Chrononglyph

このブログは、"こっぱちゃ"の日記系個人ブログです。2004年より連載中。毎日00時更新、掲載は7日遅延します。執筆に際しAI不使用。 記事を読んだら「いいね 」押して頂けると執筆の励みになります。
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#8185

欠乏欲求

今日の出来事人生観

自分は上京前と上京後でほぼ別人かというくらい考え方や「生きる目的」が変わっていると考えています。
厳密にはその境界は上京直後というよりは、
上京前にピークだったメンヘラ期を明確に抜けたと実感した2023年ごろがひとつの大きな節目だったと思います。
つまり転職(2023年02月)、4代目ブログ移転(2024年09月)が契機になって、
マインドが実感できるほど大きく変化したということです。
もちろんこれだけではなく、当時読んでいた本や人間関係などさまざまな要因が絡み合っているとは思いますが。


変わる前の自分にとって、基本的な動機は「持っていないものを手に入れたい」というものだったと思います。
つまり、そもそも前提として「欲しいもの」が手に入っておらず、欠乏している現状への不満がある。
その欠乏状態をどうにかするためにさまざまな活動をするということですね。
欠乏しているものは承認だったりお金だったり名誉だったりしていました。
この欠乏欲求はいろいろなケースで考えてもかなり強力な欲求であると思います。
たとえばギャンブルでは負けているときほど真剣になるし、
欲しくてたまらなかったモノをいざ手に入れると熱が冷めてしまうものです。
ソーシャルゲームなんかはこういう気持ちを弄ぶための仕組みがこれでもかというほど盛り込まれています。


欠乏に対する欲求はしばしば自分のポテンシャルを無視するので、
そういう意味でも「何が欠乏しているか」を起点にする立ち回りはメンタルに厳しいやり方だったと思います。
近年の自分が散々擦っている「無能を受け入れる問題」はそれに対する批判的な実践でもあるわけで、
こうした思想の変化を経て、最近の自分は欠乏を起点に行動しようとする意欲が減退してきたように思います。
それはそれで正しいと思うのですが、大きな副作用として物事に対する情熱が失われてしまいました。
ガッカリしたり、嫉妬に溺れて他人の嫌な部分ばかり見たりすることがほぼ無くなった代わりに、
いまだ持っていないモノへ憧れたり、ワクワクするようなことも無くなってしまった。
いまのところ、AIの進化がそれを凌駕する勢いなのでたまたま活動は続いていますが、
たまたまこの2023年前後に生成AIが生まれなかったらと思うとゾッとします。


果たして欠乏欲求にも、AIのような技術革新にも依存せずに生きる意味を見出すことは可能なのか?
難しいとは思いますが、これに答えられるような芯になるものを持たないということは、
2022年以前は欠乏欲求に振り回され、2023年以降はAIに振り回される人生であることを否定できないということです。
まぁ、そもそももはや個人がそこから逃れられるのかという疑問もありますが、
いずれにしろここ数年は人生観という意味でも大きな節目に来ているのかなと感じます。


#8184

プロセスの大親分

今日の出来事linux

自分のweb制作知識は基本的に独学で、その都度必要になった知識のみを仕入れるスタンスでやってきました。
一口にweb制作といってもその範囲はめちゃくちゃ広範囲にわたっており、
自分が知る限りweb制作に必要な技術知識全部を網羅した本は存在しません。
そもそもプロの現場でもweb制作は扱う技術スタックもプロジェクトごとに異なる上、
専門ごとに分掌するのが当たり前であり、1人でwebサイトを全部作る方がレアなケースです。
一方、趣味でやっている場合は基本的に1人で全部作らざるを得ないので、横断的に知識を仕入れる必要があります。
そのハードルもAIによってずいぶん下がりましたが、
自分もいまだにおそらく業界の常識だろうに知らなかった概念と出会うことがたまにあります。


先日出会った「tini」もそのひとつです。
tiniとは、Dockerのコンテナに一番最初に起動するプロセスとして起動するように仕込んでおく
ごく小さなプロセス管理ソフトのことで、初期化を意味するinitを逆さから読んでいます。
通常、Linuxは起動すると最初のプロセス(=PID 1)としてsystemd(システムデーモン)が起動しますが、
これを代替するものという位置付けとしてtiniは存在します
systemdはわりと近年開発されたもので、かつてはinitというプロセスだったらしい)。


systemdはLinuxの根幹とも言うべきソフトで、OSが起動したら自動起動するソフトを設定するなどの機能を持っています。
LinuxではPID 1のプロセスは全プロセスの大親分のような特殊な役割を自動付与される仕組みになっていて、
ブートシグナルを受け取って最初に起動するsystemdはその役割も担っています。
たとえば他のプロセスが動いていて、そのプロセスの下で子プロセスが動いているとします。
ここでもしその親プロセスが死んだら子プロセスは行き場を失ってしまうわけですが、
PID 1であるsystemdはそうした行き場を失ったプロセスの親プロセスになります。


