Chrononglyph

このブログは、こっぱちゃ(@koppachappy)が個人的に思うことを書き残す日記系ブログです。 2004年09月から1日1本相当の連載維持を目指して運営中。

4代目開設および公開運営復帰について
2023年05月より他活動の影響で維持管理が難しくなり非公開運営を続けておりましたが、2024年09月より公開運営を再開しています。 当面の間は2023年以降の記事のみ公開するプロトタイプ版運営となります。2022年以前の記事についてはコンプライアンスチェック後に順次公開予定です。
#7757

自己否定感との戦い

今日の出来事自尊心の問題

やりたいことを阻む障壁について考えると、10代までは経済力と家庭、
20代までは生理的欲求(特に睡眠欲)だったと思います。
では30代まではなんなのかというと、自尊心なのではないかというのが現時点の結論です。
本当にこれが邪魔に思えることが増えた。


ここでいう自尊心は自己否定感と捉えてしまってもいいかもしれません。
生半可な成果を出すことを許さない、無様な結果を出すことを許さない。
それを遵守するために、そうなる可能性のあることはやらない。
結果として、「着手しようと思えばできるがスキル不足感が否めない新しい分野」に挑戦する機会が激減し、
既存のものをひたすら使い潰すきわめて保守的なライフスタイルが定着しつつあります。
近年は上京直後による意識の高まりが落ち着いた2022年以降にこの傾向が強くなっていると感じます。


こうした保守的な価値観は成功体験のあまりの少なさが要因としてあることは否めません。
つまり、何かに挑戦しようとして上手くいった経験よりも挫折した経験の方が圧倒的に多いので、
「新しい挑戦をする=上手くいく」という図式を信じられないというわけですね。
これは保守的になればなるほど挑戦の機会が減り、当然に成功体験はますます遠ざかる悪循環になります。
この問題は年齢を重ねれば重ねるほどより一層深刻になり、また解決を難しくするでしょう。
最近特に思うのは、このままライフスタイルを変えずに40代、50代を迎えたときの絶望は計り知れないなと。
特に定年がきわめて大きなターニングポイントになると思います。
現状から仕事という社会とのつながりを断ち切られたら、もはやマトモでいられる自信がありません。
わりと本気で死んだ方がマシと思ってしまうのではと考えています。
そう考えると、自尊心の問題はせめて30代のうちに活路を見出したいものです。


ここで言う成功体験は、昨日の記事の「達成感」とほぼイコールと捉えてもいいのかもしれません(#07756 / 2025年03月11日)。
達成感とは、その時点で必ずしも自分ができる保証が無い物事に挑戦し、
望んでいた結果を勝ち取ったときに湧く感情です。たぶん、ドーパミンとか諸々の脳内物質が出ているのでしょう。
それが圧倒的に足りていないので不戦敗を重ねすぎて脳が枯れてしまっているというのが現状の自分で、
達成感を一定期間ごとに補給することで多少なり改善するのではないかと考えています。


この問題で唯一救いなのが、おそらく達成感は他者承認を必要としないということです。
メテオス20周年の「レイヤーゼロ」との戦いがまさにそうでした。
あれは20周年の記念に何かしたいというこだわりがすべてで、誰かに見られることを想定していたわけではありません。
もちろんTwitterにアップすることは前提条件としてありましたが、
「いいね」が欲しいならわざわざめちゃくちゃマイナーなメテオスの動画をアップする必要は無いわけです。
これまで、この問題はしばしば承認欲求の問題として捉えていた節があると思いますが、
実は別個の問題なのだと認識を改められたのはここに来て一歩前進したと言えるかもしれません。
ただし、まだ別個の問題と認識したばかりなので本当に切り離すことができるかどうかはここから。


直感的には、本心に対して従順に行動できるかどうかというのがポイントになると予想しています。
「せっかくの20周年だから何かやりたい」が本心だったからこそチャレンジング精神も生まれた。
ブログを遡ると、2020年当時も承認欲求を求めすぎないために本心を大事にするべきなのではないか、
ということを考えたことがあり(#06200 / 2020年12月09日)、長い時間を経て結局ここに立ち戻るのかもしれません。


