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#7745

キーボードの結論再び

今日の出来事キーボード

実はまだ資金の引き出しをしていなかった仮想通貨取引口座ですが、
先日のBybitハッキング被害の件から明らかに仮想通貨市場が強い売りトレンドに傾き、
うっかり便乗して5万円ほどの利益が出ました。
この5万円は完全に余剰金と言えるものなので、
せっかくだしたまには物欲に素直になろうかと思いワイヤレスキーボードの購入を検討中です。


現状、身の回りの電子製品の中でも、新調すれば一番恩恵があると思われるのがキーボードだと思っています。
会社支給のパソコンはノートPCなのですが、出社・在宅ともにガッツリ作業する場合は外部ディスプレイに繋ぎます。
その場合、ディスプレイの真正面にキーボードがあることが当然望ましいので、
ノートPCのキーボードとは別に外部接続のキーボードも欲しい。現状はそれが無いのでやや不便を強いられています。


また、コンパクトなキーボードなら、
iPadを一緒に持っていくことで会社帰りのカフェでサクッとブログを書くことも可能になります。
まあ、これはMacbookを持って行ってしまうのが手っ取り早くはあるのですが……。
Macbook+業務用端末のコンボはそれなりの重量になるのでiPadの方がスマートではある。
さらに、接続切り替えボタンがありマルチポイントに対応していれば
自宅でWindowsとMac両方で作業する際にも重宝します。
最近はWindows機を配信ターミナルとして使うようになってきているのでこれも一定のニーズがある。


そういうわけで多方面から需要のありそうなキーボードですが、
コンパクトであることを重視した場合に「60%キーボード」という選択肢があることを知り、少し調べていました。
60%キーボードとは、ざっくり言えばファンクションキーが無い超コンパクトなキーボードのこと。
ファンクションキーを使わないならこれも全然アリのような気がします。
実際、ファンクションキーを使う機会はかなり限定されているんですよね。
かな変換(F6)、カナ変換(F7)などはCtrl+J、K、L、;で代用できるしこちらの方が手の移動が少ない。
フルスクリーン(F11)も基本的にはFn+F/Command+Shift+Fでなんとかなるし、
フルスクリーンの出番が多いYouTubeはアイコンクリックで簡単にトグルできますしね。


ちょっと問題があるとすればGoogle Chromeの「開発者ツール(Devtools)」です。
web制作者の七つ道具として非常に有用なDevtoolsですが、これの呼び出しは通常F12を使います。
代替ショートカットとしてCommand+Option+Iがありますが、あまり使ったことがありません。
3キー同時押しというのはあまり好きではなく、ファンクションキーが無くなるとこの点だけはしばらく慣れないかも。


ただ、それ以上に明らかに深刻なのが60%キーボードの多くがASCII配列であり、
JIS配列と同じような日本語/英語切り替えの手段が基本的には無いということです。
たしかCommand+Spaceで切り替えはできるのですが、
トグル式のショートカットだといまどちらのモードなのかを把握しないといけないため大変不便。
日本語(JIS)配列であれば英数キー、かなキーによってワンボタンで切り替えることができますが、
英字配列の場合はこれをショートカットキーでどうにかするしかありません。
キーカスタムに対応していれば左右Commandキーを無理やり英数キー、かなキーに変えて、
左下に並んでいるOption、Controlを1つずつずらし、CapsLockを廃止してControlに割り当てる……
という方法で無理やり解決することはいちおう可能です。
しかし、それがどんな端末でもできるという保証は無い。特にiPadでは難しいような気がしています。


こう考えると、結局60%キーボード、というよりASCII配列は厳しいのではという結論に至るわけです。
そもそも自分は日本語を書くことをいわば趣味としているわけで、
多少イキってASCII配列キーボードを買ったところで不便になることは避けられないんですよね。
ゲーミングキーボードとして買うならともかく、ブログにも仕事にも使うとなると妥協はできないような気がする。
そしてJIS配列が必須となると選択肢はかなり狭くなり、
結局以前も結論として辿り着いたLogicoolの「MX KEYS MINI」に行き着くんですよね……。
これはファンクションキーはありますがハーフサイズのため、コンパクトさはそれなりにあります。
「MX MECHANICAL MINI」などの後継と比べても評価が高く、Enterキーの右にキーが無いのも良いポイント。
なにより以前同型のMINIでない方を持っていた(去年秋に手放した)のでキーの打ちやすさは良く知っています。
まぁフルサイズの方はカバンからはみ出てしまうほど長いので携帯性は微妙でしたが……。


60%でロープロでJIS配列のキーボードがあればそれが良いのは間違いないのですが、
ざっと調べたかぎりではそのようなキーボードはまだ存在しないみたいです。
現状ではMX KEYS MINIを買うのが無難かなといった感じ。
というわけでいまポチりました。
キーボードは調べるとすごくデザインに富んでいるものもあって物欲を刺激されるけれど、
やはり手に触れるデバイスである以上は使い勝手最優先ということでひとまずは着地かなと。


#7746

優越感について

以前、それほど「優先度」が高くない推しのサインをどうでもいい人に自慢(?)された結果、
微妙にモヤモヤするという心理傾向について自己分析しました(#07736 / 2025年02月20日)。
それはいわゆる同担拒否的な気持ちというより、
好意的な気持ちがあるわけでもないのに日常的なつぶやきを覗き見ている表面的なつながりに対して、
「人として興味が無いのに距離が近すぎる」ことに対する副作用なのだと分析しました。


その後日、最近は社会的自由が足りておらず、
特に心の闇の部分を表に出していないのでストレスが溜まっているのかもしれないと内省しました(#07743 / 2025年02月27日)。
そのときは自分の闇を他者に理解してもらうためには合理的に考えて自分も他者の闇を受容できなければならず、
これまでそれができていなかったので深い人間関係を築けなかったのではないかと結びました。


これらを踏まえて昨今の自分を客観視してみると、
他者を見下したいという闇の部分が強くなっているように感じられました。
「見下している」というとまるで悪人のような印象を持たれるかもしれませんが、
要するに他者の関係に対して優越感を求めやすい傾向にあるということですね。
道徳的、社会的、あるいはさまざまな尺度で自分より劣っている人に対して、
「なんでこんなことをしているんだろう」と憤慨したり、殊更に否定したくなったりする。要するに侮っている。
今回特筆すべきだと思っているのは、他者が好きだと暗黙的に表明しているものこそをディスりたくなる心の動きです。
これは明らかに合理的ではないと考えられますが、こう考えてしまう要因はどこにあるのか。
昨今は「表面的な交流」が増加傾向にあるため、それを維持・発展させていくためにこの感情は明らかに障害になります。
事故を起こしてしまう前にどうにかできないだろうか。


まず、なぜ優越感を求めるために殊更に他者の成果や興味関心を否定したくなるのか。
それは自分を見てほしいという欲求(他者承認)が満たされていないということと、
自分はこれさえやっていればいいと言えるようなアイデンティティーが確立していないことが原因であると思われます。
そしてこの2つの不満を解消するためには、自分が「成果」を出し他人に認められれば良い。
つまり昨今の自分は成果を出せていないことが他者否定的な思考に陥っている原因なのではないかと。
他人の成果を否定することで相対的に自分の価値を補強しようとしているわけですね。


こうなると「成果を出す」ことが解決策のように思われますが、それは次の3つの観点から不適切と考えられます。
まず、現状としては当然成果を出したいが出せないことに思い悩んでいる側面もあるため、
そういう状況に対して「それでもどうにか成果を出さなければ解決できない」はただのゴリ押し感情論でしかありません。
また、そもそも成果を出したところで他者が期待通りに承認してくれるともかぎりません。
そこが不明瞭である以上、成果を出せば救われると信じることにはリスクがあると言わざるを得ないでしょう。
さらに、成果を出せば優越感を求めすぎる傾向が解消されるともかぎりません。
むしろ成果を出したことで成果を出せていない人に対して見下しマインドが増強する可能性さえあります。
それでは表面的な交流を破綻させないという当初の目的は達成できません。


そこでもう一歩踏み込んで2つの解決策を考えます。
まず、自分自身が成果を生み出し他者に承認されるというプロセスは常にうまくいくとはかぎらないので、
逆に他者の成果に対して自分が承認するというプロセスを確立しようというアイデア。
つまり、他人を褒めることによって「価値あるものを承認する自分」を肯定的に捉えようという営みです。
これは成果を出してそれを認められるほど欲求が充足するわけではないけれども、
欲求を確実に埋めつつ、しかも他者否定的な思考を断ち切るという点では
今回の悩みに対してかなり効果的なアプローチであると考えられます。
ただし、「他者を褒めている自分は偉い」というような思考に陥ってしまうと元の木阿弥なので気をつけたいところ。


2つ目は、そもそも「成果を出す」という表面的な結論はそれを完成させるという暗黙的な条件がありますが、
他者否定的な思考に陥らないために求められているのは本質的には物事の完成ではなく、
「自分がここまではやるべき」と考えている信念に対して誠実に行為できたかどうかなのではないかという視点。
つまり、「誠実である」と納得できるのであれば、それが完成していなくても心理的充足感は感じられるはず。
それを得られないということは、信念に対して誠実さを欠いているのではないかと。


どの程度の活動をすれば「誠実」であると言えるのか。
これは所属しているコミュニティの数や自分自身の性格にも依ると思いますが、
たとえば自分個人が絶対譲れないボーダーラインはブログ記事1本だと思っています。
これをもすっぽかして1日を終えてしまうと、明らかに怠惰が勝り誠実さから遠ざかっている感覚がある。
ただ、ブログを書く・書かないは完全に個人の問題であり、他者否定的な思考とはおそらく関係ありません。
ある人に対して殊更に否定的な感情を抱くときは、その人と自分が共通するコミュニティや属性において、
自分がするべきことをしていないという事実が念頭にあるのではないかと。
つまりコミュニティにおける活動状態が「不甲斐ない」状態であると自覚しているということですね。
何もしていないのに承認欲求を満たしたいだけでコミュニティに参加していると鬱憤が溜まる一方なのでしょう。
ただし、それは「自分はこのコミュニティ内で特別な地位にいたい・いるべきだ」
というような所属欲求があってこそであるとも言え、
こういう欲求が無ければそもそもこうした問題は起こり得ないのかもしれません。


いずれにしろ、これは自分の自尊心と「どこまでなら頑張れるか」という意欲の問題であり、
他者に認められるか否か以前に自己解決できる問題なのではないかと思っています。
この知見を念頭に所属するそれぞれのコミュニティについてひとつずつ考えてみる時間を作ってもいいのかも……。


余談ですが、今回考えたことは「承認欲求に対する不信」という切り口で、
過去にかなり似たような考察に行き着いた記事を書いていました(#06388 / 2021年06月13日)。
何かに悩んだとき、過去記事には少なからずヒントが落ちている可能性が高いということはもっと意識してもいいのかも。


#7747

創作の短期的目標

今日の出来事創作計画

年初時点では、今年は満を持して創作活動を復帰しようという意気込みがありました。
これまでのように意気込みだけで実際には何も行動できないというような虚勢ではなく、
今年はいちおう年始時点ですでにそれぞれの創作活動に着手。
具体的にはゲーム制作とイラスト制作についての練習をスタートしたりもしていました。
が、その先ずっと二の足を踏んでいるところからまだまだ動機が足りていないと感じています。
そこで、そもそも自分はなぜ創作をしたいのかについてもう少し掘り下げてみたいと思います。


「プライベートワールドの具現化」という野望にずっと未練を抱いているということは、
特に今年にかぎらず、ずっと前から心に抱いていることです。
これについては紆余曲折ありながらもその時々でできることを積み重ねてきたつもりですが、
結局創作設定などをほんの少しずつ掘り下げていくにとどまっており、
実生活の都合もあってなかなか進んでこなかったのは事実です。
いちおうこれ自体は今年21周年を迎えるこのブログよりもさらに長い歴史があるはずなのですが、
残念ながらとても年数相応の「深み」は感じられません。
それはひとえに具体的な成果物を残してこなかったためと言うこともでき、
そういう意味で創作活動の実績を出したいという気持ちがあるのは確かです。


ただ、それはそれとして2025年の野望として創作に注力したいと思い立った経緯は別にあるような気がします。
つまり、従来の活動ではもう満足できるような承認を満たせないのでその代替にしたい、というような。
創作活動に対する見直しが進んだのはやはり2023年に推し絵師さんと出会ったことが要因として大きく、
SNSのサブアカを作って同人活動に携わる人をどんどんフォローしていくうちに、
それら活動の華やかさに憧れるようになりました。
イラストで活動している人に憧れることで、必然的に自分もそういう活動がしてみたいと思ったわけですね。


ただ、これには重大な問題点があります。
それは、そもそも自分のスキルを客観視できていないという問題。
同人界隈が華やかに見えるのは活動者がイラスト制作に対して真摯に向き合ってきた結果であり、
ちょちょいのちょいで辿り着けるような領域ではないでしょう。
それを、単に憧れれば自分もできると思ってしまうのは短絡的で不遜な考えと言わざるを得ません。
こんな取ってつけたような憧れは自分のスキルの低さと向き合ったら最後、簡単に消し飛ぶことが容易に想像できます。
なので本当に着手したいなら単なる憧れではなく、もっと具体的に自分が頑張る理由が無ければならない。
この辺は思春期なら考える前に行動できていたと思うので本当に擦れてしまったと感じる部分です。


実は描きたい1枚はもうかなり明確に決まっていて、頭の中でなら具体的に描くことができています。
ただ、細部のデザインなどの設定がちゃんと決まっていない。
いま、自分に必要なのは実は絵の練習ではなく、
創作世界の設定をキャラのアクセサリといった細部までちゃんと決めることなのかもしれません。
その作業を通じて描きたいと思える風景の価値を高め、実際に絵を描くのはそれからでも遅くないのかも。


今年、創作に集中しようと思ったのはそもそもこのブログが大キリ番記事を迎えるからです。
大キリ番記事(1000の倍数の記事番号)は伝統的に短編小説を書いているわけですが、
直近4回(2023年、2020年、2017年、2015年)は結局やっつけ仕事で通過してしまっている反省があり、
今年はさすがにこれら4回を越える量は書きたいと思っています。
それが主目的なのであれば、いまやるべきはどちらかというと文章執筆スキルを伸ばすことなのかも。
まあ、挿絵を描きたいなどと言い出せばイラストを描くニーズも生まれてきますが、
いまの自分のキャパシティからしてそれが不可能であることは明白です。
2020年当時も似たようなことを構想して意気込んでいましたが、
フタを開けてみれば直前の直前まで着手できなかった思い出。


イラスト制作は環境整備はできているし練習にも着手はしているので、
気が向いたときにペンを持ってみるのは良いと思っています。
ただ、こうして考えると自分はあくまでも「書く」ことが生業で今年はむしろそちらに注力すべきなのでしょう。
このことは折に触れて思い出し、とにもかくにも20年来の未練を少しでも形にしていきたいところです。


#7748

ダーク・アンビエントの世界へ

最近、Aphex Twinの『Selected Ambient Works Vol.2』(以下「SAW II」)にハマりつつあります。
SAW IIは1994年にAphex Twinのキャリアとしては初めて大御所Warp Recordsから発売されたアルバムで、
その名の通りアンビエント・ミュージックを集めた作品です。
前作『Selected Ambient Works 85-92』はテクノ色もあっていわゆるアンビエント・テクノとしての傑作、
あるいはAphex Twin初期作品の代表作として語られることが多いですが、SAW IIはノンビートの純アンビエントです。
1980年代以前にブライアン・イーノによって開拓された「聴き流す音楽」としてのアンビエントではなく、
高級ヘッドホンを装着して目を閉じながら聴くような「没入する音楽」としてのアンビエントの開祖。
このジャンルの金字塔とも言うべき高い評価を得ています。
去年2024年に30周年記念でリイシューされ、その際に欠番だった19トラック目が正式に収録された上、
26〜27曲目としてボーナストラックが2曲追加されました。


自分がこの音楽に出会ったのは2010年。
Aphex Twin、あるいはエレクトロニカ全般に対して、ある種のヘンテコさを求めていた当時は、
ただただダークでビートレスなこのアルバムは(個性や面白みに欠けるという点で)あまり良い印象はありませんでした。
のちの2013年、Taylor Deaupreeとの出会いをきっかけに没入系のアンビエントにハマる時期も来るのですが、
その当時もSAW IIのことは忘れてしまっていました。