しかしsystemdそれ自体はLinuxの根幹を担うだけあってそれなりに重いソフトです。
これをDockerコンテナそれぞれに搭載していたらファイルサイズを無駄に食ってしまうことになり、
またコンテナ自体も軽量性をいくらか失うことになります。
Dockerは基本的にカーネルを基盤OSに依存して、差分だけコンテナ内に実装することで軽量化を実現しているため、
systemdをデフォルトで入れるのはその設計思想と相反するわけですね。
もちろんユーザーが自由に入れる分には構わないわけですが。


DockerコンテナでPID 1のプロセスを意図的に指定しない場合、
通常はそのコンテナで主に使用するプログラム(nodeなど)がPID 1になり、
これらがゾンビプロセスの親になってしまいます(あんまりないケースだと思いますが)。
また、Dockerではコンテナの起動・終了シグナルはPID 1のプロセスに飛ばしているので、
nodeなどアプリの動作を司るプロセスがPID 1だと応答に時間がかかるという問題も出てきます
(終了シグナルを正常に受け取れないので、毎回強制終了することになるらしい)。
これらを解決するために、PID 1の椅子に座ってもらうためだけに用意するのがtiniというわけです。


今回はたまたまDockerについて調べていたらこれにたどり着いたのですが、
思い返せばいま運用しているVPSではたまにゾンビプロセスが残っているのを昔から確認していて、
発生要因が分からなかったのでずっと放置していました。
それも今回、行き場を失った子プロセスがあることやコンテナ内はそれを引き受けるソフトが用意されていないことなど、
いろいろ分かってスッキリしたという感じです。
また、おかげでLinuxへの興味が一時的に高まりました。
web技術全体を網羅する本は存在しませんが、
Linuxのコマンドリファレンスなら売っているのでそういうのを買ってパラパラめくってみるのも面白そうだし、
まだ見ぬ常識的なコマンドもたくさんありそうだなと思った次第です。


#8183

愛を実践する方法

今日の出来事結婚観

元同僚とのボイチャで年収の話になったとき、
「実は生涯独身前提なら長期で見るとお金はかなり余る」というような話をしたところ、
本当に生涯独身でいいの? という結婚観の話になり、かなりのぶっちゃけトークが盛り上がりました。
実はこれは2回目で、2年前にも似たような話が盛り上がったことがあります(#07376 / 2024年02月26日)。


当時の記事を読むと、当時はかなり前向きに恋活をしようと考えていたようです。
ブラック企業勤務→上京後不安定期と経て、ようやくそういうことをする余裕が出てきたのだと。
が、結局2024年から一度も街コンなんて行っていないし、重い腰を上げられていないのが現状です。
もう取り返しのつかない年齢に片足突っ込んでいるのに本当に何も動かなくていいのか、
と言われると、確かにここで文字通り何も動かなかったら後々後悔しそうな気はしています。
一方、多少なり動いた結果、異性に幻滅して結果的に生涯独身になるなら、それはそれで良いと思っています。
まぁ、あと今後独身社会になることは目に見えているので、
高齢になってから独身で困ったとき、それをフォローするサービスが流行るんじゃないかと楽観しているのもあります。
高齢で保証人無しでも入居できる賃貸マンションとか、従来よりずっと若い年齢から入れる老人ホームとか。
定年を迎えてから初めて結婚するためのマッチングアプリなんてのも出てくるんじゃなかろうか。


結婚観についての自分の考えは1年前にまとめた時点からほぼ変わっていません(#07845 / 2025年06月08日)。
家庭というのはいわばミニ社会であり、夫婦はお互いにとってお互いが代替不可能な構成員。
そのような「契約」において、相手にとって相応しい自分を求められるというプレッシャーは、
たとえば誰にも見られていないと破滅的に行動できないような人にとっては
人生を矯正するための支えになるでしょう。
ただそれは同時に自由を自ら差し出す行為でもあり、またそもそも相手が期待通りに振る舞うともかぎりません。
そう考えると結婚に関して現時点で何を考えても意味は無いとすら言えるわけです。
独身風情が結婚に関してどんなに立派な考えを持っていても、それは一人の意見にすぎない。
それに相手方の結婚観を止揚して「二人の意見」になって初めて、それは実践に値するスローガンになるのでしょう。
なので、相手がいない段階で「結婚とはこういうものである」と断言するのはダサいと自分は思っています
(こういう信念自体がかなり「面倒くさい」と思われそうなことは承知していますが)。


それはそれとして、自分の信念や倫理観と照合して「結婚とはこういうものであってほしくない」というのは言えそうです。
たとえば既婚というステータスを得たいからとか、世間体が気になるからといった動機で結婚するのは、
結婚後、特に子育てに係る責任の重さを考えると理にかなっていないと思うし、そこに「愛」はあるのか甚だ疑問です。
世の中、そういう体裁だけで自主性皆無で結婚したような例はたくさんあるし、
彼ら彼女らがなんだかんだでうまく行っていることを考えると、結婚を重く捉え過ぎている向きもあるのかもしれません。
しかしこういう考え方は不可逆的なもので、いまさら信念を下げられない現状もあります。
ここは結婚観というより自尊心の問題なのかもしれません。


