ブログという読みもの
読書の目的は人それぞれだと思いますが、
自分は主に知識を深めるためと生活をより豊かにするためという2つの目的を持っています。
ゆえに、そこまで専門的ではなく間口の広い新書に手を出しがち。
新書であればこのどちらかの目的は達せられることが多いからです。
まあ、どちらかというと前者の方が多いでしょうか。
明確に後者を求める場合はどうしても自己啓発、心理学本などに頼ってしまいがちですが、
経験上、こういう本は似たり寄ったりなことを書いているケースが多く、
また当然ですが自分という個人の状況にクリティカルな解決方法を書いている本はほぼありません。
このジャンルは最初の数冊は衝撃的ですが、ある量を超えると急にマンネリ感が出てきます。
これは、心理学本が幅広い層を想定して書いている以上仕方のないことでもあります。
想定読者に広く刺さり、かつ科学的に認められた手法となると相当限られるのでしょう。
認知バイアスや行動療法など、テーマが重複する本を除外するとかなり減るのではないでしょうか。
もちろんそういう知識は知っておいて損はないので各1冊は読むべきだと思いますが、
心理学者でもない一般人が同じテーマの本を何冊も読み込む必要があるのかと言われると微妙なところです。
では「自分の生活をより豊かにするための読書がしたい」という要件を満たす書物は無いのか。
ふと、自分にとってはこのブログが当てはまるのではないか、と思いました。
自分にとってのブログは基本的にアウトプット手段としての役割を担ってきましたが、
言うまでもなくそのアーカイブを自分で読むこともできるわけです。
そして、ブログの歴史は自己批判と反省の歴史と言っても過言ではないくらい、
自分はこのブログで後悔と反省をつらつらと書き残してきました。
それはつまり、自分にとってものすごく有用かつ自分にクリティカルな内容ということです。
なるほど、確かにブログをれっきとした読みものとして捉える視点は近年抜けていたかもしれない。
例えば最近は14年ぶり新作の『風来のシレン6』を買ったものの、
理不尽にやられることが多くその挫折から立ち直るのが困難でなかなかクリアできない、
そもそも自分は本当にゲームが好きなのか?(#07359 / 2024年02月09日)という悩みに直面しています。
しかしこれもブログを遡ってみると以前(#06195 / 2020年12月04日)もまさにその前作リメイクで同じことを書いているし、
そこにリンクが貼られている(#05800 / 2019年11月05日)もこの悩みを深く言語化していて、
直面している悩みを客観視する読みものとしては非常に頼りになります。
ここまでパーソナライズされた教訓を読めるのは、長年ブログを書いてきたからこそ。
改めてこのアドバンテージは生かしたいと思いました。
風来のシレンのケースでは悩みのキーワードが分かりやすいので横断検索で見つけられ、
基本的にはそういう現在の悩みに関連する過去記事を読む対処療法的な読み方が主になると思いますが、
それとは別に普段から能動的にアーカイブを掘り進む「ランダム読書」も面白いかもしれません。
アーカイブを読み漁れば必然ブログを書くモチベも上がるのでメリットは結構大きいと思います。
Obsidianにはランダム閲覧とブックマーク機能があるのでこれを活用する感じになりますが、
欲を言えばランダムアクセス時に出て欲しくない記事を除外する機能も欲しいですね。
反省も意見も書いていない大昔の今日の出来事系記事はさすがに要らないと思うし。
この辺は4代目移転時にフロントエンドで実現できればいいのですが。
ブログの歴史は自己批判の歴史……と書きましたが、
これからは自己理解の歴史も踏み出していくことができればと思います。
これまで「ブログの想定読者は自分自身」と言って継続の正当化をしてきたのは
読んでもらえる他人がいないことの逃げ口上だとずっと思っていましたが、
こうなるともう自信を持って「自分自身が最大の読者です」と言い張ってもいいのかもしれない。
自分が読むために書く。書くために読む。ある意味究極的な自給自足の活動というわけですね。