Chrononglyph

このブログは、"こっぱちゃ"の日記系個人ブログです。2004年より連載中。毎日00時更新、掲載は7日遅延します。執筆に際しAI不使用。 記事を読んだら「いいね 」押して頂けると執筆の励みになります。
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#8171

都内で過ごすゴールデンウィーク

今日の出来事休日計画

今年は帰省しないことにしたゴールデンウィーク。
新年度からプロジェクトが変わるので参画して早々に有休を使いにくいと思ったのが主な理由で、
帰省しないゴールデンウィークは2年ぶりということになります。
前回はやや後悔したので「ゴールデンウィークはやはり実家帰省するのが無難」と考えていましたが、
果たして今年はどうなることやら。


完全にカレンダー通りの休みなので、今週末がメインで5連休、そして2日出勤してまた2連休という感じになります。
ただし来週の土曜日はなぜか会社のオフライン飲み会があるので実質的に平日のようなものかも……。
いずれにしろ、自分のゴールデンウィークは今週末の5日間が勝負ということになります。
タスクが入っていない休日はだいたい正午前後に起き、そこから夕食前までがメインの作業時間となります。
経験上、ここで何もできないと夕食後のフリータイムも何もできないことが多いと思っているので、
とにかくこの起床後からの時間を有効活用することを意識したいところ。


メインのタスクは期間限定ランキングの開発を進めること。
毎度説明していますが、「期間限定ランキング」とは自分が運営するサイトの大型イベントで、
いろいろあって2022年を最後に開催できていません。
当初から年1回開催を目安にしていたのもあって2023年には開催を公言していたのに結局技術トラブルで開催できず、
そのリベンジとして位置付けた2024〜2025年もなんやかんやで開催できず。
Codexを本格的に開発に導入した2026年こそは四度目の正直で開催したいと思っているところです。


基本的に開発主体はCodexです。だったらすぐにできるんじゃないかと思われるかもしれませんが、
想定しているのはかなり本格的なデスクトップwebアプリに近い構成になるため、
最初にある程度仕様を決めておかないと後に退けなくなってから破綻しかねません。
その辺もイマドキのAIくんなら抜本的な軌道修正もできるかもしれませんが、
そもそもルールやシステムを想像できていなければそれを具現化することもできないわけです。
要するに、詳細設計書をちゃんと作らないといけないということですね。
自分にとっては詳細設計書から作ってCodex主体で開発するのはこれが初めてなので、ハードルは感じています。
この最初のハードルを乗り越えるのがゴールデンウィークの最大にして唯一の目標というわけです。
おそらく、一定程度の粒度で設計書を作ってしまえばあとはCodexでどうにかなるんじゃないかなと……。
頭の中を整理して言語化する最初のステップが一番大変そう。
それを大型連休の機会に乗り越えておきたいということです。


5日間ずっとそれをやるつもりはなく、サブタスクとして創作ナレッジベース整理もやりたいと思っています。
こちらはCodex導入以降、むしろそれがボトルネックになって進んでいないという問題があり(#08161 / 2026年04月20日)、
今後のためにもボトルネック解消はやっておかねばなりません。
要は今回のGWは2つの大きなボトルネックを解消して、年間計画を次のステップに進める役割があると認識しています。
ここを逃すと3連休以上の機会は07月まで待たされるので、そういう意味では最低限の仕事はしたい。


去年はお絵描きやらなんやらクリエイティブな計画を立てて結局挫折したので、
そういう挑戦的なタスクは今年は立てずに無難に行くことにしました。
あとは気分転換にどこかへ行くかどうかですが、それは当日になってから気分に従う方針でいいかなと思っています。


#8170

動的サイト制作の機運

『ピクミン2』22周年ということで、
だからというわけではないのですがピクチャレ大会の開発作業に1日を捧げました。
その一環で移転前にしかないコンテンツを確認したいというニーズがあったため、
レガシーとなっているリポジトリを復旧する作業をしていました。


自分が制作・管理しているピクチャレ大会というサイトは2007年の今日、
特設サイトのコンテンツの一部としてスタートし、その後2015年09月01日に移転、2023年07月21日に再移転しました。
このうち2015年の移転は当時さまざまな思惑の交差するところで実行を決意したという経緯があります。