いま、たまたまエーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本を読んでいて、
そこでも世間体ありきの結婚は全否定されていますが、ここで語られているのはもっと根本的な問題です。
まず、フロムは人間は本当の意味で分かり合えることは無いという意味で、人は孤独から逃れられないとします。
だからこそ、他人と「ひとつになりたい」という切実な気持ちがある。それが愛の根源的な欲求なのだと。
現代資本主義社会は、商品のみならず人も社会的な価値で「商品化」され、
その上で行われる自由恋愛ではしばしば「いかに愛されるか」を競う競争が繰り広げられています。
たとえば容姿、体型、年収、趣味の実績、頭の良さなどのステータスが優れている方がモテるといったような感じですね。
現代的な恋愛の文脈では相手を(社会的な価値で)満足させることを重視しますが、
フロムはそれは単に他者依存的なだけで本質的な愛ではないといいます。


フロムは、愛を実践するためには自分を高度に客観視し、
他人のみならず自分自身の成長を願い、配慮し、尊重する必要があるといいます。
他人をただただ神格化し、相対的に自分を卑下するような愛や(神への愛)、
自分が無力でないと成り立たない愛(母の愛)、頑張らなかったら認められない愛(父の愛)は「未熟な愛」とし、
特定の人に依存しない、能動的に「こちらから愛すること」を重視します。
つまり「いかに愛されるか」よりも「いかに愛するか」であり、それは成熟なくして実践は困難なのだと。
しかし現代社会は構造的にその実践が困難なのだという、半ば資本主義批判みたいな本という認識です。
「運命の人」に対して否定的な意見を述べているのは、『幸せになる勇気』(#06043 / 2020年07月06日)とも共通しています。
フロムの愛に対する実践の厳しさは、アドラーの「共同体感覚」に似ているようにも思う。


自分の思春期の恋愛観や異性観は、フロムやアドラーの言う「神への愛」のそれに他ならず、
だからこそ結果的に成就しなかったのは正解だったのかもしれないとさえ思います。
一方、「愛するということには成熟を要する」というフロムの言説は、
個人的には近年ようやく発達してきたコミュニケーション技術周りに通じるような気がしています。
それは相手が好きだからとかそうでないからとか関係なく、
相手と会話する以上は相手を尊重し、その成長・発展を願い、かといって自分自身も無下にしないというバランス感覚。
もしかしたらこれは、結婚にも活かせる基礎スキルなのかもしれません。


とはいえ、「愛する技術」をただ磨けば良いというわけではないというのが難しいところで、
フロムが資本主義社会を批判しようが、現代人である自分たちは資本主義の枠組みからは基本的に逃れられません。
結局、愛の実践をしたいなら資本主義社会の仕組みにある程度沿って自分を「商品化」する必要がありそうです。
要するに現代における「愛」は、ヒトの根源的な欲求としての愛と、社会の仕組みの板挟みにあるということです。
これに対して答えを出すのはそうそう簡単ではないように思われ、少なくとも自分は答えを出せる自信はありません。


いまのところスタンスとしては生涯独身を受け入れると同僚にも言っているしブログでも一貫してその立場ですが、
これは具体的に動いてみて結果的にダメだったときのリスクヘッジみたいな意味合いもあります。
しかしそもそも論として、自分は他人との同居が性格的に合っていないというのもあります。
自分はパーソナルスペースを犯されたくないという気持ちが(おそらく)他人より強く、
だからこそ実家時代は家族とパーソナルスペースの問題でストレスを感じることが多くありました。
まぁ、実家はかなり特殊なケースだと思うので、それを他者全体に適用するのは間違っているかもしれませんが……。
とにかく、一人暮らしが確立して久しいのでいまさら誰かと同居したくないという気持ちは強くあります。
そういう意味でも自分にとって利害関係で見ると結婚はメリットがあまりにも少ないという現実があり、
これは半ばどうしようもないという現実はあります。


それでも「出会ってみないとわからない」以上は行動を起こしてみる価値そのものは変わらないわけですが、
現状合理的な観点からするとあまりにも行動を起こすためのハードルが高いと言わざるをえない状況です。
しかし、せめてこうしたことをぶっちゃけられる相手がいるというのは恵まれていることなのかもしれません。


#8182

私立大学削減へ

先月末、財務省が「2040年までに私立大学を250校削減する」という提言を行い、話題になっていました
(引用:読売新聞『私立大学250校削減案、財務省が2040年目標(2026/04/30) 』)。


簡単に要約すると、少子化によって1992年→2024年で18歳人口は約半分になっているにも関わらず、
私大の数は384校→624校(財務省資料によれば、国公立を含むと813校)と大幅に増加しています。
これにより当然定員割れが起こり、受験生の質は低下。
それに伴い教育のレベルを下げざるを得なくなり四則計算やbe動詞から教えている大学もあるのだとか。
私大は設置すると国費が出るのですが、財務省は「その支出に見合った教育の質が確保されているか疑問」とし、
大胆な削減案を提示した、とのことのようです。


