締切を守れない症候群
今年の自分はここ1〜2年の低迷期を経て比較的活発に活動できている部類だと思っているのですが、
ここ最近頻繁に書いている通り、ゲームを始めとしたいわゆる新規コンテンツに向かう勇気はまだ足りていません。
なので「ゲームを遊ぶこと」自体にもかなりの気力を要するという実感を得つつあるところです。
そしてここでいう気力、あるいは勇気、根性、気合と言い換えられるかもしれないそれは、
なにもコンシューマーゲームを遊ぶことにかぎらず
さまざまなコンテンツに対しても言えるのではないかとふと思いました。
要するに、動機が与えられないものに触れるにはある程度の気力のようなものが必要だということです。
最近の自分を鑑みるに、やるべき理由があるタスクを理由もなく放置することはやや減ったと思います。
一見して面倒くさいことも、今日を逃すともっと面倒くさくなるといったような場合は
逃げずに立ち向かえるようになった。
少し前まではこれすらもできませんでした。本当に延々先延ばしにしてしまう。
うつ傾向に陥るとよく起こる症状として「締切や約束を守れなくなる」というものがありますが、
まさに2022年までの自分はそれに当てはまっていました。
病院の予約などを当たり前のようにすっぽかしてしまい、当たり前のように再予約の電話をかけていました。
当時なぜそれを改善しようと思わなかったのか謎すぎますが、
まあそれだけ脳のパフォーマンスが落ちていたということなのでしょう。
合理的判断に基づいて実行するというのは、思っているよりも脳のリソースを食うのかもしれません。
ちなみに2022年当時は全然マシな部類で、締切を守れない症候群がもっともひどかったのは大学時代ですね。
まあ、あれは卒業論文というそれなりに負荷の大きな課題だったので致し方ない部分もあったかもしれませんが、
卒業論文以外の諸々の課題(バイトしないといけない問題など)も込みで考えると、
結局入学から卒業まで逃げて逃げて逃げ続けた4年間だったと言っても過言ではないと思います。
ある意味社会人になってから近年まではその逃げ癖を返済するための期間だったとも言えます。
とはいえ先延ばしにすることが絶対悪というわけではなく、タスクそのものが不適切である場合も間々あるわけです。
それも加味した上で計画のバランスを意識するようになったのも割と近年からかなと。
今年はその中でも比較的安定している部類なのですが、
これらはあくまでも生活上「やるべきこと」であるということをベースに組み立てられたシステムであり、
いわゆる「コンテンツの楽しみ方」はあまり意識して改善しようとしてこなかった側面があります。
それも当然で、昔は好きなコンテンツを見つけたら骨までしゃぶるのが当然だったから。
しかしいまや加齢によりその勢いも衰えてしまったということは受け入れざるを得ません。
だからこそコンシューマーゲームのAAAタイトルにも気合が要る、という実感があるわけです。
10年前の自分が聞いたら「何言ってんのこいつ」と思うことでしょう。
そしてそれはどうやらAAAタイトルだけではないらしく。
なんなら触れたことのないあらゆる新作が当てはまるかもしれません。
そういうものに触れること自体にもうかなり気合?を要するようになった気がします。
いま、17周年を迎えた音楽趣味も新しい楽しみ方を模索していますが、
新曲の探し方、聴き方もこのことを踏まえた上で検討する必要があるのではないかと思っています。
そして「アルバム1枚」という単位ですらそうなのでゲームはもちろん、他の文化やコンテンツも同様。
一方で昔からずっと触れているコンテンツはそういった気力を必要としないので、
過去に触れたことのあるモノの再発掘みたいなことはこれからの中年時代にもっと捗るのではないかと。
ただ、この気づきは長期的に見ると視野狭窄に陥りやすいことを示唆しており、
気力を出すのも面倒だからと旧来の世界に閉じこもることだけはくれぐれも避けていきたいところです。
この気力が尽き、それでも若者と同じステージに留まることを辞めなかったとき、
自分は周囲から「老害」と呼ばれる存在になるのでしょう。