根性論に対する不信
改善したいと思っているのに何度やってもなかなか改善しないような習慣は、どう立ち向かうのが正解なのか?
最近の自分は、行動を合理的に考え直すことでこれに対する答えを少しずつ見出しつつあります。
それが合っているのかは分かりませんが。
たとえば自分は割と最近まで、朝の支度でバタバタしがちでした。
いざ出ようとしたら直前で鍵が見つからない、勤務先に着いたら何か忘れていることに気づくなど。
一見するともう10分だけ早く起きることができれば改善しそうなものですが、
睡眠欲その他の事情でそれもなかなか難しく、最終的には根性論になりがちです。
この「突き詰めると根性で解決するしかない」というのはもうアプローチそのものが誤っているんだろうなと。
結局朝の支度問題は前日に準備できるだけ準備することを徹底することですんなり改善しました。
これならなんら無理する必要はありません。
なんというか、年齢が上がるにつれ根性論への不信が募ってきているように感じます。
単純にもっと若いころよりも非合理的な行動で生まれるストレスに耐えられなくなっている感じはする。
しかも技術進歩によって合理的な処理を素人でもやりやすくなっているため、
ますます根性論でどうにかしようというのは愚策のように思える。
たとえばかつてこのブログはアーカイブを1本ずつコピペでテキストファイルに保存していましたが、
もうそんな作業は1分たりともやりたくありません。
テキストファイル化する必要性が生じたとしたらスクリプトを組んで自動処理するでしょう。
昔の自分は「習慣だから」という言い訳を盾にして非合理な行動を続け、
それによってまるで自傷行為かのように心理的負荷を受け続けてきたような節があります。アホですね。
月初のイラスト制作、アクセス数統計、年末計画、アニバーサリー計画などなど……。
そのほとんどは続けるための合理的理由が見出せないので廃止されましたが、
「締め切りありきのプロジェクト」そのものはいまも向き合わざるを得ないことがあるし、
なによりもブログという若者時代に生み出した最後の習慣がいまだ根強く残っています。
これはいちおう「続けるための理由がある」という結論に至っているという認識なのですが、
しかしそれにしてはいまだに根性論で書き続けている側面が否めず、しかも長年改善できていないという。
さすがにこれを「自傷行為」とは思っていませんが、いい加減苦しみながら続けるのはやめたいなと。
せめて無理なく続けるための環境を作り出すことはできないだろうか……。
20周年計画はそれに対する答えを出す機会になればと思っていましたが、
そうそう簡単に答えは出せそうにありません。