思春期から続くエンドレスな活動
20年前の今日、初代ブログの開設をもって自分のネット活動が本格化しました。
初代ブログに関する思い出は同じ節目の日に何度も何度も書いてさすがにこれ以上ネタが無いので、
今回は「20年続けること」の是非について考えてみたいと思います。
1つのことを20年間続けるというのは、もちろん並大抵のことではありません。
しかも自分の場合、14歳からスタートしているため思春期のうちかなりの範囲をカバーしています。
だからこそ20年続けられているんだろうなという気はします。
これは聞きかじりの知識と経験則による教訓ですが、
人は良くも悪くも思春期から継続している活動はいつまでも続きやすいし、
思春期にやりたくてできなかったことは大人になってからいつまでも未練がましく追い求めやすいと思います。
自分もこの傾向は当てはまると思っているし、
大人になってから始めて知った文化はなかなか長続きしない一方で、
思春期以前から馴染みのある文化はいまだ強く生活に根付いています。
この「いつまでも」というのがどのくらいの期間を指すのか、自分はいままで真剣に考えたことがありませんでした。
ネット文化が数年周期で匿名掲示板、ブログ、SNS、動画と移行してきた経緯を考えると、
数年、長くても十数年単位で流行り廃りのサイクルがあるのだとなんとなく考えてきました。
ところが、ある程度定着した文化は世間の流行り廃りとは関係なくどこどこまでも続いていく。
このブログもそのひとつです。
世間から見た「ブログ」という文化自体は2005年の流行語大賞ノミネートをピークにずっと下り坂を走っているし、
アフィリエイト目的で考えても、もうオワコンと言わざるを得ません。
しかし、個人の活動はそういった世間の動向などとはまったく無関係に続いていく。
なんなら本人の意思とは別に、続けざるを得ないようなところさえあると思っています。
それだけ思春期から続けている活動というのは個人に深く根ざしている。
「いつまでも」というのがどのくらいの期間を指すのか……
それに対して現時点の答えを見出すとしたら、それは「物理的に活動できなくなるまで」なのではないかと思います。
今年05月に非公開化に踏み切ってもなお執筆自体は継続していることによって、
自分にとってブログはもはやインターネットに繋がなくても継続できることが分かってしまいました。
オフラインでいいのであれば究極的にはパソコン1台あれば物理的に活動し続けることはできるため、
あとはもう体力的に衰えるまでずっと続けていくことになるのではないかと思います。
それが幸運なことなのか不幸なことなのかは分かりません。
強制的に続けられなくなるような障壁があったらブログ以外の活動に注力できていたかもしれないし、
そっちの方がより成功できていた可能性はあると思います。
このブログは社会的成功を諦めているという点では生産的な活動とは言い難く、
これだけでは自分の人生は満たされないという重大な課題を抱えています。
しかし、そこまで分かっていても今更やめることはできない。
まあ、普通に考えてブログを捨てたところで社会人になってから始めた活動がうまくいく保証がないので、
軽率にやめないのは合理的だとは思いますが。
そういうわけで、20周年というのはとんでもなく長い活動期間のように思えますが、
実際にはそれはエンドレスに続いていく運命であり、人生全体からすると20年は通過点でしかないのだと思います。
ブランドやIPの生誕20周年とはわけが違うということですね。