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#7807

3Dモデルアシスト

実家帰省移動日であり05月01日ということで、いろいろなことを解禁しました。
まずイラスト制作ツールとして「CLIP STUDIO PAINT PRO」(以下「クリスタ」)の年間プランに加入。
これまで「Comcept」「Procreate」「Adobe Fresco」などアプリ選定で悩みまくっていましたが、
絵を描く以前からそこで悩んでいても仕方がないので
サブスク課金によって半ば強制的にアプリ選びを終わらせた形になります。
まぁシェアから言っても無難な選択肢だろうとは思っています。
ComceptのコピックカラーパレットはUI/UXが優れていてすごく好きなので、
できればこのアプリを採用したかったというのはありますけどね。
このアプリはベクターイラストしか描けないので、ピクセル単位の処理が困難という難点がありました。


クリスタはベクターとラスターで別々のレイヤーを保持できるのでその点は問題なし。
タブレットのアプリでありながらPCのUIに近く、PCでできることはほぼできそうです。
その分学習コストは高く、仮にがっつり絵描きデビューできたとしても今後数年は使いこなせないでしょう。
かつてGIMPを使ったときの記憶やネットなどを頼りに基本機能から使っていくしかありません。


すごいと思ったのは素材として3Dモデルを扱える点。
素材一覧からドラッグ&ドロップでキャンパスに簡単にインポートすることができ、
オブジェクト選択で3Dモデルをタップするとものすごく細かいところまで設定することができます。
男女の別は当然として、身長、頭身、体の各パーツのボリュームまで詳細に設定することができるほか、
あらゆるポーズを取らせることもできます。
ポーズは別途保存でき、ポーズ素材として基本的なポーズは3Dモデルに対して上書き適用できるもよう。
一朝一夕では使いこなせない高度な機能ですが、
初心者がオリキャラで直立以外のポーズを描く場合の強力な味方になりそうです。


では3Dモデルがあればチョチョイのチョイで描き上げることができるか?
答えはもちろんNOです。これはあくまでも同じキャラをいろいろなポーズで描きたい場合、
それぞれの頭身や比率が狂わないように描くサポーターとしては優秀だと思いますが、
絵描き経験ほぼゼロの人間がこれをトレースしたところで上手く描くことはできません。
ちょっとやってみましたが、自分のあまりの画力の無さにそこそこ失望しました。
むしろ元日にアシストが無い状態で描こうとしたときよりも高い壁を感じるような?
まずはまっさらから描いてみるべきなんでしょうかねぇ……?


ともあれ、このままだとサブスクが無駄になりGW企画も挫折せざるをえません。
まだ実家帰省は始まったばかりなのでちょっとアプローチを変えてリベンジしてみようと思います。


#7808

ペン入れ以降の試練

イラスト制作、どうにか荒削りの下書きからいわゆるペン入れに挑戦してみました。
下書きレイヤーに基づいて「それっぽい」線を描くというのはできたつもりだったのですが、
下書きレイヤーを消して改めてみるとなんじゃこりゃと唖然するくらいクオリティが低い。
太さが一定のペンで中途半端に太いペン先で描いているから幼稚に見えるんだろうか……?
しかし先達のイラストを見ると、同じような一定の太さの線を入れていても上手く描けているケースがあり、
Gペンなどを使えば解決できるという問題でもなさそう。
クオリティを上げる方法が分からないので、これではペン入れの次の段階へ進みようがありません。
2日目にしてやや暗礁に乗り上げた感があります。


下書きの段階では、多数の「遊び」の線が描き込まれています。
これとペン入れレイヤーを同時に表示した段階では、遊びの線から適切な線を目が勝手に選び取って、
それっぽいイラストとして完成しているように錯覚するのでしょうね。
そういった補助線が無くなると錯覚が通用しなくなり、生のクオリティの絵が曝け出されてしまう。
この補助線を引くのが線画制作の目的なのでしょうが、これはそう簡単に身につきそうにないですね……。
ただ、だからこそ模写も有効な練習なのだと分かります。
模写でもなんでもいいからまずは遊びの多い下書きを描き切る。ここまではそう難しい作業ではありません。
線画を描くという次のフェーズは模写からの練習では手探りでしか練習できませんが、
だからこそその感覚を掴めば具体的に絵が上手くなったと実感するはずです。
あるいは、ここで初めてトレースという練習が超初心者には有効なのかもしれません。


線画の段階を突破できれば全体として「それっぽいイラスト」の最低限に到達します。
しかしここから先は色塗りというフェーズが待ち受けており、当然ここもそう簡単ではありません。
いわゆる「下塗り」をちょこっとやってみましたが、
何も考えずに色を選んで塗るとスーパーなどに掲示されている幼稚園児の作品になってしまいます。
ここは並々ならぬ色彩センスが問われるところで、
見る側の立場から見ても絵師としてかなり個性が出る部分だと思います。
ここを突破したら次は影などのディテールの描き込みが待ち受けていて、そこをクリアしてようやく完成となります。
こう考えると一枚絵は決して一枚岩の作業ではなく、
GW後半のみで完成はかなり無謀な挑戦だったと言わざるをえませんね……。
このまま無理やり最後まで完成させたらどんなクオリティになるんだろう?


まぁ残り3日あるのでもう少し足掻いてみようとは思っていますが、いまのところ先行きは不安です。
いままで自分がやっていたと思っていたのは下書きまでで、所詮「落書き」だったのだと痛感しています。


#7809

面倒なことに立ち向かえるか

今回のゴールデンウィーク帰省、ずっと東京にいると堕落してしまいそうなのと、
地元がお祭り騒ぎになるのでそれを回避するためにも実家帰省はマストだと思っていました。
また、前回をはじめとして実家帰省は作業が捗りやすい傾向にあるため、
そういう意味でも期待していました。


とりあえずあからさまな堕落は回避できたという点だけでも意義はあったと思います。
もし帰省していなかったら、明確なタスクも無いまま1日飛んで10連休……頭がおかしくなっていたかもしれない。
少なくとも生活リズムは睡眠薬があってもなおぶっ壊れていたことでしょう。
そう考えると前後半で環境をガラッと変えるという今回の作戦は妥当だったと思います。
こういうことは成功していたとしても失敗した場合のシミュレーションがなおざりになりがちなので、
どうしても成功したという実感は得にくいのですが、まぁ今回は成功だったと言えるのではないでしょうか。


ただ、それはそれとして作業は捗っていません。
相変わらず、プラマイゼロまでは来れるけれどもプラスの実績は生めていないという状況です。
今回で言えばデジタルイラスト初挑戦に着手しているけれども、
3日目時点で進捗はかなり悪く、このまま行けば未完で終わりそうな雰囲気です。
これはこのゴールデンウィークだけでなく、近年の自分にとっての大きな課題ですね。
すなわち、「着手はできるが最後までやり遂げられない」という悪癖。
これはどうにかして乗り越えないと、有言不実行がますます悪化しそうな予感しかしません。


これまでの体感で言うと、なんらかの好奇心に押されて着手してから序盤まではすんなり行くんですよね。
なぜなら「やりたいことをやっているだけ」だから。
先日のローカルLLMにしろ、少し前のTF-IDFにしろ、知ったら導入してみるくらいのことはできる。
しかし、やりたいことは文字通りにやりたいことだけで構成させているわけではなく、
実績になるまでの道のりには、できれば避けたい面倒くさいことも必ず付随してくるわけです。
その段階に突入すると、それを完遂するほどの動機が無いのでやめてしまう……というパターンですね。
なのでローカルLLMもTF-IDFも、本来の目的であるところのブログ整理には全然行き着いていません。
導入は簡単でもブログに合わせて調整するのが非常に面倒くさいからです。
一般に、この「面倒くさいこと」をクリアできたかどうかで達成感もガラッと変わってくるんじゃないかと思います。


この「面倒くさいこと」はおそらく初動の好奇心だけでは突破できないと思うんですよね。
好奇心とは違う、最後までやり遂げるに値する動機が必要になる。
それはありていに言えばインセンティブが必要だという話になります。
この辺は、昔(2019年以前)と現在の自分で一番価値観が異なっている部分かもしれません。
昔は物事をやり遂げるのに必要なのは自分なりの「こだわり」だったような気がします。
だから、1円にもならず他者承認を満たせるわけでもない、
コンシューマーゲーム購入リスト作成みたいなローカル作業も黙々とできた。
現在の自分は、そういう過去の「こだわり」によって作ってきた実績の上に成り立っている部分も多々あります。


ただ、上京でこの「こだわり」という魔法は解けてしまったように思います。
代わりに仮想通貨など、徹底した実利主義で手っ取り早くインセンティブが得られる文化に急接近することになり、
相対的に利益が発生しないような物事への興味は遠ざかってしまいました。
AIがこの潮流をさらに加速させているようにも思います。
これが技術革新や仮想通貨のせいなのか、年齢的なものなのか、上京の影響なのか、原因は分かっていません。
単一の原因では語れないもののようには思います。


一般的な活動でも利益を求めようと思えば求められます。
たとえば配信にしろブログにしろ、需要がある活動なら金銭を求めていくことはできる。
しかしそれはそれなりの完成度が求められるため、そう簡単に達成できるものではありません。
しかもその活動で最終的で得られるであろう実利は、それがまだ見えない段階のモチベーションとしては機能しません。
だから、実利主義に傾倒したと言いつつも副業なども結局実績が出ているわけでもない。
何もかもが中途半端で、共倒れに陥ってしまっているような気がします。


この中途半端さはどこに行き着くのか。
これは30代突入後、何度か危惧している通り「酒・女・ギャンブル」だと思っています。
短期展望でしか欲求を満たせないなら生産的な活動はできなくなり、必然的にそこへ行き着くでしょう。
先物取引はギャンブルと言えなくもないので、すでに片足突っ込んでいると言えます。
そういう意味で競馬なんかはホロメンもやってるので手を出すのはもう時間の問題だと思っています。
そして競馬に手を出せばパチスロなんかも目と鼻の先でしょう。
これらは第一歩のハードルがめちゃくちゃ高いので躊躇しているだけで、そこを乗り越えればハマるのは目に見えています。
このままいけば、この辺は40代以降のメイン趣味になるんだろうなぁ……。


まぁ、こんなことを書くといかにも堕落したおっさん像が目に浮かびますが、
逆に言えばここまで堕ちても人生楽しむ術はことはあるということです。
弱者として落ちぶれたとしても、まったくの虚無になってしまうということはない。
そして、残りの人生を酒漬け、ギャンブル漬け、女漬けにしたくないのであれば、
好奇心だけではどうにもならない「面倒くさい物事」に立ち向かう術を習得する必要があるでしょう。
そういう意味ではある意味ここが正念場なのかもしれない。
……と思いますが、そもそもこういう年齢的な変化にこれまで抗えた試しが無いんですよね。
普通に考えればかなり分の悪い戦いになりそうではある。


ただ、酒・女・ギャンブルに肩まで浸かるのは個人としての活動が全部挫折してからでも遅くないのかなとは思います。
若者として行き詰まったらそういう救済措置があるというくらいに考えておいて、
すべてを投げ出す前に本当に「こだわり」はもう自分の中に残っていないのか点検するくらいはしたいところ。
過渡期にいるのは確かですが、だからこそまだ全部を諦める段階ではないような気もします。


#7810

次のステップとしての哲学

今日の出来事哲学

ある意味、読書ロマンの象徴的存在として昔から少し高いところにあり続けた「哲学」。
大学時代にマルティン・ハイデッカーを知り『存在と時間』に手を出してみるも当然のように玉砕、
大学院時代には『超訳 ニーチェの言葉』でニーチェを知り、その甘い言葉に陶酔していました。
一気に飛んで2021年にはウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の構成に一目惚れし(#06271 / 2021年02月17日)、
このブログもこの本のような形式で集約できたらどんなに素晴らしいだろうと思いました。
ただ、それは決して分析哲学に興味があったというわけではありません。
また16年前に興味を持ったからといって、ハイデッガーにも適性があるとは思っていません。


基本的に自分が考えていることはあくまでも「自分哲学(個人的な哲学)」だという認識で、
特定の哲学者を参考にしたいといったようなモチベーションはありませんでした。
自分が自分なりに世界を認識し、その結果考えたことをブログという形で集約していく。
ある意味、その純粋な達成のためには著名な哲学思想はむしろ障壁にもなりえます。
しかし一方で、自分が考えているようなことは当然どこかで先達も考えているでしょう。
自分と同じ周波数で物事を論じている哲学者がいるなら、その思想は大いに参考にするべきだと思っています。
先達がすでに答えを出しているなら、車輪の再発明をするのは時間の無駄でしかない。


そして、ここに来てカントやヘーゲルなどの近代ドイツ哲学者に比較的近い周波数を感じています。
たとえばヘーゲルは『精神現象学』で、相互承認論なる概念を提唱しています。
これは他者に承認されることで自分が成り立つ以上、互いに自由で対等な存在として認め合うことが重要だ、
というような内容だそうです(書籍を読んでいるわけではないので知ったかぶりです)。
実はこれは、自分が考え抜いた末に2020年に特設サイトに掲載した「相互承認の基本理念」
(ネットコミュニティは、相互に承認し合うという風潮を作れないかぎりは必ず衰退するという考え)
にかなり通じるところがあります。
承認をどう考えるかについては、ヘーゲルに学ぶことが多くあるかもしれません。


また、自分はその承認について考えた結果、利他に注力すべしという結論に至りました(#07800 / 2025年04月25日)。
これは他者承認に関して自分がここ数年考えてきたことの自分なりの集大成です。
しかし、数年単位の集大成である「利他」も結局、心構えによってはすぐに形骸化する脆さがあることは否めません。
この点、近代ドイツ哲学者のカントは「善意志」「定言命法」など厳格な道徳を論じている哲学者であり、
その主著は大変難解ですが、自分にとって「思考の指針」として批判に耐えうる何かがあるような気がしてなりません。
これはいま読んでいる新書がカント哲学をテーマとしていて、それで感じたことです。
もちろん、実際にカントの主著を開いたわけではないので本当にそうなのかは分かりません。
カントに言及している本を読んだかぎりではそういう印象を受けるというだけです。
ただ、少なくとも博識ぶってハイデッガーやウィトゲンシュタインを読むのとはまったく違い、
自分の人生にとっての具体的な糧となりそうな予感はしています。
「知で武装する」というようなスタンスはAIの登場でトドメを刺され、哲学もしばらく遠ざかっていましたが、
ここに来てそういう見栄や高慢とは違う実用的な方向で哲学が必要になるというのは不思議なものです。


