奇数作と偶数作の違い
ピクミン関係の検索順位を調べていたら「ピクミン2はクソゲー」と主張するブログを見つけてしまいました。
自分の好きなもののアンチにわざわざ手を突っ込む愚行はもうするまいと心に決めていたのですが、
自分のようなファン歴の長い人間とは真逆の視座から見た『ピクミン2』がどう見えるのか気になってしまい、
その長文お気持ち表明をざっと読んでしまいました(『ピクミン2』はクソゲーでした。 - やんまの目安箱 )。
クソゲー認定した根拠として、著者は『ピクミン3 デラックス』の体験版をきっかけとし、
「限られた1日というリミットの中でする行動を計画的に決め、ダンドリ良くそれを実行する」
というゲーム性に強く惹かれてピクミンシリーズをプレイするようになったようです。
『ピクミン3 デラックス』製品版、『ピクミン1』と購入してそれぞれなんとかクリア。
そして3番目に手を出したのが『ピクミン2』だったわけですが、ゲーム性がまるで違うと怒っているわけです。
確かに『ピクミン2』は先述のようなゲーム性は重視されておらず、
著者も指摘するようにその最大の特徴とも言うべき要素が時間制限の無い地下洞窟です。
そこにダンドリ(目的を見定め、計画し、素早く回収する)
というゲーム性が無いわけではないことは著者も認めているものの、
毎回構造が違うローグライト形式であることによってむしろリアルタイムの判断力を求めるゲームになっており、
それは著者が求めるピクミンのゲーム性ではないのだと。
これら「クソゲー認定した理由」については概ね筋が通っているかなと思います。
ピクミンシリーズの偶数作はおそらくマンネリ防止の観点から運ゲー要素が特に強く、
競技対象として見ればここぞというときに結果を出す地力(チャレンジ領域)や、
リアルタイムで最善を計算し遂行する地力(RTA領域)といったものがプレイヤースキルになる世界だと思います。
一方で奇数作はどちらかというとルート構築やそれを遂行するチカラが求められる世界で、
一見して似たようなゲームですがその実プレイヤーに求めるモノがかなり違うわけです。
もちろん突き詰めれば偶数作にもルート構築力は必要だし(短日数攻略など)、
また逆も然りなのですが(配置運など)。どこに面白さを見出すかによって適したカテゴリは全然変わってきます。
ピクミンシリーズという括りはそういう意味ではオリンピックのような多様性があると言っても過言ではないでしょう。
おそらく未プレイのユーザーが想像しているよりはるかに広い世界だと思います。
全然違うゲームを片方の基準でもう片方をクソゲー認定するのは無粋というか暴論ではあるのですが、
ナンバリングタイトルである以上はゲーム性が似ていると考えるのは自然であり、
奇数作を2連続で遊んで3番目に偶数作に手を出した著者は本当に残念なケースであると言わざるを得ません。
これだけの長文を書き殴るモチベーションがあるくらい期待してくれていたんだろうなと思うと……。
文面から「本当はゲームも上手くありたかったが現実はそうではない」ことへの劣等感が滲み出ていて、
終盤の洞窟でその自尊心をかなりいじめられてそうな雰囲気があるのがキツい。
自分の実力を読み間違えるとこれほどストレスがかかるゲームもなかなかないですからね。
思い通りにならなかった屈辱がそのままゲームに対する不満に直結するというのは感情的にはよくあることで、
低評価をつけるゲームレビューでも「難し過ぎる」というような
きわめて主観的な感想がまかり通っているケースは少なくありません。
これは強いて制作側の課題として考えればプロモーションや世界観のイメージと難易度のギャップなのかなと。
SNSでもときおり、『ピクミンブルーム』でピクミンファンになったものの
本編をやってみたらその高い難易度に絶望してすぐにギブアップしてしまったという声が聞かれます。
ピクミンは実はかなりマニアックなゲームで(特に偶数作)、かなりハードルは高い部類なのかもしれません。
いろんな意味で期待を裏切りやすい構造になってそうな感じはあります。
偶数作と奇数作の問題然り、キャラデザの可愛さと本編難易度のギャップ然り……。
たとえばソウルライクのような触れ込みならプレイヤーもストレスがかかることを覚悟して挑むものですが、
ピクミンはあたかも誰にでもできそうな触れ込みでプロモーション展開しているのもあり、
そこは実際に買ってから理不尽に感じる人が多くなりやすいのかもなぁ、と。
そしてそんなタイプのゲームがいまの時勢に合っているかと言われると……そこはお察しの通りです。
こりゃあやり込みプレイヤーも増えないわけだわ。
任天堂さん、「ピクミンと一緒に100まで数えるアプリ」なんて作ってる場合じゃないですよこれは。
少なくとも本編は5作目からはもうナンバリングを取ったほうが良いのではないかと思いますよ。
アンチの長文記事のおかげでそんな危うい立ち位置を改めて認識させられてしまいました。