心理的不満の非合理性
これは強く戒めの意味を込めて書きますが、
イライラする、心理的に不満であるような気持ちになるというのは非合理なこともよくあり、
原因をあれやこれや考えること自体がかえって泥沼に陥る要因になることもあるというのは心に刻みたいなと。
何か不足を感じる、イライラする、心にわだかまりを抱えているような状態に陥ると、
ついつい自分が社会的に正しくなかったり、自分のやっていることや状況が自分の主義に反していたり、
あるいは誠実さから離れてしまっているからそうなっているのだと反射的に考えがちです。
しかし、最近改めて思うのは 「イライラ感」は身体の些細な不調に反応して起きていることも多い ということ。
たとえばいつもよりも若干寝不足だとか、そういうちょっとした生理的なリズムの乱れが心を乱すこともある。
そういう可能性を考慮せずに「なぜイライラしてしまうのだろう」と考え始めてしまうと、
当然の成り行きとして直近の行動について反省を始めることになります。
すると自分のこの行動は失敗したかもしれない、
他人は蔑んでいるかもしれないなどという根も葉もないネガティブなことに縋りがち。
原因が皆目分からないよりは、そうやって確証めいたものがあると多少は安心できるからです。
そうして直近の行動にイライラの原因を求めると、
やがて自分が悪いのかそれとも他人や環境が悪いのかなどという二択問題に陥ってしまい、
あっちが悪くないならこっちなのか、いやこっちよりも強いて言えばあっちの方が……
などという無限ループにハマってしまったらもう終わりです。最悪の場合年単位で悩むことになる。
実家社会人時代の自分などはまさにその典型例でした。
当時はものすごく他者批判的な考えに寄ったかと思えば卑屈を極めて鬱になったこともあり
いまと比べるとかなり極端な思想に染まっていたと思いますが、
根底的には生活リズムを正せないという長年の生理的な悩みがあったのだと思います。
何か心の不満を感じて原因を求めないのは難しいですが、
「ヒトも動物である以上、身体と心はリンクしているものなのだ」と知っているだけで、
ある意味多少のストレスは身体のせいにできるので気は楽になります。
まあそれが正しいかどうかはさておき、身体的健康も大事にしたいところ。
よく嫌なことがあったらとりあえず美味しいものたくさん食べて気が済むまで寝ろ、と言われますが、
これは身体的不調に陥っている可能性を飲食と睡眠で洗い流すという意味ではきわめて効果的だと思います。