負の感情をどう消化するか
なんというかじわじわとストレスが閾値に達しつつあるという実感があるのですが、
これといって解消方法があるわけでもなく悩んでいます。
なんというか、他人のちょっとしたモラルを逸脱する行為が気になるようになってしまった。
ストレスは身体的なものと精神的なものがあるわけですが、
後者の場合は嫉妬にしろ劣等感にしろ、たいてい自己完結的に思えることでも念頭に「誰か」がいて、
すべては人間関係の悩みであるというアドラーの主張を否定できません。
人間関係の歯車が噛み合わない場合に生じるストレスは、
たとえば温泉に行くなどの身体的なストレス緩和策はあまり有効に働かないわけです。
人間関係で生じたストレスとうまく折り合いをつけていくには、やはり健全な人間関係が必須ではなかろうかと。
しかし、そもそもそれがあったらストレスで悩んでいないという矛盾があります。
もう少ししたらAIカウンセリングみたいな技術が確立してこの矛盾もテクノロジーが乗り越えそうですが、
いまのところは自力で解決しなければならない課題だと思います。
そしてこの課題の根本的な原因はなんなのかというと、自分自身の性格の歪みだと思うんですね。
自分の場合、上京前の人間関係はほぼ消滅したと言ってもいいと思っていますが、
いまのところ上京以後にできた人間関係で不可逆的にこじらせてしまったというケースはありません。
一方で自分の心のより深いところにはサディスティックな部分が少なからずあると思っていて(#07743 / 2025年02月27日)、
親密になればなるほどその闇を見せてしまう傾向にあります。
要するに、許されるならばできるだけ皮肉や中傷などを冗談混じりに言いたがる性格だということです。
これについてはまだまだ自己理解が足りておらず、
年齢的に手遅れ感はありますがいまからでも対策を見出すべき大きな課題になると思っています。
一方で結論が出ようが出るまいがいまある人間関係を維持することは目下の課題でもあるため、
結果的に「自分からそっと距離を置く」ことによって応急処置的な人間関係の維持に努めている状況です。
道徳が許すなら誰かを叩きたいという気持ちがあるということは残念ながらあります。
かつてはブログがそういった心の負の側面の掃き溜めとして機能していましたが、
20周年の4代目移転に際してブログのあり方を見つめ直す中でブログの地位が明確に向上したことや、
底辺ブログなのでやや自意識過剰気味ではあるものの、やはり昨今のネットモラルを考慮すると
掃き溜めとしての運用は望ましくないというところに行き着いており、これはいまさら下げられません。
いわゆる「裏ブログ」的なものを運用しようにも、表の運営で手一杯なので無理だと思います。
ふと思ったのは、メディアにおけるゴシップなどの報道はこうした問題の受け皿でもあるのかなと。
法人や政治家や有名人といった「自分よりも確実に価値の高い(没落してくれると正直嬉しい)他者」に対して、
不祥事や事故などにより道徳的な観点からその人を正当に叩く理由を与えられることによって、
「誰かを叩きたい」というモヤモヤを近辺の人間へ確実に迷惑をかけずに消化することができる。
より大規模な炎上であればみんなで叩いているというある種の一体感をも味わうことができるわけで、
言い方は最悪ですがこれ以上ないエンターテイメントだと思います。
そしてSNS(というよりネット)は構造的にそれとの相性が抜群です。そりゃあ炎上も無くならないよなと。
自分は2024年初頭にそういう風潮に半ば嫌気がさしてオールドメディアや各種アプリとの決別を決心したわけですが、
これがじわじわとストレス増加の要因になっていると言われると否定はできません。
とはいえ「ゴシップ叩きで誰にも迷惑かけずにストレス解消になるから積極的に匿名掲示板で誹謗中傷しよう」
というようなことを主張するつもりはありません。
この手のエンタメ(?)はやはり道徳的な問題があり、触れずに済むなら絶対にそっちの方がいい。
いまのところ、その代案として有望なのが冒頭に書いたように自分から率先して他者との距離を置くということ。
心の闇を出したくなってきたら距離感を間違えていたものと観念して少し引いてみるということですね。
いやいや逆だろうという意見もあるかもしれません。
確かに、人間関係で不満を感じるとむしろごく近い距離感でヨシヨシしてもらうのが手っ取り早いように直感します。
(行ったことないですが)いわゆるガールズバーやキャバクラなどの風俗は
そういう問題を一時的に解決するための即効性のあるサービスだと言えなくもない。
しかし、現実問題として心の闇は「誰かと繋がりたい」「誰かを否定したい」という道徳のジレンマで悩んでいるわけで、
その根本には精神が幼稚である可能性があると思っています。
本物の幼児と違い、幼児性のある大人はそもそも自立が求められている以上、
たとえばキャバ嬢のような「自分を全肯定してくれる存在」がただいるだけでは解決になりません。
まぁ、そういう人がいる場でそこにいない人の悪口を言うのがせいぜいでしょう。
それはそれである程度効果はありそうですが、「闇を曝け出す自分」も肯定されてしまうようでは更生は望めません。
なぜなら世の中の人々は自分を全肯定してくれないのが当たり前だからです。
ともすればヨシヨシされればされるほど世間とのギャップが広がり、ゆえに厭世観が強くなり、
全肯定してくれる人への依存がどんどん増していくだけではないでしょうか。
だからこそ、あえて他人との距離を取ることで心の闇を出すリスクを最小限に抑えようというわけです。
長期的な視点で改善を望むなら、いまのところ実践可能な範囲でこれが一番ローリスクで無難であるような気がする。
意識せずとも心の闇を出さないのが当たり前、というところまで精神が成熟するまでやることになりそうです。
それが可能なのかどうか、あるいはどうすれば実現できるのかといった見通しは立っていませんが……。
たぶん、恵まれた家庭なら成人した時点でその「当たり前」の地点に立っていると思うんですよね。
この辺は幼少期〜思春期の人間関係が大いに影響を与えていると思っていますが、
そこまで風呂敷を広げてしまうと話が終わらないのでそれについてはまた今度。