なぜ勉強しなければならないのか
自分は社会人生活と学校生活を比較すると、圧倒的に社会人生活の方が充実していると思っています。
社会人になってからの方が学ぶことも多いし、まだ自分らしく生きられていると思う。
一方、根暗で非リア充な自分にとって学校生活というのは試練の連続でした。
果たして自分が青春を犠牲にして学校に通う意味はあったのか、いまでも分かっていません。
少なくとも大学以降は時間の無駄だったと思っています。
学校に通い勉強することは社会に出る前のすべての人々に強いられるわけですが、
果たしてそれはすべての人にとって有意義なのでしょうか。
「なぜ学校に通うのか」と「なぜ勉強するのか」は議論の方向性がまるで異なるため、
今回はその後者にスポットライトを当てて少し考えてみたいと思います。
例えば国語は明らかに必要だと分かります。日本語でコミュニケーションするのに必須の知識だから。
ひらがな、カタカナ、常用漢字を習うのはまあ言うまでもないとして、
現代文の行間を読むチカラは文学のみならずいろいろな作品を理解するのに役立つし、
古文漢文はややマニアックな領域ですが日本語の構造や歴史を知るのに有用です。
これを学ばなかったら自分の想いを言語化し相手に伝えることができない。
それは明らかに生活に支障をきたすので義務教育として教える意義は大きいと思います。
算数・数学も対象が言語ではなく論理や抽象的概念に代わっただけで重要度はあまり変わりません。
よく二次方程式なんて習っても社会で使う機会が無いなどと言われますが、
パズルを解くチカラが大事なのであってパズルそのものを知ることが重要ではないわけです。
論理的思考ができないと感情的に判断せざるを得ないことがあり、
感情というのは非合理的なことも多いのでそれで人生損することはあるでしょう。
その意味では論理的思考を身につけることは有意義だと思います。
国語と算数・数学は人としてのスキルの問題なので、
QOLを上げたいならスキルは高めておくに越したことはないでしょう。
では、理科や社会や英語、あるいはゆとり教育にあった「総合的な学習」は?
これらは「日常生活に必須のスキル」と断言するにはやや苦しいところがあると思います。
社会に関しては、道徳(倫理)や法律の仕組みを次世代に教えるのは社会としては重要だし、
それを教えるためには日本史もある程度紐解かなければならないというのは分かる。
ただ、先史時代から教えることが妥当なのかと言われるとイマイチ分からない。
理科全般は自分には縁遠すぎてちょっとよく分からないですね。必修科目である必要あるんだろうか?
英語も大事だと言われていますが、果たして社会人になってからそれを活用できるのは何人なのか……。
これも必修ではなく上級国民の子どもだけでいいような気がします。
総合的な学習に至ってはいまだに何がしたかったのかよく分かりません。
これは学習指導要領を読んでみないとなんとも言えないですが、必要かと言われると微妙のような。
このように、実用性で考えるとどうしても必要な科目とそうでない科目が出てくるわけです。
こういう切り口で説明しようとすると全教科の有用性を証明しなければならないため、
説明する方も大変だし理解する方も大変でしょう。
ただ、結局のところ各教科の実用性や意義をきちんと説明することが大事なのではないかと思います。
表題のようなテーマを教えるときは大抵「みんなで学ぶことに意味があるから」
みたいな曖昧なところに持っていってなんとなく納得させるのが楽といえば楽ですが、
それで子どもたちが納得できるのかと言われると微妙だと思います。
そこは大人が逃げちゃいけないところなんじゃないかなと。
勉強そのものが嫌いだと言う子どもはそもそも各教科の実用性は関係なく、
それはどちらかというと「なぜ学校に行かなければならないのか」という疑問を解消する必要があります。
これはもうこのテーマとは180度違う問題なのでここでは取り上げませんが、
いずれにしろ学校に通うことを有意義だと実感しつつ登校できるのは結構幸せなことだと思います。
自分はその意義にこの歳になっても気づけていないので、
だからこそこの学歴も必然的なものなんでしょう。