勉強嫌いは反抗期の一形態
自分は、一般的な価値観において学生時代の出来は悪かった方と自覚しています。
中高の成績は高3の2学期を除けば秀でているとは言い難い成績だったし、
当然のように大学受験も第一志望には落ちてしまった。
大学生活は単位さえ取れれば良い世界だったので必要最小限の授業にしか出なかったし、
卒論ゼミもほぼほぼ放任主義だったので完成した論文はゴミです。修士も同様。
よって、最終学歴は院卒ですがそれ相応の学問レベルを備えているとはとても言い難いです。
まあいまとなってはそれを活かすような職種にすら所属していないので、
学術レベルの知識を持っていないからといって誰に責められることも無いのですが。
だから、結果論で言えば特に頑張らなくても問題なかったとする見方もできるでしょう。
一方で、こんなことを書くと不遜だと思われてしまうかもしれませんが、
自分は「頑張っているのに成績が伸びない子」とは違って、
やろうと思えば勉強の対象となっている分野への好奇心を発揮して成績を上げることはできたと、
当時もいまも思っています。
その証拠が高校3年生の2学期末テストで、このとき初めてまともにテスト対策をしたことで
英語以外の科目でそれぞれほぼ満点を出し、当時の担任や親を大いに驚かせた記憶があります。
ではなぜ高3の2学期以外は勉強しなかったのか。
これは2つ理由が考えられます。1つは過去にも書いたようにゲームの方が楽しかったから。
ゲームで頑張る方がいろんな人が支持してくれるし、単純にやっていて面白い。
一方勉強はやれと言われるばかりでやっても褒められることも無い。
これではモチベーションが上がらないのは当然の話です。
もうひとつは、「勉強の放棄」こそが思春期の自分にとって周囲の大人に対する反抗だったから。
当時の父親は非常に厳しくて正面切って反抗することなど考えられませんでした。
父親はゲームをすることに対して「朝9時から18時まで」と厳しくルールを設定し、
ゲームに対しては否定する態度を取り続ける一方で、
自分が勉強ができないことに強い不快感を感じているようでした。
まあ、とは言え強制的に塾に行かせるとかと言ったことも無かったのですが。
その辺は親の自分に対する興味もその程度だったということなのでしょう。
ゲームに関しては、18時以降は表向きはやらないが布団に携帯機を持ち込んで遊ぶと言うような、
親に隠れてプレイするスタイルが定着していきました。
そういうことをしていれば必然的に親に対する後ろめたさもあるわけで、
ますます親子間の心理的な亀裂は深まっていきました。
母親が間に入ってくれなかったらうちの家族はとっくに崩壊していたと思います。
要するに、自分は親が嫌いで、その親の思い通りになることが癪だったわけです。
親は自分を何一つ認めてくれないのに、自分だけが親の意見を認める道理は無いだろうと。
そもそも当時の自分は大人の意見というものに対してひどく懐疑的でした。
厨二病と言ってしまえばそれで済むのですが、
それだけ大人との話し合いの機会が少なかったわけです。
しかし、正面切って戦おうとすれば負けるのは必至。怒鳴られ、追い出されるかもしれない。
子どもにとって親というのは生殺与奪権を握っている強大な存在で、基本的に逆らえません。
かといって親の言いなりにもなりたくない。
そんな自分にとって、親はどうにもならないが自分の学業成績は自分がコントロールできる。
それを親の望む逆方向に舵を切ったことは、ある意味で反抗の表れだったのでしょう。
自分の未来を壊すことで、初めて親に「ざまあみろ」と言えると思ったわけです。
父親は自分の受験失敗の直後から厳しい態度をやめて急に優しく振る舞うようになりました。
手遅れだったことは言うまでもないですが、
親子間コミュニケーションの少なさが致命傷になったことは親もわかっていると思います。
思春期の子育てを自分が経験することはたぶん無いと思いますが、
思春期の親子関係が子どもの後人生に大きな影響を及ぼすというのは非常に怖いと思います。
まあ社会に出てみれば学歴格差もあってないようなものだったので、
上述の通り学業を頑張ろうが頑張るまいが自分の人生はさほど変わらなかったと思いますけどね。