少子化が予見されていたにも関わらず私大が増え続けていた原因について少し掘り下げていくと、
2003年当時の小泉政権が推進した「聖域なき構造改革」の一環としての規制緩和が要因になっているみたいです。
いわゆる「官から民へ」の発想で大学を認可する際に国が最初からあれこれ締め付けるのではなく、
いったんは認可して大学同士で競わせ、受験生に大学を選んでもらう。
その結果質が低い大学は淘汰されるだろうというような発想で規制が緩和されたとされています(文科省の資料による)。
しかし実際には想定したような淘汰は起こらず、
私大は認可されれば国費をもらえるので競争原理もそもそもちゃんと機能していなかったと。


高校時代の自分は「大学全入時代が来た」という周囲の大人の風潮に巻き込まれるままに私大→大学院と進学し、
結果として若年時代のうち6年を棒に振った人間として、いまでも大学進学は間違っていたと思っています。
大学時代はモラトリアムとよく言われますが、
自主性に任された中で与えられた時間をこれっぽっちも有効活用できず、ただただ空白の時間を過ごしてしまった。
「大学でこれをやるぞ!」という意識が無ければ、大学生はほとんどニートみたいなものなんですよね。


まぁいまさらこれについて当時の大人や自分自身を批判したところで何が変わるわけでもないわけですが、
自分みたいな「特段勉強が好きでもない受験生でも大学へ入れてしまった」という現実は、
個人がどうこうというよりこうした政治的な決定の上で組まれた社会の仕組みに依るところが大きいのだと思います。
仮にこの250校削減が自分が受験生になる前にすでに行われていたら、自分の最終学歴は高卒だったでしょう。
それによって年収はいくらか少なくなっていたかもしれませんが、
自分にとってはコミュ力の向上が望めるのが社会人になってからだったという事情を考えると、
修士卒と比べて6年早く社会に出る方がよっぽど重要だったのではないかと思います。


大学は周囲の企業へ人材を供給する役割も担っており、Fラン大だからといってただちに淘汰するべきとは思いません。
とりわけ地方大に関しては、四則計算の授業をしてでも学生を繋ぎ止める意味はあるのかもしれない。
逆に言えば、都内にあるFラン私大は一極集中阻止の観点からも真っ先に廃止するべきでしょうね。
大学はなんだかんだで自分の人生を悪い意味で大きく変えた存在なので、
これからもこういうトピックスは取り上げることになるんじゃないかなと思っています。


#8181

アルバム探しの模索

2007年09月10日を起点として、毎月実施している音楽再生数統計(再生カウントの追跡作業)。
一時期かなり危うかったですが定期作業自体はいまだに続いています。
自分は長らくこれに合わせてアルバムを買っておき毎月10日にまとめてライブラリに投入していましたが、
2023年12月10日のApple Music統合によってポップミュージックについては随時追加方式に転換しました。
ステーション機能で未知の楽曲を聴いて「これいいな」と思ったらお気に入りボタンを押すと、
その場でライブラリにどんどん追加されていくという感じです。
一方、ポップでない楽曲群であるところの(というと語弊があるかもしれませんが)エレクトロニカについては、
なんだかんだで定期追加方式が存続しています。ステーションから聴く習慣が根付いていないからですね。
なので、ポップスと違って意識して楽曲を探しにいかないとライブラリが永遠に増えません。
最近は楽曲を追加しない月の方が圧倒的に多く、腰を据えて探そうと思ったときに数ヶ月分追加している感じです。
まぁでも、エレクトロニカに関してはこれでいいんじゃないかとは思っています。


自分がエレクトロニカを聴き始めたのは2009年05月の音楽再生数統計の日なので、
今日で16周年ということになります(厳密には当時は新曲の追加は統計の翌日だったため、聴き始めたのは05月11日)。
だからというわけではないのですが、Boards of Canadaの新譜に触発されたのもあり、
今日は久々にがっつりエレクトロニカの新譜を探し回りました。
このジャンルの探し方についてはまだまだ発展途上なところがあり、どうにかできないものかと思っています。
それこそCodexを使って何かできないだろうか。
たとえば主なレーベル、アーティストごとのチェックリストを作っておき、AIに自動巡回してもらうとか。
レーベルの巡回はもう数が増えすぎて遥か昔から追い切れていないので、そういう意味ではニーズは大きいです。
ただ、AIによる個別サイトの定期巡回は各サイトの利用規約に引っかかる可能性もあり、
たとえばDiscogs APIを使ったwebアプリベースの巡回サイトを作るのが関の山かなという予感はしています。
Discogsに情報提供していないアーティストの情報は取得できないというわけですね。


