現実逃避手段としての麻薬
以前、Twitterで回ってきた衝撃動画で、
外国の貧困エリアで若者たちがダラーンと無気力になってしまって
ほとんど動かない様子を撮った様子を見ました。
それはナントカという麻薬が流行っているからだという説明を読んだ気がするのですが、
何という麻薬だったのか忘れてしまいました。当該ツイートも残っていません。
なんかすごく身近な材料で作れそうな麻薬だったような気がするのですが……。
麻薬の実態について調べてみると、
アメリカではケンジントン通りという場所が「ゾンビの街」と言われており、
麻薬中毒者で溢れていてめちゃくちゃに治安が悪いそうです。
検索してみると、ここでもTwitterで見たような無気力でほぼ動かない若者が何人もいます。
個人的に麻薬(ドラッグ)については日本では明確に違法とされているので、
法律の壁を越えてまでやってみたいとは思いません。
一方で「大麻くらいはそろそろ解禁しろ」と意見する人が徐々に増えてきているような気はします。
麻薬なんてどこからどう考えても百害あって一利なしだ、という意見はまあごもっともです。
が、一方で現実逃避の手段としてはこれ以上無いくらい強力な手段であることも事実であって、
様々な合法的手段としての現実逃避の延長線上として麻薬が存在することも確かです。
合法的な現実逃避というのは非常に幅広く、定義によってはエンタメ全般が当てはまるでしょうし、
より麻薬に近いところではアルコール類なんかが挙げられます。
何も買わなくてもできる「睡眠」という現実逃避もなかなか強力です。
個人が持つ課題は向き合うところまでが最大のハードルと言っても過言ではないくらい、
現実を直視することはときとして勇気の要ることです。
そしてそれは先延ばしにすればするほどますます大きな勇気が必要になってしまいます。
しかし、それでもその課題自体をなかったことにはできない。
一方で向き合えないことで精神はどんどん蝕まれていく。
こういう事態に直面したとき、悩みを誰かに相談できるのは恵まれている人でしょう。
そのためには当然人間関係がある程度機能している必要もあるし、
そもそも誰かに相談するということは結局課題と向き合う覚悟があるということです。
なので、そういう覚悟が無い場合はそもそも悩み相談すらできません。
そういう事態に陥ったとき、手っ取り早く精神を回復できるとしたら「何も考えない」ことです。
しかし人はシラフのまま何も考えないのは相当困難なので、
寝たり酒をあおったり、とにかく悩みについて考える余裕の無いような状況に身を投じるわけです。
ある課題を忘れるために別の課題をでっち上げてそちらに集中するのも良いかもしれません。
しかし、そうして課題を忘れられるのは一時的なことで、
結局酔いが醒めればまた人生の課題に直面してしまう。
どうしようもない課題であればあるほど、そこから逃げるのは困難です。
そうすると次に頭をもたげてくるのが希死念慮、つまり死にたいという欲求です。
現実逃避は一時的にすぎないが死ねば永遠に課題から逃げることができるというわけですね。
しかし自殺というのは非常に強い覚悟が必要で、それ自体まともならとても決行できません。
課題から逃げ続けるような人にそれができるかと言えば当然難しいわけです。
思うに、薬物中毒というのはそういう人が行き着くひとつのゴールなんじゃないかなと。
もちろん全員が全員そうではないと思うし、不本意で中毒者になったとしたら可哀想です。
ただ一方で、自殺する勇気さえ無い人が「一生シラフに戻りたくない」と願ったとき、
麻薬中毒というのはそれに対する回答になり得るんじゃないかと。要するにゆるやかな自殺。
実際に麻薬中毒になったらずーっと意識が朦朧として何も考えずに済むのかは知りませんが、
少なくともまともに返ればまたいろいろな厄介ごとと向き合わなければならないので、
そこから逃げ続けていられるという点では本望なのかもしれません。
まあ麻薬をどこから入手するんだという問題が残るわけですが。どこから入手するんだろう。
個人的に国内で安楽死制度を望む若者が増えていることと大麻解禁を望む人が増えていることは、
どちらも同じような人が主張していて、そういう人が増えているのではないかと思っています。
もちろん、社会がそれを許すはずがないので安楽死も大麻も解禁されることは無いと思いますが、
それだけ個人の悩みを個人的に解決できないケースが多い世の中になっているのではないでしょうか。
こういう社会の負の側面を考えると、
「個人の自由を尊重する社会」とはなんだったのかと思ってしまいます。