正攻法の推し活動
現実の恋愛で相手を本当に好きになったとしたら、何らかの形でその人に尽くしたいと思うでしょう。
実は我々オタクにも、好きになった何かに対して同じように尽くしたいと感じることがあります。
その対象は異性だけではなく、動物的なキャラクターかもしれないし、モノかもしれない。
あるいはゲームそのもののように「世界観」全体かもしれない。とにかくあらゆる概念が推しの対象になり得ます。
そして、思うに一部のゲームはこの「尽くしたい」という気持ちに対して
具体的なタスクを与えることによって成り立っている節があります。
アイドルマスターシリーズや『ウマ娘』など2010年代中期以降のアイドル育成系スマホゲームなんかはまさにそう。
あとは広い意味でポケモンシリーズもそれに当てはまりそう。
いま自分がプレイしている『原神』もそういう側面がかなりあります。
かつて、スマホゲームといえばコレクションすることに主眼を置いていた印象があります。
一時期覇権を握っていていまもなおセルラン上位にいるパズドラ、モンストといった類のゲームですね。
これらにもそれなりに奥深いキャラクタービルドは存在するものの、
『原神』のように単一のキャラをどこどこまでも育てられるような設計にはなっていないし、
3DCGモデルが用意されているわけでもありません。
その代わり、キャラの数がひたすら多く、自由に組み合わせられる楽しみがあります。
逆も然りで、『原神』にもキャラクターを多く集めて組み合わせるという要素はもちろんありますが、
どちらかというとキャラクタービルドに重きを置いているように見えます。
コレクション×育成という二大要素はおそらくポケモン辺りに源流を持つのでしょうが、
そのバランスはさまざまながら2010年代以降のスマホオンラインゲームをかなり支配しているイメージです。
そして近年は「単一の要素をどこどこまでも推せる」プラットフォームが強い印象があります。
そのほうが純粋に推し活に向いているからでしょう。
そして、自分もそういうプラットフォームを探し求めて『原神』に行き着いた感があります。
何かを愛でたい、推したい、そのために何らかの苦労を払いたい。
いわゆるソシャゲへの課金は、こういった欲求を解放するためにしているのかもしれません。
ガチャの結果はあまり関係なく、むしろ爆死した末にやっと推しを引いた方が愛着が湧きそうです。
お金はいわばその人が事前に払った苦労の媒介であり、それを手放すことで欲求を解放できるというわけですね。
そして苦労を解放することが愛着を抱く根拠にもなっている。
こう考えると、ソシャゲで廃課金して生活に苦しむ人の気持ちもわからないでもないかもしれない。
生活を圧迫してまで課金する人はそれだけ愛が重いのでしょう。
自分はある意味何かを愛でたいというエネルギーをwebサイトという媒介を通じて解放してきましたが、
過去20年を振り返ってみると消化不良感はどうしても否めません。
新本家サイト復興計画はいわばその敷居を下げるためのプロジェクトであり、
『原神』に関する何らかのサイトを作りたいというモチベーションがいま密かにあります。
……とはいえそれの優先度はかなり低く、このままいくと普通に頓挫しそう。
それだとまた消化不良になってしまうので、正攻法の推し活動にも徐々に慣れていきたいところです。