と美麗な背景画が融合したデザインが魅力のゲームです。あと妖精フェイがかわいい。
ゲーム性もいわゆる『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』を彷彿とさせるガッツリ系2Dアクションで、
ハマれば楽しそうなポテンシャルは感じます。


まぁ、仮に何も考えずに買ったとしてクリアはできないだろうし、
それどころか5時間プレイするのかさえ怪しいので日常の動線整理は絶対必須です。
いま自分が考えるべきなのは『冒険家エリオットと千年物語』が本当に買うに値するゲームなのかどうかとか、
ぽこポケはどうにかして最後までクリアするべきなのかどうかとか以前に、
まずはコンシューマーゲームさえまったく触れない日常が本当に妥当なのかどうかということなのかなと。


#8201

速読の見直し

今日の出来事読書

03月中旬から突然目覚めたように復活した読書習慣ですが、13冊目にしてさすがに失速してきました。
これまで月4冊(=週1冊)を目安に読みまくってきましたが、いったん方針を見直したいと思います。


失速の原因は分かっていて、読む本の選定を怠っているからだと考えています。
読書復帰序盤では、丸の内や立川へわざわざ赴いて大型書店を練り歩いたり、
Twitterの読書用アカウントのタイムラインをひたすらスクロールしたりして、時間をかけて本を探していました。
その結果として「これを読むぞ!」と決めた本なので、多少なり身が入ったのでしょう。
しかしそれが持続していたのは05月中旬までで、
05月下旬は「持ってきた本は行きの電車で読み終わってしまい、帰りの電車で読む本が無い」ということが立て続けに起き、
当日の帰りの電車で読むためだけに緊急避難的に書店で本を確保しました。
これは、要するに本を読むことそのものが目的になってしまっていることを意味します。
たまたまクリティカルに興味のある本を探し当てられれば良かったのですが、残念ながらそうはならず。
特に12冊目が(それなりに慎重に選んだつもりでしたが)かなり微妙で目が滑る本だったので、
これでモチベーションが削がれてしまった感があります。


なので、やはり本はちゃんと時間をかけて選ぶべきなのでしょう。
もちろん常に新規に買わなければならないというわけではなく、
読書ペースが復帰する以前からも積読本は溜まっているので、これを読むということでもいいでしょう。
いずれにしろ、どのような理由であれ興味の持てない本を読むのは悪手でしかないということです。
それで何かたまたま思いも寄らない好奇心を発掘できればしめたものですが、
いまのところ分の悪いギャンブルでしかないのかなと。
自分はまだそこまで「乱読」できるようなほど読書人として成熟していないのだと思います。


あと、週1冊というペースはかなり早すぎる感があり、1冊読んだらすぐに次へ行くのは考え直した方が良さそうです。
ハイペースを維持できた方がいろいろな本を読めるというのは確かにそうなのですが、
振り返り時間が皆無だと結局頭に入らないし、要約も書けないし、それだと本末転倒という気が。
もちろん読み切った上で再読するに値しない本というのもあるので、そういう本は現状のままでいいと思います。
ただそうでない本も1回読んだだけで次に行ってしまうのはもったいないような気がするし、
このスタイルだと永遠に読書録が書けないので「月4冊」にはこだわらない方が良さそうです。
ちゃんと理解したい本に出会ったら、その再読に最低1週間は確保した方がいいかも。


いずれにしろ読書のモチベーションがあろうが無かろうが、出勤日の通勤時間に他にやることがない事実は変わりません。
なので意欲が減衰したからといって読書習慣をすぐにやめるという選択肢はありません。
かといって惰性で続けるのも考えものなので、こうして立ち止まるのも大事かなと思っています。
なんなら、たまには通勤時間でガッツリ読書アカウントを流し読みする日があってもいいのかもしれない。


#8200

群れの話

ここ数年の承認不安に対する一連の考察を経て、僕は不特定多数に承認を求めることから卒業しようと思った。
承認不安とはつまり、「自分は誰かにとって個の確立した誰かでありたい」という欲求だった。
ここで客体としての「誰か」を不特定多数と置いてしまうと、
それを成立させるためには何かを具体的に「成し遂げた者」にならなければならないという重すぎる制約が課される。
僕はいままで、インターネット世界で個を確立するとはつまりそういうことなのだとぼんやり考えていた。
そうでもしなければ、匿名ユーザーが跋扈する世界で頭ひとつ抜け出すのは困難なのではなかろうかと。
それがあまりにも愚直な妄想だったことは一生悔やむべきだろうが、
その後悔の中で自然と、客体としての「誰か」は必ずしも不特定多数でなくてよいのではないかという発想が浮かんだ。
突き詰めればそれは0人、つまり主体としての「誰か」と同じであっても成り立つかもしれなかった。