SAW IIのような(便宜上)ダークなアンビエントを見直すきっかけになったのはKettelの『Volleyed Iron』でしたが、
当時は卒業論文によるうつと昼夜逆転病によって身体的・心理的にどん底状態で、
どん底だからこそ陰鬱な音楽を求めてたどり着いたという実感があったこともあり、
それから10年近くの間、ダーク・アンビエントはどん底な心にこそ沁みる音楽、という印象でした。
それは心の谷底から脱してしまえばめったに聴く機会が無いということを意味しています。
ただ、ふとしたきっかけで特に気落ちしていないけれど久々に聴きたくなって聴いてみたとき、
ダーク・アンビエントがただただ音楽として美しいものであることを再認識するに至りました。


20代はエレクトロニカに、あるいはAphex Twinに、あるいはダーク・アンビエントに対して、
ある種の特殊性や付加価値を求めていたようなところがあります。穿った聴き方をしていたということですね。
しかしいま、ようやく変なプライドも鳴りをひそめ真っ直ぐに「音楽を聴く」ようにできるようになったとき、
改めてSAW IIの美しすぎる世界観に驚いてしまいました。
自分はこんなすごいアルバムを15年もライブラリの奥底で眠らせていたのかと。
「#1」や「#7」はアンビエントなのに耳に残るメロディで、これぞ没入系アンビエント! という感じがするし、
かと思えば「#9」は同じ切り口ながら全然違う世界観で表現していてこれも好き。
SAW IIは異世界へ旅行できるアンビエント・アルバムだと思っていましたが、
正しくは「いくつもの異世界」へ旅行できるアルバムですね。まるでさまざまな世界を探訪するファンタジー小説みたい。


そのAphex Twin文学をちゃんと理解できるのはまだまだ先になると思います。
このアルバムをガッツリ1枚分語れるのは……何年先になることやら。


#7749

永続所有権を追い求めて

昨日に引き続き音楽の話。


個人的にエレクトロニカ系で大傑作のひとつだと思っているOneohtrix Point Neverの『R PLUS SEVEN』。
2013年にリリースされ、自分がCDを購入したのは2014年。
それ以来10年以上まったく色褪せることなく愛聴し続けているわけですが、
ふとしたきっかけでまだ聴いたことのないボーナストラックが存在することを知りました。


エレクトロニカの名門レーベルであるWarp Recordsは、日本版のみボーナストラックがつくことが多いです。
商業的な事情があるのか、日本だと売れるからこうしているのか事情はさっぱり分かりません。
が、とりあえずWarpの新譜が出たら国内盤を買うのは鉄則とされていました。
自分も、めちゃくちゃ円高&Amazonが輸入盤2枚で割引キャンペーンを長期間実施していた2009年前後を除き、
基本的にはCDは国内盤を買っていたはずなのですが……どういうわけかこの超名盤だけは輸入盤を買っていたという。
Amazonの購入履歴でも確かに輸入盤を買っている足跡が残っていました。
意図して輸入盤を買ったつもりはないしその理由も無いはずなので、おそらく買い間違いです。
まさか11年も経ってから気づくことになるなんて……。


国内盤はもうAmazonでも取り扱っていません。まあOPNならタワレコに行けばワンチャン手に入りそうな気はしますが、
もしダメならAmazonないしメルカリ等で中古に手を出すことになりそうです。
もちろん、キラーチューンでもなんでもない1曲にそこまでするのは割に合わないし、
なんならApple Musicでいつでも聴けるしダウンロードできます。
楽曲管理の煩雑さの観点からも、今回このボーナストラックについてはApple Musicで済ますのが妥当だとは思います。
ただ、それはそれとして楽曲の永続所有権は保持しておきたいという気持ちもある。
特にコレクションとしての側面も否定できないエレクトロニカについてはその思いが強いです。
Apple Musicは無制限にダウンロードし放題ですが、当然それを扱えるのはサービス契約中のみ。
未来永劫聴くことができるわけではなく、あくまでその権利はAppleが握っています。
もちろんそれを十分わかった上で契約している以上、生半可な気持ちで解約する気など毛頭ないのですが、
しかしそれはそれとして別途手元に持っておきたいという気持ちは否定できません。
まして、『R PLUS SEVEN』はトップクラスにお気に入りの名盤なわけで。


Apple Muic契約後にダウンロードしたエレクトロニカのアルバムは37枚。
これらについては、なるべくダウンロードして実際に聴く音源とは別に永続所有権も確保しておきたいと思っています。
ただ、このご時世CDが存在しない音源もかなりあるので完全にカバーするのは難しそう。
Bandcampに音源が売っていればまだマシで、それすら見つけられないケースも……
と思ったけどApple Musicにある音源はiTunes Storeで買えば永続所有できそう。
iTunes Storeはそろそろサ終が怖いのでレアそうな音源はとりあえず買っておくのが無難かもしれませんね。
まぁ、それはそれとして好きなアルバムでCDが売っているなら物理的に所有したいのでいずれ買うでしょう。
以前も似たようなことを書きましたが、そういう文脈でいずれアナログレコードに手を出す可能性もなきにしもあらず。


#7750

単価の頭打ち

今日の出来事仕事

いわゆる査定面談があり、結論から言えば現在のプロジェクトは次々回の更新時に離脱が妥当という話に着地しました。


いまの現場はおそらく都内でもトップクラスに良い職場環境で、それ自体に不満はあるはずもありません。
基本的にテレワーク推奨となっており、出社かテレワークかを適宜自分で選べるというのも素晴らしい。
ただ、自分の担当部署はあくまでも保守・運用が主。
参入当初は前任者にスクリプト言語での開発も行うと言われたものの、
実際にお客さんから降りてきたスクリプト開発案件はこれまでに事実上皆無。
あまりにも案件が降りてこないので内部改善をしたいと申し出てリファクタリングを少ししました。
その過程で、先人の作ってきたコードがあまりにもスパゲッティなことに辟易する一幕もありました。
そのリファクタリング、おおむね無事に終わったのですが1行だけリリース後にミスが見つかり、
お客さん(=社内でシステムを利用する数人のうち1人)に指摘されて再更新するということがありました。
リリースと言っても数人しか使っていないような社内共有フォルダにぶち込むだけなのですが……。


今回年度末を迎えるにあたり次期契約について上層部内でいろいろ話し合いがあったようで、
自分には1人ですべての業務をやっていけるだけのスキルを期待していることもあり、
リファクタリングでのミスがその期待に届いていないことから
この1件を重く見て単価交渉は見送ることにしたそうです。なんじゃそりゃ。
まあもともとよっぽど評価が高くないと1年未満のこのタイミングでのアップは難しいと言われていたので、
評価的にはこれでも妥当なのかもしれません。しかしいざゼロを突きつけられるとやはり心に来るものがあります。
「この現場は自分にさほど期待していないんだろうな」という。昇給って本当に大事ですね。
まあ単価交渉がコケても社内評価は最高ランクだし組合がある以上会社としてのベースアップはあるとは思いますが、
しかしベンチャーにいたころのあのフィーバーと比べると本当に昇給ペースは落ちたなと感じます。
基本給は定期昇給で増えていくものの、いわゆる技術者としての単価が頭打ちになっている感。


ちなみに名目上はミスのせいで単価交渉しないということになっていますが、
実際に降りてきている仕事量が相当少ないのでそもそも人件費を出せないのではとも思っています。
それくらい仕事が少ないし、自分が上の立場ならこのポストに2人も絶対に置きたくない。
それでいてプライム(直請け)案件ではないわけですからね。
むしろこんな状況で単価が上がる方がおかしいのかもしれない。


ここは社会人としてあまりにも楽なためそろそろ平和ボケしてきているので、丸1年を機にここを去るのは賛成です。
ただ、これまでのハズレ率を考えると次の現場ガチャはどんなに良くてもブラックなんだろうなぁと……。
最近自分のキャリアについて全然考える機会がありませんでしたが、
本当にこのままずっとこの業界にいていいんだろうか?
次の現場が本当にハズれたらその辺も少し考えてみましょうかね。
年齢的に手遅れ感が否めませんが、少なくともSESという業態から離脱することはいよいよ真面目に考えるべきのような。
それにしても、中小企業にいたころの方がよっぽど成長できていたのは皮肉だなと。
上場企業に籍を置いたのが2023年02月。思えばそれからほとんどロクに何もできてないような……?


#7751

客先常駐の限界

今日の出来事転職活動

昨日の査定面談、正確には査定面談直前に営業部から「今年度末の更改では単価アップ交渉は見送ることにした」
という通達を受けて随分と仕事のモチベーションが落ちてしまいました。
まぁ、とはいえこれは心のどこかでは覚悟していたことです。
いまのままでずっと許されるはずがないと。それくらい仕事量と単価が見合っていない。
このモチベダウン、ひいてはこのネガティブ思考は閑散期に暇していたことに対する後ろめたさでしょう。


せっかくなのでこれを機に自分のキャリアを見つめ直しています。
時間的にはまだだいぶ先ですが、自分は次の大きな壁として「40代」という節目がやってきます。
一般に、webエンジニアはこのくらいの年齢になるとプロジェクトマネージャ(PM)としてやっていけるかが問われ、
そうでない場合は各種技術のスペシャリストとしてみなされることが多いようです。
実際に、いまの会社でも前の会社でもキャリアプランとしてそのどちらかのルートがあると説明されました。


一昨年のキャリア面談では、自分はどちらかというとマネージャ職に向いていると思いました。
そのため応用情報技術者と、さらにその上のプロジェクトマネージャ試験を受けようと考えたくらいです。
しかし実情としては、そもそもマネージャになる以前に現場経験が圧倒的に足りていない。
これはもう何年も前からそうで、いまだに足踏みを続けているような状況です。
だからこそしっかりとした開発現場に行きたいのだと念を押して営業部に訴えているのですが、
ここ2年はガッツリ開発できるか否かという基準では誰が見てもハズレの現場しか引いていません。


それで、本当に今更すぎるのですが上京時に足を踏み入れたSES(客先常駐)という業態はやっぱりダメなのでは、
という結論に至りつつあります。
たしかに、当時の自分のような中途未経験ならブラック上等の中小SESくらいしか選択肢が無かったのは事実。
あのまま地方で使い潰されるよりは全然マシな選択肢だったというのはいまでもそう思います。
ただ、2022年にヘッドハンティングされてSIerになり、そこがまあまあブラックだったので再度転職活動をしたとき、
「もっと大きなSES会社ならマトモに営業してくれるはず」と信じてしまったのは浅はかだったかもしれません。
むしろ仕事の充実度では中小企業在籍時代を下回っています。
貴重な30代の2年を失ってやはり思うのは、大企業だろうがなんだろうがSESはSESだということです。


とにかくここに在籍しているかぎり何も手元に残らないような仕事しかできないので、
せめて退場するたびレベル1からのローグライクゲームにならないようにしたい。
そういう意味で、再びSIerかあるいは非ITの情シスに飛び込んでみるのは有望であるように思われます。
もちろん、それらがブラックでないという保証は無いし実際に2022年の会社はブラックじみていました。
むしろそういう会社の方がブラック率は高いのかもしれません。
しかもSESと違って無理そうだったら無責任にさようならというわけにもいかない。
ただ、このまま手をこまねいて40歳を迎えたときの絶望を考えると、
リスクを承知で転職する場面ではあるように思います。
もしもずっとこの調子で30代を消費していった場合、文字通り本当に何もできないオッサンが完成しますからね。
まぁ、半ば手遅れのようにも感じますが、何もしないよりはマシなのでは、という……。


基本的に転職に際してはボーナスが大きな足枷になります。
さすがにボーナス積立途中で退職するのはもったいないので、辞めるのは06月末か12月末の2択となります。
現状だといまの現場が06月末で満期退場ということになりそうなので、
所属会社を見限るとしたら最速でそこになりますかね。
逆算するとゴールデンウィーク辺りから転職活動に精を出す感じになりそう。


と、まるでもう退職を決心したかのような流れで書きましたがもちろんまだ確定はしていません。
まだ所属会社の誰にも「06月末で契約を切りたい」以上のことは何も言っていないので、
普通に考えれば春先から次の現場決めについてあれこれとアプローチがあるでしょう。
4度目の正直でそれに賭けるという手もなくはないですが……。
まぁ普通に考えれば今回でスリーアウトなのでチェンジで良いよねと思ってしまう。


ただ、それはそれとして自分の無能さを正直ベースで考慮したとき、
本当にSESを見限っていいのかについてはもっとよく考える必要がありそうです。
確かにここ2回連続できわめてやり甲斐のない仕事をさせられているものの、
自分は所詮このポジションで精一杯の人間なのではなかろうかと。
だからこそこういうポジションに収まっているという考え方もできるわけです。
その辺の認識を誤って変に背伸びしてSIerや情シスを目指したら求められるハードルが高すぎて破滅する、
という最悪のシナリオも無くはないし、なんならその可能性の方が高そうなんですよね。
これはかなり卑屈な考えかもしれませんが、
しかしこれまでのキャリアを考慮すると残念ながら現実に近いのはこっちだと思っています。
理想論としては転職が妥当だと思えてきますが、果たして本当にそうなのか。
まだ若干猶予時間があるのでよくよく考えていきたいテーマです。


#7752

創作活動と自我

以前、『原神』の二次創作界隈でイラストレーターとして活動されている方が、
「絵師は自我を出すなと言われるけれど、私は無理。自我を含めて私なのだからそれを受容してほしい
というような趣旨のつぶやきをしていました。
ここでの「自我」とは、イラスト活動とは関係ない私生活上の感情表明、
特にネガティブな感情を発露することを指しているのでしょう。
それを創作アカウントで表に出すことを許してほしい、というような意味合いに聞こえます。


また別のケースで、イラストレーターとしては商業レベルかつVTuberとしてもトップクラスの「しぐれうい」が、
コンプティークという雑誌の付録として世に出た自身の顔が描かれたお面について、
「私以外の推しのイベントでお面を付けていくのはちょっと違うよね。 推し活動に自我を出しちゃダメでしょ
という趣旨の話をしていました。
ここでの自我とは、ファンの自己都合(承認欲求)でTPOを逸脱するという意味として解釈できます。


両者は同じ「自我」について話していると言っても微妙にニュアンスが違いますが、
根っこの部分では共通していることをそれぞれ真逆のスタンスで主張していると考えられます。
これを、「しぐれういの言っていることが正しい」と言ってこの話を終わらせることは簡単です。
推し活動にしろそれ以外にしろ、趣味別にコミュニティが細分化された現代でTPOを守ることは大事だし、
そういう空気を読み取れない人はどこへ行っても疎まれる傾向にあると思います。
ただ、じゃあ前者の絵師さんが絶対間違いなのかと言われるとそれもそれで微妙なところではある。


確かに創作アカウントで私生活に関する発信やネガティブ発言をすることは
少なからず創作物に対するイメージ低下につながり、
誰よりもまず発言者本人にとって良くないことであるのは確かです。
しかし、絵師は何もアイドルではない。潔癖を求められているわけではありません。
また絵を描くだけの機械でもありません。
活動を通じてできた人間関係で、「自分のことを深く理解してほしい」と思うのは当然の成り行きであるように思います。
パトロンサイトで日常的な日記を書いている絵師さんは多くいるし、
それをも「自我を出してはならない」と切って捨ててしまうのは厳しすぎるような気がします。
基本的に承認欲求欲しさにするイラスト活動は割に合わないと思うので、
負の側面も受け入れてもらってやっとトントンだと言われればそうなのかもしれないなと。


とはいえ自分は結局この絵師さんの意見には反対で、しぐれういの言っていることは正しいとは思います。
ネット活動の場でプライベート色の濃い部分を表に出すと、たいていネームバリューの毀損にしかならない。
またファン活動として、たとえばさくらみこのライブにしぐれういのお面を付けていくのは誰が見てもNGで、
そういう意味でのTPOを逸脱した行為が歓迎されないのは確かでしょう。
表現者もそのファンも、「自我」を出しすぎず抑制してこそお互いにクリーンなオタク活動ができるというのは確かだし、
そういうコンセンサスを醸成させていくことが界隈全体にとって良いということは間違いないと思います。
オタク活動の場というのは、決して自分という個人的な存在がヨシヨシされるためにあるわけではない。


ただ、素の自分を表に出せないせいで活動そのものが息苦しいと感じることが多々あるのもよく分かります。
自分は実はそんなにすごい人間ではない、
こんな弱っちいところもあるんだと理解して欲しくなる衝動というのはある。
特にTwitterの場合、「私生活を公開するアカウント」と「趣味としての活動の場」が混同しているケースもあり、
なおさら難しい問題になっているのではないでしょうか。
しかし、そういう諸々の事情をグッと堪えて表に出すべきことだけを表に出すのがプロだとは思うんですよね。
たまーに商業レベルの絵師さんなのにTwitterで政治的主張をしていてガッカリさせられるケースがありますが、
創作で食っていくならそういうことはリスクにしかならないと思うわけです。
それは何も商業レベルにかぎらず、承認欲求が欲しくてしているというレベルでも同じことです。