「誰かに認められるかどうか」よりも「自分がやりたいかどうか」に重きを置くというのはわかりやすい指針です。
が、ことはそう単純ではないため今後もさらに深掘りしていく必要があるでしょう。
そもそも本心とは何なのかなど、考えるべきことは山のようにあります。


#7756

達成感について

今日の出来事自己実現の問題

昨日、『メテオス』20周年に際して記念に「レイヤーゼロ」のフルスロットルクリアを動画に残そう、
と思い立ち、実際に30分程度でさほど努力せずにフルスロットルクリアはできました。
しかしその動画がやや斜めにズレていたのとスコアがやや低かったので、
もうワンテイク撮ってそれを成果として投稿したいという気持ちが湧いてきました。変に妥協したくなかったわけですね。


しかし、フルスロットルというのはそう滅多にクリアできるものではありません。
その後2時間半ほど頑張ってみましたが結局惜しいところまで行くもののクリアはできず、
03月10日のタイムリミットを迎えてしまいました。
まぁでもよくよく考えてみれば20周年記念とはいえ観る人はほぼいないだろうし自己満足だからいいか、
と少し斜めにズレた動画を補正して投稿するに至りました。
この行為は、「承認欲求を得たい」という目的を前提として合理的に考えれば間違っていないと思います。
わずかなスコアとこだわりのためにこれ以上頑張っても得るものは皆無で、明らかにコスパもタイパも悪い。
しかし自分の正義に関する観点から見ると、合理的に正しいからこそ罠があるのではとふと思いました。
これは、なにげにここ数年の自分の価値観をひっくり返しうる気づきです。


2022年の自分は、社会と協調するためには「自分ができ、かつすべきだと思うこと」を不足なく遂行すること、
すなわち誠実であることが重要だと考えました(#07100 / 2023年05月26日)。
2023〜2024年の自分は「自分の無能さを積極的に受け入れる」ことが一種の心の防衛として働くことに気づくものの、
後期にはその実践は人生の希望をも切り捨ててしまう危うさがあると分析しました(#07600 / 2024年10月06日)。


これらの過去の自己分析について改めて噛み砕いてみると、
まず2022年当時は、社会に出ると個人としての自分にはさまざまなことが要求されている(ように思える)けれども、
自分のスキルレベルを無視して表面的な「すべきこと」に立ち向かおうとすると人生が破綻してしまう。
そのため、その中から現実的に何ならできるのかをしっかりと点検して、
「できる」かつ「すべき」ことだけはしっかりやっていこうというのが「誠実であるための条件」だと考えました。
しかし、2023年に入ってそれを実践していく中で、
「できる」と認識しているものを粛々とこなすだけの生活にはなかなか希望を見出しづらいことが判明しました。
無能さを受け入れることで挫折する経験が無くなりストレスフリーな生活は実現できたものの、
同時にワクワクするような何かに出会う可能性をも切り捨ててしまっていたわけです。


改めて振り返るとこの考え方には重大な欠陥があることが分かります。
すなわち、自分ができる範囲ですべきことを遂行することを「誠実」とするならば、
自分が何もできないなら何もしないことが「誠実」であることになってしまうということです。
この考え方は突き詰めると怠惰や慢心の正当化になりかねません。
事実、だからこそ2024年以降の自分はさっぱり結果を出せていないと感じているのだと思います。


「レイヤーゼロ」のフルスロットルプレイで妥協スコアが出たとき、
妥協なきラインまで突き詰めるのは当時の自分にしてみればできるかどうか際どかったわけです。
そして、「できたらいいな」という一縷の希望を携えて挑戦した結果、結局できなかった。
しかし挑戦したという行為からは、ここ数年感じたことのないようなエネルギーを感じました。
いまの自分に足りていないのはまさにこのチャレンジング精神だったのではないかと。
そしてその精神を枯らしてしまったのは他でもなく近年の信念に関する誤解だったのではないかと気づいたわけですね。