16年前に『存在と時間』に手を伸ばしたときは、本当にただの見栄や高慢でしかありませんでした。
20歳になった大学生が、好きでもないのに度数の高いアルコールに手を伸ばしたようなものです。
2009年といえば「自己分析」と称してこんにちまで続く自己批判的な自分哲学が始まった1年でしたが、
それから16年考え続けたいま、ようやく自分哲学も土台らしきものが出来てきたように感じ、
改めて哲学を人生のヒントとして「使う」準備が整ったのかもしれないと感じます。
いまなら哲学を学んでも「自分哲学」が飲まれずに済むのではないか、と。


#7811

新幹線の回線問題

実家帰省が終わりました。GWはまだあと1日ありますが、明日は予備日としています。
これは実家帰省で生活リズムが崩壊した場合の保険のような意味合いもありましたが、
結果的に今回の実家帰省は健全も健全、ここ最近のような不調はありませんでした。
ただ、もう2日くらい長かったら壊れていただろうなとは思います。
5日間というのは実家帰省としては限界の日数なんだろうと思っておいた方がいいかも。


今回、それよりも明確に課題として挙げなければならないのは新幹線車内での過ごし方です。
帰省前は、新幹線は絶好の読書機会だと思い、本を持っていけば凌げるだろうとしか考えていませんでした。
確かに隣が空席でのびのびとできるなら読書もできます。
ただ、繁忙期で隣席も埋まっているような状況だと若干心理的に難しいのではと感じました。
行きはそれでも読もうと思えば読めそうですが、帰りは早く帰りたいという気持ちが強いこともあって難しそう。
まぁ、少し前までは普通にMacBookを開いて作業することもあったのでこの辺は心構えの違いかなと思います。
「とっておき」ではなくサブ的な新書も持っていくなど、とっつきやすくすれば対応できる気がする。
今回はハードカバー本を持っていってしまったのはちょっと失敗だったかなと。


あと、それよりも深刻なのが携帯回線。
前々から繋がりにくいとは思っていましたが、今回の上りが特にひどかったですね。
上越新幹線の長岡駅〜高崎駅間がちっともつながらない。
Ahamo(docomo回線)はダメ、JR EAST FREE WiFiも劇遅いし認証がすぐに切れて使いものにならない。
奥の手でサブ回線のpovo(au回線)を1時間だけ契約してみましたが、こちらもダメでした。
圏外になるというわけではないので、
ほぼ満員の新幹線では利用者数が多くて4G回線ではキャパオーバーなのではないかと予想しています。
速度を測ってみたら下りが1Mbpsしか出ないのに上りが4Mbps以上という奇妙な結果でした。
高崎を過ぎると5Gに繋がるからなのか一気に爆速になります。


これを教訓に、実家帰省では最大合計4時間、完全オフラインでも時間を潰せるコンテンツを用意すべきかと。
手っ取り早いのはオフライン保存もできる電子書籍、特に漫画ですね。
今回は元日のスーパーセールで買っておいた『ONE PIECE』カラー版を解禁することでことなきを得ました。
まぁあとこういうときのためにこそ読書タイムに没頭するのが無難のような気がする。


実家帰省は行く前は楽しみでも終わってしまえば「しばらくはいいや」と思ってしまうのが人のサガですが、
ここ数回は前回の反省を踏まえて過ごし方を少しずつ改善しており、
あとは上越新幹線さえどうにかなればそれなりに安定したと言えるようになるんじゃないかと思っています。


#7812

結節点としての随筆

このブログで、記事番号が100の倍数のとき(ただし1000の倍数でない場合)に書いている「キリ番記事」。
これは黎明期にポエムやゲームの話などでお茶を濁していた場合を除き、
抽象的な人生の課題などについて、その時々でもっとも興味のあるテーマで随筆を書いています。
学生時代の終わり〜社会人黎明期辺りは例外的に認識論みたいな分野に興味を持ったことがありますが、
基本的にはより実践的な「生き方」についての問題について考えてきたことが多いように思います。


近年は特に、直近の通常記事でも書いている抽象的なことをより包括的に取り扱うことが多いという点で、
直近で自分が考えていることの集大成みたいな側面があります。
そしてキリ番記事で直近のテーマについてある程度出し切った上で、
次の100の倍数に到達するまでにそれをさらに批判的に考え、よりブラッシュアップさせた考えに昇華する。
ブログが複数のテーマによって未来に向かう何本もの「線」だとしたら、
100本に1本のキリ番記事は直近について考えていることをまとめた「結節点」のようなものです。
そしてここ近年は、キリ番記事を中心にひとつの思想が徐々に発展してきました。


2022年の不眠症問題で人生の壁にぶち当たった自分は、
「自分が最低限やるべきだと信じていること(信念)に対して丁寧に対応すれば、
嫉妬に悩んだり、他人を攻撃したりする必要は無くなるのではないか」と考えました(#06931 / 2022年12月08日)。
そして、物事がうまくいかないのはその信念が理想に置き換わっていて不当にハードルが高いためであり、
理想が本当に自分にとって主体的な理想なのか点検する必要があると考えました(#07100 / 2023年05月26日)。
しかしできない理想を徹底排除して「無能を受け入れる」ことを徹底しようとすると、無味乾燥な人生になってしまう。
そこで誇大妄想から逃れることは重要でありつつも、夢は夢で持っても良いのだと納得しました(#07600 / 2024年10月07日)。


ここで、上記リンク先の記事(#7100)で、次のような投げかけがあります。



理想のひとつひとつに対して猜疑の目を向け、
あるいは自分がそれを達成できるのかどうかを慎重に吟味していったとき、
それでもなお残るものはいったい何なのだろうか。



いまの自分がこれに答えるとしたら「道徳」と答えます。
ここで道徳とは、個人の能力とは本質的に関係なく実践できる「人として守るべきルール」を言います。
能力が低かったら遵守できないルールはこの意味での道徳の要件を満たせません。
この「厳格な道徳」とも言うべきルールを明文化できたら、それは人生の指針たりうるのではないかと思うわけです。
最近カントに興味があるのはこの辺の文脈からですね。


最新のキリ番では、22年間の「承認のための活動」が成果を出せず平行線であるという大きな反省から、
利己的活動は不毛であり、利他に徹することでそこから抜け出せるのではないかと考えました(#07800 / 2025年04月25日)。
しかしこの意味での「利己」「利他」は現時点では心構えの違いでしかありません。
表面上は利他に徹したとしても、承認を欲しているからやるのであれば利己的な承認活動と変わらないわけです。
自分が考えていることはこうした視座の違いであっけなく破綻することがあり、
行動方針の基盤みたいなものが欲しいというのは常々思っていました。
「厳格な道徳」はそういう意味での基盤にもなりうるのではないかという期待がいまのところあります。


「道徳」というのはきわめて普遍的なテーマで、個人的な哲学のひとつの終着点のようにも思います。
もしブログが末長く続くなら十数年後の中年期、あるいは遥か先の老年期にも折りに触れて考えそうなテーマです。
そういうときのために2020年代時点の結論は出したいところですね。なかなか難しそうではありますが。
果たしてこれが、100本に1本のキリ番記事よりもさらに大きなレンジの結節点となるかどうか。


#7813

ガチャを引き続ける業界

今日の出来事仕事

仕事で去年06月から参画しているプロジェクトですが、次の更改で離脱を希望する旨を関係各所に伝えました。
週末に現場上司と、来週にはキャリアアドバイザーと長話をする予定になっています。


いまの現場は誰もが知っている一流企業のオフィスでの仕事で、しかも業務内容は圧倒的に楽です。
さらには関わる人もそれなりの人格者でまともにコミュニケーションできる。
これまで、この業界ではこれができないパターンの方が圧倒的に多かったこともあり、
「人がまともである」というのはかなり大きなアドバンテージでした。
これら大きなメリットを考えると、基本的にここでこの高待遇に甘んじているのがどう考えても合理的です。


ただ、特に今年に入ってから体勢が少し変わってさらに業務量が減ってから、
「圧倒的に楽」であることの苦痛が日に日に増していきました。
もはや自分は会社の都合でこのポストにいるだけで、社会の歯車になっているという自覚はありません。
しかも週の半分はテレワークで、下手すると無職と大差ない日もあります。
楽でいいじゃないかと人は言うかもしれませんが、
ここまで仕事が無いと仕事の対人関係が薄すぎてどんどん生きるエネルギーを奪われている気がするんですよね。
言うなれば独房で暮らす囚人みたいなものだと思います。最大の違いは給料がもらえることか。


どんなに高待遇でもこれを長期間やっていると精神への悪影響は避けられないと思い、
特に仕事が減った年初から次の更改で退場しようとは考えていました。
しかし仕事さえ十分にあれば最高の環境であることは間違いないので、
年度明けの体制変更で何か仕事が降りてきたら退場は撤回するつもりでいました。
しかし先月1ヶ月間、結局そういった話は無かったのでもういいやと思い退場を申し出た形になります。


退場が茨の道であることは間違いありません。
この1年ぬるま湯に浸かっていたぶん、次の仕事は少なからず苦労するでしょうし、
そもそもスキル面、人間関係面でマッチした現場に行けるともかぎりません。
上京以降のガチャ排出結果を考えると、どちらかマッチするだけでもSR並みのレアリティがあります。
どちらもマッチしているSSRさえ出てくれればもう長期でそこに居座る覚悟なのですが、
正直去年夏のゴタゴタを考えるともう営業もあまり信用できないので期待はしていません。
まぁ、実際には前者(実スキル)も後者(コミュ力)も突き詰めれば自己責任ではあるんですけどね……。
これらのスキルが低いほど「ブラック現場が多い」と感じやすいのでしょう。


2019年時点で思い描いていた、30代前半で業界の荒波に揉まれて現場の雰囲気を知り、
30代後半でマネージメント職に就けるようになるという計画はもう破綻したと言ってもいいと思います。
これはもう数年後ろ倒しにすればどうにかなるとかそういう話ではなく、
自分自身の仕事に対するモチベーションが相当低下してしまった。
この辺は直接的には2022年の不眠症問題がキャリアプランにトドメを刺したという気がしますが、
現在浸かっている楽すぎるテレワーク環境がさらに事態を深刻にしているという実感もあります。
せめてヘッドハンティングされたあの現場で頑張っていれば実家時代に次ぐ第2の実績を作れたかもしれないのに……。
まぁ、あそこは待遇も不相応で何よりも嫌な人が多かったので、
睡眠の問題を抜きにしても長期では厳しかったと思いますが。


次の現場に望むのは、この死にかけのモチベを少しでも回復してくれるようなところですね。
楽で人間関係も良好ならモチベが湧いてくるわけではないんだなと。
むしろちょっと世間的にブラックな方が自分に向いているのかもしれない。
自分の実力プラスアルファくらいのスキルが求められるレベル感+良い人間関係が理想と言えますが……。
まぁ、そんな仕事を都合良く見つけられるほど世の中甘くはないわけで。
いい加減脱SESも真剣に考えないといけないのですが、転職は実績皆無の現況ではあまりにも分の悪いギャンブルです。
とはいえ、所属会社に居続けるという選択もまたギャンブルに過ぎません。
webエンジニアになると決心したあのとき、
まさかキャリアを賭けた運ゲーを延々やらされることになるとは誰が想像できたでしょうか。


#7814

よくないねボタン

今日の出来事twitter

ここ最近、Twitterが一部のユーザーに対して「よくないね(Dislike)」ボタンを実装しており、
いよいよ「よくないね」ボタンが本稼働するのではないかという噂がまことしやかに流れています。
実はTwitterへのよくないねボタンは過去に何度も実装が噂されたことがあり、
そういった経緯からも今回も本当に実装されるかどうかは不透明です。


ただ、もし本当に全投稿に実装され、「いいね」と同じ仕様(誰がボタンを押したか分からない方式)にする場合、
個人的にはこれは承認欲求不満に陥っている人、自己肯定感が低い人を追い詰めることになると思っています。
これはもちろん長年承認欲求不満人生を歩んでいる自分も例外ではありません。
Twitterは事実上のSNSですが、こうしたSNSでアイデンティティーを確立できていない「弱者」は、
投稿してもなかなか認められることがありません。そのため少ない「いいね」にも一喜一憂します。
裏を返せば、否定されることを必要以上に恐れているというわけです。
そのため「0いいね=他者に受け入れられなかった」と判断して投稿を消すこともある。


基本的にこういうマインドセットを持っている人の投稿は大して有意義でもないし面白くもありません。
なぜなら、もし有意義だったり面白かったら相応に承認をもらえているはずであり、
そうでないからこそ承認欲求不満に陥っていると考えることができるからです。
そして、特定のSNS以外で承認欲求不満を発散できる手段が無いと、いよいよ依存するようになっていきます。
投稿のためにネタを探すこともやめ、ただただ投稿頻度を増やして自分をアピールするようになる。
そういうアピールをされても何者でもない人の日常的な投稿を承認するのは心理的に困難であるため、
当然それらの活動が報われることはありません。何回かに1回は偶発的に「いいね」がつくかもしれませんが、
たったそれだけのためにつまらない投稿を山積みしていくことになるわけです。


「よくないね」ボタンが実装された場合、
「面白いツイートをすることを諦めた弱者」にとってはその曝け出した全投稿がウィークポイントになり得ます。
たとえ1つも「いいね」が付かないと観念した投稿であっても、
「よくないね」が1つでも付けばこういう人はそれなりに心理ダメージを受けることでしょう。
自己肯定感が低い人にとっての「よくないね」は、同数の「いいね」よりもかなりの重みがあります。


しかもこういう人は承認欲求不満に陥っている時点でSNS上にさして味方もいません。
一方でTwitterは鍵アカでないかぎりオープンな場であり、悪意ある他者にいくらでも発見されるリスクが常にあります。
「投稿がつまらないから」と「よくないね」ボタンを押す大義名分もあります。
こうした状況を踏まえると承認不安なほど「よくないね」の数の方が多くなってしまう可能性は高く、
そうなれば承認欲求不満に陥っている人は行き詰まり、パニックに陥るかもしれません。
Twitterを卒業できればまだマシですが、もしそれもままならない場合は精神が歪んでしまう可能性も否定できません。


