Chrononglyph

#8215

イライラ感情を克服する

今日の出来事認知の問題

自分はここ5年くらいの紆余曲折を経て、感情コントロールに関しては確実に一皮剥けたと思っています。
そのおかげで、どうでもいいこと(=自分に直接実害が無いこと)に対してイライラすることが激減しました。
それゆえに、どうでもいいことにイライラしている人を見かけるにつけ、
なんで彼ら/彼女らはこんなにイライラしているんだろうと不思議に思って仕方ないわけですが、
この辺の持論について改めて整理しておきたいと思います。


まず、イライラする原因にはいろいろあると思いますが、
単に実害を受けている場合や体調不良など、ネガティブ感情を伴って当然の状況はここでは考慮しません。
そういう状況で根本原因を取り除かずに「イライラしてはならない」と考えるのは不条理なだけです。
ここで考察対象としているのは、超ざっくり言えば「思い通りに事が進まないことに対する不満」を指しています。
おそらく世間のコンセンサスとして、大人になってもこれを統制できないのは未熟と見なされるでしょう。
そういう意味では自分がこれを克服できたタイミングはあまりにも遅すぎたと言わざるを得ません。
しかし周囲を見ていると、自分よりもはるかに若いのにすでに統制できている人もいれば、
もう残りの人生少なそうな老人にも関わらず統制できていない可哀想な人もいて、
克服しようと思わなければ一生克服できない類のスキルであることが推測されます。


基本的に、思い通りに事が進まなかったらイライラするのは当たり前で、それ自体に問題はありません。
ここで必要な感情統制について具体的な方策を提案するとしたら、
その対象に対して抱いている期待が、不当でないかどうかを点検するプロセスを噛ますことだと思います。
つまり、思い通りに事が進まないとイライラするということは、
対象に「こうなってほしい」と想定しているビジョンと負のギャップが生じているということに他なりません。
ここでいう対象は他人だったりモノだったり、あるいは自分自身だったりします。
要するにイライラする人は、その対象に対して期待を高く見積りすぎているんですね。
「〇〇なのだから××してしかるべき」みたいなことを、自分を棚に上げて期待している。
あるいは自分の正直ベースのスキルを見て見ぬふりをして、
「よくわからんけど自分ならこれくらいできるでしょ」という甘い見積もりによって現実とのギャップを作っている。
それは楽観というよりは、自分にしろ他者・モノにしろ、
対象のバックグラウンドを事実ベースで理解することを怠っているからだと思います。


もちろん、文脈的に「さすがにこれは期待してもいいでしょ」という状況もあり、
そういう場面で理不尽に裏切られるとイライラしてしまうのはやむを得ないと思います。
期待が妥当かどうかという線引きについては一概に言えないのでかなり難しいところではありますが、
往々にしてイライラしやすい人は、そのボーダーラインが不適切に高い傾向にあると思います。
少なくとも自分は、「自分は思っているほど能力が高くない」「他人には基本的に干渉できない」
という考え方を徹底的に刷り込むことによってイライラする頻度が激減したという実績があります。
これが処世術として正しいのかどうかは何とも言えませんが、
思春期までの生き方によっては自尊心の高さと本人の本当の能力が釣り合っていないケースというのが間々あり、
その場合大人になってから矯正が必要になるというのは確かです。


他人への期待の見積りが下手でイライラしやすい人は、基本的には周囲を幸せにしないと思います。
他人に対して不当な期待を押し付け、それが叶わないと不満を口にするというのはシンプルに迷惑な人でしかなく、
現代においてそういう立ち振る舞いで社会的信用を得ようとするのはかなり厳しいものがあるでしょう。
もしそういう人がそれでも人間関係を失わずにいられるのだとしたら、
それは本人が周囲に害を与えている自覚が無く、また本人が周囲の他人を本当の意味で尊重するつもりもなく、
周囲がその傍若無人ぶりを(その人に期待しないからこそ)何も言わずに受け止めて耐えているケースが考えられます。
こういうのもいずれは広義のハラスメントやDVに当てはまるようになるんじゃなかろうか。
もちろん自分自身への期待の見積りが下手でも、それはそれで良くないのは言うまでもありません。


ただ、おそらくこの問題は「期待値を下げればよい」などという小手先の精神論で済む話ではありません。
これまで活動実績を出せておらず、劣等感が大きければこそ名誉挽回のために期待値を高くせざるをえず、
それを下げないことがある意味本人にとってメンタルのセーフティガードになっている場合もあるかもしれない。
または、本人は能力的に及ばないことを十分知っていても、周囲が「あなたならできる」と持ち上げるせいで、
他者評価と自己評価が乖離しているがゆえに期待値を上げざるをえないというケースがあるかもしれない。
そういう事例も考慮すると、期待値が不当に高いことについて必ずしも本人だけに責があるのかは何とも言えません。


こうしたメタ認知能力について、冒頭で「大人は身につけて当然という世間のコンセンサスがある」と書きました。
それはまあ、ひとつの事実だと思います。
しかしこうして複雑な要因が絡んでいることを再確認してみると、
大人になったら身につけて当然と言われている一方、身につけるのはそう簡単なことではないのかもしれない。
「世間が言う普通の人」のハードルが年々インフレしていることは薄々感じていますが、
実はそれ自体が「不当な期待の押し付け」なのではないかと思った次第です。
そしてそれこそが、世の中にこうしたメタ認知能力を身につけていない人が実は多いことの証左なのではないかと。



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