自己否定感との戦い
やりたいことを阻む障壁について考えると、10代までは経済力と家庭、
20代までは生理的欲求(特に睡眠欲)だったと思います。
では30代まではなんなのかというと、自尊心なのではないかというのが現時点の結論です。
本当にこれが邪魔に思えることが増えた。
ここでいう自尊心は自己否定感と捉えてしまってもいいかもしれません。
生半可な成果を出すことを許さない、無様な結果を出すことを許さない。
それを遵守するために、そうなる可能性のあることはやらない。
結果として、「着手しようと思えばできるがスキル不足感が否めない新しい分野」に挑戦する機会が激減し、
既存のものをひたすら使い潰すきわめて保守的なライフスタイルが定着しつつあります。
近年は上京直後による意識の高まりが落ち着いた2022年以降にこの傾向が強くなっていると感じます。
こうした保守的な価値観は成功体験のあまりの少なさが要因としてあることは否めません。
つまり、何かに挑戦しようとして上手くいった経験よりも挫折した経験の方が圧倒的に多いので、
「新しい挑戦をする=上手くいく」という図式を信じられないというわけですね。
これは保守的になればなるほど挑戦の機会が減り、当然に成功体験はますます遠ざかる悪循環になります。
この問題は年齢を重ねれば重ねるほどより一層深刻になり、また解決を難しくするでしょう。
最近特に思うのは、このままライフスタイルを変えずに40代、50代を迎えたときの絶望は計り知れないなと。
特に定年がきわめて大きなターニングポイントになると思います。
現状から仕事という社会とのつながりを断ち切られたら、もはやマトモでいられる自信がありません。
わりと本気で死んだ方がマシと思ってしまうのではと考えています。
そう考えると、自尊心の問題はせめて30代のうちに活路を見出したいものです。
ここで言う成功体験は、昨日の記事の「達成感」とほぼイコールと捉えてもいいのかもしれません(#07756 / 2025年03月11日)。
達成感とは、その時点で必ずしも自分ができる保証が無い物事に挑戦し、
望んでいた結果を勝ち取ったときに湧く感情です。たぶん、ドーパミンとか諸々の脳内物質が出ているのでしょう。
それが圧倒的に足りていないので不戦敗を重ねすぎて脳が枯れてしまっているというのが現状の自分で、
達成感を一定期間ごとに補給することで多少なり改善するのではないかと考えています。
この問題で唯一救いなのが、おそらく達成感は他者承認を必要としないということです。
メテオス20周年の「レイヤーゼロ」との戦いがまさにそうでした。
あれは20周年の記念に何かしたいというこだわりがすべてで、誰かに見られることを想定していたわけではありません。
もちろんTwitterにアップすることは前提条件としてありましたが、
「いいね」が欲しいならわざわざめちゃくちゃマイナーなメテオスの動画をアップする必要は無いわけです。
これまで、この問題はしばしば承認欲求の問題として捉えていた節があると思いますが、
実は別個の問題なのだと認識を改められたのはここに来て一歩前進したと言えるかもしれません。
ただし、まだ別個の問題と認識したばかりなので本当に切り離すことができるかどうかはここから。
直感的には、本心に対して従順に行動できるかどうかというのがポイントになると予想しています。
「せっかくの20周年だから何かやりたい」が本心だったからこそチャレンジング精神も生まれた。
ブログを遡ると、2020年当時も承認欲求を求めすぎないために本心を大事にするべきなのではないか、
ということを考えたことがあり(#06200 / 2020年12月09日)、長い時間を経て結局ここに立ち戻るのかもしれません。
「誰かに認められるかどうか」よりも「自分がやりたいかどうか」に重きを置くというのはわかりやすい指針です。
が、ことはそう単純ではないため今後もさらに深掘りしていく必要があるでしょう。
そもそも本心とは何なのかなど、考えるべきことは山のようにあります。