競争原理について
ブラック企業勤務時代のメンヘラ状態からある程度脱出できたと実感しているいま、
再びメンヘラに陥らないために何がダメだったのかを自己批判することは重要だと考えています。
それをタスクとして明文化し、形に残せるという意味ではブログは重要な媒体です。
ブログが無かったらいちいち自分の気持ちを言語化しようという動機は得にくいですからね。
そこで今回批判したいメンヘラ思考のひとつが「競争原理」です。
ここでは「自分は他人より優れているか否か」と言う物差しを過剰に重視する価値観を言います。
近年はこれを否定する考えを度々表明してきました(#07229 / 2023年10月02日、#07100 / 2023年05月26日、#07073 / 2023年04月29日)。
ただ、どんなに競争原理を否定したくとも
「自分の活動と他者の活動が競合する場合、社会はより優れた方を評価する」
という事実が社会の仕組みとして存在することは否定することができません(一概には言えませんが)。
かといって、そこから安易にドロップアウトすることは自己実現の放棄、社会活動の放棄に他ならないわけです。
社会がある程度競争によって成り立っているという事実は受け入れる必要があるでしょうし、
真っ当に努力した上で競争に負けて「悔しい」と思うことそのものはヘラっているとは言えないと思います。
良くないのはそれを望んでいるにも関わらずできるはずの努力をしていない後ろめたさがあり、
その上で他者に望むものを先取りされたときに生じる嫉妬の感情ですね。
この嫉妬を正当化しようとすると価値観が社会一般のそれと乖離していって攻撃的なメンヘラになりうると思います。
自分も、少し前までは競争原理に心が囚われていました。
たとえば同じような内容のポストに対して、いいねの数などで劣っていると微妙に嫌な気持ちになったものです。
これは「自分こそを認めてほしい」という承認欲求が満たされていないのが原因だと思っていました。
昨今は同等のことで嫌な気持ちになることがゼロになったとまでは言わないものの、
負の感情に支配されていたブラック企業勤務時代よりは明確にマシになったという実感があります。
とはいえ、いずれの活動も社会的に成功して承認欲求を強く満たす何かを得られたというわけでもない。
では、メンヘラ時代の自分といまの自分の違いはなんなのか?
単純に不眠症が治ったことによる身体的健康も相当メンヘラ解消に寄与していると思いますが、
考え方の違いという点で見れば
「成果に対する評価は自分そのものへの評価ではない」という考えが浸透したからかなと思っています。
人は自分の思想、こだわり、努力、アイデアなど諸々の要素を詰め込んだ結果として「成果」を生み出し、
往々にして競争原理が働くのはその意味で言う「成果」に対する相対的評価に対する反応です。
せっかく自分らしさを成果に込めたのに、自分より他者の方が評価されているとガッカリするといった具合に。
その反応自体は基本的に間違っていないのですが、ガッカリしてヘラっていたときの自分を思い返すと
成果を生み出すためにする努力の程度を盲目的に捉えていたような節があるように思います。
実際にはほぼ努力していないのに、自分には無条件で認めてくれる人望があり、
何某かの成果に対する評価は人望さえあれば上がるものと勘違いしていたと言うべきか。
なので成果のバックグラウンドにある努力量と人格を切り離すことによって、
成果が評価されなくてもそれは成果が評価されなかったというだけの話なんだと納得するようになったわけですね。
ヘラっていると思考のブレーキが効かず、そこから無限に拡大解釈して自己否定に陥りがち。
要するに、競争原理でヘラるのは自分の努力(などの成果を生み出すための諸要素)に対する軽視、
あるいは自分自身そのものへの過大評価と言えます。
世の中はより優れた方が評価されるというシステムに対しては納得している一方で、
人生経験の浅さから自分だけは特別に優れているのだという根拠なき万能感を否定できず、
それゆえに自分だけはさほど努力しなくても他者より評価してくれるだろうという高慢さがあるのではないかと。
そしてなぜそういう考えに陥るのかというと、既知の分野のあれこれと比較して相対的にこれは得意だ、
みたいな考えが自分のレベルを見誤らせるのかなと。
あるいは過去の誤った他者評価を鵜呑みにしているがゆえにその意味での誤認が起きているケースもあるでしょう。
この辺は本人の責任と言い切れないところでもあり、かなり難しいところだと思います。
個人的にはもじぴったん対戦問題(#05980 / 2020年05月04日)がまさに実力誤認で起きたトラブルでした。
自分は語彙力には自信があるからそうそう負けないだろうという根拠なき自信を対戦ゲームでぶち壊され、
完全にメンタルが崩壊したという黒歴史です。
もしこれらの仮説が正しければ、昨今の自分がメンタル的に安定しているのは
2022〜2023年の低迷期を経て自分の無能さを徹底的に思い知り、
それを受け入れることができたから(受け入れざるを得なかったから)と言うことができます。
やはり自分の能力を正直ベースで把握し受け入れることはメンタル安定にかなり寄与すると思います。
逆に言えば、「自分は本来こんなものではないはずだ」と安易に夢を見ることがいかに危険かということですね。
若いうちに挫折を経験することの重要性がようやく分かってきた気がする。
このことは今後も強く戒めて生きていこうと思います。