これについては、本当にTwitterというプラットフォームの悪いところだなというところに尽きますかね……。
やはり自分は一貫してTwitterアンチなのだと再認識しました。


#7753

CD存在調査

先日のApple MusicでDL済みだが別途CDなどで永続所有権を確保しておきたい、
というエレクトロニカのコレクションの件について(#07749 / 2025年03月05日)。
あのあと、せっかくなので過去全部のアルバムリストをGoogleスプレッドシートベースで作り直し、
そのうちエレクトロニカのCDについて、所在と購入方法について2009年まで遡って調べていました。
ちなみに、久しくアルバム番号を整理していませんでしたが現在は通算980枚のようで、もうすぐ4桁到達します。


重要なのはApple Music以後に入手(DL)したアルバムのCDが存在するかどうかですが、
調査対象のアルバム37枚のうち、Bandcampに音源が存在しないのが8枚。
この8枚のうち4枚はAmazonにCDが商品として存在し(売り切れ多数)、残り4枚は商品ページ自体が存在しません。
CDが存在するのが10枚。うち2枚はBandcampでは在庫切れかつAmazonでも在庫切れ。
CDは存在しないがレコードなら存在するのが4件。残り15件はダウンロード版のみの販売となっています。


特殊なケースとして、Thomas Köner『Permafrost』(1993)の場合、BandcampにもAmazonにもCDは存在しませんが、
Google検索で調べてみると同時期のアルバム3枚が一緒になったリマスター盤が存在するようです。
このように、BandcampとAmazonだけでは把握しきれないケースもあり得るということですね。


基本的に、「Amazonには存在しないがBandcampにだけは売っている」というような場合、
一般流通商品というよりBandcampのファンユーザー向けの限定販売といった趣であるケースもあるようで、
好きなアーティストがこの形態で売っている場合はひとまず確保しておきたいところです。
逆に、一般流通しているなら中古も視野に入れれば入手手段はかなり広いのでそこまで焦らなくても良さそう。


あとはCD購入特典でボーナストラックが付く場合ですね。
ひそかな自慢(?)として、自分はTaylor Deupree『Faint』(2012)の限定盤を持っているのですが、
これはCDにしか収録されていない30分以上のボーナストラックが収録されており、
しかもなんと1000枚しかプレスされない限定盤だったりします。ざっと調べたかぎり現在では入手困難のようです。
こういうプレミア感があると、限定商法と分かっていてもやはり手は伸びてしまいますね。
ちなみにTaylor Deupreeは最近『Sti.ll』でも限定盤をBandcampでリリースしていましたが、
手をこまねいているうちに逃してしまいました。
これは限定200部のGrayfade FOLIOというブックレットが付属していたようです。
「物理的に音楽をコレクションすることに対する私たちの回答」として提案されたこのブックレットは、
アルバムに関するさまざまな情報(練習用楽譜まで!)が詰め込まれているとのこと。
まぁ、要するに豪華なおまけですね。個人的にはボートラの方が嬉しくはあるけど、こういう試みも面白いとは思います。


とにかく、今回のアルバム存在確認の結果、さまざまなケースがあることが分かりました。
対象の37枚は2023年12月期〜2025年02月期までにダウンロードしたアルバムで、
1年3ヶ月でたった10枚ならとりあえず全部買ってしまってもいいのかなとは思っています。
ただ、それ以外の27枚分のiTunes Store版を買うかどうかについては要検討ですが……。
iTunes StoreってSteamみたいに定期で大規模セールとかするんだろうか?
もしするならそのタイミングで大人買いすることはやぶさかではないんですけどね。


なんやかんやで音楽に関する興味関心が強い今日この頃です。


#7754

メテオス20周年

今日の出来事メテオス

ニンテンドーDSの打ち上げパズル、『メテオス』20周年!
自分にとっては青春の大事な1ページであり、パズルゲームの頂点として敬愛しているタイトルです。
20周年に際してはファミ通が記事にしたり、生みの親の桜井さんがそれに反応したりしたこともあってか、
Twitter上では20周年に絡んで「メテオス懐かしいな〜」と言及している人が予想以上に多くいました。
売り上げ5万本のドマイナータイトルのはずなんですが、まだ覚えている方がこんなにいるんだと驚き。


自分自身は3週間ほど前からこの20周年を意識して多少立ち回ってきました。
具体的には3DSLLを引っ張り出してきて「サボン」「ゲルゲル」辺りの昔好きだった惑星を遊んだり、
DSの直撮り環境について調べてみたり。
あとは比較的バグが少ないとされる欧州版を入手したりもしました。
これについては本当にラッキーだったと思います。
ネットフリマで入手したのですが、出品者が価値を知らないのかDS中古としては並の価格で売られており、
しかも届いたのを開封してみると2005年03月に1度起動しただけでほぼ手付かずの準新品でした。
国内版やパチモンのディズニー版はネットフリマならまだ入手しやすいですが、
北米版や欧州版はあまり見かけないためこれはなかなか運が良かったと思います。
とはいえ、自分が2005年に買った国内版が動くかぎりはこれで十分といえば十分なんですが……。


20周年を迎えるにあたっては、何かしたいとは薄々と思っていました。
それで、例の新本家サイト復興の第1弾コンテンツとしてメテオスが打って付けなのではないかと思い、
いろいろ思案していたのですが……。
webサイトを1つ作ったとしてもせいぜい「いいね」を多少稼ぐだけが関の山と考えると
あまりにも費用対効果が悪いという結論に至り、
最終的にはTwitter向けに直撮り動画を1本出すことを目標としました。
具体的にはタイムアタック「レイヤーゼロ」で常時タイムアクセルを踏んで完走したプレイを動画として残すことです。
レイヤーゼロのフルスロットルは難易度がかなりのもので、そうそう完走できません。


03月09日、満を持して取り掛かり(それまでサボっていたとも言う)、
意外にも最初の30分でフルスロットルを完走。しかしこれはスコアが43万点台と低く、
また夢中になりすぎてDS本体がカメラに対して斜めになってしまっていたのでもう1テイク取りたいと思い、
それからしばらくリベンジしていました。
しかし、惜しい場面は何度かありつつも結局03月10日00時までには記録は出ず諦めることに。
まあとりあえず最低目標であるフルスロットル完走を投稿できたからいいか、と割り切ることにしました。
自分以外に動画を投稿している人は確認できたかぎり皆無で、
さすがにメテオスを認知している人は一定数いても、いまもなおやり込みをするような奇特な人はいないようです。
もし複数人いたらランキング大会をリメイクすることもやぶさかではないのですが……。


まぁ、そんなこんなで一番好きなパズルゲームの20周年はしめやかに過ぎ去っていきました。
TwitterではやはりスマホやSwitchでのリメイクを期待する声が多かったですが、
果たしてそれが現実になる日は来るんでしょうかね……?


#7755

達成感について

昨日、『メテオス』20周年に際して記念に「レイヤーゼロ」のフルスロットルクリアを動画に残そう、
と思い立ち、実際に30分程度でさほど努力せずにフルスロットルクリアはできました。
しかしその動画がやや斜めにズレていたのとスコアがやや低かったので、
もうワンテイク撮ってそれを成果として投稿したいという気持ちが湧いてきました。変に妥協したくなかったわけですね。


しかし、フルスロットルというのはそう滅多にクリアできるものではありません。
その後2時間半ほど頑張ってみましたが結局惜しいところまで行くもののクリアはできず、
03月10日のタイムリミットを迎えてしまいました。
まぁでもよくよく考えてみれば20周年記念とはいえ観る人はほぼいないだろうし自己満足だからいいか、
と少し斜めにズレた動画を補正して投稿するに至りました。
この行為は、「承認欲求を得たい」という目的を前提として合理的に考えれば間違っていないと思います。
わずかなスコアとこだわりのためにこれ以上頑張っても得るものは皆無で、明らかにコスパもタイパも悪い。
しかし自分の正義に関する観点から見ると、合理的に正しいからこそ罠があるのではとふと思いました。
これは、なにげにここ数年の自分の価値観をひっくり返しうる気づきです。


2022年の自分は、社会と協調するためには「自分ができ、かつすべきだと思うこと」を不足なく遂行すること、
すなわち誠実であることが重要だと考えました(#07100 / 2023年05月26日)。
2023〜2024年の自分は「自分の無能さを積極的に受け入れる」ことが一種の心の防衛として働くことに気づくものの、
後期にはその実践は人生の希望をも切り捨ててしまう危うさがあると分析しました(#07600 / 2024年10月07日)。


これらの過去の自己分析について改めて噛み砕いてみると、
まず2022年当時は、社会に出ると個人としての自分にはさまざまなことが要求されている(ように思える)けれども、
自分のスキルレベルを無視して表面的な「すべきこと」に立ち向かおうとすると人生が破綻してしまう。
そのため、その中から現実的に何ならできるのかをしっかりと点検して、
「できる」かつ「すべき」ことだけはしっかりやっていこうというのが「誠実であるための条件」だと考えました。
しかし、2023年に入ってそれを実践していく中で、
「できる」と認識しているものを粛々とこなすだけの生活にはなかなか希望を見出しづらいことが判明しました。
無能さを受け入れることで挫折する経験が無くなりストレスフリーな生活は実現できたものの、
同時にワクワクするような何かに出会う可能性をも切り捨ててしまっていたわけです。


改めて振り返るとこの考え方には重大な欠陥があることが分かります。
すなわち、自分ができる範囲ですべきことを遂行することを「誠実」とするならば、
自分が何もできないなら何もしないことが「誠実」であることになってしまうということです。
この考え方は突き詰めると怠惰や慢心の正当化になりかねません。
事実、だからこそ2024年以降の自分はさっぱり結果を出せていないと感じているのだと思います。


「レイヤーゼロ」のフルスロットルプレイで妥協スコアが出たとき、
妥協なきラインまで突き詰めるのは当時の自分にしてみればできるかどうか際どかったわけです。
そして、「できたらいいな」という一縷の希望を携えて挑戦した結果、結局できなかった。
しかし挑戦したという行為からは、ここ数年感じたことのないようなエネルギーを感じました。
いまの自分に足りていないのはまさにこのチャレンジング精神だったのではないかと。
そしてその精神を枯らしてしまったのは他でもなく近年の信念に関する誤解だったのではないかと気づいたわけですね。


できることはやり、できないことはやらない。言い換えれば、できないことをできると言わない。
そういう意味での誠実さは社会を歩く上で重要です。
しかしどうやら個人の活動に関しては必ずしもそうとはかぎらないもよう。
「できるかどうか分からないが、やりたい」のであればやってみてもいいのではないかと改めて思います。
挫折したり達成したりする中でのみ得られる栄養も見えてくる景色もあるでしょう。
いま結果を出せていないと感じているのは、実際に成果物があるかどうかというよりも、
ここ最近何かに挑戦した経験が圧倒的に足りないからなのではないかとも思います。
確かに、誇大妄想に囚われて自分のスキルをあまりにも度外視してしまうのは問題がありますが、
「頑張ればできるかも」というようなラインを攻めることは日々を充実させるためにも重要なのではないか、
とレイヤーゼロと遊んでいて改めて思った次第です。


#7756

自己否定感との戦い

やりたいことを阻む障壁について考えると、10代までは経済力と家庭環境、
20代までは生理的欲求(特に睡眠欲)だったと思います。
では30代まではなんなのかというと、自尊心なのではないかというのが現時点の結論です。
本当にこれが邪魔に思えることが増えた。


ここでいう自尊心は自己否定感と捉えてしまってもいいかもしれません。
生半可な成果を出すことを許さない、無様な結果を出すことを許さない。
それを遵守するために、そうなる可能性のあることはやらない。
結果として、「着手しようと思えばできるがスキル不足感が否めない新しい分野」に挑戦する機会が激減し、
既存のものをひたすら使い潰すきわめて保守的なライフスタイルが定着しつつあります。
近年は上京直後による意識の高まりが落ち着いた2022年以降にこの傾向が強くなっていると感じます。


こうした保守的な価値観は成功体験のあまりの少なさが要因としてあることは否めません。
つまり、何かに挑戦しようとして上手くいった経験よりも挫折した経験の方が圧倒的に多いので、
「新しい挑戦をする=上手くいく」という図式を信じられないというわけですね。
これは保守的になればなるほど挑戦の機会が減り、当然に成功体験はますます遠ざかる悪循環になります。
この問題は年齢を重ねれば重ねるほどより一層深刻になり、また解決を難しくするでしょう。
最近特に思うのは、このままライフスタイルを変えずに40代、50代を迎えたときの絶望は計り知れないなと。
特に定年がきわめて大きなターニングポイントになると思います。
現状から仕事という社会とのつながりを断ち切られたら、もはやマトモでいられる自信がありません。
わりと本気で死んだ方がマシと思ってしまうのではと考えています。
そう考えると、自尊心の問題はせめて30代のうちに活路を見出したいものです。


ここで言う成功体験は、昨日の記事の「達成感」とほぼイコールと捉えてもいいのかもしれません(#07755 / 2025年03月11日)。
達成感とは、その時点で必ずしも自分ができる保証が無い物事に挑戦し、
望んでいた結果を勝ち取ったときに湧く感情です。たぶん、ドーパミンとか諸々の脳内物質が出ているのでしょう。
それが圧倒的に足りていないので不戦勝を重ねすぎて脳が枯れてしまっているというのが現状の自分で、
達成感を一定期間ごとに補給することで多少なり改善するのではないかと考えています。


この問題で唯一救いなのが、おそらく達成感は他者承認を必要としないということです。
メテオス20周年の「レイヤーゼロ」との戦いがまさにそうでした。
あれは20周年の記念に何かしたいというこだわりがすべてで、誰かに見られることを想定していたわけではありません。
もちろんTwitterにアップすることは前提条件としてありましたが、
「いいね」が欲しいならわざわざめちゃくちゃマイナーなメテオスの動画をアップする必要は無いわけです。
これまで、この問題はしばしば承認欲求の問題として捉えていた節があると思いますが、
実は別個の問題なのだと認識を改められたのはここに来て一歩前進したと言えるかもしれません。
ただし、まだ別個の問題と認識したばかりなので本当に切り離すことができるかどうかはここから。


直感的には、本心に対して従順に行動できるかどうかというのがポイントになると予想しています。
「せっかくの20周年だから何かやりたい」が本心だったからこそチャレンジング精神も生まれた。
ブログを遡ると、2020年当時も承認欲求を求めすぎないために本心を大事にするべきなのではないか、
ということを考えたことがあり(#06200 / 2020年12月09日)、長い時間を経て結局ここに立ち戻るのかもしれません。


「誰かに認められるかどうか」よりも「自分がやりたいかどうか」に重きを置くというのはわかりやすい指針です。
が、ことはそう単純ではないため今後もさらに深掘りしていく必要があるでしょう。
そもそも本心とは何なのかなど、考えるべきことは山のようにあります。


#7757

ポケポケデッキの命名規則

じわじわと継続しているポケポケ。
今日、最新パックで一番欲しかったグレイシアexが2枚揃ったので新規デッキを久々に作るとともに、
対人戦に抵抗のある自分なりのポケポケの楽しみ方を考えたのでそれについてメモしておきます。


ポケポケには、CPUと対戦できる「ステップアップバトル」というモードがあります。
ステップアップバトルは「初級(E)」「中級(I)」「上級(A)」「エキスパート(Ex)」と区分わけされており、
エキスパンションのリリースと同時に中級以上が追加されるという慣例になっているようです。
体感難易度としては、中級は勝てないとマズい、上級はそこそこちゃんと組まないと勝てない、
エキスパートは平均的な対人戦とさほど大差無いというようなレベル感だと思っています。


そこで、新規デッキを作ったらまず腕試しに中級と戦ってみる。2連勝できたら次は上級。
上級にも2連勝できたらいよいよエキスパート……というように文字通りステップアップしていきます。
このとき、どのデッキがどこまで勝てたか記録するために中級以上の難易度の略号(I、A、Ex)をデッキの末尾に付加。
また、対戦相手のタイプによって有利タイプの場合「Ex-」、タイプ差が無い場合「Ex」、
不利タイプの場合は「Ex+」などのように難易度略号の末尾に補助記号を使うことも考えられます。
3連勝以上した場合は補助記号の後ろに連勝数を付与してもいいかもしれません。
2025年春現在、基本的に「Ex」まで行けば対人戦のイベントで使えるのではないかと見ています。


また、デッキはエキスパンションのリリースごとに大きく変わる可能性があります。
そこでどのデッキをどのタイミングで改築したか記録するために、
デッキを大幅に変更した場合は使ったカードの中で一番新しいエキスパンションの略号を付与することにします。
たとえばアルセウスexを組み入れた場合は「超克の光」の略号であるA2aが付与されることになります。


