不眠症の発端
自分の人生を破壊した不眠症がそれなりに寛解して改めて思うのは、
そもそも不眠症を発症した根本原因は「日々が楽しかったから」だったんだろうなということです。
自分が不眠耐久などという「遊び」を始めたのは遅くとも小学5年生ごろからです。
クリスマスや年末年始など特別な日に、いつもなら寝ているはずの特別な時間を過ごすのを楽しんでいました。
日中の時間帯が充実していないからそれを少しでも取り返すために行う夜ふかしを
「リベンジ夜ふかし」と言うそうですが、この頃の自分にはそういう意図はこれっぽっちもありませんでした。
当時、親はロクな教育もできないくせに厳しさだけは一丁前だったので、
親の目から確実に逃れて好きなことができる深夜時間帯には少なからず安心感を感じていたし、
そこでさまざまな遊びをして過ごす弟との時間が楽しかったのは否定し難い事実です。
また、これはやや記憶が曖昧なのですが当時「炎のチャレンジャー」なる番組で、
「これができたら100万円」というタイトルそのままの趣旨のコーナーがありました。
当時は地上波の番組も一般参加をするコーナーが結構あって(SASUKEなど)、これもそのうちの1つでした。
そして、いつだったかに家族全員で耐久不眠にチャレンジして全員24時間起きられたら100万円、
という趣旨のチャレンジが行われたことがありました。
明らかに子どもの発育に悪影響を及ぼすため、現代なら絶対に通らないような企画です。
挑戦する家族たちは大人もなんだかんだで寝てしまって100万円ゲットとはならないのが通例でした。
それで、これをみた自分は「徹夜=すごいこと」というような意識を少なからず持ってしまったんですね。
これも不眠症の悪化に大いに影響を与えていると思います。
こうして、夜ふかしそのものが楽しいことに加えて完徹は凄いことという価値観を持ってしまったことで、
不眠症はただただ悪化の一途を辿ることになります。
それでも、肉体年齢が若いうちは持ち前の体力から多少の夜ふかしには耐えられていました。
ゲーマー全盛期である高校時代、リビングでやるよりも布団に潜ってやるゲームが最高に楽しかったのですが、
そうして当たり前のように深夜02〜03時までゲームをしても、翌日平然と起きられていました。
これはまあ、実家暮らしなので起きなかったら親が怒るからというのもありますね。
大学時代、一人暮らしデビューをして誰にも注意されなくなったことによってサボり癖がつき、
昼夜逆転を何度も体験していよいよ体が壊れます。
そこから社会人になって実家に戻らざるを得なくなり、また昼夜逆転も無理やり矯正せざるを得なくなりました。
これは、今度は親ではなく会社に怒られるからというプレッシャーがあったのだと思います。
その証拠に退職1年前くらいから綻びが出始め、絶対休んではいけない日に体が動かなかったことがあります。
同じようなことは退職後の職業訓練中にも一度ありました。
社会人かつ一人暮らしは初めてとなる上京後、しばらくはテレワークということもあり問題にならなかったものの、
何度も書いている通り2022年に出社が復活したことによって再び破綻します。
このときが一番ひどかったのは、肉体年齢的にもう若くないという事実もあるからなのでしょう。
しかしこうして全体の流れを振り返ってみると、破綻したこと自体はある意味必然だったのだろうと思います。
2022年当時の会社はブラックとは言えず、また自分は出社なのにマネージャーはテレワークという不平感がありました。
これまでの流れからすると上司も出社だったら破綻していなかった可能性は大いにあります。
自分の夜ふかし癖は人生において大きな悪影響をもたらしているのは間違いありません。
しかしそもそもの発端はゲームなどの夜活動が楽しかったから、というポジティブな理由だったのだと思うと、
一概に過去の自分が悪かったと切り捨てることもできないのかなと。
強いて言えば、小学校〜高校当時、我が家ではリビングでのゲームは18時までという厳しい制限が課されており、
そこから逃れてゲームをするためには夜ふかしせざるを得なかったという事情もあります。
当時「ゲーム脳」などという似非科学が流行したりしましたが、
それくらいPTA界隈で子どもからゲームを遠ざけようとする風潮が強くあり、
我が家はまだマシな方で1日1時間しか許されていない家庭もあったと聞いています。
現代だとゲームがYouTubeに代わっているのでしょうか。
結局、この不眠症もそういう施策の失敗と言ってしまってもいいんじゃないかなとは思いますね。
親の前で堂々とできないなら隠れてするようになるのは当然の流れです。
結局これが自分の人生の負の側面を決定づけてしまった可能性は否めないと思っているのですが、
まあ時代がそうさせたのだろうと観念しています。