現実逃避としての創作設定
19年前のブログ開設直前からあるにもかかわらず、ほぼ進んでいないプロジェクトがあります。
それは「創作」。具体的には、2004年時点で頭の中に描いていた創作世界設定の具現化。
どうやって具体化するかについては時代ごとに移り変わっていて、
2006年前後は小説にすることを想定していたようです。
これはいちおう大キリ番記事によって脈々と受け継いでいると言えばそうなのですが、
いまとなっては小説という形をゴールにするのが妥当とはもはや思っていません。
しかし、いまはそんなことよりも19年という年月をかけて全然進んでいないことの方が深刻です。
厨二病の延長線上として生み出したものであることは否定できず、
大人になってしまったいま、そもそも具現化できるかどうか怪しいということもありますが、
いまのところ完全に諦めるという気持ちもありません。
なにしろこの創作世界設定は「自分の好きなものの集大成」ということになっていて重要度が高く、
安易な気持ちで諦めるというのは過去の自分への裏切りになるからです。
今後も優先度は非常に低いもののライフワークとして細々と続けていくことになるんじゃないかと思います。
創作活動の問題は、まさにその優先度の低さ。
なんと言ったって他人に見てもらう余地が皆無なので、モチベーションを得られない。
となるとどう考えても他者との関わりがある他の活動に優先度の点で勝ることができず、
めちゃくちゃ手持ち無沙汰で暇なときくらいしか進まないという実情があります。
あとこれは改善の余地がある考え方なのですが、創作はいわば自分にとっての「聖域」であり、
襟を正さなければその世界に入ってはいけない(=着手できない)という風習?があります。
これはつまり、現実でやるべきことをやっていない後ろめたいようなことがある場合は、
そのような状況の自分は創作について考えるのに相応しくない、と考えていたわけですね。
この変なプライドが創作関係の進行を相当妨げてきたという歴史があります。
また、創作(の世界設定などと向き合うこと)が捗るのは往々にして気持ちが沈んでいるとき、
つまり現実逃避手段として考えてきた傾向があります。
これは上記のプライドの問題とはまた別の心理的な問題で、両者は一見して矛盾するようにも見え、
結果的に創作をさらに停滞させる要因にもなっていると思います。
両者の条件をかいくぐれるのは例えば昼夜逆転しているようなとき。
その場においては唯一最大の「やるべきこと」が起き続けることであり、
なおかつ眠れない夜というのは現実逃避をするのにうってつけのシチュエーションです。
これは大学生活でよくありました。
だから創作の世界観もいまのところ大学時代の思考が反映されていることが多い。
結局、創作は着手するためのトリガーが複雑なため特に社会人になってからなおさら進みづらくなり、
具体的なタスクは何一つ進まないまま19年という歳月を過ごしてしまっている現状があります。
創作世界設定用のパーソナルWikiを作るとか、Stable Diffusionで世界観を反映した絵を生成するとか、
いまからでもできそうなタスクはいろいろあるとは思うんですけどね。
この辺も今後は意識を少しでも変えて、一歩ずつ進めていけるようにしていきたいところです。
着手条件になっている「現実逃避」も「聖域」としての立ち位置も両方否定していきたい。
年間計画のように普通に一般タスクとして取り扱っていけるようにしたいところです。
さすがに作業的な積み重ねが皆無のまま、かといって諦めるわけでもないというのは不毛すぎる。