さよなら
2007年06月10日生まれのその猫が我が家に来たのはその年の冬のことだった。
長毛種のラグドールという品種だが、模様が不適格で血統書をもらうことができなかったらしい。
それで、ブリーダーとうちの母の縁で我が家が引き取ることになった。
とても明快ににゃーと鳴くので安直に「ニャーさん」と呼ばれるようになった。
彼は先住のクロ(2005年生まれのミニチュアシュナウザー)と違って最初から家の中で放し飼いにされ、
誰からもすぐに愛されるようになった。
そして愛されるがまま、わがままになり、家族にさまざまなことを要求するようになった。
先住のクロは良い遊び相手だったが、寝床を急に奪うなどあまり対等のようには見えなかった。
要するにニャーさんは偉かったのである。すでに1歳で不動の地位を築いていた。
ご飯が欲しければニャーといい、遊んで欲しければニャーという。
とにかく遠慮はしなかったし、こちらもそれに十分応えてきたつもりだった。
ご機嫌なときはドテンとひっくり返って、その見事な長毛に覆われた腹を見せたりもした。
そしてゴロゴロと喉を鳴らしながら、こちらが撫でてやるのを待っているのだった。
2020年、コロナ禍初期にクロが先に逝ったとき、当然ニャーさんもいつかは同じ橋を渡るのだと思った。
その「いつか」が必ず来ることは紛れもない事実だったが、当時はそれを受け入れられなかった。
猫は長生きというし、その「いつか」が来るとしても十年近く先のことだろう、と思うようにしていた。
いつか別れることを意識してしまうと存分に愛せないと思ったからだ。
しかし今日、その「いつか」が思っていたより早くやってきたのに、ちっとも泣けやしない。
この実感の無さは遠く離れた土地にいるからだろうか、それとも……。
クロが逝ったときも今日と同じように一人暮らしの最中だったが、
クロの場合は2014年に医者からも見放されるほど重篤になり、それに居合わせた経験があった。
そのときに抱いた悲しみを7年後に解放する余地があったから泣けたのだと思う。
ニャーさんの場合は、実家暮らし中に危機的な状況に陥ったことはなくいつも元気だった。
調子を崩したという連絡が届いても、次に実家に行けばケロッとしているのが当たり前だった。
ただ、2022年夏頃に便秘によって肛門が損傷し大腸に穴が空いてしまうという信じがたい障害が残り、
それ以来ニャーさんはずっとオムツと包帯が欠かせない生活になっていた。
ニャーさんは生まれつき便秘がちで、いつぞやに数日にわたってトイレをせず、
ついには猫用トイレでうずくまったので親が動物病院へ駆け込んだことがある。
医師が言うには、大腸のほとんどに便が詰まっていてあと少し遅ければ危なかったとのことだ。
あのときのことが長い伏線になっていたのかもしれない。
いままで散々愛されてきたニャーさんは、オムツ生活になってから必ずしもそうではなくなった。
猫の糞はものすごく臭いが、人間側がそれを嫌がらなくても彼自身が辛かったのだろう。
いつものように構ってあげてもそっけない態度を取るようになった。
オムツ生活が始まってから、僕は「いつか」のことを覚悟する準備を無意識に始めていたのだと思う。
ニャーさんは賢いから、もしかしたらそれを察知してぶっきらぼうに振る舞っていたのかもしれない。
今日、ちっとも泣けないのはそうやって1年半かけて心の準備をしてきたからだと思う。
昨夜、まったくご飯を食べなくなり不審に思った親が動物病院へと搬送すると、
脱水と腎不全で症状はかなり悪いと言われたらしい。相当に高齢なので回復は望めないとも。
点滴を受けたニャーさんは幾分か体力も戻ったのか気持ちよさそうに四肢を伸ばして寝ていたという。
そして病院から帰ってきて一夜明けた今日、クロがいるところへと旅立っていった。
ニャーさんにとっては、最後の1年半に心残りがある猫生だったと悔やんでいることだろう。
それが生まれつきの天命だとして、僕らはその命に十分応えられただろうか。
ニャーさんは我が家に来て幸せだったのか、それは我々現世の人間にはわからない。
でもひとつだけ絶対に言えることがある。
ニャーさんが我が家に来てくれて、僕は幸せだったと。