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#8111

投機的なリスクオフ資産

仮想通貨の先物取引はポジションを持っていると常にチェックしていなければならないため、
日々の活動リソースのうち少なくない割合をそれに持っていかれ、他の活動が停滞しがちです。
まぁ、そういう言い分も自分の意思の弱さを踏まえたものなのかもしれませんが、
ともあれ先月01月末にテザーゴールドに手を出した直後に数十年ぶりクラスの大暴落が発生。
大量の含み損を抱えてしまった自分はもちろん気が気でなかったわけですが、
このたび逆に大幅増収となってポジションを解消することができました。


ゴールドはリスクオフ資産とみなされており、世界情勢が悪くなればなるほど値が上がると言われています。
先の暴落は急激に上がりすぎた反動(利確売り)と見られますが、
世界情勢そのものは基本的に悪化する一方なのでまあ値上がりはするだろうと思っていました。
するとイランの核開発問題をめぐってアメリカ(トランプ政権)が空母を派遣するなど大規模な軍事行動に。
数日以内に攻撃を開始するだろうと言われ、昨日とうとうそれが現実になりました。
当然ゴールドは値上がりし、一時5,466.7ドル(Bybit XAUT現物)をつけてその後は下落。
自分はもともと5,300ドルで捕まっていましたが、
大底でのナンピンに成功したこともあって5,080ドルを超えればプラスで抜けることができる情勢でした。
しかし、状況的におそらくイランの件で5,200〜5,300ドルまでは短期で伸びるだろうと思い、
5,300ドルを超えたら「直近最高値より50ドル落ちたら利確する」というトレーリングストップ注文を仕掛けました。
そしてそれは見事にはまり、急落に反応しておよそ5,416ドルで利確できたというわけですね。
その後ゴールドは落ちて5,300ドル近辺をうろうろしているので、5,400ドル台で利確できたのは上手くできたと思います。


長い目で見れば今後もゴールドは上がりそうですが、自分はひとまずここで退却します。
原資を全部抜いて円に替え、残ったドルはステーキングシステム(年利8.8%)に預け入れておきました。
おそらく仮想通貨市場はまだ大底ではないような気がするので、
アルトコイン積み立てはもう少し値が下がったらやろうかなと思っています。
ただ、最近の仮想通貨のあまりにもひどい状況を見ると、本当に将来復帰するのか怪しいところがありますが……。
結局世界情勢がこれほど悪くなっても、無国籍通貨としての魅力は世界に認知されてなさそうですしね。
あるいはもっと情勢が悪くなっていよいよ核戦争か、というときになったらまた状況が変わるのだろうか。
まぁ、いよいよとなったらそもそも通貨自体に意味がなくなるかもしれませんが。


ともあれ、自分はこれで年初から立て続けに発生した懸念事項を今後こそ払拭しきったと思います。
03月は少なくとも01〜02月よりは精神的に自由な状況下でタスクをこなすことができそう。
新年度からは仕事がガラッと変わってそれによる影響も懸念されるため、
いまのうちにできることは行けるところまで片付けておきたいところです。


#8112

花粉症悪化

諸々の体調不良を乗り越え、それによって発生したブログ不安定期間も乗り越え、
臨時収入によってさらに心に余裕が生まれていよいよ自由に活動できる土壌が整った……
かと思いきや、次の障壁が立ちはだかりました。それは花粉です。
なんというか、年始〜春というのはとことん活動に向いていないと改めて思いますね。
少なくとも年明け後、スタートダッシュを決めようとして01〜03月に計画を詰め込むのは今後避けたほうがよさそう。


自分は花粉症を自認していますがそこまで過敏ではない方だとは思っています。
症状の強さは年によってかなりブレがあり、なんとなく偶数年は花粉症の薬を買っているジンクスがあります。
去年は薬を買わずに乗り切りました。まあ鼻水がまったく出なかったわけではなかったと思いますが、
薬を買うほど深刻ではなかったのは確かです。
ただ、今年は先週末くらいから発症してその深刻度が段違いだとすぐに悟ったので、速攻で薬を買いました。
「アレグラ」を買おうとしたらマツキヨ特製のジェネリック薬品をおすすめされ、
成分はまったく同じでこちらの方がたくさん入っているからと言われ、とりあえずそれを買うことに。


