直線的な目標設定の否定
自分はここ最近(特にChatGPT登場以降)、
web制作におけるプログラミングをやや軽視しているような姿勢がありました。
つまりweb制作で大事なのは「何を作るか」であってプログラミングそのものの知識ではない。
プログラミングそのものを好きでも、「何を作るか」が明確でないならそのスキルは役に立たないわけです。
なので、どちらかといえば「何を作るか」の方が本質的であり、
プログラミングはそこへ行くための手段でしかないと。
手段と目的を混同してはならないというのは、まあその通りだと思います。
しかし最近改めて実感するのは、
その道のりもやはりプログラミング自体にもある程度の興味がないと進めないということ。
プログラミングそのものが好きであることも、それはそれで重要だということです。
自分の場合、プログラミングをしていて「こんなこともできるんだ!」というような発見や好奇心が
開発モチベ全体を支えているような節があるのではないかと最近考えています。
そういう意味ではフレームワーク選定はものすごい大事なことなのかもしれません。
去年からはChatGPTがある程度コーディングの肩代わりをしてくれるようになりました。
これ自体は開発環境の大いなる進歩と捉えていて、いまはプロンプトエンジニアとしても歩み始めた段階です。
しかしChatGPTに全部お任せですべてが順調に行くのかというと、決してそういうこともない。
自分の直近の作業では、ChatGPT以前から改修を続けてきた部分でReactの機能を使うと大幅に合理化できることを知り、
それでちょっとモチベが上がるというようなことがありました。
これは教えてくれたのはChatGPTで書いたのは自分です。こういう二人三脚方針だとモチベも生まれやすい。
あくまで自分が主体で進めているからでしょうか。
一方、最近だと不定期開催している「ダンドリバトル大会」の戦績表はほとんどChatGPTに書いてもらったし、
4代目ブログのフロントエンドも同様です。
これらは締切ありきだったため爆速で完成させたものの、メンテナンス性が非常に悪いという共通点があります。
自分で書いたコードではないのでそもそも改修したいというモチベが出てこない。
これはChatGPTに限らないことですが、他人のコードはあんまり読みたくないものです。
当然、そんな段階で手をこまねいているような状況で新発想など生まれるわけもない。
要するにLLMありきというのはプログラミング作業に対して多少雑に対応しているようなもので、
そんな姿勢で長年やっていけるのかと言われると甚だ疑問です。
プロンプトエンジニアリングはあくまでも補助的なものだということは戒めていくべきかと。
最近思うのは、目標を設定したらあとはそこに向かって走るだけでは人間なかなか行動できなくて、
結局その途中経過を楽しめるかどうかが肝要なのではないかということです。
ゲームでこのスコアを出すことを目標にしたいと思いその妥当性をしっかり吟味したとしても、
結局そのゲーム自体が好きでなければ達成は困難でしょう。
これはゲームにかぎらずいろいろなタスク管理にも言えるのではないでしょうか。
ある意味では「直線的な目標設定の否定」とも言えるこの仮説は、これからの人生で検証していくことになると思います。
ただ、少なくともweb制作に関してはわりと当てはまるのではないかなと。