「よくないね」ボタンを実装する建前は、そうした有意義でない投稿、悪意のある投稿をタイムラインから排除して、
より有意義な投稿をピックアップさせるようにすることなのでしょう。
その方がTwitterというプラットフォームは一見して面白い投稿が溢れた楽しい場になるような気はします。
たとえばYouTubeのコメント欄なんかは読む人のことを考えるとそれでいいのかもしれません。
ただ、SNSにおける発信者の平等性を考えると、これもなかなか残酷なことだと思います。
バズれるインフルエンサーなんて世の中のごく少数にすぎず、
大半は承認欲求不満とまではいかないものの有意義な発信なんて進んでやろうと思っていません。
SNS社会はごく少数の投稿をヨイショするために投稿の価値が「いいね」「よくないね」によって可視化され、
他者にとって価値の無い圧倒的多数の投稿は排除されていく運命にあります。
むしろ「いいね」を非表示にすればSNSからストレスは相当減るのではないかと思います。
しかしそうすると今度はインフルエンサーが投稿する意義を失ってしまう。


こう考えると現在のSNSはその構造上「平等」なんてあり得なくて、弱者は淘汰される運命なのでしょう。
インフルエンサーがカネを生む以上、運営がそちら側に寄るのは当然のことです。
1000以下の「いいね」は可視化されないなどの折衷案はいくらでも思いつきますが、
改悪を続けるTwitterがそんな気の利いた仕組みを提供してくれるとも思いません。
この辺は過渡期を抜けて時代の価値観が変わったとき、
また新たなプラットフォームが現れて若い人から順にそこへ移行することになるんじゃないかと思っています。
Twitterが生まれて18年経ちましたが、まだまだ次の時代に移るタイミングではないということですね。
一時期代替サービスが次々に発表されましたが、基本構造が同じであれば移行する意味がありません。
ただ、Threadsのときの勢いを考えると、もし本当に次世代SNSを発明できたら、
Twitterからの移行は驚くほどハイペースで進むのではないかと思います。


「よくないね」ボタンが本当に実装されたらTwitterはインターネットの戦場のようになるでしょう。
こんな地獄みたいな承認欲求競争プラットフォームを未成年も使えるというのが驚きです
(現在の10代はTwitterを利用していない人もかなり多いそうですが)。
現代で電車の中での喫煙が信じられないように、20年後には未成年者のSNSが同じ文脈で語られるのではないでしょうか。


#7815

遠い昔の全肯定的承認

一般論として、人は誰かにされたことを他人にもしがちです。
嫌なことを言われた経験のある人は、自分より弱い人に辛辣なことを言いがち。
いじめられた経験のある人は、チャンスさえあればいじめる側に回りやすい習性があります。
社会における「〇〇ハラ」は、いじめられっ子が誰かをいじめるチャンスに巡り合ってこそ起きるのではないでしょうか。
逆に言えば、嫌なことをされたことのない人は他人を憎む方法が分からないので、
その憎しみの連鎖に参加することはできません。


これは負の感情だけでなく、愛や優しさについても似たようなことが言えると思います。
誰かに親切にされたことのある人は、そうでない人よりも誰かに親切にする機会が多いでしょう。
もちろんそれも「チャンス」が巡ってこないと発動することはできません。
親切にされたことのない人はそもそもチャンスが巡ってきてもどう行動すれば良いか分からないのではないでしょうか。
愛についても同様のことが言えます。親に必要十分愛されなかった子どもは、
よほどの奇跡でもないかぎり愛を信じることができないまま一生を終えます。
そういう人は、たとえ「チャンス」があったとしても誰かを心から愛することはできないでしょう。


このブログの7801〜7900番のテーマは「愛」になるような気がしているのですが、
欲求不満人間たる自分は当然十分な愛情を受けた覚えがありません。
どちらかというと憎しみの連鎖の中で生きている側の人間です。
パトロンサイトで絵師さんのブログを「全肯定」的にコメントしているという話を書きましたが、
言うまでもなくそれはパトロンサイトに登録していることによる利益があってこそのことです。
実利が無かったらコメントしていないという点で、それは本物の愛とは言えません。
しかし、ネット活動上の承認としてはこれが限界なのではないかとも思います。
実利があるとはいえ、これは誰かに全肯定されたことがあるからこそできている行動であるとも考えられます。
もしそうでなかったらパトロンサイトに登録して実利だけもらっていくのが関の山なのではないかと。


そうして記憶を遡っていくと、いちおう自分にも全肯定の承認をもらえていた時期があることに気づきます。
Twitterも2015〜2017年の全盛期は、あらゆる投稿が最低1いいねはついていました。
どんな内容でもたいてい「いいね」してくれる人というのがフォロワー内に2〜3人いて、
そういう方々によって自分のSNS活動が支えられていました。
メンヘラ期の活動休止を経てそういう方々は軒並み界隈から離れ、近年は「いいね」はつかなくなってしまいました。
かといっていまも界隈にいる人は自分に対して何でもかんでも「いいね」しないので、
そういう人たちにこちらからなんでもかんでも「いいね」をする義理はありません(普通そういうものだと思いますが)。
自分がSNSにおいてずっと迷走しているのは、こうした全盛期とのギャップも多分にあります。


実はブログについても他者に支えられていた時代がありました。
高校当時はブログブームというものがあって、交換日記のようにブログのURLを教え合っていました。
そのためこのブログもごく黎明期にクラスメイトがコメントしてくれるようなこともあったんですね。
いま思えば、そうやってみんなに見られている中であのポエムを発表していたのはおぞましいことですが……。
2006年当時、ブログを「生き甲斐」と認識していたのは
ブログが教室という小さな社会の中で認められるための媒体としてちゃんと機能していたからだと思います。


また同時期、楽天ブログからたまたま自分を見つけたのであろうおそらく主婦の方がいて、
この方は自分のあらゆる投稿に対して全肯定的にコメントをつけてくれていたのを覚えています。
自分の厨二病全開な投稿やちょっとした愚痴にも寄り添ってくれていました。
なぜ自分に対してあんなに優しいコメントをくれたのか、いまでも分かっていません。
そういうわけで、このブログも最初の3年くらいは明確に他人に支えられ、だからこそ続けられてきた側面があります。
こういう記憶があるからこそ、自分もパトロンサイトで他人の活動を支援したいと思ったのかもしれません。
もし22年間一度も承認されたことが無かったら、
果たして実利のためとはいえ肯定的なコメントを果たして残していただろうかと。
年数はかなり開いていますが、結局これも他人にされたことのお返しに過ぎないということです。


直近10年は他者からの承認が枯渇していて、それゆえにいま自分が他者不信に陥っているのは確かです。
だからこそ承認社会へ素直に入っていけずにネット活動の行き詰まりを実感している。
でもそれは、ブログを開設して最初の3年はともかくとして、
それ以降は自業自得な面もあり、たとえば本家ブログをより人目につきにくいWordPressに移転する、
TwitterのbioからURLを削除して事実上別名義化するなど自ら承認から逃れてきたという歴史があります。
これはまぁ当時のブログの不安定感を考えると必然的なことだったと思いますが、
そういう過去の愚策が現在の行き詰まりに影響している面は否めないでしょう。
しかし黎明期にああいう体験ができたこと自体、これでもまだ恵まれている方なのかもなとも思います。
本当に他者不信の沼に堕ちて実害が出てくる前に、何か自分にできることはないだろうか……。


#7816

挑戦のための年間計画

今日の出来事年間計画

年間計画の形骸化により、かつてない空虚感を感じている今日この頃。
やはり自分は自分を支えるためにこそ従来型の年間目標が必要だったのではないかということを痛感しています。
できるかどうか微妙な目標が念頭にあって、それを一歩でも進めるために何ができるかを日々考える。
何も進まなければ焦りが募り、それが目的意識をさらに高めていく。
それでもなお行動できないことは多々あれど、
そうした試行錯誤が自己実現のために生きているという実感を生んでいたのではないかと。


今年は去年秋から元日にかけて再三悩んで3本柱の計画を立案したものの、
2025年突入後の事情を鑑みて、3つのうち2つを「合理的に」いったん保留するに至りました。
残る1つの創作関連については大キリ番記事という大義名分もあるため継続しており、日々少しずつ進んでいます。
ただ、創作はタスクの見通しが立てづらいというかその性質上キリがないため、
進んでいても進捗を実感しづらいのが難点です。
せめて何月までにはここまで、というようなざっくりでも見通しが立てられるといいのですが、
そういうものが無いのでどうしてもその日暮らしのような印象になってしまいます。
「ここまでやらなければならない」というボーダーが無いので、進捗があっても達成感が皆無なんですよね。


直感的には、現状はタスク量の少なさが虚無に直結しているのではないかと思っています。
やはり3本柱のうち2つをリジェクトしてしまった状態だとやることが少なすぎるのではないかと。
そのタスクを今年に据え置く必然性の有無をあれこれ考える前に、ある程度は隙間を埋めたいものです。
そういう視点で考えると、リジェクトした「web制作」「ゲーム制作」は隙間を埋めるのに打ってつけなのかも。


年初来から暖かくなる前まではなんかいろいろとゴタゴタしていましたが、
web制作に関しては改めて2つやりたいことが手元にあります。
まずこのブログ自体のグレードアップ。
4代目移転直後からはwebサイトとしてもかなり微妙な出来だったこのブログは、
ビルドできない問題で紆余曲折を経てようやく多少の動線を改善しました。
が、まだまだwebサイトとしての課題が多く、改善すべき点が多くあります。
特にタグ検索できないのと画像表示ができないのはどうにかしたい。画像表示はそう簡単ではありませんが……。
これを当面の課題にしてもいいんじゃないかという思いはあります。
本家ブログはTwitterのbioなど外部にURLを載せられるようなサイトを目指すということを当面の課題にしています。
ずいぶん運営も安定してきたので、いままで卑屈ゆえに人目から逃れてきた流れから逆行してみようという。
そのためには、webサイトとしてある程度の体裁は整っていなければなりません。


もうひとつはピクチャレ大会。ピクミン活動は例のイベント終息から復帰の見通しは立っていませんが、
2023年の移転以来ずっと放置しているナレッジベースの整備をしたいという機運はあります。
ちゃんと整備すれば少なからず需要はあるのは間違いない……のですが、
こちらも画像のアップロード機能が大きな壁になりそう。ただ、相応にやる価値はありそうです。


こうして改めて考えるとやることはちゃんとあるんですよね。空虚に苛まれている場合ではないはず。
しかしこれまでは、web制作自体が年間計画からリジェクトされたこともあって視界に入っていなかった感があります。
そろそろ暇であることの毒を感じつつあるいま、改めて年間計画のあり方を考え直してもいいのかもしれない。
近年それは「年間計画」なので100%遂行することを前提に組むという暗黙の条件がありましたが、
この条件があると「できないかもしれない」物事は全部切り捨てられてしまいます。
その結果、何もやることがないという現状のような時間の無駄遣いフェーズに突入してしまう。


伝統的には(2020年までは)、年間計画と呼んでいるものはどちらかというと「年間目標」でした。
つまり、計画を立てる時点でできるかどうか分からないようなものをあえてそれに据え置く。
それによって未来を見据え、またチャレンジング精神が持続できていたかのような節があります。
紆余曲折を経て、そういう心構えも大事だということがわかったいま、
合理的なだけでない計画の立て方を改めて考えてみてもいいのかもしれません。
まぁ、それでも現時点でゲーム制作はまだ時期尚早感が否めないですが……。


#7817

ワイヤレスイヤホンの対抗馬

「ZE500 for ASMR」というワイヤレスイヤホンを買ってしまおうかと検討中していました。
ASMRは順調に知名度が上がってきているので今更説明の必要は無いかもしれませんが、
ASMRとは「ささやき声」「耳かき」「タップ音」「咀嚼音」などの細やかな音を立体マイクで収録し、
聞き手に極めて近い距離感の演出によってゾワゾワ感を誘発させるような文化を言います。
さまざまな用途がありますが、自分はこの言葉が登場する以前から睡眠導入に使い続けています。


睡眠導入として音を聴く場合、有線イヤホンは寝返り等でどうしても断線しやすいという悩みがあります。
また寝っ転がっても痛くならない「睡眠用イヤホン」は一昔前と比べると数は増えてきましたが、
それでもまだまだ著名なところは作っておらず、怪しいメーカーから買わざるを得ないところがあります。
これらの事情から、睡眠用イヤホンは通常のイヤホンでは考えられないほど断線しやすいという特徴があります。
自分はこれまで何本も買いなおしてきて、いまはこれまでで一番耐久性が高かったイヤホンをリピート中です。
ちなみにiPhoneの場合Lightning-3.5mmイヤホンジャック変換コネクタもきわめて壊れやすいため、
これも4回くらい買い直しています。


こういう事情を考えるとワイヤレスであるに越したことはないのですが、
ワイヤレスイヤホンでしかも睡眠用となるとさらに数は少なくなります。
以前、Ankerが睡眠用ワイヤレスイヤホンを発表してかなり欲しくなったことがありました(#07612 / 2024年10月19日)。
「Soundcore Sleep A20」の最大の特徴はサウンドマスキング機能と10時間稼働するバッテリーの大きさです。
かなり魅力的でしたが対抗馬が存在せず、本当にこれでいいのかという気持ちを後押しする要素がありませんでした。
今回発見したfinal社の「ZE500 for ASMR」は国内メーカーの睡眠用ワイヤレスイヤホンで、
ガイダンス音をOFFにできる「ASMRモード」と音量の微調整を可能にする「サウンドステップ最適化」が主な特徴。
ただし連続稼働時間は公称4.5時間と短く、ノイキャンもありません。


ZE500の最大の特徴はASMRの「ささやき声」に特化したチューニングがなされているという点です。
このチューニングの基になったのが廉価帯のASMR特化有線イヤホンとして発売した「Z500」で、
これは著名な声優でASMRレーベルの主宰でもある小岩井ことりさんが取り上げるなど、
俗に「えっちなイヤホン」としてASMR界隈ではかなり話題になっていたようです。
自分は基本的にそっち方面目的でASMRは聴いていませんが、「ささやき声」が主たる入眠トリガーになっている以上、
その生々しさはぜひとも追求したいものです。そういう意味ではZE500はかなり期待できそうではある。
惜しむらくはやはり連続稼働時間が短いことですね。
ASMRモードを使えばバッテリーが少なくなったときの警告音で起こされることはないものの、
たとえば00時にイヤホンを装着して入眠して05時半に一度目覚め、
そこから本来起きるべき時間までASMRで二度寝したいというときにバッテリーが切れていると困ります。
こういうケースを考えると、ガイダンス音は関係なく7〜8時間はやはり持続してほしいところではある。


総じて、ASMRイヤホンとしてかなり良い線は行っているものの
バッテリー持続時間を増強した後継モデルが出るまで我慢、
というのが現時点での結論になりそうです。
バッテリー持続時間を重視するならA20を買ってしまってもいい気がしますが、もう少しfinal社の動向を見たいところ。
Ankerとfinal、理想的なASMRイヤホンを先に出すのはどちらになるのでしょうか。
あるいは第三勢力が出てくるのか……?


