ネットで人間関係がこじれた際によく見かける「マウントを取る」という言葉。
一般的には何らかの優位性を持っている人が、それを持っていない人を見下すことを指します。
霊長類が同種に対して馬乗りになって自分の偉さを誇示することをマウンティングと言いますが、
人が人に対して使う用法はどうも2ちゃんねる発祥のネットミームらしく、辞書に載っていません。
普通に一般語だと思っていたのでびっくりしました。まさかネット用語だったとは。
マウントを取られたことによる人間関係の悪化については、考えてみると非常に奥が深いです。
本来ならば当ブログでは“独り言“で書くべき内容なのですが、
しっかりまとめようとしているうちに筆が動かなくなってお蔵入りになりそうなので、
このままいつも通りの書き方で書き進めることにします。
まずマウントを取るという言動は、
自分の優位性を誇示する部分と相手を卑下する部分に分けられます。
それらの関係性としては、相手を卑下する(見下す)のをサポート(正当化)するために
自分の優位性を誇示しているものと思われます。
または逆に自分の優位性を際立たせるために相手を卑下しているのかもしれません。
優位性を示さないでいきなり相手を卑下したところで誹謗中傷にしかなりません……が、
本質的にはそれは優位性がある・なしに関わらず成り立つはずなので、
卑下自体が目的であればマウントの実体は誹謗中傷や侮辱に似たものであると考えられます。
ただ、誹謗中傷や侮辱は刑法で立派な犯罪と認められていますが、
マウントが本質的にそれに似ているからといって直ちに犯罪と言い切るのは厳しいでしょう。
先述のように、マウントは常に相手を侮辱することを目的としているわけではなく、
優位性の誇示が目的である場合もあるからです。むしろこっちの方が多いような気もします。
その場合、発言者が明確に相手を卑下する意図があったのかどうかと言われると非常に難しい。
優位性を誇示することが目的なので、卑下する部分は本人が意識していない可能性すらあります。
そういうケースも一緒くたにして「マウントは悪!!」と言い切るのは無理がありそうです。
そもそも相手を卑下した結果トラブルになるのは、受け手がその発言によって傷付いたからです。
言葉がどんなに強くても相手が傷ついていないのであればからかいや漫才の範疇でしょう。
なぜ傷つくのかについては一概に言えないところもありますが、
個人的な経験則で言えば、それはそもそも言動に一定の正当性があり、
それに反論できない受け手側にある程度後ろめたさがあるからだと自分は考えています。
平たく言えば、嫉妬しているということです。
以前「結婚式の加害性」というワードがTwitterでトレンド入りし大炎上したことがありました(#06768 / 2022年06月28日)。
結婚報告は結婚したくてもできない非モテを傷つけるという意味で加害性があるという主張でした。
しかし、結婚報告そのものに加害性があるというのはいくらなんでも暴論です。
それは結局のところ未婚者の妬みでしかないということで未婚者の当事者が叩かれていました。
発信者からは私たちは結婚をするという事実を発信したに過ぎず、
それ自体は「卑下する」部分が欠けているのでマウントとみなすのは不可能です。
しかしそれを妬んでいる人の目線から見た文脈では、それはマウンティングに変貌します。
「私たちは結婚しました。(なのにまだあなたは結婚してないの?(笑))」みたいな風に。
ただそれは被害妄想も甚だしく、受け手に都合の良い解釈でしかありません。
このように一方的な解釈によって傷ついたから謝罪しろ等と優位に立とうとすることこそ
マウント行為と呼ぶのに相応しい気がします(霊長類のそれとは目的がもはや異なりますが)。
では、表向きの表現に相手を卑下する直接的な言葉が含まれていなければなんでもOKというわけでもない。
悪意のある人は、相手が悲観的に解釈するであろうことを十分理解した上で、
表面上は侮辱にならないような言葉をあえてぶつけることもできるからです。
そういう場合は言葉の意味上は問題なくても、
これを言ったら傷付くのを明らかに知った上で言ったのであれば悪者になりうると思います。
しかしその「相手」が不特定多数だったら? ここが非常に難しい。
不特定多数が相手だと、
受け手すべてに対して誰がどの文脈で傷付く可能性があるかを配慮するのは不可能です。
でも、だからと言って表現上の意味に悪意が認められなければ全部OKとするのも厳しい気がする。
何がOKで何がNGかを決めるのは世間であるように思いますが、
しばしば現代社会(特にネット内)はノイジーマイノリティの声が大きい側面もあり、
必ずしも倫理的に妥当な意見が「世間の声」に正しく反映されているとはかぎらない……。
こう考えるとなかなか難しい問題だと思います。
個人的にこの難しい問題に対して何か提言するとしたら、
クリティカルシンキングの基本原則である「思いやりの原則」がカギになると思っています。
思いやりの原則とは、「受け手は発信者の主張を発信者の立場で組み立て直せ」というものです。
受け手の都合で主張を再構築した上でそれを根拠に発信者を責めるのは詭弁だということですね。
結婚の例で言えば、自分が未婚で本当は結婚したいという思いがあることはひとまず棚に上げて、
結婚した本人の立場で考えれば常識的には素直に賞賛できるよね、ということになります。
もちろんそういう物事の客観視ができる人が必ずしも多くないという現状もありますが。
みんななんだかんだで自分が一番大切だし、自分のことしか考えていない人も多いですしね。