まぁそういう本格的なことはもっと時間に余裕のあるときに着手するとして、
今回はOPNやSquarepusherなど有名どころの新譜をメインに人力巡回で良さげなアルバムを発掘してきました。
あと、かつてCDを買うか否かで散々悩んでいた(#08034 / 2025年12月14日#07490 / 2024年06月19日)、
Aphex Twin『Selected Ambient Works Vol.2』の2024年盤をようやくBandcampで購入。
このアルバムは13曲目とボートラを除きすべてUntitledなのですが、
2024年発売のExpanded Editionには19曲目が追加されており、19番目以降の曲順がズレているという事情があります。
これを既存のメタ情報を維持しつつファイルだけ置き換えるのは非常に面倒くさい作業が必要だったのですが、
今回ようやくその非常に面倒くさい作業を終えてアルバムを「完成」させられました。


あと、追加する一方で膨張していた「お気に入り曲」リストについても、
追加してしばらく経った★3未満相当や★3以上でも直近で頻繁に聴きすぎていると感じている楽曲については
かなり容赦無くお気に入りから外して、235曲→70曲とスリム化しました。
お気に入りの上限楽曲数についてはまだ試行錯誤中ですが、50〜100曲のレンジで調整するのが妥当っぽい気がしています。
自分のライブラリで歴代ひっくるめて150曲までという制限のある「★4以上」のリストとは違い、
あくまでも直近の好みを反映したヘビロテリストという意味合いが強いため、
その辺の棲み分けも意識した合理的な使い方ができればと思っています。
一定再生回数以上で「殿堂入り」とみなして自動的に切り落とす、というような使い方をしてみてもいいのかも。


そんなこんなであらゆる趣味が低迷している昨今ですが、
音楽だけは気が向くかぎりまだまだ発展しそうな予感がしています。


#8180

相入れない人との交流機会

今日の出来事会社

いわゆる会社の定例会がありました。オフラインの参加は2年ぶりです。
この業界ではよくあることですが、所属会社は同じでもプロジェクトが異なれば面識が無い人が多いため、
社内交流を兼ねてこういう定例会が催されることがよくあります。
当然、定例会のために出向先の仕事を休むわけにいかないので、こういうイベントは休日を返上することになるわけです。
しかも今回はオフライン開催ということで、朝早く起きて会場へ行かなければなりません。
どうしても行きたくない場合はe-learningを受けたことにすれば出席扱いになりますが、
未申告で休むと普通に1日分控除されるというなかなか面倒くさいイベントです。


どう考えても万事オンラインで済むと思われる偉い人たちによるプレゼン発表会があり、
その後チームごとに集まってしばらく話す機会がありました。
自分のチームは比較的上司が良い人でチームとしてもそんなに悪い雰囲気ではなく、
このときもAIの話でそれなりに盛り上がりました。
その後、移動して飲み会ということになったのですが、自由参加だったため自分はここで帰ることにしました。
確かに上司や他の同僚とも話してみたい気持ちはそれなりにあったのですが、
チームには唯一の汚点とも言える中年のおばさんがいて、この人がもう見るからに見えている地雷なんですよね……。
前回のオフライン定例会(#07521 / 2024年07月20日)は飲み会会場のひどさもさることながら、
この人の延々自分語り&愚痴によって場の空気が台無しになったという嫌な思い出があり、
その轍は踏むまいと思い今回も不参加を決意しました。
このおばさんが不参加を明言しないかぎりは、基本的に飲み会は不参加でいいかなと思っています。


もちろんこれが必ずしも正しい判断だとは思っていません。
上司や他の人と話したいという動機と天秤にかけると、おばさんがいるからというだけで参加しないのは非合理に思える。
おばさんが今回も暴走するとは限らないわけで、コミュニケーションの機会損失になっている感じは否めません。
それに、ただ嫌な印象があるというだけで脊髄反射的に人を避けるというのもどうかという意見もあるでしょう。
コミュニケーションに関して向上心があるならば、
こういう人ともうまくやっていけるようになって初めて「成長した」と言えるのではないかと。
自分に都合の良い人間関係だけを選別してうまくやっているだけでは、そうは言えないのではないかと。
今後、40代、50代と年齢を重ねてもなおこの業界にしがみつきたいなら管理職になることもあり得るわけで、
人間関係を選別するような人に管理職が務まるのかという懸念もあります。


そういうわけで、所属会社の飲み会はある意味対人関係のチャレンジの場としての意義はありそうな気がします。
が、今回はそういうモチベーションも無かったので先送りにしてしまいました。
次回はこれを踏まえてもう一度検討かな……。


#8179

Nintendo Switch 2値上げ

今日の出来事Nintendo-Switch-2

来たる05月25日、Nintendo Switch 2本体(国内版)が49,980円から59,980円に、
また07月01日にNintendo Switch Onlineが2,400円/年から3,000円/年に値上げされることが発表されました


