社会人黎明期の計画失敗
一昔前(2014〜2019年くらい)の自分がよく陥っていた計画失敗の多くは、
「やるべきとわかっているけれどなんとなく手をつけられない」という心理的ハードルが原因でした。
それは直感的には自分自身の怠慢が原因のように思われるので、
計画失敗はすべて自分が悪い、自分の性格上の欠陥のせいなんだとよくブログに書き殴っていました。
最近はそういう考え方から脱却しつつあるわけですが、
それでもやはり「なんとなく手をつけられない」という状況に出くわすことはあります。
それについて改めて考えてみると、その「なんとなく」の正体は第一印象なのではないかと思います。
つまり、計画した当時に直感した難易度がそのまま着手しづらさになっている説。
「これは厄介だろうな」「実現するのは困難そう」という印象を感じながら、
それでもいつかはやりたいと思って計画するタスクというのはしばしば出てきます。
そして困難なのだろうから基本的に後回しになる。着手したところで出来ない可能性があるからです。
でも、そもそも計画時点の直感的な難易度って経験上当てにならないことの方が多い。
しっかりと計画と向き合って「どうやって実現するか」を調査すると意外と簡単そうだった、
というようなパターンは何度も経験したことがあります。
またそれ自体厄介なタスクでも、可能なレベルまで小分けにすることができたりします。
実現のための具体策を探したり、タスクを小分けにするという作業は、
いわば現実的にそのタスクと向き合う作業です。
やりたい・やりたくないという尺度ではなく、できる・できないという尺度で計らなければなりません。
そのために必要なのが先述の具体策を考えたり小分けにする作業なのですが、
これは「何をやりたいか」というような妄想ではなく、きわめて現実的に考えなければなりません。
そこにこそ心理的ハードルを感じるから、タスクが面倒くさいと感じるのではないでしょうか。
つまり、本質的に着手しづらさを感じているのはいわばタスク評価の部分であって、
タスクそのものではないということです。
それに対して無自覚だから「なんとなく」というぼんやりとした心理的障壁を感じていたのかも。
結局、表面的に困難さを感じていたようなタスクも現実的に評価するところさえ抜けてしまえば、
当初のようなハードルの高さはまったく感じなくなっていたりします。
タスクそのものが簡単になったわけではないにも関わらず。
「第一印象をどのように矯正するか」というのは意外と大事な処世術だと思います。
第一印象で困難そうに見えたけど大切なタスクをずっと保留してきたことでどれだけ損したことか。
夏休みの宿題とか受験とか就活なんかまさにそれだと思います。