Chrononglyph

#8125

語りえぬもの

これは自分のようにネットに依存している人が折りに触れて確認すべきことだと思うのですが、
基本的に人は互いに、当事者でない属性については理解し得ないということを認識したうえで、
「理解」という活動には限界があること、しかし社会ではそれでもなお他者を「理解しようとすること」が大事であること、
また自分はそれについて完全には分からないという態度を甘んじて受け入れることはかなり大事だと思っています。
「当事者でない属性」は究極的には他者そのものを含むので、
したがってこの主張には「人は他人を理解できない」という主張が含まれています。
ただし自分 vs. 他人という構図はあまりにもスケールが大きいのでここではあくまでも「属性」について考えます。


ここで属性とはその人を他の人と区別する特徴、
またはその人の社会的ステータスやアイデンティティになりうる特徴を言います。
たとえば性別、身長、国籍、最終学歴、出身、政治信条、思想、年収、障害・病気の有無、好きなもの・文化などなど……。
ネット社会のような匿名社会では一番最後の要素が思いのほか強い属性としてみなされる気がしますが、
基本的には先天的なものほど強い属性と言っていいと思います。
そして、我々は基本的に自分に当てはまらない属性に関する議論においては外野の人間であり、
その「内側(当事者事情)」についてはたいていの場合、さっぱり知らないことが多いです。
当事者と関わった経験が少しあるのでそれについて知っているような気になることはありますが、
それはあくまでも外野から観測した現象、しかも当事者全体からするとごくごく一部にすぎず、
外野から得た知識だけで当事者特有の心情、背景や経緯、価値観を織り込むのはかなり困難なことです。
たとえば男でも女子には生理があることを知っていて何となくツラいものであると知っていますが、
「ツラいんでしょ」と言われた女子は「何も分かってないくせに!」とでも言いたくなることでしょう(たぶん)。
この隔たりは子宮の仕組みを知ったところでどうにもならず、
生理という属性特有の事情を踏まえた個々の相互理解が必要になってきます。


現代は情報社会であり日々膨大な量の情報(意見、議論、事実など)が飛び交っていて、
この中には一見正しそうでも実はある属性を外野から観測しただけの「偏見」にすぎない情報が相当含まれています。
そしてその偏見が当事者にとって正しいかどうかは外野の人間だけでは検証できないため、
当事者が少ないコミュニティにおいて、偏見は誰も否定しようがなく独り歩きすることも少なくありません。
さらにネットコミュニティは似た者同士が集まる仕組みになっているので、
この「偏り」は多数派に都合がよければこそなかなか矯正することができません。
こうして偏見はもっともらしい「真実」として世に憚ることになるわけです。
ネット社会ではこういう構造がどうしようもなく異なる属性同士の分断を助長しているような気がします。


つまり、自分が当事者でないかぎり、ネットの属性に関する価値主張を鵜呑みにするのは相当危険だということになります。
しかもそれは、ちょっと当事者と話しただけではなかなか「矯正」できないのではないかと考えています。
我々はどこまで理解しようと頑張っても当事者そのものにはなれないのですから。
しかしだからといって異なる属性の理解を諦めるべきというのも乱暴な話です。
結局のところ、人は他人を理解するには限界がある(完全には理解できない)という前提を飲み込みつつ、
それでもなお理解しようとする立場を崩さないという姿勢を貫くしかありません。
もちろんこれは、「当事者の言うことは盲信すべき」などと言っているわけではないことは重要です。
そもそもネットの嘘情報は当事者を騙って発信されることが多いのでその点でも要警戒ですが、
「本当の当事者」に耳を傾ける際にも完全な理解は不可能だと観念することが大事だということですね。
そして、当事者でない属性については語らない勇気を持つことも重要です。
これはこのブログのように情報発信量がそれなりに多い場合やSNSなどでは必須の心構えではないでしょうか。


博覧強記という言葉が古くなって久しい現代でも、知識が多い人=偉いという風潮はそれなりにあります。
そしてこの情報過多社会で「情報強者」であるためにはものすごい量の情報を捌かなければならない。
すると、どうしても少ない情報に基づいてさもその属性や分野を知っているかのように振る舞いたくなる。
情報の精度が求められていないような現場ではなおさらそういう傾向があります。
しかし、そうして想像力で補填された情報は当事者から見ると間違いだらけであることも少なくないわけです。
これはネット社会の構造も悪いですが、根本的には人の性なんじゃないかなと。
自分もちょっとした雑談の場では虚栄心や虚勢で「補填」して語ってしまっていることは振り返るとかなりあります。
とはいえ、そこに厳密な正確性を求めるとアウトプット自体が難しくなるのも確かで、
この辺はわかっていてもなかなか難しいところなのかもしれません。



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