デッキ名は特に決めていませんが、自分はいまのところタイプごとにしか作っていないため、
「みず」「ほのお」などといった単タイプ名になります。
採用するタイプは個人的には原作準拠にするのが好きです。グレイシアがメインの場合は「こおり」になるわけですね。
複合の場合は「カイリュー」などのように特定のテーマやポケモンの名前がつくかもしれません。


以上を踏まえると、例えば有利タイプのエキスパートに2連勝したグレイシアデッキの場合、
デッキ名は「こおりA2a/Ex-」となります。
このように各デッキの進捗を記録することで、すべてのタイプでEx+突破を目指してみようとか、
自分の中で一番強いデッキはこれだといったようなことがわかりやすく可視化できるというわけですね。
対人戦に依存しないソロプレイの楽しみ方としてはわりとアリなんじゃないかと思っています。


現状、デッキは15個しか作れないのでこれ以上増やす余裕がありませんが、
今後のアップデートで倍くらいに増えたらExを使わない縛り(◆3以下のみ)のデッキを別途作ることも考えられます。
その場合はデッキ名に「◆」を付与するなどして差別化していきたいところ。
Ex縛りはかなりマニアックな領域だと思うので、自分がそこまで行けるのかは微妙なところですが……。


#7758

与えられていない一年

今日の出来事年間計画

ここで改めて、2025年という年が自分にとって良くも悪くも「やや特殊な」立ち位置であることを確認しておきます。


ここ2年を思い返すとその年にやらねばならないことは比較的明確でした。
2023年は『ピクミン4』が発売する、という事実からピクチャレ大会のリメイクが重要なプロジェクトとして
1年の中心に据え置かざるを得なかったし、
2024年も同様にブログ20周年という事実からブログの移転プロジェクトに注力せざるを得ませんでした。
後者については再三書いている通り移転プロジェクト本体はわずか数日の突貫工事となってしまったわけですが、
実は裏でやっていた2023年のブログ衰退からの復興、
すなわち大量の「書きかけ」を完成させるという作業があまりにも膨大だったこともあり、
これを含めると実は年間プロジェクトに匹敵までとは言わないまでもそこそこの難工事でした。
2024年(の01〜08月)はある意味、それに注力したという意味では有意義だったと思っています。
側から見れば借金を返しているだけなのであんまり表沙汰にしたくないことではありますが……。


ともあれ、2023〜2024年はそれぞれアニバーサリーや重要タイトルの発売という形で
自分が何をやるべきかという課題が外から与えられていて、しかもそれなりに譲れないと思えるこだわりがありました。
だからこそ、結果的にはどうであれそれに向かって1年を有意義に過ごそうという気概があったわけです。
それはある意味生活の軸のようなものとしても機能していました。
2025年は、3年ぶりにそういうものが与えられずに迎えた年です。
つまり、前年までのような成果を求めるなら能動的に何かを見出す必要があるということになります。
しかも生半可なものでは許されず、ブログ20周年や『ピクミン4』に匹敵する何かである必要がある。
やらなくても特に自尊心にダメージの無いような任意タスクでは役不足でしょう。
こういうこともあって、ここまでの2ヶ月半は寄る辺なくフラフラと無責任に生きている感覚が否めません。
年初時点では「今年こそ!!」という意気込みらしきものが数年ぶりに湧いてきましたが、
まったくの無根拠で筋が通っていなかったので失速してしまったイメージです。


これら観点から、今年の年間計画を改めて見直してみます。
2025年の年間計画は、「web制作」「ゲーム制作」「創作」という3本柱を掲げました(#07686 / 2025年01月01日)。
このうちゲーム制作は技術の進歩によって着手するハードルが十分に下がってきたこともあり、
十分な機運も感じられることから今年満を持して決行したいと思ったのですが、
チュートリアルを触って以降はあまり着手できていません。
やはり今年にやる必然性、というか具体的なアイデアがまだまだ足りていないと感じています。


web制作は「ピクチャレ大会のアプデ」「本家ブログの再制作」「新本家サイトの復興」
という3つのプロジェクトがあり、ピクチャレ大会はいわば去年のリベンジという名目があるので
これはさすがにやらねばと思っています。
本家ブログについては元日時点で「01月以内にはなんとかしたい」と言っていた通り、
01月末日にアップデート版の制作が完了したのですがビルドが通らないという重大な欠陥が発覚。
その後、改めてゼロベースから作り直そうとかNuxt Contentを使おうとかいろいろと迷走していましたが、
現時点では01月31日時点のコードに巻き戻してここから改めて再検討をしています。


新本家サイトの復興については、テーマ不在感が否めません。
ピクチャレ大会も本家ブログもひと段落したらサーバー移転時に消したコンテンツを移設するくらいはしたいですが、
いまのところ優先度は非常に低いです。これは今後の自分の興味関心にかなり依存しているところがあるかも。


創作については、2022年以降より距離が近くなった同人作家さんの影響もあって、
「自分も絵を描けるようになりたい」という機運が強くありました。
これまで長年空想してきたものを具現化するためにはどうしても絵を描けるようにならねばならないと。
これはやや微妙な問題ですが、現時点では誇大妄想の類と考えています。
つまり「できないことができる妄想」に耽溺するだけで、実際に行動するだけの理由や必然性に欠けている。
確かに絵を描けるに越したことはないし、そのメリットは計り知れない。
しかしそれはあまりにも自分の実情やスキルを無視していると言わざるを得ません。
チャレンジしたいという気持ちはあっても、まだちょっと勝てる見込みが見えなさすぎる。


一方、そもそも今年の年間計画の一角に「創作」を挙げたのは、
このブログが1000日に1回だけ慣例的に短編小説を書いている大キリ番を迎える年だからです。
そのため、どちらかというとスキルアップすべきは文章作成能力だという話を書きました(#07747 / 2025年03月03日)。
まぁどちらかというと設定をしっかり練るという方に注力すべきかもしれませんが。
ともあれ、11月までに短編小説を1本書くというのは今年の譲れない目標としてカウントしてもいいと思っています。


以上を考慮すると、01月時点で掲げていた目標のうち、
ゲーム制作はいったんリジェクトされ、新本家サイト復興もひとまず優先度をグッと下げるのが妥当と考えています。
一方、04月末を目標とするピクチャレ大会イベントのリベンジ開催は依然として未練があるし、
11月の大キリ番に向けて創作物を1本書き上げるというのもあまり妥協したくない目標と言えます。
あとはアニバーサリー(09月01日)に何かしたいというのはありますが、
ひとまずはこの2つを最優先事項とするのが妥当かなと。
本家ブログのフロントエンドについては年間計画にするほどではないので、さっさと片付けてしまいたいところ。


02月初旬から最近までは目標がなかなか定まらずにずっと迷走していた感がありますが、
とにかくフォーカスを絞ってひとつずつでも進めていきたいところです。
2025年は前2年と違ってわかりやすい節目は存在しませんが、
だからこそ能動的に目標を定めてそれに向かって精進する最初の1年にしたいという気持ちがあります。
これがうまくいけば2026年以降も同様の方法で目標を見定めていけるでしょう。
逆に言えば、ここでコケたら来年以降もかなり危ういのではないかと思っています。


#7759

表現活動とコンプレックス

ポケモン対戦専門YouTuberのインゲンさんが、
ルンパッパの解説動画 の「後語り」としてコンプレックスについて話していて興味深かったので引用してみます。


インゲンさんはもともとポエマーで、独特でテンポの良い言い回しをするのが好きだったと言います。
新しい言葉を覚えたらすぐ使う性分で、それこそ未就学時代からそうだったそうです。
しかし、それは「恥ずかしいこと」なので大っぴらに他言することができずにいました。
そこで、ある意味その恥ずかしい物事を正当化するために作詞家を目指し、
しかし当初は作詞家として仕事をもらえるレベルでもなかったので
架空の歌詞を考えて掲載するwebサイトを作ったりもしたそうです。


やがてそれが信頼できる人の目に留まり、仕事をもらえるきっかけになり、インゲンさんは思いました。
世間からはみ出している「恥ずかしい」と思う部分こそがその人の長所であり、
その長所は自分に救われるのを待っている人にとっては確かな一助になる。
コンプレックスは恥ずかしいとか恥ずかしくないとか思っていてもそれを答え合わせをする機会など無いのだから、
むしろ堂々としていればいいのではないか、と。


……まさかルンパッパの対戦動画を観に行ってこんなに打ちのめされるとは思いませんでした。
自分もおそらく世間一般の人々よりも「言葉」が好きで、だからこそ20年以上このブログを続けています。
もう知っている人はさすがにいないと思いますが、ブログ黎明期にはポエムも書いていました。
そういう意味で、インゲンさんとはかなり近しいタイプの人間と言えなくもないかもしれない。


自分もこの物書きという活動は「恥ずかしい」と思っています。
少なくとも、軽率に他人に見せるものではないだろうと。だからTwitterのプロフにもリンクを貼っていません。
まぁ自分の場合はブログという性質上、どうしても個人の意見を書かざるを得ないところがあるし、
その絡みでコンプライアンスの問題や炎上リスクといったものがついて回るため一概には言えませんが、
それを抜きにしてもブロガーであることは積極的に誰かに教えるものではないと思っています。
昔はそうではなく、こういう考え方になったのは割と近年になってからです。
ネット社会の成熟や、自分自身の成熟に伴って
ブログのような媒体でお気持ち表明することが前時代的なものに見えるようになったのかもしれません。


ここでの諸活動における「恥ずかしい」と「恥ずかしくない」の違いはなんなのでしょうか。
これは2つの考え方があると思います。まず、その活動そのものに対する先入観。
ポエマーだから恥ずかしい、小説家なら恥ずかしくない、といったようなものですね。
しかし「詩人」にも表舞台でプロとして活動している人がいる以上、それはあまり恥ずべきではないように思います。
AI絵やゲーム改造、切り抜き動画など倫理的な問題をはらんだ活動となるとまた話は変わってきますが……。


もうひとつはその活動に稚拙さがあるかどうかという問題。
他者や自分が許容するレベルと比べてまだ十分熟達していないと「恥ずかしさ」は感じると思います。
それが慢心によるものなら、インゲンさんの言説とはまた違う文脈で乗り越えるべきハードルでしょう。
一方、自分なりに十分やっていると思えるのなら堂々としていればいいのではないかとは思います。
他者から見れば稚拙かもしれなくても、いまの自分の精一杯であればそれは活動に値するでしょう。


これらの「恥ずかしさ」は他人に評価してもらって箔がつくと一気に解消するイメージがあります。
だからこそ、人は自分の活動を正当化するために他者承認を求めがちだし、
一度他者承認を得られた活動は簡単に切り捨てることができません。
一方、他者に認められていない状態だと、ついついそれ自体が「稚拙」で「恥ずかしい」ものだと思うものです。
しかし他者の目に留まるかどうかとクオリティの高低は必ずしも相関しないため、
それなりに頑張っていて倫理的な問題が無いのなら堂々としていればいいのではないか、というのは頷けます。


自分が本当に感銘を受けたのはそこから先です。
インゲンさんの言う、自分の尖っている部分こそが誰かの一助になりうるという考えには膝を打ちました。
他者と違うからこそ自分のコンプレックスになり、また長所にもなる。
他者と違うからこそ誰かにとっての「特別」になりうるのだという考えはとても救いがあります。


まさにインゲンさんの言説が自分にとっての一助になったわけですが、
同じように自分がブログで展開してきた数多くの言説がいつか誰かの一助になってほしいと改めて思いました。
『モモ』で有名なドイツ作家のミヒャエル・エンデはある対談でこんなことを言っています。



ある人たちが価値やアイデアを考えだし、こちらの人たちが、こう言うわけです。
「そうだ、僕がいつも感じていることを、言ってもらえたぞ。僕には表現できなかっただけなんだ。
だが彼は、ぴったりと言ってくれた。」
私たちにできるのは、まさにそういうことです。(『芸術と政治をめぐる対話』より)



エンデの言説が正しければ、すべての表現者は誰かの一助たり得ると言えるでしょう。
しかし自分は文筆活動をすることを「宿命」だと思っていますが、まだ「使命」と思えるには至っていません。
エンデやインゲンさんが言うことを実感できる領域にいつか達することができればと思いながら、
ひとまずはこれからも粛々と書き続けることにします。


#7760

生成AIと執筆方針

以前、このブログで優越感について考察したときにChatGPTのチカラを少し借りました(#07746 / 2025年03月02日)。
現在のモデル(GPT-4o)はChatGPT登場当初のGPT3シリーズより精度がかなり高く、
日本語の回答として不自然な割合が相当減っています。
AIを懐疑的に見る向きも少なくない世の中ですが、自分個人としてはGPT4になってからはもはや生活の一部ですね。
Google検索をするのと同じような感覚で日々いろんなシーンで使っています。


実にさまざまな応用ができるChatGPTですが、ブログ執筆で役に立つのは「掘り下げ」と「言語化」です。
ChatGPTは、明らかに論理的な間違い、事実誤認などを除いて人間側の意見を基本的に正しいものとして認識します。
そのため、違う立場から反論してほしい場合はそのように明記する必要があり、
そうでない場合は自分が言っていることを単に補足しているに過ぎないことが間々あります。
しかしこの「補足」というのが、抽象的なことをしっかり言語化してくれるので大変助かるんですよね。


上記リンク先で優越感について書いていますが、これは当初「自分はなぜ斜に構える傾向が強いのか」
という悩みについて掘り下げるつもりでした。
しかし当初はまだその掘り下げが不十分だったので、その過程をChatGPTにやってもらおうと考えたんですね。
そうしたら「斜に構える傾向の矯正方法」として5点のアドバイスがなされ、
そのうちのひとつが「優越感の危うさを理解すること」とあったのでそれをさらに掘り下げたという感じです。
そしてChatGPTの対話の中で頭を整理して、その上でブログを書いた結果がアレです。
こういうプロセスをフォローするには、ChatGPTは反則級に便利なツールです。


自分が考えていることに対して言葉を割り当ててくれるので、言語化もすごく捗ります。
ChatGPTを使うようになってからブログのモチベが多少なり改善しているとともに、
言葉を覚えるというプロセスが簡単かつ効率的になったので語彙を増やすこと自体を楽しめている実感があります。


そんなわけですでにブログのアシスタントになりつつあるChatGPTくんですが、
基本方針としてはChatGPTを含むLLMの回答は部分引用にとどめ、文章をそのままブログに載せないようにしています。
ChatGPTの回答に著作権は発生しないので、別に丸々引用したところで法的な問題は発生しません。
しかし当ブログはあくまでも自分が書いた文章を載せるという鉄則によってここまできており、
LLMだろうと他人だろうと、代筆は認められないというスタンスです。
よって、現時点ではChatGPTの回答を自分が書いたものとしてブログに載せるのは無し、という方向でいきたいなと。
まぁ、仮にそれを許すと「〇〇というテーマでこういう文体で1,000文字書いて」と指示するだけでブログが完成するし、
それが許されるならもはや人力で書く意味がなくなりますからね。


ただ、このルールはあくまでも「ChatGPT(などの汎用的なLLM)の回答」のコピペを禁ずるだけです。
たとえばこのブログの全文1300万文字を全部学習して高度にパーソナライズされた専用LLMができた場合、
それがほぼ自分と同じようにブログ記事を出力できるなら、
自分が年老いて文筆活動がままならなくなったときに代筆してもらうのはアリかも。
それが可能なら、サーバー代さえ払えれば自分が死んでもなおブログの運営を続けることができてしまいます。
SFチックな話に聞こえますが、実はこれは相当の手間を払えばもう実現できる段階に来ています。恐ろしいですね。


#7761

ジャンクな人間関係

Discordの常連サーバーでボイスチャットしていたらきわめて理不尽な形で他人の地雷を踏み、
非常にイライラしつつも寝なければならない時間になったので布団に潜るのですが、
睡眠薬を規定量飲んだにも関わらず(薬が効いていてめちゃくちゃ眠いにも関わらず)03時半まで眠れませんでした。
禁断の3錠目を飲むことでどうにか眠ることはできましたが、やはりストレスは睡眠の大敵であることがわかります。


地雷云々についてはここに何を書いても弁解にしかならないのですが、
ネタのつもりで会話のキャッチボールを投げたら侮辱したものとして受け止められるという、
いわゆる「冗談が通じなかった」系のありがちなトラブルでした。
そもそもネタ自体会話相手に対する侮辱でもなんでもないので会話内容を理解すらせずにキレているとしか考えられず、
あの文脈から悪意を読み取るのは被害妄想もはなはだしいので本当に勘弁してほしいものです。
自分はこの件で、この相手がどうこうというより、誰でも入れるネットコミュニティはときに楽しく感じても
実態としてはジャンクな人間関係でしかないという認識を改めました。
もちろん精力的に活動している人は別であることは強調しておきますが、
しかしこの手の場所はそうではない人も入ってきやすいし拒めないという特徴があるのは事実だと思います。


