信頼と信用
そういえばいままで頻繁に使いつつもあまり考えてこなかった「信用」と「信頼」の使い分けについて考えてみます。
この手の話題はまず辞書を引くところから始めましょう。
【信用(しんよう)】
1 確かなものと信じて受け入れること。「相手の言葉を—する」
2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。「店の—に傷がつく」
3 現在の給付に対して、後日にその反対給付を行うことを認めること。当事者間に設定される債権・債務の関係。
(デジタル大辞林)
【信頼(しんらい)】
信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。「両親の—にこたえる」「医学を—する」
(同上)
長年お世話になっているgoo辞書から引きましたが、06月25日にサービス終了するそうです。お世話になりました。
基本的に信用は「過去・現在の実績に対する評価」、信頼は「これからすることに対する評価」だと思います。
住宅ローンは、今後の収入や活躍を見越して大金を貸してくれるわけではありません。
あくまでも現在・過去の収入状況に基づいて判断されるため、これは信用に基づく契約です。
難しいのは〈信用〉の②で、これまでやったことに基づいて信頼することは「信用」であると定義しています。
ではこの状況に当てはまらない〈信頼〉は成り立つのか?
それはつまり、過去の実績に関係なく他人を頼りにするということです。
一見するとそんなことはそうそう無いと思いがちですが、実はごく身近なところにも〈信頼〉はあります。
たとえば交通ルール。我々は青信号になれば道路を渡りますが、
それは見ず知らずの人が運転する車が「赤になれば止まる」ということを信頼しているから渡っているわけです。
我々はその見ず知らずの人の運転実績をあらかじめ知っているわけではありません。
これは公共交通機関における乗降のルールや、利用することについても同様です。
整列乗車は割り込まないと知っているから並ぶのだし、
バスや電車は運転士を無条件に〈信頼〉しているからこそそれらを利用しているとも言える。
つまり、期待通りに行為してくれるのが「当たり前」であるという暗黙の了解があるわけです。
これらは〈信用〉の②に当てはまらない〈信頼〉と言えるのではないでしょうか
(自分がそれを「利用」した実績に基づく〈信用〉と言えなくもないですが)。
ではなぜ自分は、見ず知らずの車を〈信頼〉できるのにより身近な他者を無条件で〈信頼〉できないのか?
信号が赤になれば止まらなければならないというのは常識であり法律で定められたルールです。
つまり、ここでの〈信頼〉はルールによって保証されているとも言える。
対人関係においては、基本的には交通ルールのような厳格なルールは存在しません。
世の中には倫理という形でそれらしきものがいちおうあるものの、遵守するかどうかは人次第なところがあります。
倫理に照らし合わせれば他人を不用意に侮辱したり、名誉を傷つけたりしてはいけないのは自明ですが、
一方で精神の未成熟などを要因として、それを破ることに快楽を覚えるような変態が世の中には少なくない。
特にネット社会はひどいもので、だからこそネットの向こうの人を無条件で〈信頼〉するのは難しいと思います。
それでもなお他者を〈信頼〉することに努めるべきかどうか、その価値があるかどうかはわかりません。
しかし他者を信頼できなければ活動が停滞するのもまた事実です。
特に他者に承認を求める場合、まずは他者を信頼しなければ何も始まらない。
これは所属するコミュニティの質などにも依存する話ですが、
結局足元の活動を盤石にするためには〈信用〉に基づく活動が無難だという話になってしまうわけです。
たとえば仕事などはそういう形で他者と関わっているわけで、
ネット活動も広義の仕事と思えばこういう形が適当であるという意見も捨てがたいところです。
ただし相手が不特定多数だともはやこの論理は通用しません。
いま、自分があらゆる方面において活動の停滞に陥っているのはこの辺も関係あるのかなと思っています。
昔はこうではなく、「頑張ればコミュニティの誰かが認めてくれるだろう」という無根拠の信頼感があった。
いつしか、それが途切れてしまったように思うんですね。
頑張っても認められなかった経験がある程度募った結果なのでしょうか。
結局それによって、信用してもらうために見返りゼロで成果を求めなければならない地点まで落ちてしまった。
ある程度の成果がすでにあればそれをベースに活動していけるのでまだ行動できると思うのですが、
そういうものがゼロであると認識してしまうと、途端にあらゆることができなくなってしまいます。
そもそもなぜ昔の自分が無根拠にコミュニティを信頼できていたのかどうかもまだ言語化できていませんが、
その辺に活動復活のヒントが隠されているような気はします。