Chrononglyph

ブログとコンプライアンス

#8149

時代依存の価値観

昔のアニメの問題シーンに対する当時と現在のコンプラ意識の差についてAIに調査してもらっていたら、
放送当時の感想として2006年の個人ブログの記事が引用されており、
ブログの概要をついでに見てみたらなんと記事数がこのブログよりも多い約8,900本でした。
自分よりも多く書いているブロガーは珍しいのでどんな内容のことを書いているのかと見てみたら、
残念ながら2023年を最後に更新が止まっていました。
ついでにChatGPTのリサーチ能力を頼って長期運営ブログを探してみてもらうと、
5,000〜7,000本くらいのレンジではいくつか見つかりました。8,000本以上かつ継続中と指定すると無いとの回答
(つまり、このブログはChatGPTのSearch APIにひっかかっていない……)。
7000本台のブログをいくつか拝見すると、60代でうつ病に苦しんでいる社会人のブログ、
めちゃくちゃ右寄りの思想で政治についての話ばかり書いているブログなど、
まあ自分みたいにいろいろな意味で「こじらせている」ブログが多いという印象でした。
長期運営しているからといって読者数が特に多いわけではないのもここと似ていますね。
やはりブログは孤独に行き着くプラットフォームなのか……?


自分が他人のブログを読むことはあまりないのですが、
考え方が一致する長期運営ブロガーのブログならぜひ購読したいという気持ちはあります。
いわば同業者がいることはブログ執筆を強力に援護するし、そういうモチベの観点からもぜひとも見つけたい。
しかし、他人のブログを読む習慣が無いから当然といえば当然なのですが、そんな稀有な人はついぞ見つかっていません。
こうして探し続けていけばいつかは見つかるのでしょうか。


他人のブログを読んでみて改めて思うのは、
自分のブログは「自己の内面」にかなり寄っているのがある種の特徴になっているということですね。
拝見したブログはどれも時事問題を積極的に書く傾向にあり、自分のことはそこまで積極的に書いていない。
なんというかあくまでも目の前に起きた現象について書くのが主流で、
自分の心の中を積極的に言語化しているこのブログはそういう意味で少し異質なのかもと改めて気づきました。
もしかしたら、他人のブログを積極的に読むことで見えてくる景色もいろいろあるのかも……?
ただ、知らない人のブログって内容の99%は興味持てないので続かないんですよねぇ……。
それこそが長期運営ブログに人が定着しない理由なんでしょうけど。


ちなみに冒頭の「昔のアニメの問題シーン」とは、
2006年のアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』で主人公のハルヒ(破天荒な女の子)がコンピュータ研究部に押しかけ、
その部長に悲劇のヒロインの朝比奈みくる(おっとり巨乳な女の子)の胸を触らせたところを写真に撮り、
撮影データで脅してパソコンを奪い取ろうというシーンです(『射手座の日』)。
コンプラ意識の高まった現代では、20周年再放送で「いまならアウトだろう」という意見が見られたそうですが、
それなら当時はどうだったんだろうなと。
そこで冒頭の8,900本書いているブログが感想を書いているのを発掘したわけです。
当該記事には「ハルヒひどいな……」と書いていて、当時からハルヒの行動は不評だったことが垣間見えます。
でも、セクハラ×イジメとも解釈されかねないこの内容はいま地上波で放送するのはさすがに当時より厳しそうではある。
当時は各キャラの立場や事情を踏まえた上でしている行動だという理解ができましたが、
ショート動画全盛の現代は炎上させるために無責任な人が都合良く切り取ってコンテンツを消費する時代ですからね。
ハルヒはセカイ系で象徴的かつ魅力的なキャラクターだと思うのですが、
そういう文脈では魅力的でも現代のコンプラ意識やネットの構造と合わなくなってきた感があり、
20年でこうも価値観が変わるのかとしみじみ思います。さらに20年後はいったいどうなっているんだろう。
こう考えると、作品に対する印象は読み手が生きている時代の価値観に依存するという意味では流動的で不可逆的で、
作品解釈というのはまるで生き物のような印象が見えてきます。
そしてそれは、他人のブログや自分のブログにも言えることなのかもしれません。


#7113

コンプラ順守の難しさ

多大な犠牲を払ってやっとブログ投稿を正常化したのに、
たった1日の穴が空いたらまたこの体たらく……。
やはりもう自分にはブログを書き続ける気力は残っていないのか?


ここ近年でブログの意味を改めて再考してきましたが、
いろんなSNSが跋扈するこの世の中でのブログは
「掃き溜め」としての役割が大きくなってきている側面は否めないと思っています。
Twitterなどには書けない、でも書きたいと思うような話題をアウトプットするための受け皿的な。
だからコンプラを意識することはブログの意義をある意味否定するんですよね。
前も書きましたが、多少は割り切って炎上覚悟で本音ベースで書く方が継続していけそうな気がします。
その際に、読んでほしくない想定読者には絶対に届かないように気をつける。
具体的にはブログの新着記事を必要以上に拡散しないなどといったことですね。
2020年のトラブルはブログの執筆方針そのものよりも、
Twitterでそれを拡散したことの方が大きな失敗だったと思っています。


長年ブログを書き続けて思うのは、
ブログに書ける内容は本当に書きたいと思う内容に限られる、ということですね。
表面上だけの興味だけで特定のテーマを書き続けることは非常に難しい。
そしてしばしば「本当に書きたいこと」はコンプラや自分のアイデンティティー、
あるいは長年構築してきたブログの執筆ルールに反することがある。
そういうときに「書きたいけど書けない」「書きたくないけど書かなければならない」
といったジレンマが発生して、ブログの執筆が滞ってしまう。
これがブログがしばしば低迷する原因なのではないかと思っています。


要はブログを通じて他人に期待する自分の理想的なイメージと実際の自分が乖離している状態。
ブログでコンプラ違反をしないように、あるいは道徳に悖る表現をしないように心がけているのは、
ブログ読者の自分に対するイメージを損なわないようにしたいからです。
少なからず他者承認を求める活動にはそういう側面があるのではないかと思います。
でも、それは本音しか書けないブログの性質に反している以上、
そろそろ建前上のイメージを捨ててでもブログ存続を優先する方に舵を切るべきなのかもしれない。
ただ、19年目にいきなり方向転換できるかと言われるとまたそれも難しいんですけどね。