Chrononglyph

#7900

ビジネスの話

中高生時代からそれなりの期間、
僕にとってネット活動と言えば「自分のテリトリーで好きなゲームについて発信すること」だった。
本当に無邪気に発信していたのは黎明期だけで、
通り一遍の攻略情報などのように誰もがプレイヤーに求めるような情報は
2000年代中期までは個人サイトが担っていたこともあったが、まもなく有志によるWikiが主流になり、
やがてはそれさえも企業系Wikiによって駆逐されていった。
僕はそれを個人サイトが担っていた時代でさえ、本心では競合サイトに情報の質で勝てるとは思っていなかった。
そこで、「自分が好きなゲームランキング」「ゲームレビュー」といった自分本位な情報発信にシフトしていった。
やがてゲームそのものへの熱量がある程度落ち着いていくと、日記という体のブログに専念するようになる。
そうしてこのブログは、もともとゲームの攻略等情報を取り扱うサイトから徐々に遷移してきた歴史がある。


果たして、僕は何がしたかったのだろうか?
少し前、ゲームをダシにした活動は「興味関心を承認欲求のエサに還元する愚行」として批判した(#07734 / 2025年02月18日)。
しかし、僕は本当にゲームをエサにしてまで承認欲求を満たしたかったのだろうか?
つまり、不特定多数から活動の成果について褒められ、認められ、チヤホヤされればそれで満たされていたのだろうか?
僕はそこまで承認欲求不満に陥っていたのだろうか?
これの答えは、いまは「NO」だと思っている。
僕はネット社会でなんらかの「役割」を持ちたかったのだと思う。


不特定多数の承認を求めることは、それがどちらに転ぶか分からないという点でギャンブルである。
成果が「ゼロ」になるかもしれないギャンブルに全賭けするのは心理的に困難であり、
失敗すればするほど損失を恐れて活動は萎縮していく運命にある。
一方、自分の活動に対していつもレスポンスをくれる人の存在は活動を盤石にする。
いつしか僕はそういう人との出会いを期待してネット活動に勤しんでいたような側面も否めないが、
それもまた利己的な活動を続けているかぎりは確率的に不毛である(#07800 / 2025年04月25日)。


言われてみれば当たり前のことではあるが、ネット社会も「社会」に過ぎないのだ。
つまり、ニーズがあるからこそ諸活動であるところのビジネス(取引)が成立する。
ニーズに対する考慮が甘い、いわば「自己満足」の活動は社会の役割を探す就職活動のようなものである。
2000年代前半までのネットは、ネット全体がどちらかというと発信者優位でビジネスの場ではなかったかもしれない。
しかし、2025年現在のネット社会は力関係がすっかり逆転している。
であればこそ、ここで活動を盤石にしたいならニーズを求めていくべきだろう。
少し前までの僕は、そういう観点が抜け落ちていたからこそ活動自体がジリ貧の一途を辿っていたのではないか。


ニーズがありビジネスが成立するということは、活動の結果なんらかのリワードがあるということだ。
成果を出してもリワードがもらえない(こともある)のなら、それはビジネスではない。
たとえばWikiを編集してポイントがもらえるなら、それは立派なビジネスである。
ポイントがもらえないタイプのWikiはビジネスというよりはボランティアだろう。
SNSへ投稿して「確実に」いいねがもらえるなら、それもいちおうこの意味でのビジネスと言ってよい。
活動の結果お金がもらえるなら、それはコンテンツを享受した人がコストを支払ってまで楽しみたかったものであり、
相応にニーズがあるものだと納得することができる。


一方で、見返りを当初から求めないような活動は社会において「必要とされていない」という側面を否定できない。
自己満足と割り切り、自分にしかニーズが無いような活動はモチベーションを維持できなくて当然であり、
そんな活動の泥沼に浸かっているかぎり、自分の定めたハードル以上に努力できる見込みも無い。
当然、そういう環境で活動するかぎりハードルも下がっていき活動が大きく進展することもない。
そしてそれは僕にとって従来型のネット活動の姿勢そのものであり、「行き詰まった」と感じるのも当たり前だと思う。
むしろ気づくのが遅すぎたくらいだろう。
ある意味、このブログはニーズを一切考慮しない「従来型活動」の最後の生き残りとも言える。


これから新規活動をするなら、少なくともニーズを追い求める必要があると思う。
仮に当初は見返りを得られないような活動も、長い目で見ればそれを生み出せる見通しは必要だろう。
絵描きやゲーム制作は現時点では高確率で何も得られないという点で「就職活動」のようなものだが、
最低限の独創性さえあれば、それによってニーズを得られるポテンシャルは感じる。
一方で好きなゲームのランキングだけを作るような活動は、
自己アピールに特化しておりニーズを得られる見通しが無いという点で言えば縮退する運命だったのだろう。
無論自己アピールのすべてが無意味とは言わないが、それならそれで必要なクオリティの水準というものがある。
それをも自己満足で済ませてしまう活動者が報われることは少ないだろう。
僕の黎明期から社会人突入くらいまでのネット活動が報われなかったのは努力不足も多分にあるが、
ニーズを把握し、想定するユーザーが満足するレベルまで頑張ろうという見通しを持てなかったことが大きいと思う。


利己的な活動と利他的な活動の違いは、ニーズに対して貢献しようという明確な意志があるかどうかである。
利己的な活動においてクオリティを担保するのは自尊心だけであり、それは客観的評価に晒されることもなく、
したがって社会との整合も無く、それ自体は本人が意味を見出さなければ価値は無いに等しい。
利他的な活動は、それを求める人の期待というハードルが存在する以上、一定の評価水準があり責任がある。
それは結果的に主観的に見てクオリティが相応でなくても、責任を果たしているなら社会的には価値はあると言ってよい。


社会的には、誰にも見せない数千ページの小説よりも市場に出ている一足の下駄の方が価値がある。
社会で役割を持ちたいのなら、その後者を追い求めないのは不合理と言わざるを得ない。
利己的な活動に限界を感じていた僕は、ここに来てようやく、
小学生時代にわだかまっていた「将来の夢とは、あなたがしたい『仕事』のこと」(#03700 / 2014年03月28日
という暗黙の定義に対し、自分なりに溜飲を下げることができたのである。



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