#7818

期待外れのアシスタント

今日の出来事年間計画

かつて一度諦めた「ブログのAIアシスタント」ですが(#07796 / 2025年04月21日)、
ひょんなことからリベンジしてみたところあっさり実現しました。
ブログのAIアシスタントとは、ChatGPTのカスタムモデルにこのブログの全文を食わせることによって、
ブログの全容を理解している特化型AIのことを言います。
ChatGPTのカスタムモデルであるGPTsは食わせられるデータに上限があり、
前回調べた当時はブログの文字数がその上限をゆうに超えてしまっていたため断念していました。
とはいえブログの全文字数が必ず必要というわけでもないはずで、
各記事の要約を作ればかなり圧縮できるのではと考えました。
そこで、Pythonの機械学習ライブラリを使って要約バージョンの作成を試みたのですが、
作成した要約は日本語として破綻しまくっておりこれも断念。
OllamaでローカルLLMを導入してそこにアシスタントを入れるという逆の方式もLLMの精度がイマイチということで断念。
結局、ブログアシスタントはさらなる技術革新を待たなければならないという結論でした。


が、改めて調べてみるとChatGPTの容量制限がいつの間にか大幅緩和されているではないか。
具体的にはテキストファイルなら1ファイル130万文字(日本語換算)、1ユーザー10GBまでとなっていました。
1つのGPTsに食わせられるファイルは20ファイルまでのようなので、実質上限は2600万文字。
このブログは執筆時点で1269万文字なので余裕で足りる計算になります。
そこで、全記事アーカイブを年ごとにマージする簡単なスクリプトを作成して読み込ませ、
アシスタントAIはあっさり完成しました。


ただ……精度はまだ自分が想像していたほどではないというのが正直なところです。
記事番号、日付、タグといったメタデータは正確に把握しているので、それに基づいた質問の回答は比較的自然。
例えば「記事番号7777の記事の要約をお願い」と入力すると、ちゃんと期待通りの結果が返ってくる。
とはいえ、メタデータ頼みの探索ならそもそも人力でもできるわけで、横断的な分析こそが本領だと思うんですね。
しかし「2012年に起きたことは?」「〇〇というテーマはどのように変遷してきた?」
といった高度な質問に対してはハルシネーションが混じることも多く、精度が良いとはとても言えません。
生データをそのまま読み込ませただけでは限界があるということなのでしょう。


さらなる改善を考えるとすれば、すぐに思いつくのは以前もやったTF-IDF解析で抜き出した重要単語を、
メタデータに追加して記事探索の補助に使ってもらうことですかね。
メタデータはわりと正常に取得できているので、ここに情報を足すのが無難な気はする。
あとはタグ整備を進めていくことか……。


いずれにしろ、遠い将来に実現するものと思っていたブログのアシスタントAIはほんの思いつきで実現してしまい、
そして思っていたより有能ではないそれを実際にいじってみて、
アシスタントがあるからといってすぐに利活用できるものでもないと実感しました。
過去記事というのは黒歴史も多く、それを掘り下げるようなニーズは常にあるわけではないということです。
確かに全文検索ではどうにもならない場合の探索手段としてのニーズがあるのは確かですが、
それはいまのところ言語化できない何かを過去記事に求めている場合に限られるのではないかと。
言語化できるならObsirianの全文検索を使えばいいわけですからね。
こう考えるとブログのアシスタントAIもそこまで大きな需要があるわけでもなかったのかも。


とはいえ、さらなる精度向上が望めれば自分を知り尽くしているAIができるわけで、それはそれで楽しみです。
現状はまだまだ全文検索に勝てそうで勝てないという微妙な感じですが、
GPTsに使えるモデルがあと1〜2段階進化したら受ける印象もだいぶ変わりそう。


#7819

行動以前の課題

そういえばゴールデンウィークに解禁して、実家帰省中に着手していたデジタルイラスト制作。
完成度6〜7割程度のところで中途半端に止まっています。
いつもの悪癖と切って捨てることもできますが、ちょっと踏みとどまって改善の道を考えたいところ。


絵描きのモチベをとりあえず棚に置いて考えると、これはタスク管理の問題と捉えることもできます。
実は最近、この件とは関係なくタスク管理そのもののモチベが低下しつつありました。
これは週間計画ベースでやっていると周期的にどうしてもやってくる現象です。
週間単位だから起きることなのか、計画自体に浮き沈みがあるのかはわかっていません。
とにかく「計画を立てること」自体がなおざりになると、明らかにその先の活動そのものにも影響が出る。
そして今回はそれがネックになっている典型例のように思っています。


まず根底として自分は基本的な考え方として、計画を立てないとその先の行動ができません。
これは2008年から計画ありきで行動していることの弊害だと観念しています。
なので、行動したいならまず計画しなければならない。
今回の場合、そもそも計画としてイラスト制作を明文化していないので進まないのも当たり前。
「ゴールデンウィークに着手できたらいいな」以上のことは考えていなかったわけですね。
実際には想定していた以上に着手できたので、ここから先のことを事細かに考えていく必要があります。


計画のフレームワークとして考えているのは、トップイラスト制作時代と同じ月イチで描くことです。
つまり毎月末を締め切りにして、月に1枚は成果品を生み出していく。
これなら、ハードルを適切に下げて着手さえできればそこまで難題というわけではない……と思いたい。
それさえ軌道に乗れば本家ブログのトップイラスト復活もアリだと思っています。
で、末日を締め切りとする前提で1ヶ月内にやることを細分化していくと。
今回の場合、ゴールデンウィークにある程度できたのだから残り何をやるべきかをちゃんと言語化するべきだった。
それをやらずにいたので、この1週間はまるで着手できていません。
まぁ、言語化できれば必ずできる保証もないわけですが……。


イラスト制作は、同人活動まで行けるとは到底思っていませんが、
現状として自分がネットユーザーに認めてもらうための活動が皆無というこの状況では比較的有望な活動だと思っています。
有名絵師になんてなれなくていいから、零細絵師として少しでも絵師界隈と関われたらいいなと。
当面は成果は非公開もしくはブログのみということになりそうですが、
年内には二次創作をとっかかりにしてPixivデビューできたらいいなと思っています。
そのためにも……目下のこの練習イラストはいちおう完成させたと言えるところまでは行きたいところ。


#7820

いいねボタン復活

このブログのシステム面で年初からの課題だったDockerコンテナ内でビルドできない問題を完全解決し、
さらに同日内で「いいね」ボタンの実装ができました。
もちろん自分にここまでできるスキルがあるわけではなく、ChatGPTの推論特化型モデル「GPT4o3」のおかげです。
o3は最低でも月3,000円課金していないと使えず、課金していたとしても利用回数に制限がある高級モデルです。
無制限で使える「GPT4o」も十分賢いと思っていたのですが、
ことプログラミングなどの推論に関してはo3はさらに突出しているというイメージです。
4oでは一度匙を投げたビルド問題もo3はすんなり解決してくれました。
「いいね」ボタンも、ちゃんとイメージして正確な要件を細かく書いて出してしまえばあとは全部やってくれます。
これまではAIにコードを書いてもらったところでちゃんと動かないことも多いイメージでしたが、
今回は複雑な要件のわりにかなりすんなり実現できました。


ブログに「いいね」ボタンを搭載したのは、ブログを「表の活動」に昇華するための活動の一環です。
このブログは3代目移転(2014年)からはほぼネット上の引きこもりみたいな状態でやってきました。
他者のフィードバックを拒絶し、ただただ自分のだけために書き続ける。
結果、それでもなお続けていけるということが分かってしまったので継続だけが目的ならこれでもいいですが、
このままだとこれ以上の執筆環境は永遠に望めなくなるし、
そもそもフィードバックを拒絶するなら公開運営を続ける意味がありません。
そこでかすかでもいいから読者の存在を感じたいというのが「いいね」ボタン設置の主旨です。
それは少なからず執筆のためのエネルギーになり、ブログをさらに発展させる礎になると思うからです。
いままではブログは裏の活動と割り切って社会から断絶してきましたが、そろそろ逃げるのもやめようかなと。
コメント機能を搭載するのはまだちょっと怖いしブログの趣旨から逸れるので要らないと思っていますが、
「いいね」機能ならむしろブログを表に出す以上は必ず欲しいと思った次第です。


こういうブログに対するポジティブな考えは、近年まではずっと持てずにいました。
それこそ全肯定的なコメントをもらっていた黎明期以来かもしれない。
ではなぜ黎明期以外の期間はポジティブに捉えられなかったのかというと、
それは言うまでもなくブログの運営が不安定だったからです。
つまり、最近ブログに対してポジティブに「人前に出してみてもいいかも」と思えるようになったのは、
21年目にしてやっと運営が安定してきているからと言うこともできます。


19年かけて他者承認がゼロでも継続できる基礎が完成し、そこから1年半でさらに安定してきた感のある本家ブログ。
そろそろ次の20年を目指して新たなレールに乗りたいところです。


#7821

管理職を目指すために

キャリアプランの見直しのため、1年3ヶ月ぶりにキャリアアドバイザーと面談してきました。
前回は「仕事にモチベーションは必要ない」という言葉が目から鱗だったのを覚えています(#07371 / 2024年02月21日)。
当時は上場企業に入って2つ目のプロジェクトを更改するか否かという判断に迫られていて、
暇であることを憂いているいまよりもさらにやることが少なく、
しかも業務内容は明確に開発とは関係ないノンプログラミングということで焦りもありました。
結局、年度末更改では次に行くところがないので契約更新することになったのですが、
その後現場レベルでの話し合いで、携わっている分野で食っていくつもりが無いならいまのうちに他へ行った方がいい、
という話になって中途半端な時期でプロジェクトを離脱することになりました。
その分野というのはセキュリティで、当時の自分はそれよりも開発をしたいという気持ちが強くありました。


いわゆる開発の現場になかなか関われないというのは、もうこの業界に入った当初からずっとある悩みです。
これまで、コロナを中心に関われない理由をさんざん聞かされてきましたが、
そもそも開発というポストは多種多様なポストのうち1つでしかなく、
しかも「自分ができるプログラミング言語のみ」という条件ではあまりにも狭いというのが現実のようです。
これはコロナ関係なく、コロナ禍明け以降のプロジェクト探しで実感していることです。


そして、そうこうしているうちに自分自身のプログラミングモチベも地に落ちてしまいました。
言うまでもなく、AIの台頭が影響しています。自分で頑張って書くよりも、明らかにAIと二人三脚で書いた方が早い。
このブログの4代目移転以降はプライベートにおけるweb制作もプロンプトエンジニアリングが中心となっていて、
自分は基本的に今後そういう方向性でweb制作と向き合うことになっていくと思います。
なのでChatGPTが利用できる現場ならチカラになれるかもしれませんが、
セキュリティの都合上、AIを禁止されている現場ではもはや役に立てるビジョンがまったくありません。
アドバイザーは「将来的にはプロンプトエンジニアが中心になる」と断言していますが、まだ現状はそうではありません。
では、もう自分はこの道を諦めるしかないのか。


そこで今後の中長期的なキャリアプランとして浮上しているのが、
いまの現場上司がやっているような統括・管理的ポジション、つまりPMやPMOを目指すというもの。
これは前々回の面談でもたどり着いた結論です(#07204 / 2023年09月07日)。
つまり、そもそも席があったとしても一生涯開発を続けるのは無理がある。
業界では目安として45歳を過ぎると若手を統括する管理業務ができるかどうかが問われてくることになるそうです。
そして現代ではそういうポジションの人間が圧倒的に不足している。
そこを目指すのだとすると、いわゆるシステム開発の基本設計から保守・運用まで一通り知らなければなりません。
もちろん開発経験の有無が問われることもありますが、それ以外にも必要なことは多々あるわけです。


自分はこれまで、開発経験を積めていないということに対する焦りが非常に強くありました。
開発経験が「実質ゼロ」とも言えるこの現状は、この年齢にして新卒と同じようなものなのではないかと。
しかしPMのために「業界のさまざまなポジションを経験してきたかどうか」と問われた場合、
180度景色は変わってきます。
直近3つのプロジェクトで開発、セキュリティ、運用・保守と多種多様なポジションを渡り歩いているし、
そもそも自分が地方時代に5年間やっていたことは管理業務そのものです。
また、自分の根幹に「自分が作った島に他者の方から入ってきてほしい」(#06284 / 2021年03月02日
という信念があることも否定できない事実で、それと今後も付き合っていくなら管理業務は打ってつけのように思います。
実際、こういう性格だからこそ地方時代はブラックな現場を5年間耐え抜けたのでしょう。


いまの現場は、ニッチであるがゆえに基本設計からリリースまで自分たちでやっているという特徴があります。
その実態は独自かつ稚拙でベテランの監査も無く、「システム開発ごっこ」みたいな雰囲気も否めませんが、
だからこそしっかりやろうと思えばいくらでもやりようがあり、学びようもあるとも言えます。
開発ではないということでモチベはずーっと低空飛行を続けていましたが、
良く言えば管理職の練習としては絶好の機会なので、
そういうつもりで残りの契約期間向き合っていこうかなと思いました。
そして遅くとも秋口を目安に次の現場に行き、さらなるステップアップをするというのが当面の計画ですね。
こうなると、一時期検討しつつもモチベ不足ですぐに倒れた応用情報やPM試験なども再検討の価値がありそう……。
持っていればそれがアドバンテージになるのは間違いないですからね。
まぁ、半年にしろ1年にしろ、勉強を持続させるだけのモチベがあるかと言われれば極めて怪しいのですが。
一緒に勉強する相手がいないと難しそう。