2024年からはその「ジャンクな人間関係」に半ば依存してきた面もあり、この点もそろそろ改めるべきだと感じました。
当初は入室するのに結構勇気を使ったし、入ってからはそこそこ丁寧に言葉を選んでいたつもりでしたが、
最近はそういうこともなくなってきて悪い意味での慣れを実感しています。
1年首を突っ込んで感じたのは、Discordサーバーにおけるボイチャは必ずしもストレス発散にはならないということ。
れっきとした人間関係としてカウントしない方がいいような気がします。


ここは基本的には共通趣味に関する話をする場であり、それ以外のことは表面的な話に留めるべきです。
ゆえに話したいことが全部話せるわけではありません。
共通趣味に自分がのめり込んでいれば別の話ですが、ガチ勢と違って常にそこまで温度を保てるわけでもないし、
会話相手がいればどうでもいい世間話もしたくなるのが人情というものです。
それが抑制されるというのはかえってストレスなのかもしれません。
共通趣味にのめり込んでいるという前提が欠落しているなら軽率にボイチャルームに入るべきではないのでしょう。


その点では、自分にとってはいまふたたび軽率に入れる系のコミュニティが求められるフェーズなのかも。
過去で言うと2019年の匿名系SNS、2021〜2022年の匿名掲示板がそれに当たりますが、
この手のコミュニティはジャンク度がさらに上がるので触れずに済むならそれに越したことはないと思うんですよね……。
いつぞやに匿名系SNSのボイチャで今回よりもさらにわかりやすい地雷を踏んだことがあり、
どうしてもリアルを介さないネット発の人間関係はこうなりがちという印象があります。


リアル発で2020〜2024年に5年間継続していたゲーム会は1対1で週1回5時間くらい雑談するというものでしたが、
共通してできるゲームが完全に枯渇してしまったためいまは休止しています。
これはゲームという共通項目を用意するという名目はあるものの実態はお互いに話したいことを話す場だったので、
ネットのジャンクな人間関係と比べるとよほど健全かつお互いのストレス発散になっていたと思います。
しかしこれも2024年の末期にはかなり惰性でやっている感覚があったので、
いつかは不本意に一線を越えてしまいトラブルになってもおかしくなかったかも。
大切な相手だからこそ、そうなる前にいったん距離を置いた感じですね。


これらのことから、やはり惰性で人間関係を続けることには多少なりリスクがあるのだと分かります。
自分はおそらく長期の人間関係を築くのが不得手で、そういう面でのコミュ障は克服できていないのかもしれません。
ヤマアラシのジレンマでいうところのトゲが普通の人よりも長かったり鋭かったりする可能性がある。
それは言うなれば潜在的なストレスが溜まりに溜まった結果とも言えるし、
心の負の側面(特にサディスティックな部分)が人よりも濃いと考えることもでき、
いずれにしろ長期の人間関係を構築するための障害になっています。


思えば、現在のライフスタイルでは明確にストレスを発散できる場が存在しないとふと思いました。
それが継続中の人間関係に支障をきたす遠因にもなってそうな気がします。
いわゆる「楽しみにしていること」が現状皆無で、人間関係のみならずすべてが惰性で進行しているなと。
自分で自分の尻を叩いてやるべきことをこなすのも大事ですが、
心が破綻する前にガス抜きの方法も本腰入れて探すべきなのかも。
まぁ、それが簡単に見つかったら苦労しないんですけどね……。


#7762

スラドの日記エントリー数

ネット黎明期から存在したアレゲなニュース(=IT分野など、ディープなネットオタクが好む話題)を取り扱うサイト、
「スラッシュドットジャパン」、通称スラドが今月末をもってサービス終了となるそうです。
SNS以前の時代には2ちゃんねると並んでよく見かけたサイトでした。
ちなみに、ついでに元SourceFourge.netこと現「OSDN」も閉鎖されるようです。
SourceFourgeといえば、オープンソースソフトをホスティングしているサイトでした。
オープンソースなフリーソフトをダウンロードするときはよくここへ行ってダウンロードしたものです。
海外サイトからのダウンロードは危険という先入観はあったものの、
「SourceFourgeなら大丈夫だろう」という謎の信頼感がありました。
昨今は、まあGithubがありますからね……。


個人的には別にスラドに入り浸った経験も特にないので語れる思い出があるわけではないのですが、
サイトを眺めてみると気になる項目がありました。
というのも、このサイトはニュースサイトでありながら個人も発信できるという体で、
日記機能というのを提供していたらしく。
そしてそのユーザー別エントリー数が全ユーザーのうち上位10名まで表示されていました。


自分のような限界ブロガーにとって、唯一のアイデンティティーは記事数が多いことです。
しかし基本的に他人の記事数を見ることが無いので比較対象をこれまで見たことがありませんでした。
スラドのランキングはある意味初めてそれと巡り会ったと言ってもいいかもしれません。
それによると全ユーザー中トップは約14,000本、4位で8,630本、5位で7,524本、10位で5,908本です。
ちなみにスラドは2001年05月開設で、今日現在でまだ1万日経過していません。
そのため、このランキングは1日複数回投稿を許すものであることがわかります。


このブログをスラドのランキングに当てはめると5位ということになります。
スラドで日記を投稿した人が通算何人いるのか公開されていないのがモヤるところですが、
ピーク時月間PVが8桁行っているそうなので24年間あればさすがに10万人は登録していてもおかしくなさそう。
「約10万人中5位」というのはそこそこ現実味がありそうな数字に思えます。
日本のブロガーは推計約500万人だそうなので、スラド外を含むと単純計算で250位前後ということになりますか。
まぁ超ざっくりにも程がある自己満足的計算ですが、
要するに自分みたいに書き続けている人というのは実は唯一無二ではなく、
むしろ国内だけでも数百人、もしかしたらそれ以上いる可能性があるということです。
ブログをやっていると、こんなことは自分一人しかやっていないんじゃないかというのはよく思うことですが、
おそらくそんなことはないと思うんですよね。
こうしてスラド内という小さな(?)集団の中でさえ自分よりたくさん書いている人が4人もいたわけで。


それはさておき、スラドが消えることでまた2000〜2005年のネット文化がひとつ消滅することになりますね。
ジオシティーズもインフォシークも消えちゃったしなぁ……。
まだ5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)がしぶとく残っていますが、
荒らしに対する運営の無力さや減少の一途を辿っているユーザー数などを考えると
サービス終了はそれほど遠くない未来に待っているのではないかと思っています。


#7763

近況まとめ 2024年03月

今日の出来事近況整理

少し前までブログで話題にしていたものの、
現在は単記事にするほどでもない話題を片っ端から書いていこうのコーナーです。


◆原神

完全ソロプレイとしてはかなり続いている原神ですが、さすがに失速してきました。
最近は微課金のログインボーナスをもらうだけために継続しています。
ガチャ近況としては「シグウィン」は引きましたが育成は中途半端なところで止まっています(これはやり切る予定)。
現在は「フリーナ」が残り5日となっていて、現在までに20連で出ていません。
手持ちの課金石で引けるのはあと10連のため、最初の天井すら課金必須ということになります。
これはモチベを鑑みると諦めるのが妥当だと思うのですが、後々復帰したときにとても後悔しそうではある……。


また、雷電将軍、宵宮、ナヒーダの聖遺物スコア100についても達成しました。
これのおかげで明らかにパーティの総力が底上げされた……というか体感4倍くらいダメージ出ているような。
雷電将軍は元素爆発時8万ダメージ、ナヒーダは元素共鳴時2万ダメージ出ています。
ナヒーダの元素共鳴攻撃は控えから敵全体に当たるのでこれが2万というのはめちゃくちゃ強いですね。
これのおかげでこれまで2分弱かかっていた秘境が30秒で終わるようになってしまいました。


今後もいちおう力尽きないかぎりは微課金してログインボーナスは貰い続ける予定ですが、
能動的に「これをやろう」と思わないと本格的な復帰は難しいかも。
聖遺物スコア100を出してからの深境螺旋11層はまだ未経験なのでやるとしたらこれですね。


◆仮想通貨

Bybitの大規模ハッキング被害や大手取引所の日本版App Storeからのリジェクトなど、逆風が強い仮想通貨取引。
ですが実はそんな中でも利益はしっかり出しており、現時点で年初来116%増を達成しています。
第一目標は100%だったのですでに突破しており、次は06月末までに333%を目指すことにしています。
自分はBybitの日本ユーザーなのでこの逆風は現時点でもっともリスキーな立場と言えなくもないですが、
Bybitは日本ユーザーを制限しない旨の声明を出しているのである日突然出金できなくなるということもないでしょう。
出金さえできればどうとでもなるし、全額USDT(テザー)にしておけば、
このステーブルコインはアメリカ政府の後ろ盾を手に入れているのでまあまあ盤石だと思っています。


取引方針については、前年まででテクニカルに頼った取引はどう頑張っても勝率5割を超えないという教訓があるため、
経済ニュースやCoinPostの有識者レポートなどから買い圧と売り圧のどちらが強いかを日ごとに見極め、
ボリンジャーバンドを頼りに圧が強い方にトレンドが形成されたら順張りでポジるという方針でやっています。
ポイントは超短期&毎日やらないということですね。デイリーレポートなどを見て判断に迷うような日は手を出さない。
誰が見ても買い(売り)だというトレンドが明確なときにしか手を出さないようにしています。


◆ピクミン

メテオス20周年で「できるか分からないがやってみたい」
と思う物事に対して素直に挑戦してみようという機運が高まり(#07755 / 2025年03月11日)、
その流れでランキング2位だった「熱砂の闘技場」に挑戦してみました。更新できれば世界記録。
正直以前から結構沼っていたので期待していなかったのですが、なんとあっさりクリアできました。
これまでダラダラやっていたことは否めないので、心構えの変化がこの結果をもらたしたのでしょうか。
ダンドリバトルのスコアタは年末年始から順番に2023年当時の自己ベストを潰しており、これで3ステージ目です。
WRを取れて満足なのでひとまずダンバトはこれでいいかなと。
年初時点ではピクミンシリーズはなんらかのRTAを走りたいと思っていましたが、
モチベ的にまだ難しいんじゃないかと思っています。


◆ピクミン以外のゲーム

年初来、スマホゲーム以外はほぼやっていませんが、ピクミンをひと段落とするならやっておきたいタイトルがいくつか。
まず20年ぶり新作として発表された『テトリス・ザ・グランドマスター4』。
発売はまだですが発売されたら絶対に買いたいタイトルです。
あとローグライト系で気になっているのが『シェイプヒーローファクトリー』。
こういうガッツリ系は本当に遠ざかってしまったので着手のハードルが高そうですが、
ローグライト×工場系×タワーディフェンスという組み合わせだけで心躍るタイトルで、年内には着手したいですね。
Steamは他にもウィッシュリストがかなり溜まってきたので大人買いしたい気持ちがあるのですが、
99.9%は積むのでそう考えるとどうしても思いとどまってしまいます。
全部Switchで出てくれればいいのに。


* * *


こんなところですかね。
あ、ちなみに本日発表のNintendo Switch 2体験会抽選は当選しました。
ダンドリ検定で落ちたトラウマがあったのであまり期待していませんでしたが、まさか当たるとは。
が、実際に行くかどうかは五分五分です。この辺はNintendo Direct 2025.4.2で判断することになるでしょう。


#7764

制作者と鑑賞者のギャップ

かつて、SAW IIの30周年記念リマスターの報せを聞いてアンビエントへの興味が再燃したものの、
当時はまだSpotifyから移行したばかりだったApple Musicにおける音楽の掘り下げ方がよく分からず、
Apple Musicの機能不足を言い訳にして結局行動不全に陥っていると自己批判する一幕もありました。
Spotifyは楽曲を指定して関連楽曲のプレイリストを生成するラジオ機能がとても便利なのですが、
Apple Musicにはそれが無いという不満があり、それを発散したかったというのが実情です。


とはいえ、いまさらですがApple Musicにももちろん代替となるような機能はあります。
アーティストページへ行くと音楽性が近い関連アーティストが一覧表示されるので
同ジャンルおよび周辺ジャンル内の掘り下げはおおむねこれで事足りるし、
それを補助する役割としてApple公式のジャンル別プレイリストというものに辿り着くこともあります。
これはかなりの数があるらしくマイナーなジャンルもカバーしており、
1つのプレイリストに収録されている楽曲がとても多いので横断的に聴くにはうってつけです。
欲を言えばレーベル別のページも作って欲しいところではありますが……。


最近はこれに加えてChatGPTも活用するようになりました。
検索エンジンと違ってキーワード化が難しい曖昧な条件でもそれっぽい楽曲を無数に提案してくれるし、
Apple Musicを併用すればその場で視聴できるので音楽探しがものすごく捗ります。
提案された楽曲に対して自分のお気に入り度を点数化してレスポンスすることによって、
ChatGPTくんには自分の好きな音楽の傾向をなるべく覚えてもらうようにしています。
何度かやっていると結構好き寄りの音楽を提案してくれるので効果はありそう。
最近、エレクトロニカへの興味が再々燃しているのは少なからずChatGPTのおかげでもあると思っています。


この影響でダウンロード楽曲の数も増えました。
サブスク以降、楽曲をダウンロードする基準は
「サブスク以前の自分がこの楽曲と出会っていたらCDを買っていたどうか」と決めており、
そうポンポンとDLしているわけではありませんが、それにも関わらず買うに値する楽曲が次々に見つかる状況です。
それでCDが存在するならCDは買ってしまおうかと存在確認調査をしたわけですが、
CDが存在するアルバムのうち1枚について調べていたらアーティストの個人サイトに行きつき、
「今回のアルバムは制作に4年かかりました。自信作です」というコメントを見つけました。


決して軽率にお気に入りを決めているつもりはなかった自分でも、
「制作期間4年」というコメントには重みと、それと聴く側とのギャップを感じずにはいられませんでした。
娯楽がインスタントに大量消費されるようになった現代、
音楽や動画はサブスクやストリーミングによって個人が直接お金を出して買うものですらなくなり、
それゆえにひとつひとつを噛み締めるように味わう機会はみるからに減りました。
しかし、だからといって作品が手間なく作られたわけでは決してないんだなと。


SNSでは、日々無数の高クオリティな作品が流れてきます。
何気なく「いいね」をつけているそれらひとつひとつも、長い鍛錬を経て生み出されたものに他なりません。
こちら側の人間にとって、それらは日々無料で大量消費するうちのひとつでしかありませんが、
平成時代ならきっとお金を出してまで味わっていたものであろうことを考えると、
1いいね、1ダウンロードの重みを感じずにはいられません。
いわゆる推し活動の一環でパトロンサイトにお金を落とすようになった自分ですが、
応援したいアーティストは遠慮なく支援していきたいと改めて思いました。
やはりCDの存在するエレクトロニカのアルバムは全部買おう。


#7765

ポケポケの色違い

ポケポケの新しいテーマ拡張パック「シャイニングハイ」発表!
来週の木曜(03月27日)に配信開始され、翌日よりランクマッチが開始されるそうです。
リザードンexやピカチュウexなど過去に登場したexポケモンの性能違いやパルデア地方のポケモンが登場するほか、
なんと新しいレアリティとして色違いが実装。トレーナー枠はレッドとナンジャモ。
色違いのレアリティマーク1つ(✸)は従来の◆3以下と同じコモン枠でポケモンの色だけが違うという仕様で、
2つ(✸✸)は従来の★2に相当するフル3DCGの色違いバージョンとなるようです。
色違いは、原作では世代を追うごとに希少性が薄くなっているもののやはり激レアとしての立ち位置。
個人的には「★2>✸>★1」「👑>✸✸>★3」くらいの確率であってほしいと思っています。
カードのフルコンプリートを狙っている課金勢からするとこれはなかなかエグいですね。


バトルとコレクションの割合が2:8くらいの自分にとって、色違いはかなり嬉しいニュースです。
サービス2年目以降に出してもおかしくないくらいの弾なのに、まさか半年未満でぶち込んでくるとは……。
第一報を見るかぎり色違いが出る対象は限られているという印象を受けますが、
もし好きなポケモンが登場するとなったらもう沼に沈んでいくのは確定事項になります。
好きな色違いといえば真っ先に思い浮かぶのはミロカロスやエルフーンやネッコアラ、
思い入れが深いポケモンではメタモンやグレイシア、アンノーンなどがいますが……
もしこれらが実装されたらもうそれなりの課金は免れないでしょう。
エフェクトが魅力的なら3枚集めないといけないわけで……。


