犯人探しをしない組織
いまの現場は原則テレワークですが、去年末と今年初頭で立て続けに出社が必要な仕事に関わり、
必然的にそこで同僚とコミュニケーションを取る機会が増えています。
半年にしてようやく初めて同僚と話した気分です。
同僚(所属会社が同じ人たち)は一回り年下が多いのですが、
ここ最近のコミュニケーションでその人たちの中にある共通する価値観を見出しています。
それは、「徹底して人を非難しない」ということ。
ああこれが令和時代の新しい道徳なんだな、となんだか新鮮な気持ちです。
年末のプロジェクトも今回のプロジェクトも、要所要所である1人のミスがありました。
そのミスによって明らかに仕事に支障が出たわけですが、
現場に居合わせた人たちは誰一人そのミスについての追求をしないんですよね。
本人が笑いながら「すみませんねー」と流しているのを見るに常習的に行われていると思われるのですが、
まあだからこそなのか、誰もその人を責めない。
あと自分もイレギュラーに遭遇して多少のミスを犯したことがあったのですが、
それもやはり責められない。他の人についても同様です。
誰かのミスで迷惑を被ったならその人を責めたくなるのは人の性だと思います。
昭和時代の老害が牛耳っていた地方時代のブラック会社では、
仕事における失敗は徹底的に犯人探しをするのが常でした。
反省会と銘打ったミーティングはまるで被告だけ弁護人のいない裁判。
さらにミスした人がたまたま社長がなんとなく気に食わないと思った人だったりすると、
あたかも「ミスを犯した社員はいじめてもよい」という暗黙の了解があるかのように、
何かにつけて会社ぐるみ(社長+古参)でその人を責めるということがよくありました。
だからあの会社では、一度ミスした人はしばらくミスが連鎖的に続くということがよくあり、
たいていそこで本人は精神を病んで辞めていきました。
それは若い社員のみならず、勤続20年以上の大ベテランですら例外ではありませんでした。
一方的な犯人探しが決してポジティブな結果をもたらさないことを、
いまの時代に社会人デビューした人はその厳しいコンプラの中で当然理解しているのでしょう。
ちょっとしたことで〇〇ハラとレッテルを貼られて先制攻撃した方が責められるような世の中では、
他人を非難することに対して慎重になるのも無理はありません。
そうして安易な犯人探しをしないということを当たり前に実践しているのを見て、
「さすがにこのミスをした人はミーティングで吊し上げられるだろうな」
とさも当然のように思っていた自分が恥ずかしくなりました。
ただ、ミスを人前で責めないのは正しいと思いますが、
だからと言って再発防止にならないような放置を続けるのも考えものです。
今回2つのプロジェクトで仕事に支障をきたすミスをしたのは同一人物であり、
上述の通りおそらく常習的にそういうミスをして炎上の原因を作っているように思われます。
それならどこかでテコ入れをしなければならないのは事実だと思うのですが、
誰も嫌われ役をやりたくないのか放置されているという現状があり、
これもこれであまり良いことだとは思いません。
しかもこういうことは時間が積もるほど解決を困難にします。
まぁ、次に同じ人が迷惑をかけているのを発見したら老害の自分がアクションを起こすのもアリかなと。
いちおう現時点で上司にもそれとなく伝えてはいるのですが、
あまり上司も部下を責めるのが得意ではない様子なのが困ったところです。
かといって新参者の自分が直に何かを言ったところで立場上意味が無いしなあ……。
いまの現場は表面上はきわめて人間関係が保ちやすく良い環境のように見えますが、
その実、悪い部分の補修ができず放置されている側面があるように思います。
上司が放任主義すぎてグループのガバナンスが機能していない感が……。
でも、かと言ってその辺をカッチリした組織運営が令和時代の社会人に受け入れられるかというと微妙で、
なんとも難しいところではあります。