ざっくり自分のweb制作運営遍歴を振り返ると本番環境の基盤(というより制約)によって5段階に分かれています。
楽天広場や「Yahoo! Geocities」でテキストサイトを作っていた2003〜2005年。
忍者ホームページでサブドメイン運用をするようになった2006〜2009年。
独自ドメインとレンタルサーバーを運用してもろもろまとめることを目論み
「新本家サイト」という位置付けのポータルを中心に制作していた2010〜2013年。
2003年からやっていたブログをその新本家サイトと同じ格付けにして独立した2014〜2022年。
ついにVPSを契約して基盤も自由にいじれるようになった2023年〜現在。


忍者ホームページまで(〜2009年)はHTML, CSS, JavaScriptのみでバックエンドはいじれず、
2010〜2013年の新本家サイトはGMOの「XREA(エクスリア)」、
2014〜2022年の3代目本家ブログ&ピクチャレ大会ver.2はGMOペパボの「heteml(ヘテムル)」を使っていましたが、
当時、両者にそこまで大きな仕様の違いはなかった……と思います。
ただ、2010年当時の自分はそれ以前のノウハウを活かしてHTML+JS主体のサイト設計をしたこともあり、
XREAでPHPを使えることさえ知らず、JavaScriptベースの自己満足なサイトを構築していました。
当時はPerlの方が耳にする機会があったので、Perlの勉強をしていたくらいです。でも結局そのPerlも使わなかったという。
独自ドメインで運用できればそれでよし、というスタンスだったのでしょう。


新本家サイトプロジェクトも自分の中ではちゃんとした成果になったとは言い難く消化不良のまま終わってしまい、
結局ゲームファンというだけでコンテンツを生み続けるのは難しいのだと察したのか、
ブログ10周年の節目である2014年には新本家サイトを半ば放棄し、
ブログをWordPressに移管してそれに専念することになります。
そしてそのWordPressを通じてPHPを触るようになり、HTMLタグのようにスクリプトを埋め込めるその簡便さに感動。
それによって改めてPHPとデータベースを使って参加型サイトを作りたいという機運が高まってきました。
そこへ来ると当時のピクチャレ大会(ver.1)は外部サイトの応募フォームに依存してExcelで人力更新していたため、
投稿を自動化したいというニーズを考えたときに いの一番に考えつく既存のコンテンツでした。
さらに当時はTwitterでピクミン界隈とのコミュニケーションが盛り上がって所属意識が形成されつつあったこともあり、
コミュニティに貢献できるという意味でも大きな意義があることは明らかでした。
ピクチャレ大会はそうした数々の巡り合わせのおかげで制作に漕ぎ着け、独立したという経緯があります。
蛇足ですが、さらに言えば『ピクミン3』がリリースされたのが2013年だったのも絶妙なタイミングだったと思います。
2010〜2012年は黎明期スマホゲームや音ゲーに夢中だったのでピクミンはほぼ忘れ去られており、
その時点でPHPを知ったりコミュニティに所属したりしても結果的にこうはならなかったんじゃなかろうか。


そもそもピクチャレ大会の開催自体も2本のゲームとの巡り合いによるものだったことを考えると(#07494 / 2024年06月23日)、
今日で開催から19周年を迎えるこのサイトもさまざまな奇跡の積み重ねで立っていると言えるのかもしれません。
いま、改めてレガシーを復旧してみるとページの読み込みにめちゃくちゃ時間がかかるし、ページの動線はわかりにくいし、
余白をまったく考慮されていないキツキツのデザインはいかにも前時代的で、チープさを拭えません。
各ドキュメントにはメンヘラ期の遺物とも言える管理人のお気持ちが垣間見える文章もあって絶妙に黒歴史感がありますが、
一方でナビゲーションメニューなど、当時の自分が自分なりにこだわっていた痕跡もしっかり残っています。
このサイトの客観的なクオリティはどうあれ、
これに打ち込んだ日々があってこその現在があることは忘れてはならないと改めて感じます。


#8169

「感想さ」の奇妙さ

今日の出来事日本語

1週間くらい前に何気なくYouTubeのコメント欄を見ていたら、「感想さ」という奇妙な日本語を目にしました。
あいにくなんの動画か覚えていなかったのでそのコメントは見失ってしまったのですが、
試しにweb検索したら同じニュアンスの使用例を発見したので引用します(ブログ主さんすみません)。



食べたものが違うのですが、概ね同じ感想さです。

私はポテトサラダ、オニオングラタンスープ、アワビ煮込みを頂きました。
ですが、これらでドリンク込み3500円の価値は無いかなと思います。


東京美食Life, 2017/02/02 のコメント - 2023/07/16



おそらくですが、この「感想さ」とは文字通りに受け取れば感想の程度というニュアンスになりますが、
文脈的には飲食店に対する評価の程度を表現しようとしているのだと思います。
同じようなニュアンスで以下のように「感動さ」という表現も見つけました。



