枝分かれの迷走
このブログはいまでこそ単独の運営も危ぶまれていますが、
かつて2回ほど、分家を作ろうとしたことがあります。いずれも失敗に終わった黒歴史です。
1回目は2011年秋にlivedoor blog上に開設した『Electric Endless Coaster』というブログで、
これは主にゲームニュースを取り扱うことを目的にしたサブブログです。
いまとなっては12年前の自分が何を思って開設したのかその意図さえ読み取れないのですが、
当時のアーカイブを読み返すかぎり、
当時の自分は日記としての本家ブログとは別の発信場所を作るべきだという考えがあったようです。
おそらくですが、本家ブログ開設当初はゲーム関係のポータルサイトを作りたい、
という野心があったので、それと本家ブログの現状にギャップがあることを憂いていたのでしょう。
あとはアフィリエイトによる収益化への未練なんかもあったかもしれません。
とはいえそのプロジェクト自体は3週間程度でギブアップすることになりました。
ファミ通などの大手メディアを差し置いて自分がゲームニュースを発信する意味は?
そもそも自分はゲームニュースを発信したいのか?
ちゃんとそこまで考えた上で開設したものとはとても思えず、案の定続きませんでした。
まあ冷静に考えれば自分がゲーム系メディアとして発信者になる必要性は皆無でしょうね。
なのでそもそも論として2003年の初代ブログ開設時点からして方向性が間違っていたわけです。
むしろ日記系ブログとして存続する方がまだ正しかったと言えるでしょう。
2つ目のサブブログは2013年末にWordPressとして開設した『ものメモ。』というブログです。
翌年にWordPressで3代目本家ブログを開設する予定でいたため
WordPressの構築を練習しておきたかったのと、
当時新本家サイトでそこそこアクセス数があったアプリゲームレビューを統合したかった、
というのが主な開設理由でした。
さすがに2011年の迷走よりは動機もしっかりしている感じはしますが、
これも結局長続きすることはありませんでした。
この当時は従来型の日記コンテンツ以外に需要のあるコンテンツを作りたいという思いがあり、
それらコンテンツ群をサブブログと同じ名前で「ものメモ」と呼んでいました。
一部はこの本家ブログにも出張して掲載されています。
これ自体を本家ブログの新カテゴリとして運用するというアイデアもありましたが、
それは結局実現せずにいまに至ります。
両者に共通しているのは、当時の自分は「日記系ブログ」からの脱却を図っていたことです。
ただそれは、いわゆる一般に通用するようなメディア系ブログを作りたい、
という確固とした意思があったのかと言われると甚だ怪しいところがあります。
日記系から脱却はしたいけれど、かといって代替になる何かがあるわけではなかったと。
いまにして思えばそれは、日記系ブログを続けることの不毛さを薄々感じていたのかもしれません。
書いても書いてもフィードバックが来ないので承認欲求が満たされない。
ただ続けているだけの底辺ブログを運営し続けることに意義はあるのかと。
しかし、現実的には日記系から脱却すればその問題が解決するわけでもありません。
そのことは本家ブログ以外に作ってきた数々のコンテンツが証明しています。
他人は基本的に自分に興味がない、というのは20年ネット文化に触れていてつくづく思うところです。
興味を持ってもらうためにはある意味自分を犠牲にして魅力的なコンテンツを作っていくしかない。
でも、果たして自分にそれができるほどのキャパシティがあるのかと言われると……。
結局自分は紆余曲折を経てそもそも他者承認に依存した活動が不毛であることを納得し、
本家ブログに関しては自分のためだけの活動として割り切っていくことにしました。
なので昨今は書いたけど公開ボタンを押せずに下書きが溜まるような事態が頻発しています。
もはや誰かに評価してくれることは期待していないからです。
(これを誰かが読んでいたとしたら失礼千万なことで申し訳ないのですが)
「何のためにブログを運営するか」という往年の問題はこんな感じで迷走し続けてきましたが、
次の移転までにはどうにかして一定の結論を出したい問題です。
他者承認に期待しないならローカルでのみ運営するという方針も視野に入りますが、
果たしてそれで毎日執筆を長年維持できるのかという。
誰かが読むかもしれないというプレッシャーが無いとブログ自体維持できないのかも。
でもそれを否定できない時点で結局他者承認を渇望していることに変わりはないわけで、
だとしたら他者承認を得やすい(かもしれない)日記系以外の記事を生み出す必要性はあるかも。
しかし、それは自分自身が本当に興味があって好きな分野でないと長続きは難しい……。
それを19年目というこの段階で今更のように確立できるのかと言う。
こう考えるとブログの維持発展って結構難しい問題なんじゃなかろうか。
正直ベースで言うと、
これまでのブログの存続を支えてきたのは必ずしも自己承認だけの精神論でなく、
2021年に喧嘩別れした高校時代のクラスメイトが長年読んでいることを知っていたからです。
だからその人とのコンタクトが途絶えたので本格的にモチベーションの維持が難しくなってきている、
という側面は否定できません。積極的にフィードバックをくれるのはその人が唯一だったからです。
日記系ブログは本質的にはリアルの人間関係が発展を支えるものなのかも、と今更ながらに思います。
ある意味自分のリアルがもっと充実していたらこのブログも存続危機に陥っていないのかも。