いちおうこれで仕事のモチベは底を打った感じはありますが、今後どうなるかはまだまだ運次第なところもあります。
45歳になったとき、自分は果たして何をしているんだろう……。


#7822

ノートPCという方向性

たまにはSteamでゲームでもやろうかと思い、デスクトップPCを起動したのですが……。
起動してしばらくは激重い状態でとてもゲームなんかできそうにない。
タスクマネージャを確認してみるとDropboxとWindows Updateがフル稼働していました。
デスクトップPCはたまにしか起動しないので、こうして起動するたびに累積的なアップデートがあるわけですね。
そして当然、アップデートが終われば再起動しなければならない。
この起動→アップデートをダウンロード→再起動の一連の流れで45分〜1時間半程度は持っていかれます。
1時間半も待たされて、さあゲームをやろうなんていうモチベは残っているはずもなく。
結局これで無事にSteamを起動するところまで行ったパターンは年初来2〜3回しかない認識です。
BIOS起動で異常に時間がかかっているので、いよいよマザーボードもおかしくなってきているのかもしれません。


このデスクトップPCは2014年春購入で、とっくに限界を越えているのは確か。
2021年冬にMacBookを購入したことによって事実上の世代交代はすでに終えています。
とはいえSteamゲームのようにmacOSにはできず、Windowsでしかできないことというのも無くはない。
今年の10月14日にはセキュリティサポートが完全に終了するため、
今後も運用したいならそれまでに買い換えることはもう絶対に避けられません。
この端末でWindows 11へグレードアップできればいいのですが、CPUが古すぎてそれもできなかったため、
もはや買い替え以外の選択肢は閉ざされています。


これまでも「買い換えなきゃ」という気持ちはずっとあったし、ブログでも再三言及してきました。
ゲーミングUMPCを検討したことなんかもあります(#07562 / 2024年08月30日)。
ただWindowsを何に使うのかというビジョンはずっとぼんやりしていました。
なんとなく「Windowsにしかできないゲーム」「生成AI」「サブ端末」を主な用途として考えていましたが、
これらを踏まえてハイエンドなPCが本当に必要なのかと言われると甚だ疑問です。
そもそもの問題として、次のWindows機はデスクトップPCである必要は無いのではないか、というのが現時点の考え。
ただUMPCは逆に極端なので、ノートPCというのが妥当な線のように思います。


確かにノートPCはスペックから見てコスパは悪いし、
パーツ交換が難しい以上10年選手として運用するのは厳しいかもしれません。
ただ、そもそも自分はデスクトップPCを必要とするような用途ではほとんど使わないというのも事実。
ゲームそのものから遠ざかりつつあるいま、モンハンワイルズのようなゲームはそもそもやらないし、
生成AIも結局ChatGPT Plusというクラウドで完結するサービスで満足しています。
そこそこスペックで十分なら、ノートPCは持ち運びできるという非常に大きなアドバンテージがあります。
可搬端末ならカフェや実家にも持っていくことができる。自宅でも場所を選ばず使うことができる。
まあMacBookと役割が被るといえばそうですが、持ち運べないよりは持ち運べる方が明らかに良いはず。


そういうわけで今度のサポート終了に向けて、ひとまずはノートPCという方向性で再検討したいと思っています。


#7823

首こりはより深刻な段階へ

今日の出来事身体の問題

いよいよ肩こり・首こりが自助努力ではどうにもならない段階に突入してきたように思っています。
どちらかというと深刻なのは首こりの方で、休日は特に深刻になりやすい傾向にあります。


これまでは起床後、首を曲げるとボキボキボキと関節が鳴って、これでコリが取れていた気がするんですよね。
あくまでも取れていた「気がする」だけで、実際には関節を痛めていた可能性はありますが……。
最近は起床後に首を曲げても関節が鳴りにくくなり、
体感として就寝中に蓄えたコリを解放する手段が無くなってしまいました。
ただしこれはあくまでも寝起きの話で、椅子に座ってちゃんとした姿勢で首を曲げると鳴ることも多いです。
つまり、起床後と座っているときで首の曲がり方等々が違うということなんでしょうか……?


出社日は強制的に08時15分に起きてオフィスに行かなければならないので、オフィスに行けば首こりは解消します。
テレワーク日も、就業時間になれば起きざるを得ないので比較的マシな状況ではある。
首が鳴ってしまえば起床直後のような深刻な首こりはありません。
しかし休日は起床時間が決まっていないので、延々首こりを抱えたまま寝てしまいがち。
その結果、起きてもそう簡単に首こりを解消することができず、微妙に不快感を抱えたまま一日を過ごすことになります。
重い腰を上げて出掛けて、帰ってきてようやく起床時の不快感がそれなりに解消されているようなイメージ。


実際には首こりだけでなく上半身を主に全体的に不快感を感じることが多く、これが休日の腰を重くしています。
せっかく長年の試行錯誤を経て休日午前に起きられない病を克服したのに、
これのせいで直近の休日はかなり時間を無駄にしている感が否めない……。


いよいよとなれば整骨院や整体院も検討しなければなりませんが、
睡眠環境の改善や上半身運動を増やすことなど、もう一歩踏み込んだ施策もやっていかねばとは思っています。
睡眠環境については実家のマットレスが良くないなどと文句を垂れたことがありましたが、
なんのことはない一人暮らし環境も大して良くはなかったということなのでしょう。
とはいえ、良いマットレスや枕を買えばすぐ改善するものでもないと思われ、
結局は上半身運動を日常に取り入れることが重要なのかなとは思います。


また、最近はスーパー銭湯は隔週水曜日に行っているのですが、
そこでマッサージチェアを体験してみるのもアリだと思っています。
どれほどの効果があるか分かりませんが整体院に行くよりは圧倒的に安上がりだし、試してみる価値はありそう。


#7824

地域書店の吸収合併

今日の出来事本屋

京王線の沿線に20店舗ある書店「啓文堂書店」の運営会社が紀伊国屋書店に吸収合併されるそうです。
まだ公式のニュースリリースはありませんが、今後店名なども変更になるとのこと。
昨今の書店の苦境は察するに余りあるところがありますが、いよいよここにも余波が来てしまいました。


啓文堂書店は京王線沿線の駅近に住んでいる自分にとって、最寄りの書店として長く利用してきました。
間違いなく都内でもっとも頻繁に利用している書店です。
いちおう駅構内には「喜久屋書店」というそこそこ大きな書店もありますが、
ショッピングセンターの7階なのでそこまで利用したことはありません(まだ本を買ったことないかも)。


とはいえ実は啓文堂書店でも本を買った経験はあまり多いわけではありません。
ジュンク堂系列では、同タイトルの電子書籍を買う際に半額になる「読割50」というサービスがあったため、
啓文堂書店で気になった本を見つけてもジュンク堂で買うようにしていたからです。
本自体は上京以降ものすごく増えましたが、そのほとんどはジュンク堂(東京駅・池袋・立川)で買ったもののはず。
ただ、読割50廃止後は書店を限定する理由が無くなったので啓文堂書店でも買うようになりました。
今後は可能なかぎり啓文堂書店で買うようになるんじゃないかと思っていた矢先のニュースです。


書店名が変わってしまうのは寂しいですが、立地は良いのでそうそう閉店することは無いと踏んでいます。
常にそれなりの利用者がいるし、無くなったら困ると考えている地元民は少なくないはず。
また紀伊国屋書店に入るなら系列のポータルサイトから書籍検索ができるようになる可能性もあるため、
吸収合併によって多少なり利便性は向上するのではないでしょうか。
地域密着型のフェアなんかはグループの意向で無くなってしまうかもしれませんが。


余談ですが、最近なかなか電車内での読書が捗らなくなったという話を書いたと思いますが、
電車内では電子書籍ならむしろ捗ることもあるということを最近知りました。
さっとスマホを取り出してワンタップで読み始めることができるので電車通勤に合っているのは確か。
まぁでも、電子書籍が捗るなら紙の本でもそれほど差は無いので結局本自体への好奇心次第ですかね。
義務感や惰性だけなら、どちらの媒体でも捗らないのではないでしょうか。


ちなみに最近揺れている電子書籍リーダーをどれにするか問題ですが、現時点ではKindle優勢です。
既存ライブラリがあるのと使い勝手でそれほど差が無いという点で「honto」も悪くないと思っていましたが、
昨今のこの書籍業界の先行きの暗さを見るに、hontoの存続はかなり厳しいと見ています。
一方、Kindleはサンプルをダウンロードし放題なので「立ち読み」みたいなことができるという明確な利点があります。
ホーム画面にノイズが多いなどアプリとしての出来は完璧ではないですが、
世界的企業であるAmazonの傘下ということもあってKindleはさすがに10年後も安泰でしょう。
そう考えると、使い勝手にそこまで差は無いもののKindleが無難なのでは……というのが現状の結論です。


#7825

キャラデザに必要な欠点

今日の出来事創作の姿勢

正月のセールで60巻までまとめ買いしてゴールデンウィーク最終日に解禁した『ONE PIECE』カラー版ですが、
あっという間に50巻まで来てしまいました。1日2冊以上消化している計算になります。
やはり偉大なる航路突入〜ウォーターセブン編までは激烈に面白いですね。
ちょうどこの辺が思春期真っ只中ということもあって思い出補正も相当あるのでしょう。
この作品が同一作者でいまだ連載中というのが驚きです……。


ところで話は変わりますが、今年は唯一の年間計画ということもあって創作がかなり進んでいます。
「進んでいる」というのは例年との相対的な話で、実際にはまだ1文字も進んでいません。
しかし世界観設定は過去20年が完全にお遊びだったということを認めざるを得ないくらい、
今年は明確に細かいところまで掘り進んでいます。


ブログとほぼ同じ歴史のある創作ですが、
これまでは基本的に「うちの子」のプロフィールを充実させることが主なタスクでした。
それを思春期にある程度確定させたことはそれなりに意味はあったと思っていますが、
ストーリーに関わるような掘り下げは本当に表面的な思いつきをメモする程度にとどまっていました。
では、この意味において適切な「掘り下げ」とはどういうことを意味するのか?
それは、キャラクターたちにとっての「課題」、言うなれば「弱さ」や「負の側面」を設定することだと思っています。
考えれば考えるほど、キャラクターメイクにおいてそういう障壁は欠かせないように思う。
それが本人の内的な問題なら弱さや欠点、外的な問題なら「敵役」などが必要になるということになります。
「うちの子」は自分にとって要するに愛娘みたいな存在で、非常に神聖性の強い概念です。
完全無欠で八方美人にできるならそうしたいと思うのは人情でしょう。
しかし、そうしてしまうとストーリーメイクがあっという間に行き詰まってしまいます。
現状はそうした掘り下げがまだ不十分なので世界観設定の輪郭がぼやけているような状態です。
キャラクターもいまのところ「絵」でしかありません。
しかし、適切に課題を設定すれば命を吹き込むことができるのではと予感しています。


『ONE PIECE』の秀逸なストーリーテリングは魅力的な悪役に負うところが大きいと思っています。
この漫画は魅力的な悪役が登場しますよね。
ドラム王国編の「ワポル」、エニエス・ロビー編の「スパンダム」などは、やりすぎなくらい露骨な悪役として印象的です。
しかし彼らのおかげでキャラが暴れ回る大義名分を得て、それによって痛快で魅力的なストーリーが実現しているわけです。
またキャラの弱さや欠点についても、結果的にそれがそのキャラ以外の個性を際立たせていることがあります。
たとえば「悪魔の実」の能力者は強いが泳げないという設定のおかげで、
水難のシーンでは非能力者が能力者を救出するという役割によってスポットを当てることができます。
この辺は本当によく考えられているなと感心します。
個人的にこの作品はウソップがいなかったら魅力は半減すると思っています。
バトルものでは強さのインフレは宿命ですが、
かといっていつも化け物じみて強いだけのキャラ「だけ」ではコントが成り立たないというわけですね。


自分が作りたい世界はバトルものでも勧善懲悪でもないし、いまのところ寓話でもありません。
そのため魅力的な悪役や露骨な「弱さ」が絶対必要かと言われると微妙なところですが、
一方で登場キャラみんなが完全無欠ではなんにも面白くないというのは認めざるをえないところで、
キャラにいかにして「課題」を与えるかどうかというのは目下の課題になっています。


#7826

掘り下げるための勇気

昨今の自分は、さまざまなことは着手するだけなら簡単だが「掘り下げること」が難しいという固定観念を持っています。
そして掘り下げないかぎりは各分野のコミュニティに入っていけない、活動を継続できない、
結果として何も生み出せないという悪循環に陥っている。


なぜ掘り下げるのが「難しい」と感じるのか。現時点の結論は、それはスキルというより勇気の問題だと思っています。
一昔前は逆だったと思うので、これは年齢が重なったことによる価値観の転換なのかもしれません。
10年前までは、新規の分野に入っていけないのは技術不足、
とりわけ「自分の抱いている期待」に自分自身が応えられるだけのスキルを持っていないというのが主な障壁でした。
それは単純にスキルが足りていないというのはそうなのですが、
誇大妄想によってできるはずもないレベルを求めてしまっていたことも要因としては大きいです。


近年、その誇大妄想は悪癖として認識するようになり、掲げる理想はかなり低くなりました。
低くなりすぎてもいけないのでこの辺の舵取りはまだ試行錯誤の段階ですが、
それでも一昔前と比べると相当低くなったとは思います。
さらに、スキル云々の側面はAIが「最初の一歩」を後押ししてくれるようになったこともあり、
AI登場以前の時代と比べるとそういう意味でもハードルは下がったと思います。
たとえばゲーム制作に関しては10年前までは夢のまた夢でしたが、
いまは下手すると簡単なゲームなら日曜大工みたいな感覚で作れてしまうのではないでしょうか。
もちろん、作りたいゲームのイメージがちゃんとあればの話ですが。