かくして僕は20年以上のネット活動における紆余曲折を経て、
ごく少数の承認によって確立したweb制作活動と、自分自身によってのみ承認するブログ活動を残すのみとなった。
道中さまざまなことに手を出してみたが、結局残ったのはネット黎明期からずっと続けてきた活動だけになった。
これらはかつて、長い間僕の心を満たすことはなかった。
しかし承認不安について考えた末に「不特定多数に認められなくてもいいんだ」という事実を飲み込んだことにより、
ともすればかつては心細かったはずの少数の承認は確かに重力を得て、それは僕にとって大切な活動基盤になった。
改めて僕は、そうした少数の「確立した個」にとって確立した個であることに依拠し、
だからこそ今後も活動を続けていきたいと思う確かな志がある。


不特定の承認ではなく相互の承認を是とする考えは大きくずれているとは思っていないものの、一方で明確な疑問もある。
それは、相互に承認できる相手はただ待っているだけでは永遠に現れないという事実だ。
相手がいない段階では認識されるためにこちらから勇気を出して「何か」をする必要があり、
しかしその矛先に特定の誰かを想定できない以上は不特定多数を念頭に置いた活動にならざるを得ないこともありうる。
こうなると結局元の木阿弥なのではないだろうかと考えてしまう。


それを踏まえてもう一度世界に一歩踏みだすことを想像してみよう。
それは承認する側の「個」を考慮せずにとにかくなるべく多くから称賛を得たいという営みではなく、
想定する「個」に喜んでもらうための活動と考えるのはどうだろうか。
その文脈であれば、仮にインターネットがどれだけ不平等な実力主義で、
それに相対する自分に相応のポテンシャルがないかもしれないとしても、活動を始める意義を見出すことはできる。
想定しているペルソナだけを考慮すればいいのであれば、外野の否定的意見はノイズと割り切れる。
仮に(普遍的な)真理を追い求めていることを標榜するなら、こうしたスタンスは自分勝手だと咎められるかもしれない。
しかし、一般に個人の活動というものは果たしてそこまでの正義を求められるものだろうか?


イルカやオオカミ、ゾウなどのように、小さな群れを作ることが合理的であることを知っている動物は多い。
ヒトも狩猟社会から現代に至るまで、小さな「群れ=社会」を作り、個々がそれに適応することによって活動してきた。
社会的欲求の充足は本来そうした小さなクラスタで満たすものだったと思う。
しかし、インターネット空間はそれ自体個人の手に負えないほど大きく、
そして個々のクラスタ同士の距離も不適切なほどに近い。
僕はどうしても、そのような現代のソーシャルネットワークの在り方がヒトに正しく適合しているとは思えない。
それが抜本的に見直されるまでにはあまりにも長い時間がかかりそうな気がしているが、
しかし幸か不幸かその黎明期に生まれた僕は、この未熟な情報社会と向き合わざるを得ない運命を背負っている。
答えを出す頃にはその正解も通用しない世界になっているのかもしれないが、
ひとまず僕はこの群れの一員であり、それを誇ってもよいのだということを改めて確認したい。
この時代を歩くという壮大なプロジェクトはまだ、始まったばかりである。


#8199

web業界は新たなステージへ

今日の出来事web制作

Googleが年に1度の新製品発表会「Google I/O 2026」にて、検索サービスの刷新を発表しました。
超ざっくり言えば、去年秋から提供している「AIモード」が今後の検索のメインになるということです。
おそらくですが、現在の検索結果ページは今後オプションになるのでしょう。
つまり、これからのweb検索はユーザーが直接サイトを訪問するのではなくAIが代わりに情報を集めてきて、
サイトはその引用元として表示されるだけになると。
ChatGPTを擁するOpenAIは最初からその方針でチャットアプリとweb検索を高度に融合しているし、
従来型検索エンジン最大手のGoogleがそれに追従するとなれば、もう抗えません。
これからはAI検索が主流になっていくのでしょう。


こうなると心配なのは、情報発信それ自体を目的としているwebサイトの存在意義です。
Web 2.0以降、法人にしろ個人にしろ、ある種のサイトが運営される理由の多くは広告収入が占めているはずです。
つまり、有益な情報を発信して訪問者を呼び込めばweb広告によって収入が得られる。
収入が得られるから情報発信を続けようというモチベーションが保たれていたわけですね。
それに当てはまらないのは広告以外の収益モデルを展開しているサイト、
Wikiなどのボランティアや、承認欲求のみを目的とするブログ、
あるいはそうしたリワードさえ目的としないこのブログのようなサイトに限られ、これらはもはや少数派と思われます。
要するにwebの情報の鮮度や量は広告収入モデルによってある程度支えられていると。
そしてそれらはAIモードによって一方的に引用されるだけになり、広告収入が激減することが容易に想像できます。
そうしたとき、もし従来モデルのままなら
広告収入に大きく依存する法人系サービスから順に撤退することになるのではないでしょうか。
すでに現状でも中小ニュースサイトなんかは広告ブロッカーとのイタチごっこを繰り広げているわけで、
ここにAIモードのスタンダード化によってそもそも訪問数が減るとなればトドメを刺すことになりかねないような。


