Chrononglyph

#8229

内省のダンジョン

個人のその場の考えが「点」のようなものだとしたら、
その人の複数の経験やアイデアに基づく考えは「線」のようなものなのではないかと思っています。
ある時点の自分が「これってこういうことなんじゃなかろうか」と思ったとする。
そして後日、その主張をさらにサポートするような他人の考えや経験やアイデアと巡り合ったとき、
「やっぱりこの考えは間違いないんだな」と思い、自分にとってそれはより価値のある主張になっていきます。
個人の単発の考えそれ自体はちょっとした思いつきでしかないかもしれないとしても、
それが過去や未来の自分の考え、さまざまな他人の考えと結びついてチカラを得ていくわけです。


個人ブログは、記録しなければ忘れてしまう「過去の考え」を集積できるというメリットがあり、
単独記事が「点」だとしたら、それを過去記事と繋ぎ合わせて「線」を作れるというポテンシャルがあります。
数年前、あるいは十数年前の自分の考えといまなお共鳴する部分があるとしたら、
それは自分に深く根ざしている考え方だと言えるでしょう。
個人ブログはそうした「自分全体に通底する何か」を求めて内省のダンジョンを歩き回るようなところがあり、
それ自体はあらゆる他人にも(AIにも)真似できない有意義な営みだと思っています。


ただ、折に触れて戒めておきたいのは、「点」が「線」になったからといって、常に正しいとは限らないということです。
点と点の結びつきは論理的な正しさによって確かめられる部分ですが、ここが妥当だとは限りません。
個人で完結する考えはどうしても結論ありきのご都合主義に陥りやすい欠点があり、
「点」の主張を正当化したいがために都合の良い他の「点」を持ってきて、
「やっぱりこれはそうなんだ」と短絡的に考えてしまうことがよくあります。
論理的正しさを検証するのが面倒くさい、せっかく見つけた「線」を否定したくない等さまざまな事情があります。
これは誰でもやるようなごく短期の思索はもちろん、ブログのように10年以上単位で整理された記憶についても言えます。
そしてこれの問題は、線がたくさん繋がってくればくるほど軌道修正が難しいということです。
軌道修正するということは、要するにこれまで積み上げてきた主張の相当部分を否定・撤回するということ。
基本的には何かを主張するときはそのことも百も承知で論理を組み立てるので、
現時点で自分の考えが及ばないがありうるような考えについて予防線を張ったり、主張を弱めたりするわけですが、
「さすがにこれは間違いないだろう」と思っている強い主張ほど後に退けなくなりやすいです。
特にブログは机上論で語ってしまいがちなので、
いざそれに関することを経験してみると意見を180度変えざるを得なくなった、ということはよくあります。


こういうことを都度意識して「ブログ全体(=自分の思想)の方向性は間違っていないか?」
と点検することはかなり重要な営みだと思っています。
これを怠ると、客観的に見て思想強めで排他的・保守的な人間にならざるをえないのではないかと。
まあ、厳密にはこれはブログ全体で一本の線ではなく、思想・テーマごとにそれぞれで方向性が異なっています。
テーマによっては、自分もかなり歪んでしまっていると認めざるを得ない思想もあると自覚しています。
やはり自力で矯正する手段としての論理的思考力は
ブログを書く人にとってはかなり重要なのではないかと改めて思う次第です。



同じタグを含む記事(論理思考の問題
#8229内省のダンジョン』(2026/06/27
論理思考の問題今日の出来事
前後の記事