そういうわけで、「掘り下げること」が難しいのはスキルが原因ではないように思われる。
ではここで言う「勇気」とは何なのか。
これは、要するにリスクやインセンティブなどを勘案した結果、それでもやるに値するという決断を下すことです。
そしてこの意味での勇気を振り絞るためには、その行き先を「信頼」できる必要があります。
つまりこの分野で活動すれば相応のインセンティブがもらえるという期待がちゃんと持てるということです。
なおかつ、それは諸々のリスクと釣り合っていなければならない。


自分が2025年現在継続している活動のうち、仮想通貨取引は信頼できる活動のひとつです。
取引が成功すれば、必ず相応のお金を受け取ることができる。リスクとリターンも釣り合っている。
適切に取引すればちゃんと儲かるし、下手なことをすれば相応に報いがあります。
その基盤であるところの取引システムは元を辿れば「物々交換」であり、有史以前からあると考えるととても盤石です。
そして、これによって得られる「お金」というインセンティブもきわめて強力です。
さまざまなモノに交換でき、あればあるほど確実に生活を豊かにする。
よって、仮想通貨取引は頑張れば頑張るほど直接的かつ強力なリターンをもたらすものと考えることができ、
注力する理由も見出しやすいと言えます。まぁ、当然と言えば当然でしょう。
余談ですが自分の中では「仕事<仮想通貨」という図式が確立してしまっています。
なぜなら、仕事は頑張りに対する賞罰が曖昧で頑張ったところですぐに給料が増えるわけでもないから。
これはひとえに複雑な商流のせいだと思っています。
この価値観ができたからこそ、先物取引デビューした2022年は仕事を舐めるようになった側面も否めず、
その姿勢がお局様とのバトルなど不遜な態度に繋がっていったことは否定できない事実です。


仮想通貨と比べてしまうと他の「非営利」なあらゆる活動、あるいは仕事ですら一見見劣りするのですが、
しかし仮想通貨取引は豊かな生活に不可欠な「他者との縁」には一切関与してくれません。
そのため、見劣りするとは言ってもそれだけで従来の非営利的な活動を切り捨てるわけにはいきません。
それは結局ネット活動における人との繋がりに直結してくるからです。
……が、この範疇で頑張るに値するような「信頼」できるプラットフォームは、いまだ見つけられていないのが現状です。
それは19年関わっているピクミン界隈ですら例外ではなく、年々ジリ貧の一途を辿っています。
どれもこれも、「頑張ったらそれ相応のリターンがある!」と信じて飛び込むことができない。
その先を気まぐれな他者に委ねざるを得ない以上、必ずしもリターンがあるわけではないからです。
おそらくそのリターンの確率が一定以上ならおおむね信頼できると言えるのでしょうが、
残念ながら現時点でその閾値に達しているプラットフォームは認知できていません。
そしてこれは、新規の活動に関してもそうです。
むしろ完全新規で突っ込んで期待通りのリターンがもらえると思う方がおかしいわけで、
短期的には絶対に割に合わない活動をするしかありません。
ここでプラットフォームを「信頼」できるかどうかをどう判断するかが重要になる予感がしているのですが、
現状問題として新規活動の場を信頼できるようなマインドは持てそうにありません。
これはこれまでのネット活動であまりにも期待を裏切られる経験が多かったという経験則が足を引っ張っているのか、
あるいは単に怠惰の言い訳に過ぎないのか……。


いま、いろいろな活動が過渡期に差し掛かっていて、どれもこれも「割に合わない」と感じつつある。
嫉妬や劣等感、睡眠障害などに起因する精神不安定と戦ってきたメンヘラ期とはまた違って、
空虚感、孤独感との戦いが自分の中で展開されつつあります。
これはメンヘラ期でいろいろな活動を手放したことによる副作用なのかもしれないし、
「このまま老年期に突入したらどうなってしまうんだろう」という中年期付近ならではの年齢的な悩みなのかもしれない。
いずれにしろ、ここは理屈を無視して何かをやらねばならない転換点に差し掛かっていると感じています。
あるいはこれまで散々軽視してきた「自己満足」がこの割に合わなさを補完する手段になりうるのだろうか……?


#7827

iPhoneの値上げ

今日の出来事iphone

今秋に発売されるであろう次期iPhoneについて、複数筋から「かなり値上げされる」との観測が出ています。
iPhoneはそれぞれのパーツを世界各地で作っている都合上、関税の影響をモロに受けます。
今回発動したトランプ大統領の相互関税施策により、少なからず影響が出るのではないかと。
確か米政権はスマホを対象外とする声明も出していたような気がしますが、
それでもこういう憶測が出るということは個々のパーツへの関税は免れないので結局値上げは避けられない、
ということなのでしょうか。


ただし、Appleは値上げの理由として関税を挙げない(挙げられない?)ために、
予定していた新機能を前倒しして次のモデルに入れるのではないかという噂もあります。
……が、iPhoneは数年前から新型モデルの開発をしているので、
関税による値上げが避けられないとしても今更プランを変えられるとも思いません。
いちおうトピックスとしてはダイナミックアイランドのさらなる小型化などが予想されています。
あと噂されているのはカメラ周りのレイアウトの変更、モデムチップの自社製化、AI需要に伴うメモリの強化など。
AI時代に備えて全体的にスペックがさらに上がる新型モデルということになりそうです。


自分個人としてはカメラのレイアウトが変更されるなら現行モデルの購入も視野に入れていました(#07827 / 2025年05月21日)。
Pixelみたいな横配置にするくらいならタピオカメラの方が「iPhoneらしい」だろうという判断です。
実際には、カメラの出っ張り部分が横全体に広がるような設計になるらしく、
レンズの配置はタピオカメラで続投らしいのですが……。
これに加えて価格がもし大幅に上がるということなら、改めて16シリーズの購入を検討してもいいのかなとも思います。
自分の場合は最上位モデルを買わざるを得ないので、現行なら249,800円。
これがたとえば次期モデルから35万円を超えるということになった場合、
16シリーズも現行機と比べると相当スペックは高いことを考えると普通に型落ちでもいいのかなと。
この辺は「経済状況を鑑みて一括でも買えると判断できるかどうか」を基準にしようと思っています。
36回払いだと数万円ほどの差があっても極度に薄まって実感が無くなってしまうので……。


いずれにしろ、年内の機種変がマストであるという方針に変更はありません。
現行機もさすがに残容量が厳しくなってきたし、
あまり使わないとはいえSNSのサブアカ等で使うサブスマホが2021年製の格安スマホということもあり、
動作がかなり厳しくなってきました。なので現行機をサブスマホとして運用したいというニーズが現状かなりあります。
またLightningケーブルを使うのは現状あとiPhoneだけなので、USB-Cに統一したいという気持ちも。
去年はメインスマホの余裕だけ見て見送りを決意しましたが、今年はさすがに見送りは無理そうです。
2024年モデルにするか、最新モデルにするかは微妙なところですが、
いずれにしろ早ければ夏ボナ支給後、遅くとも年末には機種変していることでしょう。
こちらも年内買い替えがマストとされるPCとどっちを優先するかはかなり際どいところですが……。


#7828

アチーブメント機能の誘惑

今日の出来事ゲーム一般

長年迷走している「マルチプラットフォームのゲームはどのプラットフォームで買うべきか」という問題。
そもそも自分は2002年から購入したゲームをリスト管理していて、
いまのところSteam(PCゲーム)、コンシューマーゲーム、スマホゲームの3カテゴリで分かれています。
近年は特にインディーズゲームの場合、まずSteamでリリースし、
その後しばらくの期間を空けてNintendo Switchにもリリースするというようなケースが見られるようになり、
基本的にはSwitchかスマホ、なるべくならSwitchにゲームを集約したい自分としては、
SteamとSwitchで重複購入してしまうケースがよく発生するようになりました。


リスト管理に関する現時点の結論としては、まずPCゲームとコンシューマーゲームは統合し、
マスターデータにおいて同一タイトルは最初に購入したもののみをカウントするという運用方法が有望です。
そしてマルチプラットフォームの購入優先度は、Switch>Steamというところまでは明確。
Switchに存在しなければSteamで買い、のちにSwitchにリリースされたら躊躇わずに重複購入してしまう。
Switch最大のネックだったスペック問題も来月出るSwitch 2で解決するため、
この本体を自分にとって最大のゲームライブラリにすることに異論は無い……はずでした。


しかしここに来て、SwitchではなくSteamを優先したいケースもないわけではないことに気づいてしまったのです。
それは「実績機能」の存在。一定条件をクリアするとトロフィーがもらえるというアレですね。
実績(=アチーブメント)は基本的にSwitch以外のプラットフォームではOSレベルで搭載されているのですが、
任天堂のゲーム機だけは伝統的にそういった機能はサポートされていません。
それはSwitch 2でも同様のようです。
完全ソロプレイ前提だがやり込みの機運があるようなゲームを購入するような場合、
アチーブメントの存在がそのやり込みの「証」になるという側面があるのは否定しがたく、
これを考慮すると任天堂機以外で買うという選択肢も十分あります。
そもそもこんなのは個人のこだわりによって決めるものなのでこういう具体的な理由が出てきてしまうと困るわけです。
さらに、最近はコンシューマーで出るタイトルはスマホにも出るという傾向がさらにこの問題を複雑にしています。


基本的に自分が「Switch>Steam」という優先度を維持しているのは
ゲーム機に対する着手のしやすさが根拠になっています。
Steamは現状ゲームのためだけにデスクトップPCを起動してコントローラーを接続しないといけないため、
Dockからさっと取り出して始められるSwitchと比べると手軽さの面で圧倒的に劣っています。
その点を重視してSwitchを優先している以上、
手軽さでさらに上を行くスマホにも展開されるとスマホには勝てません。
しかも、スマホ(iPhone)にはGame Centerというアチーブメントシステムがちゃんと備わっています。
結局これが最強のゲーム機ということになってしまうんですよね。
唯一大きな欠点として物理キーが必要な場合にゲームパッドを用意するのが面倒という問題があり、
物理キーありきのゲームならSwitchを優先してもいいと思いますが……。


結局、マルチプラットフォームゲームをどれで買うかという問題はケースバイケースで答えが異なるので、
包括的な方針を決めても意味がないと言ってしまえばそうなのかもしれません。
そもそも絶対的なプレイ時間が減っているいま、こんな瑣末なことを考えてもしょうがない感はある。
いや、むしろゲームと表面的にしか向き合っていないからこそこういう問題が気になるのであって、
ゲームを素直にプレイしていたら本来そこまで気にならない問題なのかもしれません。


#7829

Pocketサービス終了へ

今日の出来事iosアプリ

いつの間にかMozillaに買収されていたあとで読むサービス、「Pocket」のサービス終了が発表されました。
自分は「Read It Later」という名称だった2012年当時から使っていて(#02947 / 2012年03月12日)、
当時は便利アプリベスト10に入るほど愛用していたことを考えると、ついにこの日が来たかという思いです。
とはいえ、確かに近年はほとんど使っていませんでした。
かといってより良いあとで読む系サービスが登場したというわけでもない。
感覚的には「あとで読む」機会はありそうなものですが、この手のサービスを使わなくなったのは不思議です。
まぁ、この辺はスマホの地位向上が関係しているんだろうなと。


2012年当時はAndroidでしたが、そのスペックはまだまだ十分とは言い切れませんでした。
コンテンツ消費の主戦場はまだまだPCだったと認識しています。
一方でスマホは最新情報をいつでもどこでも取得できるという点では優れていたので、
RSSリーダーでアンテナを張って、ことあるごとにそれをチェックするということをやっていました。
いまやRSSリーダーという言葉も聞かなくなって久しいです。


RSSリーダーはその場で消費するには向かなかったので、文字通り「あとで読む」サービスが必要でした。
既読として流したくないが一時保管する場所として、Pocketは大きな存在意義があったわけですね。
翌2013年、RSSリーダーの中心的存在だった「Googleリーダー」がサービス終了を発表し、
当時はそれはもう驚きました。まだまだRSSリーダーという需要はあったからです。
その受け皿を「Feedly」というwebサービスが請け負い、RSS文化自体は継続。
しかし2015年くらいからGoogleディスカバリーや「スマートニュース」など、
ユーザーの嗜好に合わせてbotやAIが勝手に記事を選び取ってくるキュレーションサービスが台頭すると、
パーソナライズされておらず全記事取得するRSSリーダーは一気に時代遅れのサービスになりました。


2016年になるとiPhone 7Plusによってスマホが大型化し、PCに頼らない情報収集環境が確立。
Pocketはキュレーション時代も一時保管所として活用してはいましたが、
この頃から明らかに利用頻度は減っていました。
そして2020年、iPhone 12Pro Maxへの機種変によってスマホはついにPCの地位を明確に抜き去り、
スマホで完結することとRSSリーダーの消滅によってPocketも利用しなくなっていました。


……が、未読記事はいまだ308件もあります。これでもピーク時と比べて半分くらいには減らしました。
いちおう一括エクスポートはできましたが、csvにしたところで消化できないのは確実。
サービス継続中のいまのうちに1本でも少なくしておきますかねぇ……。


ちなみに上記リンク先のAndroidアプリ十選と、リンク先のリンク先にあるiPhoneアプリ十選の選出アプリのうち、
いまも明確に現役なのは「Dropbox」「Twitter」のみとなりました。
Dropboxはデータ移動が面倒なだけでiCloudというライバルには基本的には勝てないので、
卒業してしまうのも時間の問題かも。そう考えると最後まで生き残るのはTwitterということになるのかも……?


