振り返った思い出 2023
今年の後半で睡眠障害を克服した辺りで、僕は精神的にもひとつ殻を破ったと思う。
それを明確に言語化するにはまだ数年かかりそうだが、なんとなく掴みかけてはいる。
それは主に2つあり、そのうちひとつを一言で言えば
行動の拠りどころが「現実の自分」か「理想の自分」かという違いだと思う。
前者によって行われることは現実の自分がやりたい、やるべきだと思っていることである。
いっぽう、後者は必ずしもそうではない。
それ自体による興味や意欲よりも、それをすることで自分が認められるかどうかの方が重要なのだ。
だから、結果的に後者の場合はそれ自体は意欲的に取り組めない場合も多い。
本末転倒というか、側から見れば意味がわからない行動もあったと思う。
それだけ昔の自分は承認欲求の悪い側面に囚われていたと思うし、
それを客観視していくばくか合理的な判断ができるようになったということが、
「殻を破った」と実感するに至る要因であると考えている。
2017年05月03日、突然ひとりで福島県の裏磐梯(猪苗代の辺り)へ出かけ、
森林浴……というよりただ散歩だけして帰ってきたことがある。
もちろん森林浴をしたかったわけではないし、裏磐梯に興味があったわけでもない。
当時は実家生活だったため外出の不自由が多く、
「どこでもいいからどこかへ行きたい」という欲求がかなり募っていたこともあるが、
当時SNSに写真をアップすることに余念が無かったことを考えると、
裏磐梯への散策をきっかけに現地人やSNSのフォロワーに構ってもらえる方をむしろ期待していたと思う。
それならせめて街コンにでも行った方が有意義だったようにも思うが、
そういう行為は「理想の自分」ならしないと当時は思ったのだろう。
このようなことは昔から多かれ少なかれあった。
ゲームを際限なく積んでしまうのもこういった悪癖によるものが多いと思っている。
買うゲームを選ぶとき、そのゲームを楽しめるかどうかではなく、
それを所有することがステータスになるかどうかで判断していたことは否めない。
殻を破ったと実感している理由はもうひとつある。
それは、自分の直感や正義をいままで以上に客観視できるようになったということだ。
僕は去年まで、自分が正しいと判断したことは基本的に正しいと思っていた節がある。
なぜなら、正しいと思うには自分が支持する道徳や法律や常識等、それなりに根拠となる要素があるからだ。
2022年初頭、当時在籍していた会社では週報という名の日記を書かされる風習があり、
それに使う社内サイトがあまりにも使いにくいともっぱらの評判だった。
そこで開発者ツールでソースを確認し、あまりにお粗末な週報システムの内部について批判したところ、
それのメンテナンス担当者である新入社員教育担当から直々に文句の電話がかかってきた。
僕は間違っていないと思っていたので、精一杯反論した。
このシステムは明らかに使いにくく、すぐにでも改善できるのだからするべきだろうと。
教育担当も口論が下手で、「だったらお前が作れ」「俺はそれに時間を割ける時間が無い」
等の論点ずらしに終始したので僕はこいつには議論に勝ったと思った。
ところがのちに社長から電話が来て、週報システムはいまはもう居ない創設時のメンバーが作ったもので、
バックエンドのコードが複雑怪奇で誰も読み解けないような状況になってしまっているそうだ。
しかも引き継ぎ資料も存在しないのでメンテできる余地がなかなか無いのだという。
だから現在の教育担当だけが一概に悪いわけではないと知って欲しいと言われた。
このクレーマーのような行為はもちろん身の程知らずで「言わなくていいことを言った」結果なのだが、
それ以上に直感的に自分の正義に反する何かにもさまざまな経緯があるものだと痛感した。
自分の直感的正義だけを基準に善悪を測れば、世の中には無数の「悪」がはびこっているように見える。
すると、悪がはびこっている社会そのものが瑣末なものに見えてくる。
しかし、それは経緯や歴史を知らないからこそ そう見えるだけなのかもしれない。
道徳や法律や常識に反しているからそれは間違っている、と言うだけなら小学生でもできる。
実際にはごく表面的にはそう見えるだけで、内実は異なっていることも多い。
口喧嘩をするときにこちらの正義だけを主張するのは、正しいように見えて実際はかなり愚かだ。
他人に対して反論したいならまずその他人を理解しなければならず、
そのプロセスを放棄して相手に勝とうというのは正義のゴリ押しでしかない。
それはむしろ「悪」なのではなかろうか。
理想と現実、正義と経緯。
上京後の社会に揉まれているうちに、この辺の関係性をある程度胸に落とし込めたという点で、
2023年は明確に成長できたとは思っている。
僕は何歳になっても初歩的な過ちを犯すバカだと思う。
でも、同時に相応に反省することができるバカでもあると信じている。