詳しく話してしまったら動画の感動さ(?)が欠けてしまうかもしれないのでここら辺にしておきますが、
凄く細かく作られているので考察のしがいはありそうだなと思います


さちの自己満日記, 2019/11/30



これも「感動の度合い」という意味なのでしょう。
つまり「程度」を表すために名詞に「-さ」がくっついているというわけですが、これは正しいのでしょうか。


形容詞は、それを名詞化するために「-さ」がつくことがあります(例:大きい→大きさ)。
同様に、「〜な」と表現できる形容動詞についても、「-さ」に置き換えて名詞化できます(例:公平→公平さ)。
「公平」のように(活用が隠れていて)名詞としても形容動詞としても通用する語彙については、
「〜性」とつけても違和感なく通じることが特徴として挙げられます。
ざっくり言えばこの「〜性」を「〜さ」に置き換えることができるというわけですね。


感想という語それ自体に度合いを表現するニュアンスは含まれていないので、
「感想さ」を正しい日本語と言い切るのは相当厳しいような気がしていますが、では「感動さ」についてはどうでしょうか。
感動にも程度の違いというのはあるのだから、「〜さ」でその程度を表すのは間違いとは言い切れない気がする。
「感動」は名詞なので形容動詞としての活用形は作れないし、「〜性」をつけるのも違和感があります。
何かつけたいならこの場合は「〜的」とつけるのが妥当ですが、それでは感動の度合いを説明したことにならない。


そこで引用文をもう一度読むと、そのあとに「欠けてしまうかもしれないので〜」と続いています。
結局ここで感動の度合いについてのニュアンスを説明できているので、
「感動さ」の「-さ」は不要で、「感動が欠けてしまう」で十分に伝わるというのが正解かなと。
欠けてしまう、というのは物質みたいで少し違和感があるので、より自然な文にするなら「薄れてしまう」でしょうか。
1つ目の引用も、「食べたものが違うのですが、概ね同じ評価です」で何も問題ありません。


つまり、若者言葉になりつつある(?)名詞の形容動詞化はシンプルに蛇足だという結論になりますが、
言葉のルールというのは実は単に正しい・正しくないで決まるわけではありません。
誤用が広まった結果、それが辞書に載るようになったケースはけっこうあります。
「敷居が高い」「とんでもございません」「既存(きぞん)」などなど。
もし今後「感動さ」という表現を使う人が多数派になれば、それは正しい日本語として受け入れることになるのでしょう。
「タピる」(タピオカミルクティーを飲む、を意味する動詞)が流行する若者言葉界隈なら何が起きてもおかしくない。
言葉はいきものと言われますが、本当にその通りだと思います。


#8168

AIの改修による暴走

今日の出来事web制作

出社日の退勤は、まず会社最寄駅から新宿駅まで行き、
新宿駅から自宅最寄駅までは確実に座るために次発乗車列に並ぶことも考慮して駅で待機します。
そして新宿駅で無事に座れたらあとは読書タイム。
逆に言えば、新宿駅に辿り着くまでは乗り換えの都合で読書をする余裕が無いのでスマホをいじるしかありません。
こういうとき、最近はGoogleアプリでニュースをチェックしていることが多いのですが、
自分のサイトを巡回することも結構あります。
そこで今日はサイトを巡回しようとしたらサイトがめちゃくちゃ重く502エラーを吐くこともあったため、
「またサーバーが攻撃されているかも?」と思いつつ内心不安になりながらも帰路を急ぎました。


サーバーのリソースモニタを見ると夕方からCPU使用率が不自然に上昇しており、
ターミナルでSSH接続するとターミナル自体が固まってしまうほどサーバーが激重状態になっていました。
が、結論から言うとこれはセキュリティ・インシデントやDDoS攻撃などではなく、
単にこのブログのフロントエンドが不当にリソースを食う設計になっていたせいで暴走していただけした。


