こだわりを否定するようになった
2023年に大きく変化した心構えのひとつに、「こだわりをもたなくなった」というのがあります。
思春期から近年までは「記念すべき〇〇」みたいなこだわりを見出して、
それの実現可能性としっかり向き合っていなかった傾向があると思っていて、
それが今年に入ってかなり緩和された実感があるということです。
一番多いのはブログでも何度か言及しているように「日付への執着」ですね。
この日はキリが良いからこの日までの完成を目指そうとか、
アニバーサリーなどの記念日には何かしらの成果を出したいとか。
それ自体は立派なことなので非合理性を疑うのにものすごい時間がかかりましたが、
昨今はようやくそれが非合理的であることも受け入れるれるようになってきたと思います。
そして、最近これに付随してもうひとつ自分を客観視できるという点で良い変化に気付きました。
それは「最初のインスピレーションに対する客観的評価」ができるようになったということ。
人間にはいろいろなステータスがありますが、自分は「発想力」を結構重く見ています。
これは何も無根拠に(それこそ「こだわり」で)そう思っているだけではなくて、
実際にweb制作などの作業や趣味を遂行するに当たって必要とする場面が多いからです。
これまでもさまざまな発想に基づいて行動計画を立ててきたという意味では、
発想力とは自分の根源のようなものと言えるかもしれません。
「着想メモ」でそれを記録する営みを長年続けてきたことも重視している表れだと思います。
しかし、発想力をかなり重視しているからこそ、
そのアイデアが妥当なのか否かをチェックする習慣が根付かなかったのも事実だと思います。
結構最近までの自分は、なにかを閃いたら基本的にそれをそのままタスクとして管理していました。
良い閃きは行動に移さなければ意味が無いので、タスクとして管理する意義はもちろんあります。
しかしこれも先述のこだわりと同じで、
それ自体が本当に実行するものとして妥当かどうかはその時点ではまだ分からない。
現行よりは絶対改善するように感じられるアイデアが多いので疑うのもなかなか難しいのですが、
閃いた時点で知らなかったことで実現が難しかったりすることも多々あるわけです。
にもかかわらず、アイデアをそのままタスクとして管理すると挫折の連続になってしまう。
2019年ごろの自分が悩んでいた
「『やりたい』がいつの間にか『やらなければならない』になっている」というのも、
実はこの辺のアイデアからタスクへの横流しに根本的な問題があるような気がしてなりません。
アイデアをアウトプットするのは大事なのでそれはそれで取っておく意味はあります。
しかし、そこからタスク(やること)に昇華するなら、
本当に実現する価値があるのかどうかをしっかり吟味しなければならない。
そういうプロセスが自分には不足しているのだと改めて思いました。
だからタスクも何もかも山積みになって精神的負荷だけが高まっていくんじゃないかと。
こういう考えに基づいて、アイデアとタスクの管理方法もさらに磨いていく必要がありそうです。
この閃き自体、果たしてタスクにする価値があるのかどうかはさておき。