憂鬱の沼を潜り抜けて
今回、4代目ブログ移転後初のキリ番記事が大きなボトルネックとなった結果(#07605 / 2024年10月11日)、
実質的に消化するまで8日の遅延が発生したわけですが、その間実にわかりやすい形で気分も沈んでいました。
先日、ちょうどTwitterのおすすめタイムラインに
「抑うつ症状とは考え過ぎている状態で、PCで言えばアプリを開き過ぎてCPU使用率が100%になっているようなもの」
という内容の新書からの引用が流れてきて、
あまりにもタイミングが良く、かつ自分に当てはまりしかも説得力のある内容に膝を打ちました。
カテゴリ「独り言」を書くというのは基本的に悩んでこそ書けるため、憂鬱の沼に自ら身を投じるような行為です。
しかも近年はそう簡単に結論が出なくなってしまったため、沼から上がるのが難しくなった気がします。
昔と違ってそれなりに視野が広くなっている上に
自分の中でも価値観が多様になっていて安易に何々が善い・悪いと決めつけられなくなっていることもあり、
それなりに説得力のある結論を出すのは、まあ1日やそこらでは難しいのが現状かと思われます。
というわけで今後キリ番記事のルールを存続させたいなら、どんなに短くても2週間前から書き始めるのは必須かと。
いままでも当然同じようなことは考えてきたのに実践できていないわけですが。
とにかく次回以降は強い意志で実践しないとこれがブログ存続危機再発の要因になりかねない……。
あと今回の件で強く感じたのは、重いテーマであればあるほど「書きたいことしか書けない」ということですね。
「独り言」向けの重めの話題ストックはかなりあるのですが、ひとつずつ検討してみてもどうしても筆が進まない。
重いテーマを書く場合は現状に即していることしか書けないし、
少し前の悩みごとのように当事者意識がそこまで強くない話題はなかなか掘り下げられないというのは教訓です。
またブログの執筆モチベ自体もキリ番記事のタイミングとは関係なく上下するので、
いい感じに山を登ってきたところで「独り言」を書くのがベターかなと思います。
直近で言うと、今年の07月はそれをかなり実感したタイミングでした。いまは下り坂を走っているところです。
いずれにしろ、期日が来たら書くなどという単純な話ではもはやないということを心に刻むべきかと。
これは他のタスクについても言えることなのかもしれませんが。
ある意味ブログ安定化最後の壁でもあるキリ番記事。
そこに実は合理性はなく廃止しても良さそうな習慣であることは前回の記事で確認したばかりですが、
書き切って改めて思うのは、憂鬱の沼を潜ってこそ得られるものも大きいのだろうなということです。
実際、書き切った直後は明らかに心がスッキリしたことを実感しました。
その体験自体は執筆によって心の整理が進むだけでなく達成感を得られるということでもあり、
いずれも日常生活ではなかなか得られない栄養なのではないかと改めて思います。