できることはやり、できないことはやらない。言い換えれば、できないことをできると言わない。
そういう意味での誠実さは社会を歩く上で重要です。
しかしどうやら個人の活動に関しては必ずしもそうとはかぎらないもよう。
「できるかどうか分からないが、やりたい」のであればやってみてもいいのではないかと改めて思います。
挫折したり達成したりする中でのみ得られる栄養も見えてくる景色もあるでしょう。
いま結果を出せていないと感じているのは、実際に成果物があるかどうかというよりも、
ここ最近何かに挑戦した経験が圧倒的に足りないからなのではないかとも思います。
確かに、誇大妄想に囚われて自分のスキルをあまりにも度外視してしまうのは問題がありますが、
「頑張ればできるかも」というようなラインを攻めることは日々を充実させるためにも重要なのではないか、
とレイヤーゼロと遊んでいて改めて思った次第です。


#7755

メテオス20周年

今日の出来事メテオス

ニンテンドーDSの打ち上げパズル、『メテオス』20周年!
自分にとっては青春の大事な1ページであり、パズルゲームの頂点として敬愛しているタイトルです。
20周年に際してはファミ通が記事にしたり、生みの親の櫻井さんがそれに反応したりしたこともあってか、
Twitter上では20周年に絡んで「メテオス懐かしいな〜」と言及している人が予想以上に多くいました。
売り上げ5万本のドマイナータイトルのはずなんですが、まだ覚えている方がこんなにいるんだと驚き。


自分自身は3週間ほど前からこの20周年を意識して多少立ち回ってきました。
具体的には3DSLLを引っ張り出してきて「サボン」「ゲルゲル」辺りの昔好きだった惑星を遊んだり、
DSの直撮り環境について調べてみたり。
あとは比較的バグが少ないとされる北欧版を入手したりもしました。
これについては本当にラッキーだったと思います。
ネットフリマで入手したのですが、出品者が価値を知らないのかDS中古としては並の価格で売られており、
しかも届いたのを開封してみると2005年03月に1度起動しただけで完全に手付かずの準新品でした。
国内版やパチモンのディズニー版はネットフリマならまだ入手しやすいですが、
北米版や北欧版はあまり見かけないためこれはなかなか運が良かったと思います。
とはいえ、自分が2005年に買った国内版が動くかぎりはこれで十分といえば十分なんですが……。


20周年を迎えるにあたっては、何かしたいとは薄々と思っていました。
それで、例の新本家サイト復興の第1弾コンテンツとしてメテオス打って付けなのではないかと思い、
いろいろ思案していたのですが……。
webサイトを1つ作ったとしてもせいぜい「いいね」を数個稼ぐだけが関の山と考えると
あまりにも費用対効果が悪いという結論に至り、
最終的にはTwitter向けに直撮り動画を1本出すことを目標としました。
具体的にはタイムアタック「レイヤーゼロ」で常時タイムアクセルを踏んで完走したプレイを動画として残すことです。
レイヤーゼロのフルスロットルは難易度がかなりのもので、そうそう完走できません。


03月09日、満を持して(それまでサボっていたとも言う)取り掛かり、
意外にも最初の30分でフルスロットルを完走。しかしこれはスコアが43万点台と低く、
また夢中になりすぎてDS本体がカメラに対して斜めになってしまっていたのでもう1テイク取りたいと思い、
それからしばらくリベンジしていました。
しかし、惜しい場面は何度かありつつも結局03月10日00時までには記録は出ず諦めることに。
まあとりあえず最低目標であるフルスロットル完走を投稿できたからいいか、と割り切ることにしました。
自分以外に動画を投稿している人は確認できたかぎり皆無で、
さすがにメテオスを認知している人は一定数いても、いまもなおやり込みをするような奇特な人はいないようです。
もし複数人いたらランキング大会をリメイクすることもやぶさかではないのですが……。


まぁ、そんなこんなで一番好きなパズルゲームの20周年はしめやかに過ぎ去っていきました。
TwitterではやはりスマホやSwitchでのリメイクを期待する声が多かったですが、
果たしてそれが現実になる日は来るんでしょうかね……?