前々から、昨今の物価高、メモリ高騰、中東情勢のトリプルパンチの影響もあり、
「Switch 2は割安すぎて売れば売るほど赤字になっているんじゃないか」と言われていました。
そのせいなのかどうなのか知りませんが、任天堂の株価はSwitch 2が好調にも関わらず下落を続けている状況です。
結局ホルムズ海峡は解放されそうで解放されていない現状が続いており、
AI需要を震源地とする半導体や物理メモリ(DRAM、NAND)の需給バランス崩壊もまだまだ出口が見えていません。
当然、半導体やメモリを使うゲーム機本体もこの影響を受けないはずがなく、
どこかで値上げせざるを得ないだろうとずっと言われていました。それが現実になった形です。
とはいえ、世論は「十分に行き渡ってからの値上げなら許されるのではないか」という意見が多いですね。
もし去年のホリデーシーズンくらいまであった品薄感の強い風潮で値上げを断行していたら叩かれていたと思いますが、
こういう空気感になるまで耐えた任天堂の功績は大きいと思います。


ちなみにSwitch Onlineは3年先の分までストックすることができるそうで、
更新タイミングにもよりますが値上げ前に延長すれば少なくとも1,200円はお得になります。
Switch Onlineはとりあえず契約を継続していることにしているので、買ってしまってもいいかもしれない。
あ、そういえば全然関係ないですが先日ソースネクストというサイトで「1Password」の3年ライセンスを買ったら、
マニュアル通りに対応してもアカウントとの紐付けがうまくいかず、
結局1Password側のサポートセンターを頼りに解決したという面倒臭いイベントがありました。
すでにサブスクに加入していると適用できないということだったみたいで、
そういう制限があることを掲示していないソースネクストには不満はありますが、まあ相当お得だったのでよし。
任天堂はまさかこんなことはしないと思うしお得になる金額も少ないので気楽に構えています。
「ほぼゲームをしないのにOnlineを契約する意味はあるのか」という問題はありますが……。


自分個人としての(ピクミン以外の)ゲームの熱量はずっと低迷を続けていて、これはまだまだ復帰の見通しが立ちません。
ぽこポケも「クリアまでは絶対やる!」という意志のもとで購入を決意したはずなのに結局中盤で止まっているし、
上京によって誰かとプレイ体験を共有できなくなったから低迷した、とずっと考えていたのに、
いざ同僚とのゲーム会で「ゲームがみたい」と言われても共有したいゲームが皆無という……。
こないだも半ば無理やり『Balatro』を配信してみましたが、まるで面白くないのですぐやめてしまいました。
やはり自分にとっていまのところゲームというのは若者特有の文化のひとつであり、
それは中年時代に持っていけないものなのではないかという説はかなり有力です。
思春期に出会った文化は死ぬまでそばにあり続けるものだと思っていたんですけどね……。


そういう意味ではいずれNintendo Onlineも解約する日が来るだろうし、任天堂ハードも買わなくなるかもしれません。
ただ、いまのところさすがにわずか月200円のコストを切るほどではないと思っています。


#8178

今年こそ機種変

今日の出来事携帯機種変

このブログは基本的に自分のためだけに運営しているのでニーズは考慮しない体になっていますが、
それでも、あまりにも需要が薄いと思われるため書くことが躊躇われる話題があります。
それは携帯・PCの買い替え問題。
この問題、個人的には当然興味のある話題だし、情報更新のたびに考えが変わるのですごく書きやすいんですよね。
ただ、ブログの意義という面から考えるとその途中経過を語ることにはほぼ意味は無いと思っているので、
まあ1日1本の原則を守るための一種の穴埋めとして書いているようなところはあります。
他に話題は無いが、とりあえず書いてしまいたいときのための話題というポジションです。


というわけで携帯機種変の話。
ざっくり経緯を書くと自分は原則として買い切りの契約でSIMフリー端末を購入するようにしており、
2016年の「iPhone 7 Plus」以降、4年周期で買い替えています。
が、2020年に買った「iPhone 12 Pro Max」はあまりにもスペックが高いので2024年時点でもバリバリ現役で、
また2024年当時は現在と違ってまだお財布事情が不安定だったこともあり、見送りを決定。
2025年になると折りたたみiPhoneのリリースが確実視されるようになり、
2025年シリーズ(iPhone 17)も見送って2026年に出ると言われているiPhone Fold(仮称)をターゲットにしました。


2026年現在、折りたたみiPhoneに関する情報も徐々に出てきていますが、
不安材料の方が多くいまのところそこまで希望を持てないという感じがしています。
不安材料はまず価格ですね。下限で27〜30万円と言われています。
これが256GBなのか、それとも512GBからのスタートになるのかはなんとも言えませんが、
2025年モデルの価格に照らし合わせるとストレージを倍にするごとに3.5万円積み増しされるため、
仮に256GBが27万円なら1TBモデルは34万円ということになります。
自分は現行機を512GBのうちほぼ上限まで使っているため、妥協なくメイン機として使うなら1TBは必須なんですよね。
お財布事情は改善したとはいえ34万円はいくらなんでも高い……。