実は最近、毎日3回のパック開封をより楽しむためにパック選びのマイルールを整備しました。
各パックでまだ出ていない◆カードの数を数え(A)、またそのパックで欲しい★2以上のカードを数え(B)、
それぞれのパックで「A+B×3」を計算して一番ポイントの大きなパックを引くというものです。
これまでは「イマーシブピカチュウは絶対欲しいから」と脳死でピカチュウパックを剥き続けたり、
あるいは新パック登場からずっと新パックだけを剥いていたりしましたが、
このルール整備によって実は新パックの◆カードはほとんどコンプリートする一方で
ミュウツーパックなど初期のピカチュウ以外のパックは意外と歯抜けが多いことが明らかになりました。
現時点で最多ポイントが15点のリザードンパックなので、ここ数日はずっとリザードンパックを剥いています。
おかげで新カードも1枚出ました。


基本的な方針としては、砂時計はひたすら貯めて新パックリリース日に一気に使い、
それからしばらくはデイリーも新パックを引き、◆カードが揃ってきたらポイントの高い昔のパックに戻る、
という感じでやっていこうと思っていま……したが、まさかの色違い実装で計画が崩れる可能性もあります。
もし妥協したくない色違いポケモンが実装される場合はその分優先度を上げざるを得ません。
色違いで欲しいカードがある場合はシンプルに上記計算式の「B」に加算すればいいと思いますが……。
当然、イマーシブやトレーナーカード、通常色のポケモンの★2以上もそこに加わってくるため、
ポイントがかなり高めに出る可能性はあります。
まぁ、それならそれで粘着するに値するパックということなのでしょうが、
このペースだといつまで経ってもポイントを消化しきれないのが目に見えているんですよね。どうしたものか。


#7766

動線改善アップデート

01月下旬の例のビルドエラーで死んだプログラミングモチベがやっと復活したため、
ここ数日動き回って年初来のタスクだったこのブログの動線改善アップデートを終わらせました。
具体的にはトップページから直近100本まで辿れるようにしたのと、記事ページの前後記事表示の改善です。
まぁこれで最低最小限の体裁は整えたのではないかと……。まだまだやるべきことはありますけどね。


なお、ビルドについては原因は半分までわかっているものの根本解決はまだです。
開発環境のコンテナ外、つまりOSのローカル環境そのものでyarn buildを実行すると通るので、
ローカル環境とコンテナ環境の差異に原因があると思われます。
これはいろいろなプラグインのバージョンなどを調べていくことになりそうですが、
案外Dockerfileをあれこれいじっているうちに直りそうな予感もしています。
まぁ、いずれにしろNext.jsなど動かすソフトウェアというよりは土台に原因がありそうではある。


開発環境はビルドが通るので本番相当のwebアプリを動かすことができていますが、
本番環境(Ubuntu)は本番環境でコンテナ外でやろうとするとさまざまなエラーが出るし、
他のサイトと共存している部分でもあるのでやはりコンテナ内でビルドできる必要はありそう。
まぁ、これは見た目上の支障は無いので今後の課題とさせてください……。
ビルドできるに越したことはないのは確かなのでさっさと解決したいところではありますけどね。
後述のこともあるのでこれはこれから着手するかもしれません。


緊急度の高かった動線改善がひとまずできたということで、
次はいよいよ春に向けて特設サイト側に着手したい……と思っていました。
これのリミットを春に置いたのはテーマとするゲームのアニバーサリーがそこにあるからなのですが、
コミュニティでみんなの都合を聞いてみると年度末〜GW前後は忙しい人が多そうな気配。
また先日のプチトラブルの件はいちおう表面的にことなきは得たのですが、
自分の内情としてはきわめて心外であり納得感に欠けることに変わりはなく、
それもあってコミュニティのために頑張ろうというモチベーションがかなり損なわれている状況です。
正直、これだけマイナスファクターが揃っていてプラスの材料が皆無という状況で、
いまの自分がモチベを絞り出して頑張れる気はしません。
そのため、このプロジェクトについてはいったん凍結が妥当だと思っています。


そういうわけで、現状はいったんタスクがリセットされて順番待ちが解消したという認識です。
先述の通り本家ブログの見た目改善の続きをやってもいいのですが、
こういう機会はあまり無いので他にやるべきことは無いのかしっかり吟味していきたいところですね。
特にいまはプログラミング系のモチベがそこそこある状態なので、このエネルギーを使わないのはもったいない。
やりたいと思いつつずっと保留している新本家サイトリメイクなんかはすぐに浮かぶ案です。
これもまあまあ有望ではある気がする。


#7767

ダンドリバトル大会総括

去年06月からピクミンコミュニティで不定期に開催してきた「ダンドリバトル大会」ですが、
今日の第14回である種の「限界」を感じたためここで一区切りとすることにしました。
不躾ではありますが、ここに簡単に経緯と総括をまとめていきたいと思います。


発端は2023年末にYouTube Live上で行った「反省会」だったと認識しています。
2023年は『ピクミン4』が発売され、ピクチャレ大会もそれに合わせて半年かけてリニューアル。
それにより、ピクミン界隈は新規ユーザーが増えてますます盛況に……はならなかったんですね。
完全新作登場にも関わらずピクチャレ大会のユーザー数増加率は『ピクミン3デラックス』発売当時を下回り、
『ピクミン4』カテゴリへの投稿数も伸び悩んでいました。
そこで反省会ではいかにして新規さんを増やすかを議論しました。


2023年シーズンは『ピクミン2』の世界記録が異常なペースで更新された時期でもありますが、
そのすべてがわずか数人の古参プレイヤーによるものでした。
かつては群雄割拠の様相を呈していたWR表も少人数によって独占され、
コミュニティの縮退を象徴するような現象として強く印象に残っています。
加えてメインプラットフォームがTwitterからDiscordのボイチャへ移行することによって、
急速な「内輪化」が進んだ時期でもありました。
そういうわけでピクチャレ大会管理人としてもコミュニティの一員としても、
新規さんの獲得は喫緊の課題だったわけです。


一方で当時はまだピクミン界隈におけるボイチャが新鮮なこともあって、
既存プレイヤーとの交流は楽しいと思えていました。
そこで、まず既存プレイヤー同士の「内輪」で定期的にイベントを開催して周知することによって、
コミュニティをより楽しくすることと新規獲得を両立できるのではと考えました。
新規さんにとってコミュニティが魅力的なほど、当然ピクミンやり込みの機運も高まりやすいでしょう。


イベントは可能なかぎり毎週土曜日に行うことを画策しました。
これは「土曜日ならピクミンコミュニティに人が集まる」という印象を持たせたかったからです。
ボイチャは入場にそれなりに勇気が要る場所ですが、
それはすでに入っている参加者の数が多ければ多いほどハードルが下がります。
ゆえに、参加希望者がいるなら参加時間帯はなるべく同じ時間であることが望ましい。


当初はRTA並走会という案が出て、実際にこの土曜のイベントは並走会でスタートを切りました。
しかし毎週並走会というのも疲れるし、RTAはそれなりにハードルの高い種目です。
そこでもっとカジュアルに参加でき、実力も問われないようなイベントがあればと考えました。
「ダンドリバトル大会」はこうした文脈の中で生まれることになります。


『ピクミン4』にはダンドリバトルという対戦モードがあり、
ローカルマルチプレイには対応していますが前作と同じようにオンラインには対応していません。
そこで、同ステージを同条件でCOMを相手に同時にプレイして、
「自分の点数−COMの点数」を最終的な点数とするリアルタイムスコアアタックに仕立て上げたわけです。
幸い、ダンドリバトルには本編とは独立したモードがあり、そこではピクミンの種類を自由に切り替えられます。
6ステージ×8色=48通りの組み合わせがあるため、ランダム選出すれば割と毎回新鮮な気持ちで臨めます。
組み合わせごとの攻略方法や難易度も多様で、ゲームとしてはそれなりの出来だと思います。


しかし同条件でヨーイドンでスコアを競うだけでは、
ピク力(=ピクミンシリーズにおける地力)が高い人が毎回上位になるのは必然的です。
そこで、ダンドリバトルはランダム要素がそれなりにあって毎回必ず勝てるわけではない、という点に着目し、
ちょっと変わったレーティングシステムを考えました。それがこれです。


- 初参加者は基本的には持ち点1000点からスタート。
- 各バトル開始時に、持ち点の10分の1の切り捨てをポットに支払う。(切り捨ての結果が0でも参加はできる)
- (自分のダンドリP - COMのダンドリP)をスコアとして順位を決める。
- 参加者は順位によって次のポイントを得る。[(参加者数-順位+1) / (1から参加者数までの整数の和) * ポット]
- 同順位の場合、該当参加者がもらえる予定だった点数を等分する。

たとえば1000点が4人いる場合、支払いは各100点、リワードは1位から順に160、120、80、40点となります。
つまり、1〜2位は黒字ですが3〜4位は赤字ということになります。
持ち点が多ければ多いほど支払いは増え、その分「黒字のボーダーライン」が上がっていくことになります。
ウデの立つ人ならあっという間に1200〜1300点に到達しますが、
そこから先は理論上はほとんど1位か2位を取り続けないとレートを維持できません。
万が一最下位を取ってしまうと大変なことになるので、
どんな組み合わせでどんな状況でもコンスタントにスコアを出す地力が求められることになります。
一方、700〜800点くらいまで落ちた人は中位でもレートを溶かすことがなく、
もしも1位を取ることができれば爆盛りできるというロマンがあります。
そのため、この辺のレートなら得意なステージを1つでも作るのが有効な戦略ということになります。
1回でも1位を取れば直近数回分のマイナスを帳消しにできるわけですからね。


実際にやってみると、みんなそこそこの点数を安定して出せる難易度の低いステージから、
「熱砂の闘技場×氷ピクミン」のようにプレイが困難で地獄のようなステージまでさまざまあり、
いろいろな戦略の可能性があったと思います。
個人的にはステージの基本を掴めば比較的どの色でもスコアを出しやすい
「こてしらべの戦い」「戦場のおもちゃ箱」では最下位を取らないように意識していました。
回が進むと、あの人はこのステージが得意だなとか、この人は逆に苦手だなといったデータも集まってきて、
「このレートでこの状況なら〇〇点は欲しい」といった目標意識が生まれることもなきにしもあらず。


そういうわけで、それなりに戦略性がありつつもウデの差がある人が集まっても楽しむことができ、
イベントの一角を担ってもらうコンテンツとしては上出来かなと思っていたのですが……。
第14回で一区切りとなってしまったのは、ひとえにゲームとしてストレスが溜まりすぎるというのがあります。


このゲームは、一言で言えば「COMが妨害してくるチャレンジモード」です。
COMは決して強くないのですが、ゲームの性質上完封することは難しく、
また状況的に「人と競っているスコアタをただ邪魔してくるだけ」の存在ということもあって、
ゲームプランを崩壊させられると結構血圧が上がります。
また味方のオッチンも操作感にクセがあり、ちょっとの誤差で仕事をサボることも間々あります。


結局ダンドリバトル大会は、一部の参加者によってCOMやオッチンへの罵詈雑言大会みたいになってしまったんですね。
精神的負荷がかかるゲームというのは事実だし、
たまに理不尽な憂き目に遭った際に文句のひとつやふたつが口を突いて出るのは許容範囲だと思うのですが、
実態としてはほぼ毎回誰かがゲーム中ずっとオッチンやモス(敵キャラ)への罵詈雑言を並び立てるばかりになり、
ときに一線を越えるような発言が飛び出てくることもありました。


個人的にダンバト大会はもうダメだと思った契機のひとつになったのが、
末期に待望の新規さんが現れたのですが、同じように罵詈雑言を並べ始めたときですね。
罵詈雑言を言う人がミイラなら、もはやダンバト大会はミイラを作る装置と化してしまったわけです。
これではこのイベントをきっかけに新規さんが入ってきても罵詈雑言仲間が増えるだけ。
「まずは内輪を盛り上げて、新規さんにもそれを楽しんでもらう」という当初の目論見は破綻したと言っていいでしょう。
むしろ、ダンバト大会を続ければ続けるほどボイチャの民度がゆるやかに悪くなっていき、
ひいては界隈の縮退をより一層加速させるのではという懸念さえあります。
実際に1年前と比べてボイチャの民度は悪くなっていると思います。


これは罵詈雑言を言う特定個人が悪いというわけではなく、
やはりダンバトがそもそもカジュアルに人と競い合う種目として適していないということなのでしょう。
ゲームがゲームなので「罵詈雑言は禁止です」というルール改正で乗り切れないのが難しいところです。
次は罵詈雑言を言わなくても楽しいイベントを思いつければと思いますが、
結局新規さんが入る余地を作るために入口を広くすれば
罵詈雑言でストレス解消したいだけの人が入ってくるような気がしなくもない。
それくらい、ピクミン界隈=罵詈雑言というイメージが自分にも根付いてしまっています。
これをいまから払拭することはできるんだろうか。


まぁ、そもそも内輪向けイベントで人を呼び込むというのが土台無理のある話だったというオチです。
やはり自分が率先して配信する方がまだ可能性はあるんでしょうかねぇ……。
しかし、そこまでやるモチベを捻出できるのかどうか。
いま、ピクミン関連は自分の中で明確に下り坂に差し掛かり、ちょっとした正念場を迎えています。


#7768

髪質が落ちた

今日の出来事身体の問題

スマホの本人確認で自分の顔をマジマジと見る機会があったのですが、
自分史上初めて髪質が落ちたように感じ、若干危機感を抱いています。なんというか、髪にカタさを感じる。
ふだん触っていれば気づくようなものだと思うのですが、実際にはアップで視認して初めて実感しました。


自分は幸いにもまだハゲる予兆も無く、白髪も皆無で髪に関する悩みはまだありません。
まぁあと10年もすればきっとどちらかで悩まされることにはなるのでしょうが……。
それよりも近年は関東へ移住したことにより平均湿度が落ち、
それによって頭皮がカサつくことのほうが非常に深刻な問題でした。
なのでシャンプーは頭皮ケアを最重要視した薬用シャンプーだけをずっと使っています。
頭皮に悪影響を及ぼしたくないのでこれしか使っていません。
本来は湿度がより下がる冬季だけ使えばいいのですが、いつの間にか通年で使うようになってだいぶ経っています。
これによって少なくとも実家時代と比べてヘアケアが疎かになっているのは事実で、
それが5年目にして変化が目に見えるほどになってきてしまったということでしょうか。


少しだけメンズシャンプーの事情について調べてみましたが、専門用語も選択肢も意外と多いです。
まぁでも、単純に考えれば髪質が「硬くなった」と感じるのは髪に潤いが足りていないからでしょう。
それはシャンプー後に適切なリンスを使えばある程度ケアできるのではないかとも思いますが……。
ただ頭皮のカサつきはそれはそれで深刻な問題なので、リンスを使えば全部解決とも言えなさそう。
まぁ、ちょっと今度ドラッグストアをざっと眺めてみて解決方法を探してみることにします。
これは実質的にはファッションがどうのこうのというより、関東に特有の湿度の低さに関する問題ですね。


ちなみに、これを機にファッションの世界へ身を投じるというようなことは無いと思います。
確かに未開拓かつ奥深いのは確実で、ハマれば自分を更新するような新鮮味を感じられるかもしれません。
ある意味自己肯定感が上がり自信がつきそうな分野でもあります。
ただ、合理主義・実利主義的な考えからすると、独身が頑張ったところでメリットが無さすぎるのでやはりナシですね。
よっぽど好きな人が近くにいないかぎりは縁のない世界でしょう。
しかし髪の問題はそれとは関係なく健康上の問題でもあることからなんとかしたいと思っていますが……。
自分もいずれは白髪ないしハゲになってこういう話さえもできなくなるのかなぁとふと思いました。


#7769

自動タグの突発的進展

去年同時期ごろ、かつてブログ移転の必須条件としていた自動タグ付与について妄想していました(#07382 / 2024年03月03日)。
自動タグ付与自体はずいぶん前から妄想していたことですが、
生成AIの登場当時は「ChatGPT APIを噛ませればちょちょいのちょいでできるのでは?」と思ったものでした。
しかしよくよく考えてみると
いくらChatGPTでもゲーム内の固有名詞などググっても出てこないような言葉の判別は不可能なので、
そういった固有名詞とタグの関連づけは結局人力でやらざるを得ない……
ということはつまり現実的ではない……というのが去年時点の結論でした。
現実的ではないと思ったので、20周年に際してはスッパリ諦めることにしました。