#7754

CD存在調査

今日の出来事音楽ライブラリ

先日のApple MusicでDL済みだが別途CDなどで永続所有権を確保しておきたい、
というエレクトロニカのコレクションの件について(#07750 / 2025年03月05日)。
あのあと、せっかくなので過去全部のアルバムリストをGoogleスプレッドシートベースで作り直し、
そのうちエレクトロニカについての所在と購入方法について2009年まで遡って調べていました。
ちなみに、久しくアルバム番号を整理していませんでしたが現在は通算980枚のようで、もうすぐ4桁到達します。


重要なのはApple Music以後に入手(DL)したアルバムのCDが存在するかどうかですが、
調査対象のアルバム37枚のうち、Bandcampに音源が存在しないのが8枚。
この8枚のうち4枚はAmazonにCDが商品として存在し(売り切れ多数)、残り4枚は完全に存在しません。
CDが存在するのが10枚。うち2枚はBandcampでは在庫切れかつAmazonでも在庫切れ。
CDは存在しないがレコードなら存在するのが4件。残り15件はダウンロード版のみの販売となっています。


特殊なケースとして、Thomas Köner『Permafrost』(1993)の場合、BandcampにもAmazonにもCDは存在しませんが、
Google検索で調べてみると同時期のアルバム3枚が一緒になったリマスター盤が存在するようです。
このように、BandcampとAmazonだけでは把握しきれないケースもあり得るということですね。


基本的に、「Amazonには存在しないがBandcampにだけは売っている」というような場合、
一般流通商品というよりBandcampのファンユーザー向けの限定販売といった趣であるケースもあるようで、
好きなアーティストがこの形態で売っている場合はひとまず確保しておきたいところです。
逆に、一般流通しているなら中古も視野に入れれば入手手段はかなり広いのでそこまで焦らなくても良さそう。


あとはCD購入特典でボーナストラックが付く場合ですね。
ひそかな自慢(?)として、自分はTaylor Deupree『Faint』(2012)の限定盤を持っているのですが、
実はこれはCDにしか収録されていない30分以上のボーナストラックが収録されており、
しかもなんと1000枚しかプレスされない限定盤だったりします。ざっと調べたかぎり現在では入手困難のようです。
こういうプレミア感があると、限定商法と分かっていてもやはり手は伸びてしまいますね。
ちなみにTaylor Deupreeは最近『Sti.ll』でも限定盤をBandcampでリリースしていましたが、
これは手をこまねいているうちに逃してしまいました。
これは限定200部のGrayfade FOLIOというブックレットが付属していたようです。
「物理的に音楽をコレクションすることに対する私たちの回答」として提案されたこのブックレットは、
アルバムに関するさまざまな情報(練習用楽譜まで!)が詰め込まれているとのこと。
まぁ、要するに豪華なおまけですね。個人的にはボートラの方が嬉しくはあるけど、こういう試みも面白いとは思います。


とにかく、今回のアルバム存在確認の結果、さまざまなケースがあることが分かりました。
対象の37枚は2023年12月期〜2025年02月期までにダウンロードしたアルバムで、
1年3ヶ月でたった10枚ならとりあえず全部買ってしまってもいいのかなとは思っています。
ただ、それ以外の27枚分のiTunes Store版を買うかどうかについては要検討ですが……。
iTunes StoreってSteamみたいに定期で大規模セールとかするんだろうか?
もしするならそのタイミングで大人買いすることはやぶさかではないんですけどね。


なんやかんやで音楽に関する興味関心が強い今日この頃です。


#7753

創作活動と自我

今日の出来事ネットリテラシー

以前、『原神』の二次創作界隈でイラストレーターとして活動されている方が、
「絵師は自我を出すなと言われるけれど、私は無理。自我を含めて私なのだからそれを受容してほしい
というような趣旨のつぶやきをしていました。
ここでの「自我」とは、イラスト活動とは関係ない私生活上の感情表明、
特にネガティブな感情を発露することを指しているのでしょう。
それを創作アカウントで表に出すことを許してほしい、というような意味合いに聞こえます。