#7830

着手するタイミング

再来週はいよいよ『Nintendo Switch 2』発売。
ということはつまり2017年03月03日から長きにわたって続いたSwitch 1の時代が終了することになります。
購入したゲームタイトルの数は基本無料を含めて51本。
据え置き機としての先代であるWii Uの15本、携帯機としての先代である3DSの35本の合計をわずかに超えました。
こうして見るとゲームのプレイ時間は減っているものの購入ペースはそこまで落ちていないんでしょうか。
プレイ時間最多は『ピクミン4』の300時間で、Wii Uの『ピクミン3』に続く形に。
個人的にSwitch 1はインディーズゲームの地位向上が著しい時代だったと思っています。
一方で「あつまれどうぶつの森」「リングフィットアドベンチャー」などの社会現象もあり、
ゲーム史に刻まれる時代としてはなかなか濃いめの8年間だったのではないでしょうか。


これを機に、これまで購入・ダウンロードしてきたタイトルのうちビビッときたものを片っ端から遊んでみました。
『マリオカート8デラックス』は少し前から手を出して、
なんだかんだで150cc全制覇まで継続するなどさすがにとっつきやすかったですね。
それ以外はすぐに継続してやろうと思えるようなタイトルはありませんでしたが、
比較的有望だなと思ったのがローグライク×メトロイドヴァニアの『スカージブリンガー』。
クセのあるアクションにさえ慣れれば、ちょっと本腰入れてやりたいポテンシャルを感じました。
ただ普通にやる分には難しすぎるので、最初の山を越えられるかと言われると微妙です。
同じくドット絵ゲームで落ちものパズルの『Mixolumia』も隙間時間にやりたいタイトルのひとつ。
まぁ、逆にいえばこれくらいで他の既存タイトルには光明は見出せませんでした。
大型タイトルはちょっと手を出すには重すぎるし、
以前希望を見出したことのある『スーパーマリオメーカー2』もやってみたのですが、
もっともとっつきやすいと思われる「どこまでマリオチャレンジ」ですら難易度が高く感じられ早々にギブアップ。
この熱意の低さでは着手できるゲームはかなり限られそうで、困ったものです。
もう自分はゲーマー卒業に抗うことはできないのでしょうか……?


こう考えると、既存タイトルのどれも継続できる熱意が無い風前の灯火みたいな自分ですら、
マリオカートはそれなりに継続しているのでSwitch 2のロンチにこれを持ってきているのはうまい戦略だなと思います。
むしろ、最初がマリオカートじゃなかったら発売日に買おうとは思わなかったかもしれない。
重いタイトルはもうよっぽど歯車が噛み合わないと着手するのは難しそうな雰囲気なので、
着手できるチャンスを逃さないように立ち回っていきたいところです。
ここでいうチャンスとは発売日ですね。『ドンキーコング バナンザ』もいちおう購入予定ですが、
クリアできるかどうか、継続できるかどうかはすべて発売日の勢いに依存していると思います。


そういう意味ではすでに発売されているが着手していない大型タイトルはなかなか厳しい状況です。
Switch 1のソフトは今後も買う機会はあると思いますが、
買うタイミングを逃してウィッシュリストに入ったままの大型タイトルがかなりの数眠っていて、
これらは発売日という一番大きなタイミングはもう二度と来ないので、
せめてセールなどの小さなタイミングで飛び込んでいくしかないのかなと思っています。
ブレワイとかアルセウスとかマリオワンダーとか、任天堂製だけでもかなりのタイトルを見逃しているんですよね。


そういうわけでSwitch 1の時代は終わったようで全然終わっておらず、
上位互換の機種を携えて次の時代に繰り越すことになるのではないかと思っています。
本当に、やるゲームはよりどりみどりなのに意欲が全然ついてこれないのがもどかしくも悔しい……。


#7831

信頼と信用

今日の出来事言葉の定義

そういえばいままで頻繁に使いつつもあまり考えてこなかった「信用」と「信頼」の使い分けについて考えてみます。
この手の話題はまず辞書を引くところから始めましょう。


【信用(しんよう)】
1 確かなものと信じて受け入れること。「相手の言葉を—する」
2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。「店の—に傷がつく」
3 現在の給付に対して、後日にその反対給付を行うことを認めること。当事者間に設定される債権・債務の関係。
(デジタル大辞林)

【信頼(しんらい)】
信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。「両親の—にこたえる」「医学を—する」
(同上)

長年お世話になっているgoo辞書から引きましたが、06月25日にサービス終了するそうです。お世話になりました。


基本的に信用は「過去・現在の実績に対する評価」、信頼は「これからすることに対する評価」だと思います。
住宅ローンは、今後の収入や活躍を見越して大金を貸してくれるわけではありません。
あくまでも現在・過去の収入状況に基づいて判断されるため、これは信用に基づく契約です。
難しいのは〈信用〉の②で、これまでやったことに基づいて信頼することは「信用」であると定義しています。
ではこの状況に当てはまらない〈信頼〉は成り立つのか?
それはつまり、過去の実績に関係なく他人を頼りにするということです。


一見するとそんなことはそうそう無いと思いがちですが、実はごく身近なところにも〈信頼〉はあります。
たとえば交通ルール。我々は青信号になれば道路を渡りますが、
それは見ず知らずの人が運転する車が「赤になれば止まる」ということを信頼しているから渡っているわけです。
我々はその見ず知らずの人の運転実績をあらかじめ知っているわけではありません。
これは公共交通機関における乗降のルールや、利用することについても同様です。
整列乗車は割り込まないと知っているから並ぶのだし、
バスや電車は運転士を無条件に〈信頼〉しているからこそそれらを利用しているとも言える。
つまり、期待通りに行為してくれるのが「当たり前」であるという暗黙の了解があるわけです。
これらは〈信用〉の②に当てはまらない〈信頼〉と言えるのではないでしょうか
(自分がそれを「利用」した実績に基づく〈信用〉と言えなくもないですが)。
ではなぜ自分は、見ず知らずの車を〈信頼〉できるのにより身近な他者を無条件で〈信頼〉できないのか?


信号が赤になれば止まらなければならないというのは常識であり法律で定められたルールです。
つまり、ここでの〈信頼〉はルールによって保証されているとも言える。
対人関係においては、基本的には交通ルールのような厳格なルールは存在しません。
世の中には倫理という形でそれらしきものがいちおうあるものの、遵守するかどうかは人次第なところがあります。
倫理に照らし合わせれば他人を不用意に侮辱したり、名誉を傷つけたりしてはいけないのは自明ですが、
一方で精神の未成熟などを要因として、それを破ることに快楽を覚えるような変態が世の中には少なくない。
特にネット社会はひどいもので、だからこそネットの向こうの人を無条件で〈信頼〉するのは難しいと思います。
それでもなお他者を〈信頼〉することに努めるべきかどうか、その価値があるかどうかはわかりません。


しかし他者を信頼できなければ活動が停滞するのもまた事実です。
特に他者に承認を求める場合、まずは他者を信頼しなければ何も始まらない。
これは所属するコミュニティの質などにも依存する話ですが、
結局足元の活動を盤石にするためには〈信用〉に基づく活動が無難だという話になってしまうわけです。
たとえば仕事などはそういう形で他者と関わっているわけで、
ネット活動も広義の仕事と思えばこういう形が適当であるという意見も捨てがたいところです。
ただし相手が不特定多数だともはやこの論理は通用しません。


いま、自分があらゆる方面において活動の停滞に陥っているのはこの辺も関係あるのかなと思っています。
昔はこうではなく、「頑張ればコミュニティの誰かが認めてくれるだろう」という無根拠の信頼感があった。
いつしか、それが途切れてしまったように思うんですね。
頑張っても認められなかった経験がある程度募った結果なのでしょうか。
結局それによって、信用してもらうために見返りゼロで成果を求めなければならない地点まで落ちてしまった。
ある程度の成果がすでにあればそれをベースに活動していけるのでまだ行動できると思うのですが、
そういうものがゼロであると認識してしまうと、途端にあらゆることができなくなってしまいます。


そもそもなぜ昔の自分が無根拠にコミュニティを信頼できていたのかどうかもまだ言語化できていませんが、
その辺に活動復活のヒントが隠されているような気はします。


#7832

Twitterアカウントの型落ち

今日の出来事twitter

2010年04月01日に運用開始し、近年は行き詰まり感が否めないTwitterのメインアカウントですが、
あることを根拠に本格的に「サブ落ち」させることを検討してもいいのかなと思いました。
というのも、インプレッション(投稿が閲覧された回数)がサブアカとそこまで差がないからです。


メインアカウントは15周年を迎えましたが、
基本的に脱メンヘラ後は「ピクミンプレイヤーとして」のみの発信という制約を自分に課しています。
その制約を課すに至った経緯としては、そもそも承認不安(自分が不当に認められないという不満)が長年募っていて、
それが2022年のメンヘラ末期に爆発して「無益なつぶやきをしている赤の他人」を一斉リムーブしたことにより、
自分自身も無益な投稿ができなくなってしまった、という流れです(#07726 / 2025年02月10日)。
これはもう、メインアカウントに取り憑いた強い呪縛であり今更逃れることはできません。
そもそも無益な投稿は不要だという考えはいまも根強く残っているし、
どうでもいいつぶやきしかしない人はやはりミュートしたくなります。
こんなマインドだから、自分自身も誰にも認められず承認不安に陥るのでしょう。見事な悪循環です。
根本的には心の弱さ、他人を尊重できない傲慢さがあるのだと思います。
こういう心の負債が一方的に溜まっていくのがSNSの嫌なところです。


これを断ち切るべく、呪いのかかっていないサブアカウントで再出発したのが2023年。
当初はパトロンサイト支援の一環として、
メインアカウントでは触れられない同人界隈をフォローするために運用を開始しました。
が、いまやTLにはさまざまな有益情報が飛び交い
事実上のメインアカウントと言ってもいいくらい利用割合が増えてきました。
そこで、こっちでならガス抜き目的の無益なつぶやきをしても許されるのではないか、
ピクミン以外のゲーム等に関する発信をここでやってもいいんじゃないか、と思うようになってきました。


この考えを強く後押ししているのが、冒頭に挙げた平均インプレッションです。
執筆時点でリポスト(リツイート)とハッシュタグつき投稿を除く最新10投稿を比較すると、
その平均インプレッションはメインアカウントで169.4pv、サブアカウントで124.4pvとなっています。
メインアカウントのフォロワーが800超あるのに対し
サブアカウントは原則フォロー専用でほぼフォロワーはついていないにも関わらずこの差です。
みんなおすすめTLを見ているからなんでしょうね。フォロワー数が有名無実化しているのでしょう。
あと、いかにメインアカウントのフォロワーにゾンビが多いかということでもある。
まぁ、めちゃくちゃミュートされている可能性もゼロではないですが……。


こういうことであれば、承認不安の呪縛に抵抗してまでメインアカウントで何かつぶやかずとも、
サブアカウントでもっと気楽に発信してもいいんじゃないかと。
なんなら「おすすめTL」というシステムがあるかぎり、新規アカウントでもなんら問題ないことになります。
いまのサブアカは同人界隈に偏っているので、それとは別に汎用のサブアカを運用してもいいのかもしれない。
特定分野について発信するとすぐにTLがその分野に染まるので、
基本的には分野ごとに使い分けるのが望ましいし、旧Twitter社もそういう使い方を想定しているのではないでしょうか。


もし「汎用サブアカ」の運用が安定してくれば、もはやメインの発信場がそちらになるのは当然の成り行き。
そうなったとき、現メインアカウントはピクミンに関することしかつぶやけないサブアカ、
という立ち位置になるのでしょう。
せっかくアカウントの世代交代をするならBlueskyやMixi2なんかも面白そうですが、
直感的にはアクティブユーザーの多さという点でTwitterには勝てなさそうです。
Blueskyはアプリの出来としてはかなり良い雰囲気はあるんですけどね。


#7833

大底を掴む

今日の出来事暗号資産

仮想通貨取引で、久々に大底でショートしてしまって含み損に捕まっているので反省を書き残したいと思います。
基本的に自分の取引スタイルは「勝って当たり前」なので不測の事態は起こりにくいのですが、
だからこそ過去の教訓も忘れがちになってしまう側面があります。
まだ損小利大スタイルへの転向はできそうになく、
できるかぎりセーフティな範囲内で小勝ちを積み上げていく方針に変わりはありませんが、
だからこそ過去の教訓も定期的に読み返していきたいところです。
そして、こういう事態に陥ったときに言語化して次に教訓を残すのはマストの作業と言えるでしょう。


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というわけで、こちらが今回の取引チャート(BTC5分足)です。
赤線がショートポジションのオープン時(05月20日23時)の価格で、ざっと104,250ドル。
まず前提として、当時は105,000〜107,500ドル近辺を上下するレンジ相場でした。
なのでこれが崩れてきたら上にも下にもチャンスがあると思ったんですね。
それで下に崩れてきたので予定通りショートポジションを入れました。最初の赤いSマークがそれです。
その後、104,125ドルの直近最低値をつけたあと急騰。
これはダマシかもしれないと思い、この急騰でいったんポジションは退避しました。ここまでは正解だったんです。
しかしその後連続して赤線をつけて一瞬全戻しし、下落相場が継続しそうな気配に。
「この急騰は直前の暴落の反動というだけで、トレンド転換ではないのでは?」
という疑念から、もう一度ショートポジションを入れてみることにしました。これが失敗でした。
利益がショボかったのでもう一踏ん張りしようと思ったのが裏目に出た形です。


結局相場は短期的なショートポジションを刈り取るダマシチャートを描きそのまま高騰。
慌ててロングでも入って両建てし、500ドルほどの値幅で利益を確保するのですが市場はさらに上へ。
あとは報道にもある通り、史上最高値111,968ドルを記録するほどの大高騰となっています。
なんでこんな突拍子もないタイミングで史上最高値をつけたのか謎ですが、
背景にはアメリカ政府の不安定性からドルの信用が低下しており、
相対的に無国籍通貨であるビットコインへの資金流入が顕著になってきているからとのことです。
まさかこんな突拍子もないタイミングでそんな価値観の転換が起こるなんて……。


高騰後はチマチマ5%ずつナンピンを繰り返し、ポジション価格は約107,000ドルまで上がりました。
しかし、価格は108,000〜109,000ドル辺りに強い抵抗がありいまだポジション価格には届いていません。
いま、アメリカでは「BITCOIN 2025」なるイベントが開催されており、
05月29日01時からはアメリカ副大統領が登壇すると言われています。
要人発言の機会は市場の注目度も高く、大高騰するかもしれないし大暴落するかもしれません。


こういう前もって分かっているイベントは「噂で買って事実で売れ」という格言の通り、
イベント前にはすでに価格が織り込まれているケースも多いです。
今回の場合は要人発言が期待通りならヨコヨコもしくは下落、期待外れなら大幅に下落、
市場が予想していなかったようなポジティブ発言があれば大幅に高騰することが予想されます。
もし直近の高騰がこれを織り込んでいるなら、ここからさらに上がるのは一見難しいように思いますが……。
とにかく何が起きても不思議ではないのがこの世界。高騰したらどこまでいくのかだけが不安です。
逆に事実売りが発生した場合、106,000ドル台までは落ちてもおかしくないんじゃないかと思っています。


