お金が要らない人の就職必要性
なぜ仕事をするのかについては最初の会社を辞めるときから度々考えていますが、
自分の中ですっぽりと腑に落ちるような結論にはまだ辿り着いていません。
2019年時点では「仕事をしたいから仕事をする」というのが結論のような気がしていましたが、
当時の夢を叶えて上京しwebエンジニアになったいま、
仕事にそこまでの魅力を感じているかというとそうでもありません。
「無給でもやるのか」と言われたらやっぱりやらないと思います。
つまり、お金のためにやっているという側面を否定することはできていません。
まあ、それはそれで当たり前のことだとは思いますが。
じゃあ、仕事とはお金のためにやることなのか。これは当然「YES」が答えとなります。
それでは、お金に困っていなかったら仕事をする必要は無いのか。
これは意外と難しい問題です。
社会的地位を捨ててある意味後ろめたい存在になる代わりに、圧倒的な時間を得ることができる。
この時代、お金をかけなくても時間さえあればできることは無数にあります。
仕事をしている人よりも無職の方が精力的に活動しているケースもザラにあるでしょう。
その意味で、仕事とは活動という枠組みの一形態でしかないという見方もありえます。
「後ろめたい存在」と軽率なことを書きましたが、
働かなくても生活が満たされていて、生涯独身を受け入れていて、実家が裕福で、
かつ両親が死んで年金が打ち止めになってからも遺産で十分食っていけるのであれば、
それはもう他人が「働け」というのはむしろ野暮だと思います。
ただ、この社会でおそらくそういうケースはかなりまれなのではないかと思っていますが。
5ちゃんねるなどの匿名コミュニティにいる自称底辺がよく言っているのが、
「親が死んだら生活の見通しは立たなくなるが、
そうしたら自殺するか生活保護を受給するから別にいい」
というような主張です。
将来生活保護制度がまともに存続しているのかどうかはさておき、
こういう意見は本質的には問題の先送りをしているにすぎないわけですが、
一方で「無収入でも満足しているので働く意味が無い」という宣言にも聞こえます。
事実お金が無くても生活できているのでこれは「働かざるをえない状態」ではありません。
しかしだからといって仕事をしない方が本人にとって良いのかと言われると、それも違う気がする。
本人が知らない範疇を含めれば、間違いなく安定収入のある生活の方が豊かになる可能性は高いはず。
もちろん、それと対価に差し出す「労働力」「時間」によって生活が壊れる可能性もあるわけで、
往々にして生活保護を希望するような人は
能力的な問題で最低限の仕事さえできないことを自覚しているからこそ、
あえてショーウィンドウの向こう側を見ないようにしている部分もあると思います。
そういう人にまだ知らない裕福な生活を教えるのは残酷なのかもしれません。
ただ、もし健康で体力もあって働けるのであれば、それはやっぱり働いた方がいいのかなと。
世間体とかそういうことをベースに考えるといろいろややこしくなるこの問題ですが、
なんだかんだで適正の仕事に就くというのはコスパが良いと思います。
少なくとも向いていないのにYouTuberになったりポイ活に精を出すよりはマシでしょう。
だから働くのも世間体とか抜きにして、1年働いたらドライブ旅行用のクルマを買いたいとか、
冬ボナでめちゃくちゃ高級なヘッドホンを買いたいとか、そういう動機でいいと思うんです。
預貯金が十分あるのとそうではないのでは、思っている以上に生活の質が変わってくると思います。
ただただ基本無料コンテンツを漁る日々は本人にとっては毎日新鮮かもしれませんが、
お金を出して何かを手に入れる充足感にはかなわないのではないかと思います。
これはすでに働いている社会人も同じで、
生活できているからこれ以上は要らない、ではなく昇給はどんどん求めていっていいと思います。
そうしたら絶対に生活の質は上がるわけですから。
社会人がそうやって欲望に正直になってこそ経済も健全に回るというものです。
なんというか、もっと欲望に正直になってもいいのではないかと思う今日この頃です。
あたかもお金を使わないことを美徳とするような価値観は間違っていると自分は思います。
その辺がうすぼんやりしているからこそ、働く意義を見出せないのかもなと。