また別のケースで、イラストレーターとしては商業レベルかつVTuberとしてもトップクラスの「しぐれうい」が、
コンプティークという雑誌の付録として世に出た自身の顔が描かれたお面について、
「私以外の推しの箱企画でお面を付けていくのはちょっと違うよね。 推し活動に自我を出しちゃダメでしょ
という趣旨の話をしていました。
ここでの自我とは、ファンの自己都合でTPOを逸脱しているという意味として解釈できます。


「しぐれういの言っていることが正しい」と言ってこの話を終わらせることは簡単です。
推し活動にしろそれ以外にしろ、趣味別にコミュニティが細分化された現代でTPOを守ることは大事だし、
そういう空気を読み取れない人はどこへ行っても疎まれる傾向にあると思います。
ただ、じゃあ前者の絵師さんが絶対間違いなのかと言われるとそれもそれで微妙なところではある。


確かに創作アカウントでネガティブ発言をすることは少なからず創作物に対するイメージ低下につながり、
誰よりもまず発言者本人にとって良くないことであるのは確かです。
しかし、絵師は何もアイドルではない。潔癖を求められているわけではありません。
活動を通じてできた人間関係で、「自分のことをより理解してほしい」と思うのは当然の成り行きであるように思います。
ファンボックスで日常的な日記を書いている絵師さんは多くいるし、
それをも「自我を出してはならない」と切って捨ててしまうのは厳しすぎるような気がします。
基本的に承認欲求欲しさにするイラスト活動は割に合わないと思うので、
負の側面も受け入れてもらってやっとトントンだと言われればそうなのかもしれないなと。


とはいえ自分は結局この絵師さんの意見には反対で、しぐれういの言っていることは正しいとは思います。
私生活的なアカウントでないかぎり、
ネット活動の場で心の暗い部分を表に出すと、たいていネームバリューの毀損にしかならない。
またファン活動として、たとえばさくらみこのライブにしぐれういのお面を付けていくのは絶対NGで、
そういう意味でのTPOを逸脱した行為が歓迎されないのは確かでしょう。
表現者もそのファンも、「自我」を出しすぎず抑制してこそクリーンなオタク活動ができるというのは確かだし、
そういうコンセンサスを醸成させていくことが界隈にとって良いということは間違いないと思います。
オタク活動の場というのは、決して自分の弱い部分をヨシヨシしてもらうためにあるわけではない。


ただ、素の自分を表に出せないせいで活動そのものが息苦しいと感じることが多々あるのもよく分かります。
自分は実はそんなにすごい人間ではない、
こんな弱っちいところもあるんだと理解して欲しくなる衝動というのはある。
特にTwitterの場合、「私生活を公開するアカウント」と「趣味としての活動の場」が混同しているケースもあり、
なおさら難しい問題になっているのではないでしょうか。
しかし、そういう諸々の事情をグッと堪えて表に出すべきことだけを表に出すのがプロだとは思うんですよね。
たまーに商業レベルの絵師さんなのにTwitterで政治的主張をしていてガッカリさせられるケースがありますが、
創作で食っていくならそういうことはリスクにしかならないと思うわけです。
それは何も商業レベルにかぎらず、承認欲求が欲しくてしているというレベルでも同じことです。


これについては、本当にTwitterというプラットフォームの悪いところだなというところに尽きますかね……。
やはり自分は一貫してTwitterアンチなのだと再認識しました。


#7752

客先常駐の限界

今日の出来事転職活動

昨日の査定面談、正確には査定面談直前に営業部から「今年度末の更改では単価アップ交渉は見送ることにした」
という通達を受けて随分と仕事のモチベーションが落ちてしまいました。
まぁ、とはいえこれは心のどこかでは覚悟していたことです。
いまのままでずっと許されるはずがないと。それくらい仕事量と単価が見合っていない。
このモチベダウン、ひいてはこのネガティブ思考は閑散期に暇していたことに対する後ろめたさでしょう。


