実現できない空想にも意味はある
2023年以降の自分はどちらかというと現実主義者的な考えに近いと思います。
できないことを夢見るのは愚かで、自分ができること・できないことを受け入れて、
それでもできることの中からベストを選び出すのが人生だ、というようなスタンス。
これはいままでの自分が逆に理想ありきの計画ばかりで結局行動できず有限不実行な生き方をしてきたので、
それに対する反省という意味合いも強く出ていると思います。
いまはこういう考え方がトレンドだけど、全体としてこれが常に正しいとも思えない。
とはいえ自分ができることを勘定するのは大切なことです。
確実にできることを指折り数えて、その安定的な地点からやるべきことを設定するプロセスは重要で、
こういうことを疎かにしていたらまた有限不実行で行動力皆無な自分に戻ってしまう。
ただ、「いまはできないことを思い描くこと」そのものは、
それも現実を見据えることと同じくらいもしかしたら重要なのかもしれないと思う昨今です。
いまはできない、けれども次のステージに進んだら着手したい。
そんな「夢」と思しきものを思い浮かべ、それについて思索することは純粋に楽しいし、
将来に対する希望になります。未来が明るくなるように感じる。
逆に言えば、こういう未来の目標のようなものが無いと日常が急につまらなく感じる。
感情的なことですが、こういうことは日常を支えるのに意外と重要なファクターになったりもします。
できることなら、その「いつかはやりたいこと」と目下のタスクが地続きだとより良いのかなと。
そうでなかったら誤りだと言うつもりはないですが、
長期的なスパンで見たときにやっていることが一貫している人の方がやっぱり強いと思います。
実績的な意味でも、人生を謳歌しているという意味でも。
まあでも、そうやって改めて自分の持っているタスク群を見てみると、
棚卸しで挙げるような各作業はそれぞれ長期目標の末端であり、意外と繋がっていると分かります。
ピクチャレ大会の開発しかり、ブログ移転計画しかり、
今日のタスクも全体からしてみれば重要なひとかけらのピースで決して無駄ではない。
ただ、最近は2022年以前からの反動で思い描く最終目標について考える機会が少なかった感はあります。
もしかしたらそれがモチベーションに少なからず影響していた面もあるのかもしれません。
この辺が他者承認に依存しないやる気の上げ方に関わってくるのでしょうか。
だとしたら理想を思い描くこともなかなかバカにできないのかも。