インターネット依存の危険性
最近なんとなく、インターネットにおける言論活動の不毛さを感じています。
言論活動というか……ネットを主体としたインプットとアウトプットに意味はあるのか、と。
まずインプットについては、マジョリティほど殊更に主張することは無い、
むしろ現代のネットの構造上、過激思想を持っている人ほど目立ちやすく、
現実の討論の場等と違って往々にしてそれを咎める術も無い。
さらに最近はネットニュースの偏向報道とキュレーションサービスの相乗効果によって、
より一層「自分に都合の良い情報」が多く入ってくる傾向にある。
これらのことから、
ネットだけを頼りに客観的に妥当な情報収集をするのは難しくなってきていると言えます。
アウトプットについても概ね同じで、
個人的に長年のブログ執筆の経験から言えるのは、無責任なあらゆる発信は自己正当化でしかない、
ということです。なんで情報発信をするのかというと、自分を認めてほしいからです。
となれば、その目的に反する不都合な事実は当然アウトプットしません。
結局アウトプットする側もその人の都合に合わせてなされるということですね。当然ですが。
自分みたいに自分でアウトプットした情報を再インプットしているような場合は最悪で、
そのサイクルによって自分にとって都合の良い言論がどんどん先鋭化していくことになります。
自分はまだ過激思想に染まっているとは言えない方だと思いたいですが、
長年のネット依存を鑑みると、過激思想に染まっていないと言い切るのはかなり厳しいと思います。
この2点についてはわりと最近気づいたことで、最近のエントリーにもそれぞれ書きました。
奇しくも同時期にネットのインプットとアウトプット両方に不毛さを見出した昨今は、
ネットにおける情報収集のやり方を考え直す良い機会なのかもとも思います。
まずアウトプットについては、現行でやっているようにブログ自体を非公開にすることにしました。
これで「思想の先鋭化」が止められるわけではないですが、
公開情報としてのブログをシャットダウンすることで今後の方針を考え直す機会を得ました。
基本的に思想の先鋭化については過去記事を参照することそのものが悪いわけではなく、
それを適切に自己批判できれば良いと思っているので、そういうやり方を確立したいところです。
むしろ急務だと思っているのがインプットの方。
情報が偏っているかどうか気づくためには、
前提としてそれに関して信頼できる知識をそれ相応に持っている必要があります。
その「信頼できる知識」は、おそらくネットではさほど得ることはできないと想像できます。
となると有識者の話を聴くとか、本を読むといった活動が必要になる。
ただ、ネットに染まり切った自分がいまさらそういう媒体から情報収集する習慣が身につくのか、
と言われるとかなり怪しいところがあります。
電子書籍みたいに中間的な媒体を頼りにしていくのが無難なところでしょうか。
逆に、こういう情報は信頼できない、と区別する技術を身につけた方が早いかもしれません。
いわゆるファクトチェックですね。
これは2020年に学んだクリティカルシンキング周辺の技術にも通じるところがありそうなので、
そういう方面の書籍をもう一度読み直すのはそれなりに効果がありそうです。
キュレーションがダメだからといって、
「スマートニュース」やGoogleアプリの利用を止めれば良いというわけではありません。
バイアスがかかっているかもしれないという心構えを持てば問題ないような気がします。
あとは、脱キュレーション的なプラットフォームが出てきてくれれば言うこと無しなんですけどね。