第二次世界大戦への興味
終戦記念日、ということで何気なく第二次世界大戦のことについて調べていました。
小中学校時代に習ったことなんてとっくに忘れてしまっていたのですが、
改めて原爆投下について知るとなんとも言えない気持ちになります。
戦争の最終盤だった1945年当時、日本が降伏を勧めるポツダム宣言を受理しなかったことで、
08月06日に広島へ、08月08日に長崎へ、それぞれ原爆が投下されて街は崩壊しました。
それによって日本政府は改めて降伏することを認め、08月15日に昭和天皇の声明によって終戦。
実はこのうち2発目は当初長崎ではなく小倉市(現在の北九州市)に投下される予定だったものの、
小倉上空は視界が悪かったので急遽長崎に変更されたというのは有名な話です。
ちなみに、長崎の次の候補は新潟市でした。
ではなぜ、広島に続いて長崎にも投下する必要があったのか?
一説では、ポツダム宣言の時点でアメリカは日本が受理しないことを見越していたようで、
この時点で原爆を投下することは決まっていました。
ポツダム宣言を出したのは、原爆投下によってアメリカが世界に非難された際に
日本が受理しなかったせいで原爆が投下されたと言い訳する余地を残したかったからだそうです。
また、2発投下したのはそれぞれの性能比較をしたかったから。
広島に投下した「リトルボーイ」はいわば従来型のウラン爆弾であるのに対し、
長崎に投下した「ファットマン」はポツダム宣言の直前にアメリカが開発に成功した、
当時の最新型(プルトニウム爆弾)でした。
アメリカとしては戦後世界を牛耳るには今後ソビエト連邦との対立は避けられないと考えていたため、
そのソ連にわが国で開発した最新兵器を誇示しておきたい。そんな思惑があったそうです。
だからこそ、ファットマンは山々に囲まれてそこまでの大被害とならない長崎が選ばれました
(他にも戦艦を製造する重要都市だったから、米軍捕虜がいないから等諸説あり)。
また、日本統治を見越していたからこそ、東京などの都市圏や文化財が多くある京都などは
日本国民の対米感情を刺激しすぎないようにあえて候補から外していたと言われています
(東京はそれとは別に東京大空襲の焼夷弾によってそれなりの被害を受けているわけですが)。
そういうわけで、世界で最初の原爆投下は市民の命を使った壮大な比較実験だったわけです。
こう考えるとつくづくとんでもない話ですね。
これを機に第二次世界大戦のことはもっと知っておいた方がいいのかもと改めて思いました。