小さくて多機能なもの
自分は昔から小さくて多機能なものを好きになる傾向があり、
ある意味では自分の根本を構成している価値観なのではないかと思っています。
そういえば、いままで数多のブログ記事で自分語りをしてきましたが
これについてはほとんど言及してこなかった気がします。
なんとなく感覚としてはあるけれど言語化が難しいからなのでしょうか。
2005年にゲームボーイミクロを題材にこの感覚について語ろうと試みていますが(#00454 / 2005年09月13日)、
文章力が低すぎる上にまだ慣れていない随筆形式で気取りすぎて、
もはやアイタタすぎて読んでいられないレベルに留まっています。
当時のほうが、この感覚に対する気持ちの強さは大きいと思うんですけどね。
ともあれ、18年ぶりにこの「小さなものへの愛おしさ」を分析してみることにしましょう。
まずこの感覚の対象として挙げられるものは何かというと、
幼少期〜思春期に出会った実物で言えば多色ボールペン、飲み薬に付属する計量カップ、秘密基地など。
ゲーム体験の中で言えば『モンスターハンター クロス』のニャンター、
『ウィザードリィ エンパイア』の666Fにあるワープポイントがなぜか印象深いです(説明は後で)。
他にも『どうぶつの森』におけるファミコン家具、『メイドインワリオ』のドクターワリオなど。
ゲームボーイミクロももちろん含まれます。ポケモンミニも同様ですね。
近年で言えば型落ちスマホに入っている昔のゲームアプリ(モンハンとか)もこれに含まれると思います。
黎明期のスマホ「WILLDOM 03」はこれに含まれると思いますが、
最新のiPhoneは含まれないような気がします。でもiPhoneに入っている「a-shell」「Pythonista」や
各種クリエイティブ系のゲームアプリは含まれると思います。
ただ、クリエイティブ系でもオンラインで完結するタイプはコレジャナイ感はある。
こうやって挙げてみてまず考えられるのが、
「同等の機能を持つ何か」を機能はそのままに小さくしたものが挙げられやすいということですね。
家に対する秘密基地、複数のボールペンに対する多色ボールペン、といった関係性はとても分かりやすいです。
WILLCOM 03は「ごく小さなパソコン」という認識があったからこそこれに含まれ、
iPhoneは時代的にそれ自体が代替不可能なデバイスとして確立したので含まれないのだと思います。
ゲームボーイミクロやポケモンミニなど物理的に小さいものもこの範疇に含まれます。
あとは、「同列の何かよりも著しく多機能」であるというパターンもありそうです。
『ウィザードリィ エンパイア』では最深階層である666Fに1マスだけ
座標Aに踏み込むとワープする先の座標Bも、同様に踏み込むと座標Cにワープする設定になっています。
最深階層以外にもワープする座標は数あれど重複しているのはここしかありません。
ワープポイントは踏み込んでもそのマスに移動した記録はされないためマップは穴が空いたままですが、
ワープポイントにワープした場合だけそのマスに立つことができるという仕様になっています。
そのため、ゲーム内ではこのたった1マスのだけためにワープアイコンが設定されていて、
それがすごく好きだったんですよね。これは他の大多数のマスには無い機能が含まれているからです。
(でも転移の指輪で能動的にワープしまくれば他のワープポイントもアイコンがつくかもしれない……。)
『どうぶつの森e+』のファミコン家具は実際にファミコンを遊べるという特殊な家具で、
置くだけで何もできない他の大多数の家具よりも明らかに多機能です。
『メイドインワリオ』の収録ゲームはどれも3秒で終わってしまいますが、
「ドクターワリオ」だけはファミコンの『ドクターマリオ』がほぼまるごと入っているという点で別格です。
汎用コマンドラインアプリ「a-shell」など上記に挙げた各種アプリは、
それだけで数年費やせるくらいの奥深さといろんなことに使える活用の幅広さを内包しているという点で
1サービス=1アプリの原則を守っている大多数のアプリと比べると別格です。
「小さな何かの中に多機能な何かが内包されている」というパターンもあるかも。
上に挙げた中で言うと飲み薬の計量カップがそれですね。刺繍セットなんかも当てはまるか。
iPhone 5は最新のiPhoneと比べると明らかに小さい型落ちのスマホですが、
実はその端末でモンハンが丸ごと遊べるというのは非常にこの感覚をくすぐられます。
これは前段の定義にも当てはまりますね。
もしこの定義が正しいのなら、秘密基地に多機能な何か(ラジオ等)を持ち込めばそれだけでこれが成立します。
こうしてみると、小さくて多機能と一口に言ってもいろいろな類型がありそうです。
ただ、「小さいこと」と「多機能であること」のどちらがこの価値観を形成しているのかは分かりません。
両方備わって初めて見出すものなのでしょうか。
当然ですが根源的なところでは所有欲が深く関わっていると思います。
なので自分が所有できない概念に対してこの感情を抱くことはありません。
だからクラウドで完結する概念に対しては一見当てはまりそうでも当てはまらないわけですね。
また、多機能であると書いていますが、それが必ずしも合理的だったり優れているわけではない、
というのも面白いところです。要は機能があるという事実に満足するわけですね。
飲み薬に付属する計量カップは厳密に本来の計量カップの機能を果たすわけではありませんが、
飲み薬を飲む際に活躍するという事実さえあれば満足します。
この価値観はかなり幼い頃からあって、何がきっかけだったのかが明らかになることはないでしょう。
もしかしたら日本男児の本能的な気質なのかもしれないし、自分独特の感性なのかもしれない。
まあでも、こういう価値観が好きだということはこれまでの人生で一貫しているので、
今後もこれが自分のいろいろなことに影響を与えていくのだろうと思います。