キャンセルカルチャーの暴走
芸能界の大御所、松本人志が活動を「一時休止」することが発表され話題になっていました。
というのも年末に週刊文春が「(相当昔に)松本人志が一般女性に性加害をしていた」
というスキャンダルを報道したのに対し、
本人は事実無根だとして法廷で争うために本業を休止するとのことです。
個人的にはこれはもう底辺が好む話題だと思っているので知りたくもないのですが、
要はいつもの有名人を引き摺り下ろそうというやつですね(なんとか二毛作とも言う)。
Wikipediaの週刊文春のページを読むと、数多くの下劣なスキャンダル報道の中に
少なくない敗訴の歴史が混じっていることがよくわかるのですが、
その賠償額は数百万円に過ぎず、敗訴しても文春は基本的に報道姿勢を変えていません。
これが司法の敗北でなくて何なのでしょうか。
松本人志が性犯罪を犯したのだとしたら、それは個人として裁かれるべき問題です。
そして誰が裁くべきなのかと言えば、裁判所や警察などの公権力であるべきです。
そんじょそこらの雑誌に公に罪が確定していない人間の名誉を傷つける権利はありません。
まして、これが事実無根だとしたらとんでもないことです。
自分が成り上がる可能性を閉ざされているクズたちにとっては、
有名人の失墜は気持ちの良いものなのでしょう。
そういう人たちに需要があるからこそ文春のような汚いメディアが成り立つわけです。
現代の息苦しさは世の中に少なくない底辺層の存在が大きく関わっていると思います。
彼らにとっては、自分はもう表舞台に出る可能性はゼロなのだからそれでいいのかもしれません。
しかし社会で真っ当に努力して表舞台に上がろうとしている人にとっては脅威でしかないわけです。
もちろん、有名人の悪事が闇にかき消されるようなことは望ましくないし、
このようなメディアの存在が有名人の不祥事の抑止力になるという考え方はあるかもしれない。
しかし報道された場合のダメージがあくまで個人にすぎない人間に対して大きすぎると思います。
人生を破壊していると言っても過言ではないでしょう。
そしてそもそも論として、最近よくある表舞台に立つ人間は一切の不祥事も許さない、
過去に遡っても許さないという風潮は行き過ぎなんじゃないかと思いますね。
ポップアーティストの小山田圭吾も東京オリンピック音楽スタッフ就任後、
1994年の雑誌にイジメ加害者であることを告白していたことを掘り起こされて辞任を余儀なくされました。
もちろんイジメそのものは許されることではありません。
しかしそれを根拠にして現役の仕事を降ろされるのは本当に妥当と言い切れるのでしょうか?
表舞台に立つ人間に完璧超人を期待するのは一方的な価値観の押し付けなのではないかと。
選挙で選んだ選挙区の議員ならともかく、有名人なんてただの他人じゃないですか。
ここまで厳しくすることが果たして社会にとってプラスになるのでしょうか?
で、民間企業にすぎない雑誌メディアがなんで他人の人生を破壊する権限を持っているのかと。
それがまかり通るなら民主主義に則って法律を作って運用している意味無いのでは???
その意味では、自分はスキャンダル系の三流雑誌やそれに類するメディアは
もう反社会勢力と言ってもいいんじゃないかと思っています。
小山田圭吾は自分から進んでインタビューに応えた形で非行を暴露しているので
自業自得と言えなくはないですが、
松本人志の場合は完全に本人の預かり知らぬ場所で暴露されてますからね。
この時点で名誉毀損罪が成立するような気がする。
だとしたらそれを常習的に行なっている文春はまるで犯罪者集団じゃないですか……。
もちろん、枕営業や芸能人界隈の裏側など、表面的には分からない事情がいろいろあるんでしょうけど。
SNSによって加速している炎上問題やキャンセルカルチャーは
もう「暴走している」と言ってもいい段階まで来ているのではないでしょうか。
今後もっと社会が貧乏になって格差が進めばさらに手がつけられなくなるかもしれませんが、
個人的にはあと10年もしたら旧時代の負け組が減って文春のようなメディアの支持基盤が失われ、
こうした風潮にものすごい逆風が吹くのではないかと予想しています。
たとえば、勝ち組を擁護し最底辺を叩く中の下勢力が台頭してくるとか。自分みたいな。
少なくともインターネットとメディアに対する法規制はより厳しくなってそうな気がします。
まあ、いまのところどれもこれも希望的観測でしかないんですが。