広告収入モデルが崩壊すればAIが参照するサイトが激減し、情報の鮮度や量も劣化することは免れません。
AIを運用する側もそれでは困るはずなので、なんらかの変革が必要なのは確かです。
AIが参照するに値する一次情報を提供しているサイトに対してAIモデルを提供する側がお金を支払うというような。
そして、その収入源を確保するためにSearch APIはPro以上のサブスク限定にするとか。
逆に言えば、いまはAIが数多のwebサイトの情報群に「ただ乗り」しているような現状が許されているということです。
要はAIモードの実態は、発信者からすればまとめサイトやアンテナサイトみたいなもの。
特にニュースサイトなど情報の二次提供者は損でしかないので、いずれこれに対する反発が起きることでしょう。
あるいは、「webサイトで情報提供」だけで個人や中小の法人が食っていける時代が終わるのだろうか……?


#8198

長寿作品のジレンマ

今日の出来事ゲーム一般

ドラゴンクエストシリーズ40周年ということで、外伝系の完全新作『ドラゴンクエストモンスターズ4』のほか、
待望のナンバリングタイトル『ドラゴンクエストXII 夢の彼方へ』の映像が初公開されました。
……が、DQ12はもともと2021年にタイトルを発表してからすでに5年経っています。
今回は開発体制をリスタート、つまりイチから作り直したことでさらに開発に時間がかかることが表明されており、
映像初公開に喜ぶどころか失望の声の方が大きく、まあ炎上していると言っていいのではないでしょうか。
炎上という言葉をこんなにカジュアルに使ってしまうのもアレですが……。


ドラクエシリーズは前作であるDQ11が2017年発売であることを考えると、
いま「作り直した」と発表したにすぎない次回作は10年かそれ以上の間隔は開きそうです。
「ドラクエFFとポケモン、どこで差がついたのか」みたいな議論をするとき、
ドラクエFFがもはや国民的RPGと言うには苦しくなってきているのは
この発売感覚の長さのせいなのではないかとよく言われます。
自分がなんだかんだで「剣盾」まで欠かさずポケモン本編をプレイしてきたのは、
まずもっとも多感な幼少期にポケモン赤緑をプレイしたという自分にとって神聖な原風景があり、
そこから金銀→ルビー・サファイア→ダイヤモンド・パールと青春の中にポケモンがあり続けたからこそ、
自分にとってポケモンという存在が簡単には否定できない大切な文化になっているわけです。
近年のポケモンはバグが多いとか全国図鑑が無いとかいろいろ言われがちですが、
それでもコンスタントに完全新作を出し続ける姿勢を崩していないのは、その重要性を知っているからでしょう。


しかし現代ドラクエは、仮に小学4年生の子が2017年にDQ11を買って夢中になったとして、
その10年後にDQ12が発売されたとしてもすでに20歳のその子にとってのドラクエは
「子どもの頃に遊んだタイトルのひとつ」でしかありません。
よっぽど長期で遊んだケースでないかぎり、ドラクエが青春だったとはなかなか言い難い現状があります。
かといってドラクエシリーズの黄金期だった1986〜1988年当時にハマった古参ファンたちはもう50〜60代で、
いかに強烈な思い出補正があったとしてもさすがにがっつりプレイするには厳しい年齢です。
とはいえ、彼らを無視するわけにもいかない。


こう考えるとドラクエシリーズの完全新作は非常に難しい舵取りを求められているようにも思います。
発売感覚が長すぎるので、もはや現代っ子に訴求できるようなブランド力はなさそう。
つまりブランドに依存しない純粋なゲームとしての面白さを追求しないと、
さまざまな面白いジャンルが溢れかえっている現代ゲーム市場では埋もれてしまいます。
古参ファンのために今更コマンドバトルRPGを作ったところでその古参ファンしか買わないでしょう。
とはいえ面白さを重視してアクション要素を盛り込んでしまうと、60代がやるにはさすがに厳しそう。
彼らを何も考えずに見捨てたら大変なことが起きるのは目に見えています。
いっそのこと、ゲーム性はさておきストーリーやキャラに全振りするのが無難なのではないかとさえ思ってしまいます。
その方がまだ国民的RPGとしてのメンツを保てるのではないでしょうか。


80〜90年代に生まれたヒットコンテンツのうち、いまも続いているものは少なくありません。
これらは今後10〜20年で世代の壁を越えられるどうかが試されることになりそうで、
おそらくドラクエはこのまま行くとこの壁を越えられないような予感がします。
しかしそれは決して対岸の火事ではなく、
これからは世代交代の問題のみならずAI問題によってあらゆるIPが危機に晒されうるリスクを抱えていると思っています。
果たして20年後、コンテンツ産業やその会社はどうなっているのでしょうか。