やりたい仕事をするのは理想なのか?
2019年に一定の結論を出したかのように見えた「なぜ仕事をするのか」という議題について、
最近また掘り起こす機会が増えてきたように思います。
先日(#07183 / 2023年08月17日)はお金のためにするということは否定することはできないけれども、
お金に困っていない人に仕事を勧めるのは適切なのかということを考えました。
実家にさえ住んでいて親が経済的に裕福ならば、働く必要のない若者は少なくありません。
世の中はそういう人を「自立していない」と叩きたがりますが、
究極的には自立するかどうかは本人の自由であって周囲がどうこう言う話ではないわけです。
しかし、じゃあ働かないことが絶対に正しいのかというとそういうわけでもない。
働かず実家暮らしだと必然的にできることが大きく制限されます。貯金も減る一方です。
毎月の安定収入があれば実家に住む必要もなくなりその制限を大きく越えられるようになるわけで、
誰しもその制限の向こうにこそ本当にやりたいことがある可能性は否定できないわけです。
そういう意味で、実家暮らしで無収入というのは相当に機会損失を生んでいるのではないかと。
仕事を辞めて経歴に空白ができるたびにキャリアアップの機会が失われ、
それによって加齢に収入が追いつかなくなるなど、無視できないデメリットもあります。
個人的に「貯金がある程度貯まったら無職を謳歌する」という立ち回りの最大の欠点がこれかと。
また、お金を使わないことを美徳とする価値観が身につくことで消費活動が停滞、
必然的に生活の変化が少なくなりライフステージを上げる機会にも恵まれなくなるでしょう。
要は永遠に大学生の夏休みのような生活が続き、良くも悪くもそこから脱出できないわけです。
もちろん、代わりに得られる膨大な自由時間で成し遂げられるもののメリットが、
収入増や経歴にキズをつけないことよりも明らかに大きいのであれば話は別になりますが。
自分は昔から仕事が「やりたいこと」になるのが理想だと思ってきました。
そしてそれは2019年にいちおう実現したのですが、
先日もモチベ低下が深刻化したので面談を受けにいくなど、必ずしも順風満帆ではありません。
なぜこんなことが起きてしまうのかと考えていたら解剖学者の養老孟司が面白いことを言っていました。
曰く、往々にして若者は好きなことを仕事にしたがるけれども、
好きなことを仕事にしたところでそれには必ずやりたくないことも付随してくる。
やりたくないことだけをやらないと言うことはできない。
であればいっそのこと、やらなければならないことを好きになる方が早いのではないかと。
仕事を変えるよりも自分の意識を変えてしまった方が早いと言うんですね。
そんな無茶なと思ったのですが、
確かに言われてみれば「やりたいこと」ってかなり曖昧さを含んだ概念のような気がします。
言ってしまえば単なる個人にとっての理想、妄想でしかないケースも多い気がする。
理想と現実が食い違っていたからといって文句を言うのは筋違いということなのでしょう。
それに、とりあえずやってみたら好きになったというケースも世の中には多くあります。
それがいわゆる「やり甲斐」というやつなのではないでしょうか。
一般に、雇用主がこれをクチにする職場はブラック率が高いと言われますが、
個人が仕事をやってみて能動的にやり甲斐を見出す分には問題は無いし、
みんなそうやってなんだかんだで仕事に適応しているんじゃないかなと。
ただ、現代は職業選択は個人の責任なのでそこが難しいところですね。
選択を委ねられればやっぱり誰だって理想に基づいて職種を選ぶでしょう。
実際にはそこには理想と現実のギャップがあり、それで幻滅してしまう人は多いような気がする。
そこを乗り越えられるかどうかという局面では、「やらなければならないことを好きになる」
という意識を持っているか否かでかなり変わってくるような気がします。
とにかく大事なのは、一度きりの人生で取り返しのつかないことにならないように、
いろいろな可能性を考慮することなんじゃないかと思います。
そのためにもこうやって先人の意見を聞くことが改めて大事なのではないかと思いました。
そろそろ読書習慣も復活させていきたいところですが……。