なぜゲームを素直に楽しめないのか
「なぜゲームを素直に楽しめなくなったのか」
という問題は近年の自分にとってかなり深刻な悩みであり、なるべく早く解決を見たい問題です。
例の元同僚とのゲーム会は06月から『Minecraft』(2回目)、
その後は『モンスターハンター:ワールド』をやるという話になったのですが、いずれも長続きしませんでした。
マイクラは最初期こそ実家帰省中ということもあり自分の方がかなり熱心にプレイしていましたが、
翌週になってサーバーに同僚が合流すると勢いは早くも落ち、
翌々週くらいに同僚が最高効率のトラップタワーを完成させた辺りで自分はもうモチベは完全に枯渇しました。
モンハンに至っては最初からキャリーされる前提のつたないモチベでしたが、すぐにそれも尽きてしまいました。
基本的に超ゲーマーの同僚とはもう温度差が広がりすぎていて、
5年目を迎えたゲーム会もさすがに末期感があります。
こうした状況は、2020〜2022年ごろにゲームプレイ衰退の原因として考えていた
「一緒に遊ぶ相手がいないから」という理由だけでは説明できません。
一緒に遊ぶ相手がいるだけで無条件にゲームが楽しくなるというわけではないということです。
とはいえそれは競争原理を肯定するもので、結局承認欲求がすべてという価値観に立ち戻ってきてしまいます。
そうなると究極的には「自分が認められ得ないゲームプレイに意味はない」ことになってしまう。
基本的にPvP系のゲームはもう熱中するのは相当難しいのではないかと思っています。
もうゲームをすること自体低空飛行を続けて久しい自分は世間的にもゲームが下手な部類だろうし、
いくらでも自分より上手い人がいる対人戦で上にあがっていけるとは思えません。
しかも負けたときの屈辱を乗り越えないといけないとなると、あまりにもコスパが悪すぎる。
ある意味ゲーマーとしての自信をすっかり失ってしまった自分にとって、
最後の希望とも言えるのがソロプレイゲームです。
これならゲームが自分を一方的に褒める(ゲーム内報酬が発生する)だけなのでわかりやすい。
誰かに認められたいからやるのではなく自分がやりたいからやるという原点に立ち返るためにも、
あえて孤独に身を潜めてプレイするスタイルはまだ希望があります。
『原神』はそういう意味ではMMOやPvPモードのあるゲームだったらもう触っていなかったでしょう。
自己満足と割り切っているからこそ、ここまでゲーマーとして落ちぶれてもなお続けていられる。
ただ、そうと分かっていてもやはり特別な地位でありたいという未練はあります。
原神界隈でオンリーワンな活動ができないかどうか、ということをついつい考えてしまう。
これは根源的には愛され不足から来ているのでしょうが、
初代ブログから脈々と続くネット活動のそもそもの動機でもあります。
しかしそもそも心の底からゲームを好きでないと、そのオンリーワンな活動を継続することもかなわないわけで。
根本的に意欲不足を感じているいま、それができるかと言われると甚だ怪しいです。
まあ『原神』は自己満足なのでいいですがゲーム会の方は他者も関わっている以上より深刻な問題で、
このままだと破綻しかねないのでどこかで真剣に向き合う必要はありそう。