基本的にこの手のトラブルが起きた場合はChatGPTに訊けばどうにでもなります。
React2Shellの件(#08035 / 2025年12月15日)や今回使った手法はどちらもtopコマンドを起点にしています。
これはWindowsでいうところのタスクマネージャーで、CPU使用率の高いプロセスが一目瞭然になるんですよね。
プロセス番号さえ分かればどこの何が暴走しているのかは仮想化環境内だろうと特定できるので、
今回はこのブログのフロントエンドコンテナの中にあるNode.jsが暴走していたとわかったわけです。
そしてなぜ暴走していたのかと言えば、
本家ブログで本文やタグを表示しようとするときに全記事(執筆時点で8,167本)を探索するAPIが走っていたと。
実際、ログをリアルタイムで流すようにして本番環境にアクセスしてみると、
面白いくらいアクセスした瞬間だけCPU負荷が爆上がりすることがわかりました。


今回、この原因を作ったのはAIの改修であり、これはこれで問題だと改めて思いました。
やはり自分の手が届かない範囲で改修を完結させてしまうとこういう予期せぬ問題が発生することがあるんだなと。
人力開発では何を書いて何が起こりうるのかを自分がそれなりに把握できていたのでこうした問題は起こりにくく、
それゆえにどうしてもテストなどの後工程は軽視されがちでした。
しかしエージェントコーディングにおいてはむしろ盤石なテストプロセスが必須なのかも。
AIを過信しないことはもちろん大事ですが、人の手が介入しないからこそ個々のプロセスについて言語化しておき、
ルールを過不足なく決めることは今後の開発において急務になるんじゃないかと思っています。


#8167

入手困難な最速環境

今日の出来事Wii-U

久々に(おそらく上京以来初?)Wii Uを取り出して起動してみました。
ピクミンコミュニティでWii Uについての話になり、たまに起動しないと故障リスクが上がると聞いてのことです。


Wii Uは2012年発売の任天堂ハードで、事実上2006年発売の「Wii」の上位互換的なポジションです。
Wiiソフトも起動でき、Wii特有の操作であるWiiリモコンを接続することもできる。
Wii Uではそれに加えてタブレット的な端末が加わり、据え置きゲームにしてマルチ画面という画期的な遊び方を提案しました。
バーチャルコンソールを配信していた最後の世代でもあり、
ニンテンドーDSのバーチャルコンソールを遊べるのはこの機種が唯一となっています。
世間的には「失敗ハード」という評価が定着しており、Wiiが約1億台、Switch1が約1.5億台売っているの対し、
Wii Uは1桁少ない1356万台にとどまっています。
14年前のハードということで当然修理サポートは終わっているし、新品の入手は困難です。
ざっと調べたところジャンクに近い中古品ならメルカリで3,000〜6,000円程度で買えそう。


ところでピクミンのやり込み世界ではRTAが活発なのですが、
その中でも特に奥深いとされる(自分調べ)RTAとして『ピクミン2』のお宝全回収RTAがあります。
このRTAは走者があまり多くないのですが、
その理由としてハードルの高さはもとより最速環境を揃えるのが困難という事情があるんですよね。
『ピクミン2』はゲームキューブ版、Wii版、Nintendo Switch版とプラットフォーム別だけで3種類あるのですが、
そのうちWii版のダウンロード版がかつてWii Uに配信されており、現在はこれが最速とされています。
本当はSwitch版がロード速度の観点から最速になってもおかしくなかったのですが、
Switch版ピクミン2はなぜか本編のみ意図的にロードを早くしないように抑制する仕組みが含まれており、
さらにお宝重い海外版準拠&主要バグも潰されていることからRTAでこれを選ぶ人はほぼいない状況です。


しかし現状最速のWii U版はかなりの入手困難であるという事情があります。
Wii U本体は手に入っても、当然ながらストアは閉鎖されているのでダウンロード版の新規購入はもう不可能。
現状は持っていると判明している人から譲ってもらうか、
中古のWii Uを片っ端から買ってきてたまたまピクミンが入っているのを祈るしかないような状況です。
ダウンロード版の販売はWii U末期で、確かもうNintendo Switchが登場してから今更のように出てきたと記憶しています。
ただでさえ売れなかったWii Uなのに当時のアクティブユーザーは輪をかけて少ないと思われ、
さらにピクミンのニッチさを考慮するとダウンロード版自体あまり世に出回っていない可能性も十分あります。


自分はこのダウンロード版をたまたま(RTAをやる予定もないのに)買ったという経緯があり、
貴重なWii U版プレイ環境が手元にあります。まだ起動したことさえありません。
しかしこれも本体が壊れてしまったらそれまでなので、
壊れる予兆を感じたら速やかにデータ引っ越しをしなければなりません。
保全することを真面目に考えるなら未使用品のWii Uを手に入れたいところですが、果たして手に入るのか……。