せっかくなのでこれを機に自分のキャリアを見つめ直しています。
時間的にはまだだいぶ先ですが、自分は次の大きな壁として「40代」という節目がやってきます。
一般に、webエンジニアはこのくらいの年齢になるとプロジェクトマネージャ(PM)としてやっていけるかが問われ、
そうでない場合は各種技術のスペシャリストとしてみなされることが多いようです。
実際に、いまの会社でも前の会社でもキャリアプランとしてそのどちらかのルートがあると説明されました。


一昨年のキャリア面談では、自分はどちらかというとマネージャ職に向いていると思いました。
そのため応用情報技術者と、さらにその上のプロジェクトマネージャ試験を受けようと考えたくらいです。
しかし実情としては、そもそもマネージャになる以前に現場経験が圧倒的に足りていない。
これはもう何年も前からそうで、いまだに足踏みを続けているような状況です。
だからこそしっかりとした開発現場に行きたいのだと念を押して営業部に訴えているのですが、
ここ2年はガッツリ開発できるか否かという基準では誰が見てもハズレの現場しか引いていません。


それで、本当に今更すぎるのですが上京時に足を踏み入れたSES(客先常駐)という業態はやっぱりダメなのでは、
という結論に至りつつあります。
たしかに、当時の自分のような中途未経験ならブラック上等の中小SESくらいしか選択肢が無かったのは事実。
あのまま地方で使い潰されるよりは全然マシな選択肢だったというのはいまでもそう思います。
ただ、2022年にヘッドハンティングされてSIerになり、そこがまあまあブラックだったので再度転職活動をしたとき、
「もっと大きなSES会社ならマトモに営業してくれるはず」と信じてしまったのは浅はかだったかもしれません。
むしろ仕事の充実度では中小企業在籍時代を下回っています。
貴重な30代の2年を失ってやはり思うのは、大企業だろうがなんだろうがSESはSESだということです。


とにかくここに在籍しているかぎり何も手元に残らないような仕事しかできないので、
せめて退場するたびレベル1からのローグライクゲームにならないようにしたい。
そういう意味で、再びSIerかあるいは非ITの情シスに飛び込んでみるのは有望であるように思われます。
もちろん、それらがブラックでないという保証は無いし実際に2022年の会社はブラックじみていました。
むしろそういう会社の方がブラック率は高いのかもしれません。
しかもSESと違って無理そうだったら無責任にさようならというわけにもいかない。
ただ、このまま手をこまねいて40歳を迎える絶望を考えると、リスクを承知で転職する場面ではあるように思います。
もしもずっとこの調子で30代を消費していった場合、文字通り本当に何もできないオッサンが完成しますからね。
まぁ、半ば手遅れのようにも感じますが、何もしないよりはマシなのでは、という……。


基本的に転職に際してはボーナスが大きな足枷になります。
さすがにボーナス積立途中で退職するのはもったいないので、辞めるのは06月末か12月末の2択となります。
現状だといまの現場が06月末で満期退場ということになりそうなので、
所属会社を見限るとしたら最速でそこになりますかね。
逆算するとゴールデンウィーク辺りから転職活動に精を出す感じになりそう。


と、まるでもう退職を決心したかのような流れで書きましたがもちろんまだ確定はしていません。
まだ所属会社の誰にも「06月末で契約を切りたい」以上のことは何も言っていないので、
普通に考えれば春先から次の現場決めについてあれこれとアプローチがあるでしょう。
4度目の正直でそれに賭けるという手もなくはないですが……。
まぁ普通に考えれば今回でスリーアウトなのでチェンジで良いよねと思ってしまう。


