2025年計画草案 #4
来年の年間計画草案第3版では、ゲーム制作、創作、web制作という3本柱を掲げました(#07629 / 2024年11月04日)。
具体的には新本家サイトの復活、大キリ番記事に小説を書く、ゲームの「試作」を完成させるという目標です。
正直に言うと、いまのところこれらが実現できる未来は見えません。
なんだかまた各締め切り前に悶え苦しんでいるような気がします。
確かにこれらは達成できれば嬉しい。その目標のレベル感にそこそこの妥当性もあるような気がする。
しかしそれはあくまで2024年以前から引いた線の延長線上としての「目標」のみの話であり、
純粋にいまの自分の興味関心に基づいて決めたわけではありません。
そうすると何が問題になるのかというと、途中経過をまったく楽しめない「義務」になってしまう可能性が高い。
昨今の意欲低下はこの辺の目標や計画に対する誤認であるのではないかと改めて思います。
動機づけの話にも書いたように(#07632 / 2024年11月07日)、昨今の活動はもともと純粋に好きだったものが、
大人になるにつれ他者承認を得るための踏み台として消費されるようになった経緯があります。
それはweb制作などかなり歴史の長い活動も例外ではありません。
そしてその歴史の中で、少しずつではあるものの確かに純粋な「好き」が薄れていく実感はありました。
いま、承認欲求を完全に得られなくても続けられる自信のある活動はこのブログだけです。
だからこそ、既存の趣味がどんどん衰退していく一方、
承認欲求並みに強い欲求であるところの金銭欲を満たせる仮想通貨界隈に侵食されつつあるわけですね。
基本的に承認欲求目的の活動は自分の基本スキルの低さもあり、圧倒的に割に合わないと言うのが結論です。
こうした本音ベースの分析を踏まえて考えると、果たして冒頭の3本柱は妥当なのか?
創作もweb制作もゲームも、「本当は承認欲求を得たいが、ほとんどそれを得られる見込みの無い自己満足」
と言われても否定できないのは事実です。
しかし、そこまで非合理であるとわかっていても捨てがたい未練もある。
とはいえ現実的な諸々と勘案すると、非合理な目標を3本も立てるのはあまりにも非現実的です。
そう考えると3本柱という考え方は必ずしも妥当ではなく、もう少し絞るべきなのかもしれません。
となるとweb制作はまあ大したタスクでないのでやってもいいとして、
創作は大キリ番記事がある以上優先度が高く、ゲームは後回しという結論になってしまうわけですが……。
果たしてそれでいいのか? という気持ちはあります。
せっかくの機会なのでこの辺は次の記事でもう少し深掘りしてみることにしましょうか。