ダウンロード専売のゲームタイトルは基本的にストアの閉鎖とともに世の中から消える運命にあります。
ピクミンに限らず、他のやり込み界隈でもDLソフトの入手困難性に悩みストアの復活を望む人は多くいそうですが、
しかし任天堂がこれを救済するのは相当難しいような気もします。
こういうことを避けるために、欲しいものは欲しいと思ったときに手に入れるのが鉄則なんですよね。
それはDL専売ゲームに限らずCDや書籍でも似たようなことが言え、
コンテンツが供給過剰だからこそ1つのコンテンツを大切に扱わなければならない時代なのだと改めて思います。


#8166

宿題としての哲学

今日の出来事哲学

去年、生涯を通じて1冊でいいから本格的な哲学書を読みたいと思ったことがありました。
当初はカントの『実践理性批判』への興味が強かったのですが、
次第に承認不安について考えている時間が長い自分はヘーゲルの『精神現象学』の方が合っていると思うようになり、
ヘーゲルに関する入門書もいくつか積んでいます。
が、最近どうもこの計画はこのままだと単に一過性の興味として過ぎ去ってしまいそうな予感がしています。


確かに古典を学ぶことの意義は小さくないと思います。
カントにしろヘーゲルにしろ、その他の哲学者にしろ、実際に生涯を賭けて読解に取り組んでいる研究者は多い。
ただ、自分個人がそれをする意義があるのかと言われるとそこは微妙なのかなと。
これは先日の、社会的欲求と個人的欲求を完全に切り分ける(#08152 / 2026年04月11日)という発想から来ています。
つまり〈既存の哲学〉について学ぶのは他人に褒められたいという気持ちを否定できないわけです。
自分はヘーゲルを読んだことがあるというステータスが欲しい、ということですね。
それは決して純粋にヘーゲルの思想を学びたいと思っているとは言えません。
そんな気持ちで哲学書に臨んだところで序章も乗り越えられないであろうことは言うまでもありませんが、
仮に読破したとしても、その苦労に見合う評価を得られるのか甚だ疑問です。
昨今の自分は、こういう徹底した一種の他者不信に立脚しているところがあります。
それもどうかというご指摘はあると思いますが、いったんここはその前提で話を進めさせてください。


もし、「自分が哲学書を読むこと」それ自体が確実に社会貢献になるなら、
他人に認められるかどうかはさておき、利他行為と割り切ってそれを実践する価値はあると思います(#07800 / 2025年04月25日)。
ただ、おそらく哲学書を読むことはそれにも該当しないような気がします。
となるとあとは純粋に自分にとっての「実利」を追い求めるしかない。
思えば近年の自分はこれら「他者承認」「社会貢献」「実利」の3すくみの狭間でことごとく迷走している気がしますが、
それは哲学的な営みでさえ例外ではないということです。


哲学が「答えのない抽象的なことに答えを出そうとすること」なら、自分はすでに哲学を実践しています。
「既存の哲学者の思想を学ぶこと」なら、まだ一度足りとも実践したことがありません。
このブログは前者の意味の哲学をすると割り切っていてそういう意味では実利に振り切っているとも言えますが、
単に自分のために考えることそのものが楽しいのでやっている活動であるとも言えます。
教養をつけること全般に言えることですが、
哲学書を読む意義を見出すとしたらそれをサポートする存在として心強いのは確かだろうなと。
そして、そういう実存について参考にするなら少なくともヘーゲルの思想は自分の興味関心に被っていて、有望なのは確か。
「生涯を賭けて精読する価値がある」とまではいかないものの、
実利の観点で読む価値はかなりありそうな気はしています。
ただ、実利といってもどこまで価値があるのかさえ未知数でありハードルが高いのは確か。


生涯を賭けて取り組みたい、というスタンスで哲学本を見定めようとするともっと良い本があるのではないかと考え、
永遠に取り組めないジレンマがありますが、この件はいったん実利のためと割り切ってしまおうかなと思っています。
今年の読書ブームの行先にいずれ哲学書を読むフェーズがやってくるかもしれません。


#8165

作曲への羨望

今日の出来事音楽制作

久々に新規ジャンルで物欲を掻き立てられるニュースがありました。
カシオがポータブルスタンドアロンサンプラー「SXC-1 」を発表。店頭価格39,930円、05月28日発売予定。
持ち運べる軽さ・小ささながら16個のパッドとミニディスプレイを備え、これ一台でサンプリングから作曲まで完結でき、
スマホ連携でデータの入出力もできるという、作曲経験の無い初心者向けのポータブルサンプラーです。
ゲーミフィケーション感覚で学べるチュートリアル動画パッケージ付き。