また、そもそも想像していたより画面サイズが小さいという問題もあります。
リーク情報では折りたたんだ状態の画面サイズは5.5インチ前後と言われていて、
これはiPhone 7 Plusとほとんど同じです。また、アスペクト比はワイドというよりもボックスに近いような形になります。
開くとiPad miniとほぼ同じ8インチサイズになります。
「ポケットにiPad miniが入る」と考えれば技術としてはすごいのは間違いないんですが、
自分が想定していた折りたたみスマホの使い方はあくまでも現行のスマホがそのまま2画面になるもので、
「Google Pixel 10 Pro Fold」がまさにその理想そのものです(折りたたみ時画面サイズ=6.4インチ)。
要は折りたたんだ状態でも普通のスマホと同じくらいの画面サイズを確保できるのが最低要件だと考えていました。
そして、開いたらアプリを2つ同時起動して並行作業ができると。Google Pixel 10 Pro Foldはこれができます。
果たして初代iPhone Foldがこの要件を満たしているのか、現時点ではかなり微妙だと思っています。
とはいえ現行機を2026〜2027年シーズンも使い続けるのはさすがに無理がある。
ではどうするのか。


まず、素直に2026年モデルのスレート型である「iPhone 18 Pro Max」を買ってしまうという手があります。
とりあえず折りたたみにこだわらずに機種変してしまう。
そして、新規購入した端末とバッテリー交換した現行端末で2台持ちするというのがまあ無難かなと思っています。
そうすれば折りたたみに頼らず6.7〜6.9インチのマルチアプリ運用ができるわけで。
これまでサブスマホにはSIMを入れず自宅でのみ使うような運用でしたが、
povoなど基本料金が0円のMVNOを契約するなどしておいて常に2台持ち歩くという想定です。
そしてさらに4年後(±2年)、折りたたみ時画面サイズが6.5インチ以上のFoldがリリースされたら再び一本化すると。
ただ、これだけだと現行機種を最長12年使うことになってさすがにどこかでOSサポートが切れると思うので、
サポートが切れるのが先か一本化できるのが先か、ここは賭けになります。


余談ですが、今年サポートが切れるWindows 10の買い替え問題については、
ブートOSをLinuxに置き換えるというゴリ押し作戦によって今年買い替えなくても許されるという抜け道を思いつきました。
Windows自体はほぼ使っていないので、メモリ高騰のことも考えるとそれが無難のような気がしますが……。
PCを買わないならその分をスマホに注ぎ込めるというのは結構魅力だったりします。
ともあれ、FoldにしろPro MaxにしろAirにしろ、今年中にiPhoneを買うのは今度こそマストにしたいところ。


#8177

作業三昧の黄金連休 #2

今年のゴールデンウィークは作業三昧と割り切って計画しましたが、結果的にはかなり良かったと思います。
まず、最大にして唯一のタスクという位置付けだったイベントアプリ開発の着手。
これは内心、UIを作り始めるところまで行ければ上出来かな……と思っていました。
なんだかんだでCodexと連携するための設計書が大きなネックになって、形式的にはそれほど進まないだろうと。
ところがどっこい、蓋を開けてみれば1日目で設計書はまとめ終わり、2日目から本格的な開発が始動。
3〜5日目もなんだかんだで各日それなりの進捗があり、
「UIに着手」どころか想像していたUIの大半はプロトタイプとはいえほとんど完成してしまいました。
3年間の躊躇はいったいなんだったのか……。


まぁでも、この快進撃はCodexとGPT-5.5だからこそというのもあると思います。
少なくともCodex導入以前、つまり人間が全体像を把握した上で関数単位でAIに任せる方式だったら
こんな複雑怪奇なコーディングを丸投げなんて絶対できなかったはず。
Codexのリリースは去年の秋であり、
リリース当時から使い始めていたとしても年内には間に合わなかったであろうことを考えると、
今年ようやくコマが揃ったと言えるのかも。


ただ、とはいえ順風満帆というわけではありません。
おそらく非プログラマーには理解されないレベルでエージェントコーディングもいろいろ試行錯誤しています。
AIもエスパーではない以上、言語化されていないような仕様まで読み取って実現してくれるわけではないため、
個々の細かい動作について逐一改修指示を出さないと思っている通りの動作はしてくれません。
まずその点でめちゃくちゃ言語化スキルを問われるし、入力する日本語も齟齬を生まないように気を付ける必要があり、
これはこれでプログラミングとはまた違うスキルを求められるのかなと改めて思います。
当然、言語化するためにはアプリの設計事情にある程度精通している必要があり、
AIがあるからといってまったくの素人ができるのかと言われるとかなり疑問です。
今回はWebとゲームのハイブリッドみたいなプロジェクトなのですが、
自分もWeb系の仕様については細かく突っ込めるものの、ゲーム的な仕様やデザインなどはAIがありつつも苦戦しています。
デザインなんかは言語化という伝達手段そのものにも限界があると言え、
この辺はまだまだ既存のクリエイターに優位性がありそうです。


「GPTが優秀すぎてポン出しだけで本格的なゲームが作れた!」みたいな声をGPTアプデのたびに聞きますが、
それはネットに転がっているソースをただ組み合わせればできるレベルのほぼパクりか、
同じくネットにソースがもうあるレベルのシンプルな要件のアプリに限られると思います。
自分が思い描いているアプリを過不足なく動かすには、人間側がすべての情報を言語化してAIに開示しなければなりません。
その苦労はとても「ポン出し」レベルでは済まないはずです。


