こだわりという名の免罪符
昨日(#07169 / 2023年08月03日)では過去の自分の「こだわり」について
最初の発想を重視し過ぎていたという自己批判をしましたが、
同じ「こだわり」に対する批判でもうひとつの切り口について書いておかねばならないと思ったので
そちらについても書いておきます。それは、一言で言えば「免罪符」として使っていたのではないかと。
あることを成し遂げたいが自分の能力の低さと向き合えないので、
その「あること」に自ら足枷を追加することでさらに実現を困難にさせることによって、
正攻法ではできなくても「こういう縛りの範疇でなら自分は頑張った方だろう」
と言い聞かせることができる。その足枷こそが「こだわり」だったのではないかということです。
こだわらずに取り組んで結果が出なかったら言い訳ができないけれども、
こだわっていれば「まあこの足枷があるからしょうがないね」と言うことはできてしまう。
高校時代最大の黒歴史といえば、受験期直前のクラスメイトとのポケモン勝負です。
当時自分は自分なりに戦略を考えて勝つことを想定して準備に臨んだわけですが、
その戦略はチェリムという可愛いポケモンを使った完全に独自かつ結構無理のあるものでした。
いわゆる正攻法というか、王道の戦略を敢えて採らなかったわけです。
確か1戦目は味方がフォローするどころか足を引っ張るようなことをしたので
かろうじて味方のせいにすることができて事なきを得たのですが、
2戦目でも結局同じように戦略が破綻して格下だと思っていたクラスメイトに散々煽られ敗北するという、
たぶん現時点から遡っても一番と言っていいほどプライドを傷つけられる経験をしました。
そもそもこれがきっかけになって「こだわり」がさらに強くなったという見方もできますが、
この時点でマイナー構成を使っていた辺り、
すでに免罪符としてのこだわりはこの勝負にも反映されていたのではないかと思っています。
つまり、免罪符として使うこだわりはもっと昔、幼少の頃から備わっていた悪癖とも言えます。
おそらくですが、長男坊で年下と遊ぶことが圧倒的に多かったこともあり、
その年齢差から勝負事になれば基本的には勝つのが当たり前で負け慣れていなかったのが原因かなと。
とにかく是が非でも負けたくない。
そのためには強くならねばならないわけですが、
言い訳の余地があれば負けても心理的ダメージを大きく緩和できると気づいてしまったのでしょう。
真剣に挑むことはリスクを背負うことでしかなかったわけです。
結局、この考え方が自分の後人生に影を落としているような気がしてなりません。
負け組人生を歩むことになった根本原因と言っても過言ではないかもしれない。
でも……だからと言ってどうしようもなかったことではありますけどね。
思春期はプライドが高いのが当たり前で、高校時代まではそれで仕方なかったのかもしれない。
ただその後、このことに気づくまでが遅すぎたとは思います。
せめて社会人3年目までに気づきたかったですね……。