言うまでもなく自分は作曲経験がありません。
電子音楽を聴いてきた歴史はそれなりに長くなってきましたが、基本的に聴き専で満足しています。
イラスト制作やゲーム制作などと違って作曲は幼少期から続く創作との関連性が薄いのもあって、
音楽は好きだし作曲家を尊敬はしているものの、「自分も作曲したい!」とはなかなか思わなかったという経緯があります。
長年の活動遍歴を遡っても、作曲は完全に未知の領域。
しかしだからこそ、自分の領分やステータスとはまったく関係ない動線の「遊び」として成り立つ魅力がありそうです。
つまり、何か意義があるからとか野望を叶えるためとかといった欲求とは関係なく、
単にちょっと高価なおもちゃとして「遊ぶため」に欲しい。
まぁ、あわよくばこれで作曲の基本を身につけたいというスケベ心も無いわけではないですが……。
そこはあんまり重視すべきではないのかなとも思います。


作曲経験は無いですが、実はこの手のガジェットでできることに近い遊びはやったことがあります。
1年を通してiPod touch/iPhoneアプリに夢中だった2010年の暮れ、
ただタップするだけで作曲できてしまうアプリ「TonePad」と出会ってわりとハマっていました(#02486 / 2010年12月14日)。
このアプリはヤマハの「TENORI-ON(テノリオン)」というガジェットに触発されて作られたものだそうです。
「TonePad」でなんちゃって作曲に魅力を感じた当時の自分は
年が明けてすぐに「Music Studio」という本格的なDAWアプリを購入することを決意しますが、結末はお察し。
あと細かいところでは家族間でBMSが流行っていた当時、ほんのちょっとだけ作曲しようとしたことがありますね。
どういう曲を作りたいのか何もイメージできずにあっさり諦めましたが。


いずれにしろ、本格的な作曲は基礎知識が根本的に抜け落ちているのでハードルが高いのは確かです。
が、そのハードルをとっぱらったおもちゃなら過去にもハマった実績がありポテンシャルを感じます。
まぁSXC-1はおもちゃと割り切るにはちょっと高価な感じもするので迷いどころではあるのですが、
今後はこういうものにも手を出せるくらいの余裕は欲しいところです。


#8164

アサーション再び

今日の出来事心理学

もしかしたら、いまの自分にこそ「アサーション」の理解が必要なのではとふと思いました。
アサーションとは認知行動療法(#04865 / 2017年05月01日)でも実践されているコミュニケーション技法のひとつで、
自分も相手も自己表現したいという前提を理解した上で、相手を尊重しつつ適切な自己表現を目指すというもの。
会話の主導権を相手にすべて渡して聴き専に回ってしまうのは「ノン・アサーティブ(非主張的)」、
相手を尊重せずに自己表現するのは「アグレッシブ(攻撃的)」とし、そのどちらも避けることが良いとされています。


アサーションできていない=コミュ障、とぶった切るのはかなり乱暴な言い方になりますが、
そういう意味では自分はかつて、ノン・アサーティブでありアグレッシブでもある深刻なコミュ障だったと自覚しています。
例の長年の付き合いが消えた2件の人間関係トラブルも、
思い返せば一方はノン・アサーティブだったから欲求不満が溜まりすぎて起きたトラブルであり、
もう一方はアグレッシブだったから相手の尊厳に傷をつけてしまい起きたトラブルであると考えることができるからです。
そして諸々の反省を踏まえて、いまようやくアグレッシブなコミュ障傾向はかなり改善してきたと思っています。


一方、ノン・アサーティブな傾向は必ずしも改善していません。
だからこそ欲求不満に陥って「第5のコミュニティに属したい」などという気持ちが湧き上がってくるのだと思います。
既存の人間関係で特にトラブルは起こしていないのにそれを見限って新たな出会いを求めたくなる姿勢は、
客観的に見れば本人に問題があるからそうしているのだという可能性を否定できません。
つまり、ノン・アサーティブなコミュニケーションしかできないから自己主張できていないという不満が静かに溜まっていく。
その欲求は適切な人間関係によって解消できる(他者に解消してもらえる)という期待があればこそ、
「既存の人間関係ではダメなんだろう」という発想に至るわけです。
もしこの原因がノン・アサーティブなコミュニケーションをしている自分にあるのだとしたら、
仮に新しい人間関係を結んだとしても、この問題は解決しない可能性が高いと思われます。