そういうわけで、設計書が大きなネックかと思いきやここからが本番な雰囲気のアプリ開発ですが、
作業自体はいままでに無いことをやっていてかなり新鮮で楽しいので、これ自体は問題なさそうです。
こだわりのポイントをどこまで詰めるか、完成をいつに据えるかといった問題は別途ありますが、
いったんこの勢いで行けるところまで行ってみようかなと。


GWではこれ以外でも、これもネックになっていた創作アシスタントのスマホ環境整備(#08161 / 2026年04月20日)についても、
ネックを解消してスマホでの吟味を再開できるようになりました。
要は創作系ナレッジの最新情報がスマホとPCでバラバラになりがちなため、
いったんCodexのアシスタントができるようにPCに最新環境を構築してみたものの、
実際に着想したアイデアを吟味するのはスマホ環境であることが多いため、情報が散らばってしまうという悩みでした。
これについてはいったん不定期に手動で同期する方法を採りましたが、
GPT Projects機能が特定のリポジトリと連携できるようになったら一挙に解決するため、
ぜひその辺のアップデートをしてほしいものです。


このほか、生活系のタスクや細々としたタスクも用意していたのですが、ほぼ完遂できました。
唯一、ブログだけは余剰を生み出せませんでしたが……。
いずれにしろここまで計画通りにタスクをこなせた長期連休ってかなり久々なんじゃないだろうか。
普通に03月帰省よりも及第点は高く、実家帰省に依存せずとも作業モチベは捻り出せるのだという自信がつきました。
これにより、実感できるレベルでもろもろのタスクが次のステップに進んだため、
ゴールデンウィーク明けからは心機一転頑張っていきたいところです。


#8176

機会損失の歴史

これは30代が語ることとしてはわりとベタな話題なのかもしれませんが、
最近改めて「機会は待ってくれない」ということを痛感しています。
たとえば、いま自分はようやく重い腰を上げてイベントアプリの準備に取り掛かりました。
最新の技術スタックをふんだんに使っているプロジェクトでしかも完成の目処も立っており、
苦しみながら作っていた6年前の同等イベントと比べるとその規模は完全に雲泥の差であることは間違いありません。


しかし、仮に2026年夏秋のいずれかのベストタイミングで開催できたとしても
想定参加者は少なくとも15人は割るだろうと思われ、10人行けば御の字と考えざるを得ないという状況です。
対して6年前はここまで大掛かりでなかったにも関わらず、25人もの参加者が盛り上げてくれました。
重い腰がどうしても上がらなかったのは、界隈の衰退に対する「割りに合わなさ」に抗えないと思ったのもあり、
今更になって着手できたのはそれに対する諦めの気持ちも多分にあります。


こういうことは歳を重ねると多方面で感じるようになります。
そのもっともありがちな例はコミュニケーション能力でしょう。
自分はここ3〜5年、ほぼ毎年のように実感できるレベルでコミュニケーション能力が改善していると思っています。
もしかしたらそれは自意識過剰なのかもしれませんが、
コミュニケーションが左右するような査定評価や会社での立ち回りやすさなどから言っても間違いないのかなと。
逆に言えば、5年以上前の自分はあまりにもひどかった。
この違いは社交スキルの有無というよりもメンタル的なところに原因がありそうですが、
5年以上前の自分はいかにも自己中心的で協調性も無く、まあひどいものだったと思います。
周囲を気遣えるだけの心理的余裕が無かったのでしょう。


しかし、周囲の人に恵まれていたのは間違いなくここ5年以内よりも5年以上前、つまり上京前です。
もちろん上京後にできた縁も大事なのは絶対そうなのですが、
「濃い」人間関係を構築できていたのは圧倒的に上京前の方が多いんですよね。
他人を気遣えないから、何も考えずに他人の懐に入ってたまたま受け入れられていただけなのかもしれませんが。


いずれにしろ、いまのコミュニケーション能力で昔の会社や学校にいたら、と思わずにはいられません。
絶対にその方が良く立ち回れただろうし、それによって得られるものは多大だったでしょう。
その「果実」は、現実この先頑張ったところで果たして手に入れられるのか、甚だ疑問です。
しかしまぁ、こんなのはよくありがちな自己都合ありきの妄想に過ぎないわけです。
結局のところ、経緯がどうであれ磨き上げてきたスキルを使えるのはこれから先にしかなく、
また不足していた過去があるからこその この現状なのでしょう。
手札が揃うまで待っていたらものすごい時間が経っていて、気がつけば盤面は当時とは似ても似付かぬものになっている。
自分はそういう未練がましいものをいまだ多く携えていますが、だからといって手放すこともできません。


思うに、昨今の自己満足への盲信というか、他者承認への不信に絡む考え方の諸々は、
実はこういう機会損失の歴史がそう思わせている節もありそうです。
だとすればその哲学は、自分のように機会を逸し続けてきた間の悪い人への慰み言葉にしかならないのでしょう。