約束された黒歴史
アニバーサリーまでの目標としていた「2023年元日以降の全記事整理」が完了しました。
目視でしかできない細かなコンプラチェックはまだなので非公開化措置を取る記事が出てくるかもしれませんが、
基本的にこれで公開運営に戻るための最低条件はクリアしたという認識です。
なお、2022年以前については結構ガッツリとコンプラチェックしないといけないと思われるため、
20周年後に整備するつもりではありますが再公開は基本的に期待しないでねというスタンスです。
まぁ、そもそもサーバーにアップするのも「ほぼ自分用」という認識ですが。
唯一の読者だった高校時代のクラスメイトとも絶縁してしまったし、不特定多数に読んでほしいわけでもないし。
ただ、それはそれとして過去記事を読み込む必要性は感じています。
ここ数年、特にブログ非公開化を決断した2023年05月以降は自分にとってかなり激動の期間でした。
いままでずっとブログという固定化された視座からしか見ていなかった世界を、
ついに別の角度から見ることに成功した……と言うべきか。
ブログ継続問題と向き合う過程で
変えられないことに原因を求める議論に意味は無いと考えるようになったこと(#07491 / 2024年06月20日)、
自分の無能さをとことん受け入れて客観視するようになったことなど(#07508 / 2024年07月07日)、
全体的にいままでよりも感情や欲求から一歩引いて自分を顧みるようになったという印象です。
その結果、いままでの考えをより有意義に批判できるようになった実感があります。
これは視点が変わっただけで昔の自分も間違っていない可能性は多分にありますが、
まあ概ねこの思考変化がいろいろな活動にプラスな作用をもたらしているという点では進歩と言えるでしょう。
そういう意味で、この激動の非公開運営期間で自分は殻を一つ破ったのかもしれないと思っています。
であれば、昔の記事は格好の批判材料なんですよね。
ぜひ昔の自分がどんなに非合理なことを考えていたか知りたい。
それに、昔の信念らしきものをいまの視座から考え直すことで新たな気づきがあるかもしれません。
そういう意味で古い記事を読み込むニーズがあるのは確か。
ぜひとも2022年以前の記事整備も、時間はかかるかもしれませんが進めていきたいところです。
人の考えはどんどん移ろうもので、いずれ古くなり否定される日が来るであろうことを考えると、
ブログとして公開される記事は約束された黒歴史と言ってもいいのかもしれません。
それを公開するというのはやはり勇気が要ることだと思います。
ただ、だからこそそれ自体が「いまの価値観」を切り取ったものとして意味があることもまた確かです。
「途中経過」は得てして忘れてしまいがちですが、都度明文化していればすべて残すことができ、
これこそがブログの意義とも言えるでしょう。
いまの自分が何を正しいと思って生きているのか。
それはもしかしたら将来の自分や通りすがりの他者に否定されるものなのかもしれませんが、
だからと言って引き下がっていては何も始まらないのもまた事実です。
2021年当時見出したブログの究極的な目標として
全時代の価値主張を集約したときに残るものを知りたいというものがあります(#06271 / 2021年02月17日)。
普遍的な教訓というものは探せばたくさん見つかると思います。
4代目以降の時代はそういう掘り下げも含めて「ただ書くだけ」以上の何かをしたいなとつくづく思います。
ただ書くだけではまたいずれ限界が来るでしょうしね……。