そもそも2025年現在、7700本もの記事をAIに読み込ませるのはかなり高いハードルがあります。
少なくとも無料の範囲では無理なんじゃないでしょうか。
50本以下でいいならNotebookLMという選択肢がありますが、ケタが2つ足りません。
なのでいわゆるローカルLLMを構築するというアプローチで妄想していたこともありますが、
ハードウェアと専門知識の両方を求められるという点でなかなか着手しにくい分野です。
しかも、どんなに頑張ったところでGPT-4oには敵わない。


そんな中、昨日たまたま「Dify(ディファイ)」という
ノーコードで生成AIを介したバッチ処理プロセスを作成できるツールを知りました。
まぁ、それはきっかけでしかなかったのですが、Difyでできることは何なのかをChatGPTくんに訊くなかで、
それよりもPythonの自然言語処理ライブラリを使った方が有望かもしれないという可能性に行き着き、
それを掘り下げていったらみるみるうちに現実的に実現できそうなところまで手が届くようになりました。
こういうところが本当に生成AIの恐ろしくも愛おしいと思わせる部分です。


TF-IDF解析によって記事内の重要単語を抜き出すスクリプトはもうできていますが、
それで試しに直近100本の記事を回してみると、必ずしもスコアが高い単語=タグとして有望というわけでもない。
ただ、このブログの過去記事についてはすべて人力で付与してきたタグがいちおうあります。
なので記事の重要単語と人力タグを紐づけることはできる。
ここまではもうカードが揃っているので、ごく機械的なタグ付与ならもうできるかもしれません。


実際には、新語や固有名詞を正常に認識しない問題や
(たとえば、MeCabの形態素解析では「雷電将軍」は「雷電」と「将軍」にわけてしまうなど)、
1記事1トピックスの原則が確立したのはわりと近年になってからなので
複数トピックスのある記事をどう処理するかなど、実用レベルに持っていくにはまだ壁がいろいろあります。
しかし、かつては夢物語だった自動タグプロジェクトが今日一日でものすごい進展しました。
ChatGPT APIを使ってなんとかするのではなく、ChatGPTと一緒に考えるというアプローチが正解だったんだなと。
もちろんAPIを使うという選択肢も残っていますが、現状だとPythonだけでなんとかなりそうではある。


本家ブログの適切なタグ付与は過去記事を掘り下げるためにもきわめて重要な機能なので、
このまま行けるところまで行って、過去記事探索をさらに快適にしたいところです。


#7770

年間計画の評価

今日の出来事年間計画

このブログの黎明期からいまもなお続いている「年間計画」。
これは単にその年の抱負を書くだけでなく、その年ならではの「色」を見出す作業であると認識しています。
長らくの間、「今年の抱負」は単に誇大妄想をそのままペッと貼り付けただけのハリボテでしたが、
明確に大人になってからやっと少しずつ現実を見れるようになってきました。
しかし、それでもまだまだ実現率は低いです。


年間計画を立てる習慣はもともとブログのいちトピックスとして始まった企画のようなものですが、
21年目のいまとなってはもはや自分ならではの生き方のようなものになっていて、簡単には否定できません。
ただ一方で、その在り方には多くの課題がある側面も否めないと思っています。
そのうちのひとつに、最近の気づきとしてそもそも1年の評価は結果論だというものがあります。


年間計画は年初時点、つまりその年がまだほぼ始まっていない段階の願望を書いているに過ぎません。
誇大妄想からどんなに削ぎ落としても願望は願望です。
そして年末になると、その願望を遂行できたかどうかによって1年の評価が決まる。
遂行率が低いと、翌年はもっと下方修正して「できる」目標を立てようという話になっていくわけです。
去年2024年は、ある意味その極致とも言えるような状況だったと思います。
2024年最大の目標はブログ20周年に伴う移転プロジェクトでした。
しかし実際には、再三書いている通りそれに費やした日数はわずか数日です。
やろうと思えば数日でできるようなことを年間計画の主軸に据えるのが妥当だとは思えません。
やはり2022〜2024年の自分が言う「誠実さ」は合理主義の皮を被った怠惰の正当化であり、
真に自分らしい生き方を実践するためにはできるかどうか分からない物事への挑戦が必須なのだと感じます。
年間計画というのは、それを踏まえて立てられるべきなんだろうなと。
有言不実行を恐れて数日でできるようなことを目標に据えるなら、
まだ誇大妄想をそのまま目標にした方がマシなのかもしれない。
ゲーム制作、創作、web制作という3本柱を掲げた今年2025年の目標はある意味その思想を反映しています。


実際のところ、ある年を振り返る際は「年間計画を遂行できたかどうか」ではあまり評価しません。
当然ですがあくまでもその年に何をしたか、何を成し遂げたかが重要になってくるわけです。
もちろん年間計画がその足がかりになっていることはありますが、遂行率自体はさほど評価に響きません。
これを踏まえると、2024年は「できて当然のことをやっただけ」なので評価は低いということになります。
2023年はまあピクチャレ大会移転を成し遂げたので及第点と言えるでしょうか。
2021〜2022年は実は年間計画というよりカテゴリ別に所感を述べただけで具体的な計画が無いのですが、
現実には何か実績があるわけでもないので、ある意味2024年よりも評価は低いです。
2020年は誇大妄想をそのまま書いていた最後の年で、「自然言語処理について勉強する!」などと書いています。
メインタスク3つは全部頓挫しましたが、実はこの年は読書録12冊分書くと表明していちおう達成できているので、
それだけ見ても後年からすると2023年並みに評価の高い1年だったりします。
自己啓発系が多いとはいえ12冊しっかり読み切った上でその要約を書き切るのはそう簡単な作業ではなく、
しかも後年の自分が読み返すことで大いに学べる契機になるという点ではとても有意義な営みだと思います。
12冊は無理でも読書録の習慣は今後徐々に復活させていきたいところではある。


以上を踏まえて自分の年間計画のあり方を改めて考えてみると、まず遂行率を過度に気にするのはNGかなと。
しかしだからと言って具体的な計画を立てないと、それはそれで実績を作れないことが多い。
下手な鉄砲を良しとは言いませんが、2020年のようにメインとサブでそれぞれいくつか挙げてみて、
ビビッときたものを遂行するというのが無難な気がします。
少なくとも、2021、2022、2024年のようなやり方はあんまり良くはないんだろうなと。


少し前に、2025年がやや特殊な立ち位置の1年であると書きました(#07758 / 2025年03月14日)。
要するに2023〜2024年のように受動的な目標が無いので3年ぶりに能動的に全部決めないといけないという。
それで先述の3本柱を目標にしたのですが、ゲーム制作はまだ時期尚早ということでいったんリジェクトされました。
いまはこの当時からさらに状況が変わって特設サイトのアップデートというタスクもいったんリジェクトされたため、
残っている目下のタスクは創作のみとなります。
まぁ、消去法で残ったからそれに意欲的になれるのかというとそういうわけでもありません。
目標に対して適切にモチベーションを高めていけるかどうかはまた別の問題です。
とはいえ、2025年の最初の3ヶ月の紆余曲折を経て、
ふわっとした理想論からそれなりに輪郭をかたどることはできてきたのかなと思っています。


挑戦するには挑戦に値する納得感が必要だと思うし、納得感を得るためにはこうした思索も必要でしょう。
今年はいまのところ、(去年よりは)その道を順当に歩んでいるような気はしています。


#7771

色違い解禁

ポケポケ新パック「シャイニングハイ」配信開始!
ということで今日のために貯め込んだ砂時計500個を消費して30連引いてみたところ、★1は5枚、
★2はルカリオex、パルデアドオーex(3DCG)、パルデアドオーex(SAR)の3枚、色違いはヒトカゲを引きました。
また◆4のex枠はスピアーのみとなっています。
ポケポケは10連引いて全部◆3以下ということもザラにあるのでまあまあ当たりの部類かなと。
ちなみにホロライブの博衣こよりが140連引く配信をやっていたので見ていたところ、色違いが9枚ほど出ていました。
これだけ見ると✸2の色違いもそこまでめちゃくちゃレアというわけでもなさそう。
実際の提供割合は5枚目で★2=2.0%、★3(イマーシブ)=0.888%、✸1=2.857%、✸2=1.333%となっていて、
数値上はイマーシブよりは出やすいということになります。
140連で9枚は運が良い方だと思いますが、まあ30〜40回に1回は出てくると思ってもよさそう。
ちなみに……薄々察していましたが色違いには専用のエフェクトがあります。結構カッコいい。
これを手に入れるためには、カード別排出確率0.333%という低確率を3回当てる必要があると。
やはり推しポケの色違いに来られると沼確定ですね。


また、今回はSAR(スペシャルアートレア)枠にピカチュウが選出されていて、
SNSで引いている人がいたので確認したところかなりカッコいい……。正直欲しいです。
ただピカチュウパックのイマーシブとどちらが優先かと言われると悩ましいところ。
今回のパックのピカチュウexは性能違いで、3エネ150ダメージの「10まんボルト」を搭載しています。
わざ自体は最強の遺伝子版のライチュウとほぼ同等で、ダメージが10だけ上乗せされています。
最強の遺伝子版と比べてデッキ構築に制限をかけないのは優秀ですが、
撃つとエネルギーをすべてトラッシュしなくてはならないのが非常に重いコストになっています。
実際には運用してみないとわからないけれど、パッと見そこまで強くなさそうな……。
2エネまでなら「ヒカリ」などのサポートで補助すれば戦線を維持できるんですが、
3エネでは2ターン連続で撃つのはかなり難しいです。
そう考えると、一概に最強の遺伝子版の上位互換と言い切ることもできません。


また今回は軽量な上にポケモンexが対象の場合にダメージを大幅上乗せする「マスカーニャ」、
ポケモンexが対象の場合に限りダメージを20上乗せする「レッド」など、
露骨なex対策今日がなされているため、また環境は変わるのかなと思っています。
マスカーニャ(草)も脅威だけど、同じ草タイプの「スピアーex」もかなり強そうな気配。
あとサポートカード「ロケット団のしたっぱ」が相手のエネルギーをトラッシュする効果を持っていて非常に強いです。
人気ジムリーダーの「ナンジャモ」も手札を丸々交換する強力なドローソースとなっており、
群雄割拠のサポートカード領域にまた強力なライバルが多数出現しており悩ましいかぎりです。


余談ですが、昨日突然リザードンのクラウンレアを引きました。初めてのクラウンレアです。
10連でもなんでもないタイミングでいきなり引いてかなりビビりました。
リザードンは正直今回のパックの方が魅力的ですが、
せっかく引いたので最強の遺伝子版も活用したデッキを組んでいきたいところです。


とりあえず、でんきデッキを強化すると(自分の中で)話題になっているパチリスも引けなかったので、
しばらくはシャイニングハイを剥き続けることになると思います。


#7772

負の感情をどう消化するか

なんというかじわじわとストレスが閾値に達しつつあるという実感があるのですが、
これといって解消方法があるわけでもなく悩んでいます。
なんというか、他人のちょっとしたモラルを逸脱する行為が気になるようになってしまった。


ストレスは身体的なものと精神的なものがあるわけですが、
後者の場合は嫉妬にしろ劣等感にしろ、たいてい自己完結的に思えることでも念頭に「誰か」がいて、
すべては人間関係の悩みであるというアドラーの主張を否定できません。
人間関係の歯車が噛み合わない場合に生じるストレスは、
たとえば温泉に行くなどの身体的なストレス緩和策はあまり有効に働かないわけです。
人間関係で生じたストレスとうまく折り合いをつけていくには、やはり健全な人間関係が必須ではなかろうかと。
しかし、そもそもそれがあったらストレスで悩んでいないという矛盾があります。


もう少ししたらAIカウンセリングみたいな技術が確立してこの矛盾もテクノロジーが乗り越えそうですが、
いまのところは自力で解決しなければならない課題だと思います。
そしてこの課題の根本的な原因はなんなのかというと、自分自身の性格の歪みだと思うんですね。


自分の場合、上京前の人間関係はほぼ消滅したと言ってもいいと思っていますが、
いまのところ上京以後にできた人間関係で不可逆的にこじらせてしまったというケースはありません。
一方で自分の心のより深いところにはサディスティックな部分が少なからずあると思っていて(#07743 / 2025年02月27日)、
親密になればなるほどその闇を見せてしまう傾向にあります。
要するに、許されるならばできるだけ皮肉や中傷などを冗談混じりに言いたがる性格だということです。
これについてはまだまだ自己理解が足りておらず、
年齢的に手遅れ感はありますがいまからでも対策を見出すべき大きな課題になると思っています。
一方で結論が出ようが出るまいがいまある人間関係を維持することは目下の課題でもあるため、
結果的に「自分からそっと距離を置く」ことによって応急処置的な人間関係の維持に努めている状況です。


道徳が許すなら誰かを叩きたいという気持ちがあるということは残念ながらあります。
かつてはブログがそういった心の負の側面の掃き溜めとして機能していましたが、
20周年の4代目移転に際してブログのあり方を見つめ直す中でブログの地位が明確に向上したことや、
底辺ブログなのでやや自意識過剰気味ではあるものの、やはり昨今のネットモラルを考慮すると
掃き溜めとしての運用は望ましくないというところに行き着いており、これはいまさら下げられません。
いわゆる「裏ブログ」的なものを運用しようにも、表の運営で手一杯なので無理だと思います。


ふと思ったのは、メディアにおけるゴシップなどの報道はこうした問題の受け皿でもあるのかなと。
法人や政治家や有名人といった「自分よりも確実に価値の高い(没落してくれると正直嬉しい)他者」に対して、
不祥事や事故などにより道徳的な観点からその人を正当に叩く理由を与えられることによって、
「誰かを叩きたい」というモヤモヤを近辺の人間へ確実に迷惑をかけずに消化することができる。
より大規模な炎上であればみんなで叩いているというある種の一体感をも味わうことができるわけで、
言い方は最悪ですがこれ以上ないエンターテイメントだと思います。
そしてSNS(というよりネット)は構造的にそれとの相性が抜群です。そりゃあ炎上も無くならないよなと。
自分は2024年初頭にそういう風潮に半ば嫌気がさしてオールドメディアや各種アプリとの決別を決心したわけですが、
これがじわじわとストレス増加の要因になっていると言われると否定はできません。


とはいえ「ゴシップ叩きで誰にも迷惑かけずにストレス解消になるから積極的に匿名掲示板で誹謗中傷しよう」
というようなことを主張するつもりはありません。
この手のエンタメ(?)はやはり道徳的な問題があり、触れずに済むなら絶対にそっちの方がいい。
いまのところ、その代案として有望なのが冒頭に書いたように自分から率先して他者との距離を置くということ。
心の闇を出したくなってきたら距離感を間違えていたものと観念して少し引いてみるということですね。


いやいや逆だろうという意見もあるかもしれません。
確かに、人間関係で不満を感じるとむしろごく近い距離感でヨシヨシしてもらうのが手っ取り早いように直感します。
(行ったことないですが)いわゆるガールズバーやキャバクラなどの風俗は
そういう問題を一時的に解決するための即効性のあるサービスだと言えなくもない。
しかし、現実問題として心の闇は「誰かと繋がりたい」「誰かを否定したい」という道徳のジレンマで悩んでいるわけで、
その根本には精神が幼稚である可能性があると思っています。
本物の幼児と違い、幼児性のある大人はそもそも自立が求められている以上、
たとえばキャバ嬢のような「自分を全肯定してくれる存在」がただいるだけでは解決になりません。
まぁ、そういう人がいる場でそこにいない人の悪口を言うのがせいぜいでしょう。
それはそれである程度効果はありそうですが、「闇を曝け出す自分」も肯定されてしまうようでは更生は望めません。
なぜなら世の中の人々は自分を全肯定してくれないのが当たり前だからです。
ともすればヨシヨシされればされるほど世間とのギャップが広がり、ゆえに厭世観が強くなり、
全肯定してくれる人への依存がどんどん増していくだけではないでしょうか。


だからこそ、あえて他人との距離を取ることで心の闇を出すリスクを最小限に抑えようというわけです。
長期的な視点で改善を望むなら、いまのところ実践可能な範囲でこれが一番ローリスクで無難であるような気がする。
意識せずとも心の闇を出さないのが当たり前、というところまで精神が成熟するまでやることになりそうです。
それが可能なのかどうか、あるいはどうすれば実現できるのかといった見通しは立っていませんが……。
たぶん、恵まれた家庭なら成人した時点でその「当たり前」の地点に立っていると思うんですよね。
この辺は幼少期〜思春期の人間関係が大いに影響を与えていると思っていますが、
そこまで風呂敷を広げてしまうと話が終わらないのでそれについてはまた今度。


