情報収集手段としての本屋
一時的に基本的な好奇心が枯渇していまい、結果として行動量もかなり減ってしまった今週。
短期的にでも何か興味を惹くものに触れ続けていないと、
自分は簡単に廃人のようになってしまうリスクがあるということを改めて実感しました。
まだ30代でこれですよ。この先どうなるんでしょうね本当に。
これは要するに相当なデジタル依存、というよりネット依存であると推測できます。
自分はスマホPCを取り上げられたらもう生きていけないのでしょう。
ただ、そんな状況から回復したのを実感したきっかけはネットではなく、本屋でした。
なんとなしに近所の本屋に行き少しでも興味のあるカテゴリの棚をざっと見て回ったところ、
改めて知りたいこと興味のあることを次々と発見。
今回はたまたまそれが数学分野だったのですが、きっかけさえつかめばいまはChatGPTがあります。
「〇〇について分かりやすく教えて」等と打ち込むことでざっくばらんに知識を得ることができ、
結果的に一時的な好奇心枯渇状態からはかなり回復したと実感するに至りました。
いまやネットも受動的にどんどん情報が入ってくるプラットフォームであることは間違いありませんが、
いわゆるキュレーションサービスはAIが話題をパーソナライズするため、
入ってくる情報はかなり偏っています。
そしてこの偏りがときに強いマンネリ感を催すこともあり、今回のような事態に陥ることもあるのではないかと。
ネットは一周回って能動的に探しにいかないと有用な情報を得られなくなった感じがします。
そして検索エンジンにしろ生成AIにしろ、
ネットで能動的に探すとなると少なくともその語彙を知らなければ探しようがない。
「語彙さえ思い浮かべば情報を探しに行ける分野」が枯渇すると、ネットだけでは行き詰まることになりかねません。
まぁ、いまならそういう事態を予期して語彙が出てこなくても情報を探すというアプローチが取れるかもしれませんが。
一方、本屋のようなアナログ情報媒体は提示できる語彙がなくても、歩き回ればあらゆるカテゴリと出会えます。
実は本屋というのは特定の語彙を知らなくても情報と出会えるうってつけのサービスなんですよね。
こうして考えると、本当に興味関心が枯渇した場合はむしろアナログな探し方の方が強力なのかもと思った次第。
今回は近所の本屋で済ませましたが、もっと大型の店舗や図書館に行けば、
規模次第ではより強力な処方箋になるかもしれません。
猫も杓子も生成AIという趣の世の中ですが、決して情報収集手段としての本屋の価値は落ちていない、
むしろ上がっているのではないかと改めて思った今回の一件でした。