ただし、自分よりさらにノン・アサーティブな傾向にある人と話す機会がある場合はこのかぎりではありません。
自分に会話の主導権を全部くれる人がいるなら、この問題は解決するかもしれない。
しかしそれは、同時に相手方にいま自分が抱いているような欲求不満を押し付けることを意味します。
それでは持続可能な人間関係を構築することはできないので、やはりある程度の自助努力は必要そうではある。
こう考えると、クリティカルに相性の良い「運命の相手」とさえ出会えれば人間関係の問題は一挙に改善する、
などという考えは現実にはありえない、自分が改善する努力を端から放棄した人の妄言なのだと分かります。


とはいえ、ノン・アサーティブを克服するのはそう簡単ではないような気がしています。
アグレッシブ(攻撃的)なコミュニケーションがダメというのは倫理的直感にも通じるので分かりやすいんですが、
ノン・アサーティブ(非主張的)なコミュニケーションがダメというのはそれと同じ文脈で説明できないどころか、
ある意味「道徳的に正しいこと」をいったん否定してみる必要性すらあるのではないかと予感しています。
つまり、聴き専に回るということ自体は、その人なりに相手を尊重している行動でもあるわけで。
ノン・アサーティブがダメと言われると「相手を尊重する〈正しさ〉より自分の欲求を優先しろと?」
とその人の誠実性を否定する話にもなりかねないと思っているのですが、
この辺は専門家の話を聞いてみないと実際どうなのかはわかりません。


実はアサーションに関する本は例の絶縁した知り合いに勧められて買って読んだことがあるのですが、
内容が陳腐に思えたのでメルカリで手放して「無かったことにした」という黒歴史があります。
知り合いが勧める本を否定してみることが、当時の自分なりに「ノン・アサーティブを超える実践」だったのかもしれません。
自己表現の機会に圧倒的な差が生じている人間関係では、
思想の相違や利害などとはまた違う文脈でそういう反抗的な気持ちも起こりうるのでしょう。
しかし6年を経て自尊心も周辺環境も一変したいま、アサーション自体は改めて学ぶ価値のある分野なのかも。
加齢によって膨張しすぎた自尊心をどう切り崩すかという問題も横たわっている昨今、
これがとっかかりになってくれればいいなとも思っています。


#8163

音楽体験のマンネリ化

音楽のマンネリ化がやや深刻な段階に入ってきたと思うので状況整理を。
自分にとって音楽は長らくiTunes Storeなどで能動的に探し、視聴などで購入候補を吟味し、
そして厳選した結果買うと決めた作品のCDアルバムを買ってライブラリに取り込んで育てていくものでした。
またライブラリを楽しむにあたってはその時点の趣向に沿った即興プレイリストを作るのが当たり前でした。
しかしタイパが大切な価値観になった昨今、これら選定作業はあまりにも手間がかかりすぎるという現実があり、
特に「アルバムを買う」という行動は上京してから大幅に衰退。
それによって新規楽曲があまり入ってこなくなり既存楽曲ばかり聴き回す時期が長く続いていましたが、
いよいよそれもマンネリ化してきて音楽趣味の滅亡を予感するようになったため、
2023年12月に長期契約を前提としてApple Musicのサブスクに加入しました。


これによって2024年は1年を通じて「音楽の年」と言えるほど音楽が再興しました。
以後、従来のマイレートとは別に「お気に入り」楽曲が蓄積していくことになり、
そこから自動再生(∞)プレイリスト機能によって似たような未知の楽曲を延々流すというスタイルが確立しました。
2025年の半ばくらいまではそれでおおむね満足していたのですが、
結局お気に入り楽曲から芋蔓式に見つける楽曲というのはそれぞれ似たようなベクトルの楽曲だったりするわけで、
いつしかお気に入りプレイリスト自体が似たり寄ったりの楽曲ばかりになってしまいました。
とはいえ、現状お気に入り以外から受動的に楽曲を発掘する方法が確立していないので、
手を打たないかぎりはマンネリから脱出できないという泥沼に陥ってしまっています。
そんな中、2007年末からずっと好きだったテクノポップ系統への飽きも少し自覚しつつありまずい状況です。
そこへ畳み掛けるようにmacOS 26におけるApple Musicの信じられないレベルのUI大改悪も重なり、
音楽関係のモチベーションは再び危険な状態です。


