大義名分しかない危うさ
厄年とも言えるほど不運が続いた2022年、その尻拭いに奔走した2023年を経て、
とりあえずプラスマイナスゼロの地点から1年を始められるという実感とともに始まった2024年。
しかし蓋を開けてみれば歯車の噛み合わないような日々が続き、
2023年と単純に比較するとかなり自堕落な生活を送ってしまっている気がしています。
今月上旬までは投資だけはかなり上手く行っていたのである程度マイナスを帳消しにできていましたが、
イランによるイスラエルへの本土攻撃による全面安に巻き込まれて大損し、
1ヶ月分の利益をまるごと吹っ飛ばしてしまったことでそうも言えなくなってしまいました。
結果的に今年の最初の4ヶ月間は何も生み出せなかったと認めざるを得ないでしょう。
年初の予定では、05月01日からの4ヶ月間は年間計画の第2フェーズに位置付けられ、
この4ヶ月間で4代目ブログの完成を目標としています。
これは「20周年」という大きな節目かつオフライン運営を継続するか否かの節目に当たるタイミングで、
ここをスルーしまうとブログそのものの存在意義が揺るがされることになり、
基本的には予定通りプロジェクトを動かすのが妥当だと思っています。
が、『ピクミン2』20周年に向けて8ヶ月近くの猶予がありながら何も行動できなかった自分が、
果たして残り4ヶ月でそれ以上の規模となるブログ移転を成功させることができるのか……?
去年末に期間限定ランキングを開催できなかった辺りから
自分自身の計画実行力を信用できなくなっているところがあり、非常に危うい状態です。
かといって動かなかったらどうにもならない。
「節目だから」「いままでもやってきたから」等々、それをやる理由を作って先に外堀を埋めてしまうと、
意欲が追いつかなかったときにそれら「やる理由」によって逃げ場を失ってしまい、
八方塞がりになって他の行動もできなくなってしまうということが往々にしてあります。
こういうときの対処法として計画の細分化によって簡単にできることを見出すことで多少前進はできますが、
結局根本的なところで意欲不足である以上はあまり意味はありません。
この4ヶ月間はそんな感じで自分で自分を追い詰めた結果、何も生み出せなかった感があります。
実行するだけの価値を見出すのは大事だし、それがタスクを実行する大義名分になるのは確か。
ただ、それを見出してもなお行動できないというのはいかにも非合理的です。
自分にとって大義名分は動機にならないということなのでしょうか。
確かにいままでのアニバーサリー記念等の計画では散々苦しんだ挙句ロクなものを生み出せておらず、
これまでの活動遍歴はそういう大義名分だけでは行動できないことを示唆しています。
計画に至るまでに必要な行動そのものを「やりたい」と思えないとなかなか厳しいのではないでしょうか。
スタートからゴールまで線を引いただけでは動けないということです。
つまり、このままでは「20周年だから」という名目だけで計画している4代目ブログ制作計画もうまくいかない。
その大義名分以外に何らかの動機が必要であることは明らかですが、
ブログ活動は基本的に終始孤独なので他者承認を得ようとすることもできない。
これはAIで自動タグ機能を付けようとかObsidian連携で投稿の手間を極限まで最小限にしようとか、
そういう開設後にフォーカスした機能面の展望よりもはるかに深刻であるように思います。
大義名分以外に「やりたいと思える何か」を見出せないなら、
このままオフライン運営を継続せざるを得ないかもしれない。
大局的に見て公開運営に戻れた方が良いのは確かなので、
とりあえず予定通りリポジトリは作りますが、その先の見通しはかなり危ういのが現状です。
もう自分自身のケツを叩いて無理やり何かをやるのはかなり前から限界を感じていましたが、
このプロジェクトが破綻したらいよいよネット活動そのものも終わりが近いのかもしれません。