社会的弱者を見下すということ
人は成長の過程である程度大人になってくると、
どうしてもその途中で「弱者を見下す」という心理的なプロセスを経るものだと思っています。
それは自分は弱者ではないという上昇志向があればこそで、声に出さねば悪いことではありません。
しかし一方で、それがある種の道徳に反していることもまた確かであり、
それぞれが大人になる過程でその狭間で納得できる結論を探していくことになるわけです。
表面上は、社会的弱者を見下してはならないというスタンスを取ることはできる。
けれど、それを本心から納得した上で社会活動に従事できている人は体感でそんなに多くありません。
本心で弱者を見下さずにそれと向き合うことができるのは、
50代、60代になって「親の介護」というライフステージに突入してからのような気がする。
いや、介護サービスが充実している現代だとお金さえ払えばそれすら回避できることを考えると、
死ぬまでこの問題の結論を出せない人は意外と少なくないのかもしれない。
弱者というのはざっくり言えば社会貢献(仕事)ができず社会の足を引っ張る人を指します。
身体的・精神的なハンデを背負っていて自立することができないという意味ですね。
自分も本心では弱者は見下している、という気持ちを否定することはできないし、
この歳にしていまだ結論は出そうにありません。
本当の意味での弱者とちゃんとした意思疎通をする機会があまりにも少ないからでしょう。
他方、弱者の炎上案件は叩きやすいので拡散されやすく、目につきやすい。
結局マイナスイメージばかりが膨れ上がって偏見を払拭することが難しくなっていると感じます。
美談のようなものもあるのでしょうが絶対数が少ないので能動的に検索しないと目にしません。
かといってあえて能動的に検索するのかと言われると……。
中学時代にALSの少年の車椅子をひっくり返すクラスメイトに憤っていた話
というのが話題になっていたのですが、これを読んで著者の意見に共感しました。
車椅子の障害者をクラスメイトが順番に押すというルールができたところ、
担当したクラスメイトたちは車椅子をひっくり返すことが多く著者はそれを見て憤っていた。
ところがいざ自分の番になるとその障害者はあまりにも尊大な態度で健常者を奴隷のように見下しており、
女子の身体を触るなど迷惑行為もいとわないほどのヤバいやつということが発覚。
ひっくり返そうとするクラスメイトの気持ちを理解した……という話です。
弱者(障害者、老人など)というのはその属性自体に善悪の価値観は内在していなくて、
結局その人自身の性格の悪さによって忌避されることが多いのでしょう。
付け加えるならば、弱い立場であればそれだけ性格は歪みやすいわけで、
我々はその「歪みやすい性格」に対する偏見で弱者を見ているのではないか、と思った次第です。
性格が歪んでいない弱者であれば、本心から対等に接することができるのだと思います。
だから、なんというかこれは結局のところ人間性やコミュニケーション能力の問題のような気がします。
他者を慮ることができるとか空気が読めるとか。
それが著しく低い独善的な人間は嫌われて当たり前だし、そうでない人は嫌われない。
それは社会的弱者だからとか関係なく、健常者も社会的強者も同じことです。
年収1000万プレイヤーでもめちゃくちゃ性格が悪ければ見下されうると思います。
まあでも「人間性」や「コミュ力」って
第三者目線でどうにでも解釈を歪めることのできる評価基準なのでそこも難しいですけどね。
こういうのって結局各々の人間関係の問題に帰結するんだろうか。