今回の反省は、最初の直感でダマシを予感したにも関わらずスケベ心でショートを入れてしまった浅はかさと、
そもそもファンダメンタルズを基盤としないただのテクニカル取引をしてしまったことです。
しかもテクニカル分析もちゃんとやっていない、雑な取引をしてしまったのは反省。
ファンダのない無根拠のポジションであれば2分の1で負けるギャンブルでしかありません。
あらかじめニュースをチェックするのが大切であることは言わずもがな、
自分の直感はもっと尊重してもいいのかもしれないと思った今回の取引です。
あとこうやって捕まるときはたいていショートなので、やはり「ショートは難しい」という説は正しいのかなとも思います。
果たして、このポジションは最終的に救われるのか、それとも……。


#7834

合理的理由より強い理由

今日の出来事作業計画

どんなにそれが合理的でやるだけの理由を持っていても、
自分の「本心」がやりたくないと思えばあらゆるタスクは頓挫してしまいます。
いま、その意味での「本心」が半ば迷子のような状況にあり、あらゆるタスクが進んでいません。
ゴールデンウィーク後の3週間は何もできなかったという評価が妥当なのではないかと思っています。
強いて言えばブログのフロントエンドの改修ができたというくらいですかね……。


そんな中、それなりに有望なタスクが「本心」の琴線に触れそうな予感がしています。
それは年間計画を練る段階でリジェクトした新本家サイト復興計画。
より具体的には、スマホゲームランキングを作るという計画です(#07587 / 2024年09月24日)。
これは当時、ブログやピクチャレ大会とは違う「第3のサイト」を作りたいという気持ちがあった中で、
とりあえず過去の大型企画をリニューアルしてそこに載せるのはどうかという案がありました。
そして、閉鎖した各種サイトで再掲載の価値を見出せるものはゲームランキングくらいのものだろうと。
2020年にはミニサイトという位置付けでコンシューマーゲームのランキングサイトを作ったのですが、
その制作周期が2010年以降10年ごとという想定でした。
ならば、コンシューマーゲームと双璧を成すスマホゲームを5の倍数年にまとめるのはどうかと。
仮にそこまでのモチベが無かったとしても、前回のまとめをリニューアルするくらいのことはしたいなと。


スマホゲームのレビューサイト制作は、その対象タイトルが膨大すぎるため現実的ではないと思っていました。
200タイトルのコンシューマーゲームのレビューを書いた2020年当時も半年がかりの大作業だったので、
小粒とはいえその5倍はあるスマホゲームを網羅するのは現実的ではありません。
ただしそれはあくまでも完全に人力に頼った場合です。そう、いまならChatGPTくんがいる。
試しに30タイトル拾ってレビューしてもらったら、24タイトルまではすんなり出してくれました。
人力で書くのは2割だけ。執筆現在ゲームの本数は1,559本なので、ざっと312本……。
実際にはサ終したソーシャルゲームや無料体験版などは除外されるのでもっと少なくなると思います。
文字数をコンシューマーゲームの半分に削減すれば意外といけるかも……?


当時は無理だと思っていた企画がAIのチカラによって実現可能になるかもしれないという期待。
これに加えて、実は最近あるゲームがきっかけでスマホゲームだけはモチベが高いです。
片っ端からゲームをやる理由を得られたらその作業自体は結構楽しめるかもしれないと期待しています。
逆に言えば、こういう企画を立ち上げでもしないかぎり埋もれたスマホゲームを発掘する機会は無いでしょう。
結局のところ、ゲームをやる理由を得るためにこういう企画を発案しているとも言える。


それなりに有望なプロジェクトのように思えますが、それでもなおやるかどうかは分かりません。
それくらい、いまの自分は自分自身の行動力に不信を抱いてしまっている。
あまりにもあらゆることの計画遂行率が低いのでもはや自分を信用できないんですね。
デジタルイラストも完成度7割までで止まっているし……。
まぁ、基礎データはあるのでまずはそれを最新化する作業だけはやってみて、
それでもやりたいと思ったなら年末企画として始動することになるかもしれません。


#7835

回り始めた歯車

なんだか一気に歯車が回ってきたので近況をざっと書き残していきます。
まず05月20日に底値でショートポジションを入れてしまい含み損を抱えていた仮想通貨の件(#07833 / 2025年05月27日)。
今日、やっと底値を更新して+2万円でポジションをクローズできました。
当初のポジションは104,250ドルだったものの、
その後ちびちびナンピンを続けて106,900ドルまで押し上げていたおかげでタッチし、助かった格好です。
「ナンピン=悪手」というイメージがありますが、今回はナンピンがうまく機能した良い例ですね。
4時間足でみると今後もさらにどんどん落ちていって大幅な利益を望める可能性もあるにはありますが、
自分は本来1日単位の「微差」で安全に利食いするスタイルなのでこれ以上は欲張りません。
とにかくも軽率に入れてしまったポジションを解消できて良かったです。
なお、これにより名実ともに「直近3年の純利益100万円」に到達しました。
記念に10万円だけ引き出して目下のお小遣いとして使ってしまおうかと画策中です。


あと、ここ数日で前の会社の知り合いから偶然連続で連絡が来て、長話をする機会がありました。
1人目はプログラミングに関する相談で、2人目は例の毎週ゲーム会をしていた相手です。
今日はその1人目と話していたのですが、
前の会社の仲間内の中では自分はまだ「開発に意欲のあるプログラマー」なんだなぁと実感。
耳にする名前も懐かしい人ばかりですが、あの会社はいまもほぼ変わらずにやっているようです。
転職したことを後悔することもありますが、いまだボーナスの支給がほぼ無いと聞くとやっぱり転職して良かったのかも。
職種柄、同じ会社の同僚とはいえ別々の現場に行ってしまえばほぼ他社の人間ですしね。
ともあれ、Laravelに関する相談を乗り越えたのち(ちゃんと具体的にアドバイスできて良かった)、
Switch 2が当たったのでまた今度集まりましょうという話になりました。


2人目とはゲームの話が盛り上がる流れで約5ヶ月ぶりにゲーム会を開催することになりました。
2020年から5年続いたゲーム会は主に自分のゲームに対する意欲の減衰を原因としてどんどんグダグダになっていて、
手を替え品を替えさまざまな方策を試してみましたが『ピクミン4』がダメだったことで限界に到達したと判断。
同僚とは気が合うのは確かなんですが、ゲームジャンルの好みは180度違うんですよね。
なので自分が気になったゲームがあっても同僚は全然ピンと来ないし、逆もまた然りという。
唯一の共通項が『Apex Legends』で、それが奇跡的な大当たりだったからこそ長続きしている縁と言えます。
それで、久々にLINEで話して自然とApexの話になり、じゃあ今度やってみますかという話になりました。
自分はこのタイトルを提案した仕掛け人ではあるもののFPSの腕前は底辺なのでかなり譲歩している形になるのですが、
試しに久々に一人でチームデスマッチ等で遊んでみたらそこそこ長続きしました。
休止期間を経て、やりすぎてうんざりしていたときの毒がそれなりに抜けてくれたのかもしれません。
それでも下手すぎるのでただただ一方的にキルを取られるんですけどね……。


この一週間は、ほとんど他人と関わらないテレワークに加えて含み損が気になって他の物事にも着手できず、
精神的にはかなり危険な状態に陥っていました。
まぁ含み損のせいにするのは半ば言い訳ですが、今年は特に趣味関係が停滞していることもあって、
気分が上向く機会を得にくい泥沼に陥ってしまっているのは確かです。
いま、ある意味その大底を打ちようやくトレンド転換する機会を得られたような気がするので、
この蜘蛛の糸はしっかり手繰り寄せていきたいと思っています。


#7836

マッチメイキング問題解消へ

今日の出来事apex-legends

半年ぶりに元同僚とバトルロイヤルFPS『Apex Legends』を遊びました。
実家時代のゲーム全盛期末期に流行したバトルロイヤルFPS。
自分にとっては「PUBG」でジャンルを知り、『フォートナイト』は身内間でハマるSwitch初期のキラータイトルになり、
その流れで満を持して登場したのがApexでした。
が、2019年当時はPC版しか無かったことでローカルで遊ぶのが難しく長続きせず。
その後上京して2年目にSwitch版が登場した際、当時の遊び相手だった同僚に提案したのでした。
当初は自分も熱中していたのですが、PS4やPCに移行してからはとにかく敵が強すぎるという問題が深刻で、
相対したらほぼ必ずやられてしまう流れはお世辞にも楽しいとは言えませんでした。
これはチートやスマーフ(強いプレイヤーがアカウントを作り直して低ランクで雑魚狩りする)の存在や、
そもそもマッチメイキングが機能していないなどの根深い問題があり年単位で放置された結果、
自分はもはやApexに軽い拒否反応を感じるようになってしまい、それが例のゲーム会の崩壊にも繋がっていきました。


そんな流れで半年ぶりに着手してみた結果、どうなったのかというと……。
なんと、マッチメイキング問題はかなり良い感じに解消されていました。
カジュアルやミックステープなどのアンランクゲームは相変わらずつよつよな人しかいませんが、
ランクマッチでは自分とほぼ同じくらいの腕前の人が集まっているらしく、
相対したときに勝つか負けるかがほぼ五分五分でした。
これならバトルロイヤルFPSとしてゲームが成立していると言えます。
五分五分なら少しでもその確率を上げるために上達しよう、良い立ち回りを心がけようと思えるモチベーションになる。
ひいては、ゲーム自体のやる気も上がるというものです。
いままでは99%やられてしまっていたのでモチベの上げようがありませんでした。


運営側は、プレイヤーレベル50にならないとランクマッチには参加できないようにする、
botやチートの徹底的な排除、マッチメイキングの可視化などここ1年でかなりこの問題に向き合っていたようです。
あとアジアのサーバーを統合した都合で弱い中国人が多く参加している影響も大きいかも。
これらが功を奏したおかげで、自分のようなビギナーでも楽しめる下地がようやくできたわけですね。
Apexは同僚という共有相手がいるのでモチベが上がるに越したことはなく、
もしかするとここに来て2021年以来久々にソロでもやる機運を獲得できるかもしれません。
ゲームがあまりにも下手になりすぎたという自覚からゲーム自体から遠ざかっていた昨今、
まさかカジュアルゲーマーには無縁とも思えるFPSでトレンド転換を感じるとは。
結局こういう「自分はもうダメかも」などという思い込みは
自分がそう「思いたい」からそれがあたかも事実のように感じるだけなんだろうなとつくづく思います。
実際にあらゆるゲームが下手になっているとも限らないわけで。


#7837

デジタルイラストの方針

そういえば05月01日に着手し、ひそかに「月内に1枚完成」を目標としていたデジタルイラスト制作ですが、
結局ゴールデンウィークの実家帰省中に7割ほど完成させたもののその後は着手できず、
完成させることはできませんでした。
ここで、自分がデジタルイラストを手掛けることの意義と今後の方針について整理しておきたいと思います。


まず意義について。
自分がデジタルイラスト、特にいわゆる二次元女の子のイラストを描くモチベーションは、
オリキャラを具現化(キャラデザ)することに集約されます。二次創作には興味がありません。
頭の中にあるイメージを外に出すこと。
それさえできれば、キャラデザをもとにイラスト制作を依頼することもできるだろうし、
Live2D、3DCG化、はたまたゲームキャラ化と夢が膨らんでいくわけですね。
そして誰かに依頼するにしろ、自分でどうにかするにしろ、下地となるキャラデザだけは自分でどうにかするしかない。


特に好きな絵師さんに自分のキャラの挿絵を描いてもらうというのは悲願でもあります。
絵師さんたちがもっと有名になって遠くへ行ってしまう前に実現したいところではある。
絵師さんへの依頼ということなら自分はそこまで高クオリティで描ける必要はないだろうし、
いずれにしろ自分自身が「イラストレーター」になる必要性は薄いと思っています。
あくまでキャラクターデザイナーとして、イラストの素地を作るところまでが自分の使命というわけです。
イラスト化などのメディアミックスはあくまでも創作として芽が出てからの妄想でしかなく、
当面はまず文章ベースの創作を完成させることが最優先であることは間違いありません。


とはいえ自分の創作姿勢を省みると、将来的に文章だけの創作では満足できなくなるのは明らかです。
なので絵を描くということはいずれ逃げられなくなるマストのタスクだとは思っていますが、
しかし現状いますぐ必要なのかと言われると決してそういうわけでもない、というのが正直なところです。
まぁ、先延ばしの言い訳と言われてしまうとぐうの音も出ないのですが。
結局、優先度としては文章執筆よりは落ちるし、今年は文章執筆に注力しているのは確か。
ただ一方で、将来の布石としてやっておく必要はあるという感じです。


そういう温度感も踏まえて、「月1枚」程度はやっておきたいと思っていました。
月1枚ならメインタスクを邪魔するほど負荷は高くないし、トップイラスト制作でやっていたこともある。
今月できなかったのはそもそも生活全体のモチベが低かったのもありますが、
一人暮らし環境において「描く場所」がまだ確立していないというのが大きいですね。
昨今はなんにしろ作業するならカフェという習慣がついているのですが、
さすがに女の子イラストを公共の場であるカフェで描くのは憚れる。
かといって自宅は作業全般捗らない。ということで作業の機会を物理的に得られなかったという反省があります。
06月にリベンジするならまずこの辺からかなと。


より具体的な作業内容に関する反省を描くとすると、とにかくペン入れが当面の課題です。
何度やっても綺麗な線が描けない。
ここを突破できないとPixiv公開なんて夢のまた夢です。
クリスタでは、線を引いたあとにその細さや色を部分的に変えたり、
まだやり方はわかっていませんが最後に引いた線だけ選んで角度や位置を調整することもできると思うので、
そういう基本的な使い方をちゃんと履修してから再度トレース絵でリベンジするのが妥当かなと思っています。


とりあえずは、クリスタ無料期間終了(07月末)までにPixivで公開できる絵を1枚描けたら上出来かなぁ……。


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