ただ、それはそれとして自分の無能さを正直ベースで考慮したとき、
本当にSESを見限っていいのかについてはもっとよく考える必要がありそうです。
確かにここ2回連続できわめてやり甲斐のない仕事をさせられているものの、
自分は所詮このポジションで精一杯の人間なのではなかろうかと。
だからこそこういうポジションに収まっているという考え方もできるわけです。
その辺の認識を誤って変に背伸びしてSIerや情シスを目指したら求められるハードルが高すぎて破滅する、
という最悪のシナリオも無くはないし、なんならその可能性の方が高そうなんですよね。
これはかなり卑屈な考えかもしれませんが、
しかしこれまでのキャリアを考慮すると残念ながら現実に近いのはこっちだと思っています。
理想論としては転職が妥当だと思えてきますが、果たして本当にそうなのか。
まだ若干猶予時間があるのでよくよく考えていきたいテーマです。


#7751

単価の頭打ち

今日の出来事仕事

いわゆる査定面談があり、結論から言えば現在のプロジェクトは次々回の更新時に離脱が妥当という話に着地しました。


いまの現場はおそらく都内でもトップクラスに良い職場環境で、それ自体に不満はあるはずもありません。
基本的にテレワーク推奨となっており、出社かテレワークかを適宜自分で選べるというのも素晴らしい。
ただ、自分の担当部署はあくまでも保守・運用が主。
参入当初は前任者にスクリプト言語での開発も行うと言われたものの、
実際にお客さんから降りてきたスクリプト開発案件はこれまでに事実上皆無。
あまりにも案件が降りてこないので内部改善をしたいと申し出てリファクタリングを少ししました。
その過程で、先人の作ってきたコードがあまりにもスパゲッティなことに辟易する一幕もありました。
そのリファクタリング、おおむね無事に終わったのですが1行だけリリース後にミスが見つかり、
お客さん(=社内でシステムを利用する数人のうち1人)に指摘されて再更新するということがありました。
リリースと言っても数人しか使っていないような社内共有フォルダにぶち込むだけなのですが……。


今回年度末を迎えるにあたり次期契約について上層部内でいろいろ話し合いがあったようで、
自分には1人で全部やっていけるだけのスキルを期待していることもあり、
今回のミスがその期待に届いていないことから
この1件を重く見て単価交渉は見送ることにしたそうです。なんじゃそりゃ。
まあもともとよっぽど評価が高くないと1年未満のこのタイミングでのアップは難しいと言われていたので、
評価的にはこれでも妥当なのかもしれません。しかしいざゼロを突きつけられるとやはり心に来るものがあります。
「この現場は自分にさほど期待していないんだろうな」という。昇給って本当に大事ですね。
まあ単価交渉がコケても社内評価は最高だし組合がある以上会社としてのベースアップはあるとは思いますが、
しかしベンチャーにいたころのあのフィーバーと比べると本当に昇給ペースは落ちたなと感じます。
基本給は定期昇給で増えていくものの、いわゆる技術者としての単価が頭打ちになっている感。


ちなみに名目上はミスのせいで単価交渉しないということになっていますが、
実際に降りてきている仕事量が相当少ないのでそもそも人件費を出せないのではとも思っています。
それくらい仕事が少ないし、自分が上の立場ならこのポストに2人も絶対に置きたくない。
それでいてプライム(直請け)案件ではないわけですからね。
むしろこんな状況で単価が上がる方がおかしいのかもしれない。


ここは社会人としてあまりにも楽なためそろそろ平和ボケしてきているので、丸1年を機にここを去るのは賛成です。
ただ、これまでのハズレ率を考えると次の現場ガチャはどんなに良くてもブラックなんだろうなぁと……。
最近自分のキャリアについて全然考える機会がありませんでしたが、
本当にこのままずっとこの業界にいていいんだろうか?
次の現場が本当にハズれたらその辺も少し考えてみましょうかね。
年齢的に手遅れ感が否めませんが、少なくともSESという業態から離脱することはいよいよ真面目に考えるべきのような。
それにしても、中小企業にいたころの方がよっぽど成長できていたのは皮肉だなと。
上場企業に籍を置いたのが2023年02月。思えばそれからほとんどロクに何もできてないような……?