コンプライアンスによる束縛
ブログはもうダメだ、いやもう少し粘ってみよう、といった崖っぷちを彷徨っている昨今。
ブログの衰退にもいろいろな理由があると思いますが、
その中でもやはり否定できないのが、実生活の非充実です。
要するに、日々が充実していないから書くことが無いというわけですね。
これはもう、承認欲求を満たすとかそれ以前の問題であり、日記系ブロガーとしては致命的です。
やはりブログを書く以上は話題になるものを日々探求し、拾い集めていく必要はある。
ただ、じゃあそれをいままでちゃんと意識的にやってきたかというとそうでもない。
これまでブログを続けてきた中でも必ずしも充実していたとは言えない日も多くあったはずです。
もしかすると、現状はそういう日よりはまだマシだと言えるかもしれない。
にも関わらずブログを書くという習慣が遠ざかっているのはなぜなのだろうか。
まあ、単純にもうブログに飽きたというのもありますが……。
やはり2020年以降、コンプライアンスを意識せざるを得なくなってしまった関係で、
下手な記事は書けない、無難で平易な文章しか書けないという制約により、
話題があっても書けないケースが圧倒的に増えたのがこのブログ衰退の根本原因だと思っています。
と書くと2020年秋の炎上事件で絡んできたあの人に対する責任転嫁とも取られかねないのですが、
まあそれはある意味で事実かなと。
あの件で自分は自意識過剰と言われようとも、コンプライアンスを意識せざるを得なくなった。
より有り体に言えば、他者批判的なことを書けなくなった。
それは反省によって書かなくなったというより、
2020年以降人との距離感を意識するようになって他人を批判的に捉えることが無くなったため、
そもそも他者批判を書く必要性が無くなったというのもあります。
確かに自分はここ2年で他人に嫉妬したり、怒りを覚えることが激減しました。
ある意味では成長したとも言えますが、
別の意味では他者との関わりがより希薄になったとも言えます。
それが良かったのかどうかはわかりませんが、
従来におけるブログの「人間関係に関する悩み事の掃き溜め」としての役割が失われた結果、
ブログが綺麗になりすぎて書く内容に強い制限が加わったような感覚に陥ったのは確かです。
良くも悪くも無難な記事しか書けなくなった。
何かもっとセンシティブな話題を書く気力があれば、
それ自体がストレス解消になるのでブログを続けようというモチベにもなるのかもしれません。
そういうわけで、この瀬戸際のブログをどうにか立て直す可能性があるとしたら、
それは良くも悪くもブログを汚くすることなのかもしれないなあと思う昨今です。