世代間の薄い壁
昔は下の世代の文化を殊更に否定するというのは老害化の初期症状なのかと思っていました。
しかし最近はむしろ、それは客観的・俯瞰的な思考ができていないという、
まあ有体に言えば単に「バカだから」なのではないかと思うようになってきています。
なぜなら、自分自身昔は下の世代の文化を否定しがちでしたが、
歳を取るにつれて下世代の文化も受容できるようになってきているからです。
結局、下世代の文化を否定するということは裏を返せば自分たちの文化を否定されたくない、
というような否定への恐れがあるからなのではないでしょうか。
そうでなければ、わざわざ下世代を否定する理由がありません。
ただ、とはいえ一方で積極的に肯定してやる必要性もないわけです。
例えば、いろんな年齢層の人がいる中で下の世代の文化を否定するような発言をすることは、
単に空気が読めていないバカということになりますが、
自分一人しかいない中で文化を否定する行為(NGする等)は誰にも迷惑がかからないし、
むしろそれは受容する文化の取捨選択として正当化してもいいのではないでしょうか。
公共の場でわざわざ否定するのは愚かだけど、
プライベートで肯定してやる義理は無いということですね。
そんな暇があるなら、自分が本当に好きな文化に触れている方が有意義です。
ただ、AI時代の昨今、自分が目にする文化というのは自分ではなくAIが決めるものです。
昔では考えられませんでしたが、YouTubeのトップ画面、GoogleのDiscover、
Twitterのタイムラインなどはもう完全にAIが取捨選択していて、
その意味ではAIはすでに日常生活にかなり侵食してきています。
そして、現時点ではAIは自分の好みを完全に把握するほどの精度には至っていないので、
どうしても自分が知らない異文化のコンテンツが表示されたりもします。
その過程で、必然的に下の世代(あるいは上の世代)の文化も目の前に提示されるわけです。
そこで受容できればそれでもいいし、受容しないでも誰に責められるわけでもありません。
なので自分はAIのキュレーションに沿って、自分なりに主体的に取捨選択してきました。
ただ、どうもAIはその取捨選択を学習していない節があるんですよね。特にYouTube。
ひとつどうしても受容できない文化があって、
自分はそのコンテンツを発見次第チャンネルそのものか動画単体でNG登録しているのですが、
AIはとにかくしつこくそのコンテンツを表示してきます。
NGにする行為が強化学習に使われていないのか、
コンテンツ同士の関連性が結びついていないのか、原因はわかりません。
そのコンテンツがちょい下の世代を象徴する大きなコンテンツなので、
あまりにもコンテンツ量が多すぎてどうしてもいくつかは選出されてしまうのかもしれません。
まあ、確かにあれをまったく知らずにYouTube(のゲーム界隈)を徘徊するのも難しい気がする。
それが何なのかをここに書いてしまうと、
先述の「異文化を公共の場で否定するのはバカである」という主張に引っかかってしまいますが、
まあ自分はバカだと思うので書くと、その受容できない文化というのは「ゆっくり実況」です。
SofTalkという棒読みの合成音声で『東方Project』のキャラクターを喋らせるアレですね。
平成初期生まれ世代なら誰でも知っている巨大コンテンツですが、
自分はまずSofTalkが生理的に受け付けず、また東方も嫌いなので二重の意味でキツいです。
ただ、下の世代には広く普及してしまっているのでとにかく数が多い……。
まあ、下の世代とこれらの話をする機会もそうそう無いと思うので、
自分はこれらが嫌いであることを他人に話すこともなく、ただ淡々とNGしまくると思います。
そうしているうちに10年くらい経ったらある日受容できているようになっているかも。
思えば、動画サイト黎明期は「ゲーム実況」という文化さえ自分は受容できなかったですからね。
そういう意味では、やはり昔の自分は非常に視野が狭い価値観を持っていたと思うし、
その精神はいまだに捨てきれていないのだと思います。それが善いか悪いかはさておき。