#7773

慎重すぎた取引

今日の出来事暗号資産

じわじわ細々と継続中の仮想通貨ですが、昨夜で年初来の純益が20万円に達しました。
年初来の戦績は14勝0敗で、14勝のうち夜を跨いだ塩漬け戦略は1回のみ。
1回当たりの最高利益は277ドル(約41,550円)で小勝ちが続いているような状況です。
まぁ典型的な素人トレーダーの利小損大コースを歩んでいる感じがするのでまだまだ油断はできませんが、
結果だけ見ればかなり順調であると言えます。
特に今回、つまり14回目の取引がテクニカル重視の取引としてはかなりうまく行ったので、
このときの感触を残しておきたいと思います。


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こちらはその取引の概略を示したチャートです。
一番上の緑の太線が上値を押さえつけていると思われるレジスタンスライン。
左下から右上に伸びている2番目の太線は03月11日を大底として徐々に直近高値を更新してきたトレンドラインです。
今回、これを割りそうな気配があったので、85,000ドルをトリガーとして空売り注文を出しました。
それが赤い平行線です。同時に目標金額83,700ドルを利食いラインとして買い注文(青線)も出しておきました。
この83,700ドルを下回れば冒頭の純益20万円に達するので、そういう意味での目標価格でした。
結果的にこれがちょうど刺さり、1300ドルの値幅で利食いできたということになります。


今回気を付けたのは、長いトレンドラインを割ったからといってすぐには食いつかなかったこと。
なぜなら少し前に下ヒゲがトレンドを割っており、一瞬否定されているからです。
トレンドラインを割ったから順張りでポジったのにダマされて爆損、というのはいままで何度もあったので、
ここは慎重に見極める必要がありました。
それで移動平均線(EMA)をも割るかどうかを見たかったのですが、直近の下ヒゲはそれも一瞬割っています。
そのためEMA200ラインもそこまで信憑性は高くないだろうと判断。
そこで、念には念を入れてEMA200を割った上で次の心理的節目である85,000ドルに狙いを定めたわけですね。
ここまで落ちる勢いがあるなら、そうそうリバウンドはしないだろうと。


当時は期末のオプション取引の利確が控えているということもあり、下落しやすいとは言われていました。
そういうファンダメンタルズも踏まえてここはさすがに下がるだろうという気持ちはありました。
正直ここまで材料が揃っていて半月かけて作ったトレンドラインをブレイクしたら、
脳死でポジっても良かったかもしれません。
実際に様子見戦略は失敗しており、86,000ドルで売りに入っても全然利益は出せていたことになります。
取引は成功したが慎重すぎた、というのが今回の反省です。
今回のように「赤字にはならないが利益を最大化することもできない」というのが最近の課題です。
かといって損失はやはり出したくないのでなかなか踏み込めない。
毎回小銭を拾って終わるのですが、
小銭といっても日本円で数万円、しかもやればやるほど増えていくので現状で満足してしまっている状況です。
ここで下手にやり方を変えてこれまでの利益を無にするようなことをしたくないわけですね。


結果論としてはトレンドブレイクしたら即ポジるのが正解でしたが、常にそれが正解とはかぎりません。
しかし今回の場合、2回目のブレイクは1回目と違ってボリンジャーバンドが大きく開いているので、
これを根拠に売りトレンドが始まったと判断してポジるのはアリだったかも。
一方、トレンドラインやEMAはそれ単独では今回ですら直近にダマシらしい線ができているので、
なかなかこれだけで割り切った判断は難しいことが分かります。
やはりボリンジャーバンドやADX、MACDなどといったトレンド指標はチェック必須なんだろうなと。
自分はこれまでこうしたトレンドラインのダマシにやられて損失を出すこともわりとありましたが、
今回明確にダマシを避けられたのは収穫と言えるかもしれません。
もっと巧妙だったり理不尽だったりするダマシも多々あるとは思うものの……。


仮想通貨取引については年度末でバタバタすると思うので週末〜来週は様子見期間にするつもりですが、
04月以降も諸々のリスクに気をつけながらチビチビやっていきたいと思っています。
当面の目標はあと10万円。これを達成できれば、直近3年間の収支がざっくり100万円の黒字になります。
こうして安定的に稼げているときはやはり仮想通貨が楽しくてこれこそが新しい趣味だと言いたくなるんですけどね。
とにかく油断だけはしないようにしないと……。


#7774

体育の授業への恨み

去年末の、週イチ開催のゲーム会に陰りが見えてきた辺りから考えるようになった、
「自分は長期(数年単位)で人間関係を維持することに関して克服するべき課題があるのではないか」という気付き。
まず、『性格は悪いとはどういうことか?』という本で
自分にナルシシズムとサディスティックな傾向があることを再確認し(#07725 / 2025年02月09日)、
特に後者が人間関係の健全な維持を妨げているのではないかと考えました(#07772 / 2025年03月28日)。
これはいわば「性格の歪み」であると言えそうなことですが、ではいつどこでこの性格は歪んだのでしょうか。
今回は、ひとつの可能性として体育の授業を挙げてみたいと思います。


去年末、6桁いいねを記録したツイートにこんなものがありました。



ツイッターやってて特に衝撃的だった事件のひとつに、
市民がスポーツする場をつくるNPOの人が
「ツイッターやるまでは学校の体育を恨んでいる人がいるなんて知らなかった」
と「目から鱗」になってたこと。
その人は体育がいちばん楽しかったから、と。
体育へ寄せられる恨み言の数々に呆然とされていた。(@jiro6663)



また今年02月には、ニコニコ動画出身の作曲家であるヒャダインが、体育教育の専門誌『体育科教育』に対して
「体育の授業は大嫌いだ。体育の教師も大嫌いだ」と
真っ向から体育教育を否定するエッセイを寄稿していたことが6年越しに大いに話題になり(Yahoo!ニュース )、
体育嫌いが世に多く存在することを再確認させられました。


運動音痴のヒャダインはみんなの前で走り幅跳びをさせられる、いわば公開処刑を受けた苦い思い出があり、
体育の授業が「人格形成の障害だった」と一刀両断します。
その公開処刑は体育の教師が「できるようになるまでみんなで見守ろう」という好意によるものでした。
「体育が好きだから体育の教師になるわけで、教員に体育嫌いの子の気持ちがわかるわけがない。
だからできない子に対して平気で恥をかかせるようなことをする。
人間は自分が得意なことをできない人を責めがちだ。教育者なら、そのことも配慮しなければならない」と言います。


作家の村上春樹も体育嫌いだったようで、
「体育は人を運動嫌いにするためにあるようなものだと思っていた。
大人になってからスポーツの楽しみを知り、自分は体育が嫌いだが運動は嫌いでないのだと知った」
という旨の経験談を『職業としての小説家』という自伝に書いています。


このように、体育が好きな人とそうでない人の間には確実に隔たりがあり、
後者は少なからず体育というシステムを恨んでいることが分かります。近年は後者の人間が増えているそうです。


さて、お察しの通り自分も運動音痴であり、体育に人生を破壊された一人です。
自分は小学校から高校まで忌引きを除くと1日しか休んでいないのですが、
その1日というのが逆上がりのテストをする日だったんですね。小学校3〜4年生の頃だったと思います。
当時の自分は逆上がりができるような見込みがなく、恥をかかされるのがもう目に見えていました。
もう当時の記憶というのは断片的にしか残っていないのですが、
とにかくできないのが明白だったので教師に怒られ、みんなの笑いものにされるのが恐ろしくてたまりませんでした。
それで親に怒鳴られてもなお断固として学校には行きませんでした。


しかし、いま思えば小学校の逆上がりのテストなんていうのはまだまだ生ぬるい方の地獄だったわけです。
中学校から上はさらに陽キャとの身体能力の差が開いていき、サッカーなどのチーム競技では疎まれるのは当たり前。
これによって中学時代は紛れもない陰キャコースとして歩むことになったのはもちろん、
比較的クラスに溶け込めていたと感じる高校時代も体育の時間だけは毛虫のような扱いを受けていました。
体育はある意味陰キャか陽キャかを区別する分かれ道としても機能していると思います。
運動音痴の陰キャは決して自分だけではなかったわけですが、
体育の教師は常に体育ができる人の味方で、我々も体育を楽しめるような働きかけをしてくれることはありませんでした。
そのため自分はヒャダインの論調に全面的に同意せざるを得ません。


多感な思春期に、大勢の前で屈辱的な目に遭って人格形成に悪影響を及ぼさないはずがありません。
自分がたった1日の欠席で済んだのは本当に運が良かったと思います。引きこもっても全然おかしくなかった。
これは比較的運動音痴からの共感を得やすいであろう体育のみならず、
音楽や美術、図工といった実技系科目全般にも同じようなことが言えると思います。
いや、なんなら座学も十分当てはまりますね。
たとえば体育は大好きだが国語は苦手な脳筋が、国語の音読で簡単な漢字も読めずにみんなから笑いものにされ、
文章を読むということに対してちょっとしたトラウマを植え付けられた結果、
国語力がまったく伸びないまま成人して社会生活に支障をきたす……
というようなケースもあり得るのではないでしょうか。
こうして考えると、そもそも学校という閉鎖社会そのものが差別を助長しかねない構造になっていて、
オールラウンダーを除く多くの人が多かれ少なかれどこかで屈辱的な目に遭っているのではないでしょうか。


そしてこんな恨み節がそこかしこで聞かれる以上、教師が何の役にも立っていないケースが多いのは明白です。
こうなると教員採用システムからして正しく機能しているのか疑わしい。
「得意な人は不得意な人の気持ちがわからない」が正なら、
「ただ担当教科が得意なだけの人」が教鞭を持ったところで意味は無いわけです。
そういう意味では、教壇に立つに値しない教員もごまんといるのではないでしょうか。
以前も書きましたが、教えるというのはそもそもめちゃくちゃ高度なコミュニケーション能力が必要な作業です。
相手の能力を正しく測り、それと同じ目線で「分かる」を導かなくてはなりません。
少なくとも自分が出会った体育教師たちがそういった能力を兼ね備えていたとは思いがたい。
とはいえこれは理想論でしかなく、実際には大人の都合、学校の治安、サービスとしての教育の限界などなど、
さまざまな問題を内包したうえでいまの形になっているのでしょうが……。
まぁでも結果として人生を破壊された方としてはたまったものではないんですよね。


とまぁ、ちょっと主語が大きくなってしまいましたが、
ともあれ体育という落ちこぼれを追い詰めるシステムによって自分は精神的成熟の機会を逸した、
という仮説は十分に有力だと思っています。
体育というのは成長期に必要な体づくりだけが目的ではなく、コミュニケーション能力や協調性も育む場です。
全然違う世界の人とも協働する機会としては絶好で、社会人になったら同等の機会は仕事(社会活動)しかありません。
その仕事も基本的には属性の近い人とするのが当然で(業種にもよりますが)、
自分のようなホワイトカラーにとっては体育というのは貴重な機会だったと思います。
自分がもし運動音痴でなかったら、いまの自分が欲しい他人観もとっくに身につけていたのかもしれません。
大人になってしまったいまとなってはそれが何だったのかさえ分からないわけですが。


ここまでの仮説が正しいのなら、
冒頭の課題の解決策としては「価値観がまるで異なる人と共同作業をする」というのが
荒療治ではあるものの本件の根本原因を払拭しうる実践として有効のような気もします。
現状、いまの仕事でこれを達成するのは難しそうなので能動的に機会を探す必要がありますが、
果たしてそれが本当に有効なのかどうかはわかりません。
ただ、そうなると2014〜2019年の地方時代のブラック企業勤務は
ある意味本来の体育の授業に匹敵する貴重な体験だったのかもしれません。
そのときの教訓を掘り起こせば、この問題を解決に導く何かがあるのかもしれない……?


#7775

悩ましいタグ整理

Obsidianの「Tag Wrangler」というタグ整理プラグインを導入して本家ブログのタグを整理していました。
このプラグインによる整理の他にもPythonで一括置換スクリプトを作って、
3代目以前に作った「#0000『記事タイトル』20XX年MM月DD日」という記事リンクを
全部Markdownリンクに置き換えました。
これは先頭に半角シャープを含むため、Obsidian上でタグとして認識されてしまうのが厄介でした。
なので少なからずタグ一覧を汚染していたのですが、思い切って全部綺麗にしたというわけです。


2025年03月31日現在、タグの数は1,108個。
特殊タグを除く最多記事数は「webサイト更新作業」の219本となっています。
確か前回集計時点では「生活リズム」(現在187本)が1位だったと思うので追い抜いた形になります。
趣味関係は上記のweb制作が1位で、2位は「暗号資産」(131本)が急浮上。
2021年新設のタグとしてはぶっちぎりの使用回数だと思います。
ただしこのタグは後述の都合で今後分解される可能性があります。
趣味別3位はゲームタイトル別では不動のトップでもある「ピクミン2」(121本)。
しかしこれらを「意欲の問題」(134本)が追い抜いていて、
ブログとしては意欲に関する悩みが息の長いテーマになってきていることが窺えます。


これらタグは記事執筆後にその日のフィーリングで決めているようなところがあり、
もうちょっとカッチリとしたルールを決めたいというのはずっと前からある課題です。
だからこそわざわざ自然言語処理を駆使してまでタグ整理をしようとしているわけですね。
ただ、実際にこうして汚染された情報を除外して純粋な一覧を出してみると、
思いのほか自分の頭の中でもルールが確立していないことがわかります。


たとえば、ゲームは作品の内容に言及した場合はゲームタイトルをタグにして付与する。
これはまあ妥当だと思います。その「続き」がある可能性が高いですからね。
しかし、過去の自分は音楽アルバムについても同様に作品名でタグ付けしています。
これは妥当とは思えません。特定の音楽アルバムに複数回言及することは稀だからです。
音楽に関しては「ジャンル」がもっとも小さい単位のタグで良いような気がする。
とはいえ、こないだのSAW IIのように複数回言及するようなケースがまったくないわけでもなかったり……。


さらに悩ましいのは、漫画やアニメなどゲーム以外の娯楽です。
これらも音楽と同じように、基本的に鑑賞が終わってから感想を書くことが多いので作品別タグは不要な気がする。
しかし『ONE PIECE』のような長期連載の場合は複数回言及しているケースもあるし、
アニメもリアルタイム視聴するような場合だと作品別タグはあった方がいいような気がします。
「2回以上言及した作品のみタグ化する」というのが無難でしょうか……。
ゲームも1回きりの言及でタグとしての意味を成していないケースは結構ありますからね。
ただ、1回目では付けないが2回目の言及で付けるというのはルール化が難しいという実情があります。
そう考えると、とりあえず作品に言及したらそのタグを付けるという昔の自分の方針は間違っているとも言えないかも。


しかしそういうケースはまだマシで、抽象的な現象を取り扱うタグには定義が曖昧という問題を抱えています。
「生活リズム」と「生活リズムの問題」はどちらも100本以上の該当記事がありますが、
基本的にはどちらも睡眠に関する諸問題を取り扱ったもので、使い分けが曖昧です。
ざっくり言えば生活リズムのせいで困っている場合は後者を使うことにしていますが、
そんな使い分けがブログのタグ付けにおいて必要なのかという。これはマージしてしまってもいい気はします。


逆に、近年急浮上した「暗号資産」はざっくりすぎるため分解の必要性を感じています。
暗号資産(というのは法令上の名称で、本文中の名称は「仮想通貨」)についての話題と一口に言っても、
先物取引、ステーキング、Web3技術、ハードウェアウォレットと多種多様な話題があるわけです。
「ハードウェアウォレット欲しいな〜」という主旨の記事と、
「今日はこういう取引をしました」という主旨の記事が同じタグというのは無理があるような。
なので暗号資産というタグは分解して、せめて取引とそれ以外で分ける必要性を感じています。


また、実際にはこれですら氷山の一角で、中にはしっかり定義されているのに埋もれてしまい、
該当記事がたくさんあるのに使われていないようなタグもあるでしょう。
そういうタグの中でも用途が似たり寄ったりでマージできるようなものがあるかもしれません。
マージした上で全記事遡って新しい定義に当てはまる記事にタグを付けるのは大変な労力を必要とします。
こういうところまでフォローするとなると、やはり人力では厳しいという結論に至ります。
「〇〇という重要語が登場したら××というタグを付与する」
というようなスクリプトを組んで過去記事全部に適用するというのが無難だと思っていますが、
それが完成するのはいつになることやら。


まぁでも、ObsidianでMarkdownベースで管理するようになったこととChatGPTのおかげで、
ブログの過去記事整理はWordPress時代と比べると格段に快適になったと思います。
2022年以前の記事を公開できるのはまだ当面先だと思っていますが、この勢いならそこまで遠くないかも??


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