まぁ、結局のところスマートプレイリスト等で小手先の改善はできても、
長期的に音楽を楽しみ続けるには能動的に楽曲に興味を持ち、探すという手間を払うことは不可欠なのでしょう。
ライブラリは基本的に最後に手入れをしたときの価値観で固定化される傾向にあり、
いまの自分の「お気に入り」プレイリストもVTuberへの期待が高かったころの価値観がそのままパッケージされています。
一方、自分自身の興味関心は移ろい続けるわけで、
音楽もそれに合わせて変えていかねばどうしても本心から楽しみ続けることはできない。
これは音楽に限らないことですが、やはり長期で楽しみたいならその都度メンテすることが重要なのだろうなと。


いま、音楽に関する作業は毎月10日のライブラリバックアップのみですが、
ライブラリの点検と新曲探しも定常作業として入れようかなと思っています。
それが続くかどうかはなんとも言えませんが。


#8162

頼りにならない表題

今日の出来事読書

03月上旬からスタートした2026年の読書は、今日で7冊目を読み終わりました。
いまのところ月4冊ペースで読み進めているので、このままいくと2020年比で3倍もの冊数を読めることになります。
年間計画の当初の予定ではこのうち4冊について精読して読書録を書きたいという方針になっているので、
単純計算で9冊に1冊精読すればよいという割合になります。
が、ただ闇雲にたくさん読めばそれでよいというわけでもないので、
ここでいったん「本の選び方」について改めて考えることにします。


7冊の内訳はすべて新書で、基本的には03月の読書開始前に整備したTwitterの読書アカウントを頼りに
タイムラインに流れてくる書影を見てまずはフィーリングで「いいね」していき、
定期的にいいね欄を読み返して興味関心にマッチしているか等を勘案して「読みきれそうか」を吟味した上で、
まあ行けるだろうと判断した書籍を実店舗で探しています。
つまり、いいね→興味関心・ボリューム感→実店舗の在庫有無という3段階のチェックを経ているわけですね。
ちなみに「本を買ったという実感」を大切にしたいので、
実店舗に在庫が無いケースではAmazon等にあったとしてもいまのところ諦めています。
が、これはいずれ方針転換せざるをえないかもしれません。


このフィルタリングはまず書影(カバーイラスト、タイトル)とそれに付随する書評で絞ることになるわけですが、
7冊読んで思ったのはここが結構当てにならないということですね。
まず、新刊を紹介するアカウントは当たり前ですが新刊のことを絶対に悪く言いません。
それどころか、あらゆる語彙を総動員して内容を褒めまくるというのが通例のようです。
当然、その語彙のインパクトや評価者の影響力などによってタイムラインに出やすい・出にくいも決まるわけで、
インパクトが強い投稿ほど露出しやすいでしょう。
しかし、実際に読んでみるとそういう投稿で釣られた書籍ほど肩透かしを食うケースが多い。


これは帯についてもほぼ同様のことが言えるのですが(少なくとも帯の寄稿者の肩書きはほぼほぼ当てにならない)、
帯だけでなく「タイトルそのもの」も似たようなことが言えます。
タイトルから抱く期待は読む前が最高潮で、そこからずっと右肩下がりになるケースは結構多い。
タイトルで示唆しているテーマについて扱うのは書籍のうちほんの一部というケースもありました。
タイトルに直接紐づいたテーマで1冊がっつり語っていたらそれだけで当たりの部類という印象です。


まだたった7冊ですが、ひとまずTwitterの書評やタイトルはあまり当てにならないことがわかったので、
今後は書店で本を探す時間をもう少し意図的に増やそうかなと思っています。
あらゆる本の内容を事前チェックするのはいろいろな意味で不可能なので書影の印象からある程度絞ることはしますが、
書店の場合は気になったらその場ですぐ手に取れるので、最低でも目次は目を通す。できれば前書きも読む。
それで良さそうな候補はその場で買ってしまうのもアリだとは思いますが、
それだと購入冊数が無駄に増えそうなのでいったんタイトルをメモってネットで書評を読むのがベターかなと。


月4冊というハイペースな読書スタイルは本を読むことのハードルを下げてくれるので
これについては慣れてくるまでもうしばらく維持していこうと思っていますが、
それはそれとして精読に値する書籍とも出会いたいので、本の選び方はどんどんブラッシュアップしていきたいですね。