花粉症の薬は1ヶ月くらい前もって飲んで体を慣らしておくことでより効果を実感できるそうで、
発症してから飲むのはそれほど効果的な飲み方ではありません。
いずれにしろ初期段階で飲むことで今後来るであろうピークをどうにか軽症でやり過ごしたいところですが、
それまで少なからず作業モチベに悪影響を与えることは避けられなさそうです。
いま、いずれの作業も切迫感が無いのでこういうちょっとしたことでブレやすい段階ではあるんですよね……。


東京都内のスギ花粉の飛散ピークは03月上旬とのことなので、
これを信じるなら作業に支障が出るレベルにキツいのはせいぜい今週と来週くらいだと思っています。
それを抜けたらもう春も目前ということで、今度の今度こそ「2026年が始まる」と言えるのでしょうか。


西暦は冬のど真ん中で変わりますが、
「1年の活動を始める」というニュアンスではいわゆる会計年度(学校年度)の方がしっくり来ますね。
01〜03月は冬季の続きであり最後の踏ん張りどころという意味合いの方が強い気がする。
04月01日の「新年度」は、改めて気持ちを新たにする区切り目として意識していきたいところです。


#8113

プレッシャーの大きな現場

今日の出来事仕事

2026年上期の査定面談(という名の上司との雑談タイム)がありました。
まず、自分の今後の予定ですが04月から某大企業のプロジェクトに関わることが確定しました。
ベストマッチではないとのことで保留していた現場ですが、管轄内で一番偉い人との直接的な対話を経て、
いまの自分に必要なのは業務内容云々よりも達成感なので、
必ずしもベストマッチにこだわる必要はないという結論に至り承諾した形です(#08108 / 2026年02月26日)。
いまいるところはゆるゆるなのですが、さすがにここよりは若干忙しそうな雰囲気。
原則テレワークですが出社したい人はぜひ、というスタンスなので働き方については問題なさそうです。


この現場のいままでにない特徴として、自分が所属している部署の人間ですでにある程度シマができている現場で、
しかもチームリーダークラスの人間がかなり多いということが挙げられます。
これは良く言えば帰属意識を高められる、年配の人との対話を通じてさまざまな見識を深められる、
現場の活躍が社内評価に直結するためスキルシートだけで評価されている人と比べて有利、などの利点があると思います。
また、事実上転職して4年目にしてついに自社の人間とコミュニケーションする機会を得たということでもある。
しかし裏を返せば、現場で何かやらかすと直接的に所属会社の評価に響くということでもあり、
そういう意味でのプレッシャーは感じています。
直属の上司は自分をかなり高く買ってくれているので、社内評価と実力にはそこそこのギャップがあると思っています。
そのメッキが偉い人の前で剥がれてしまった場合、最悪の最悪は転職にも繋がりかねません。
このギャップに関する懸念の最たるものはテレワーク適正の無さだと思っているので、
新しい現場ではこれは特に気をつけたいところです。
そのために新年度に合わせて自宅環境をガラッと変えるのもアリといえばアリ。


自分の仕事における中長期的な課題はもはやプログラミングできる・できないという領域ではなく、
コミュニケーションスキルをさらに磨き上げていくということに尽きます。
これは先日のキャリア面談で得た知見に基づく結論です(#08094 / 2026年02月12日)。
生成AIが使える現場ならもはやプログラミングそのものは「できて当たり前」であり、
いまこの時点でプログラミングに関する基本の作法やルールを知らない人はさすがに業界を生き残れないでしょう。
しかしそのデッドラインは今後急速に上がっていくと思われ、
おそらく最後に残るのはコミュ力に秀でている人なのではないかと思っています。
この業界で生き残りたいなら、お客さんとの調整能力や変な人が部下になっても業務をこなすスキルなど、
他人の人格に依存しない自立したコミュニケーション能力が必要になってくるのではないかと。
次の現場でもなんだかんだでゲンナリすること、自尊心を傷つけられることなどあるとは思いますが、
そういうヒューマンスキルが通用するかどうかの試金石にはなるんじゃないかと考えています。


直属の上司との査定面談では主にそういった次の現場への期待や課題について話しましたが、
メインの話はほどほどに残り時間のほとんどは株や世界情勢についての話をしていました。
こういう話ができる人はまわりにほとんどいないので、なかなか有意義な時間だったと思います。
この上司にもかなりお世話になっているので期待を損なうようなことはしたくないのですが、
一方で期待を背負いすぎると人は簡単に壊れるということもよく分かっているので、まあほどほどに頑張ろうかなと。


#8114

ゲーム実況というリスク

今日の出来事VTuber

自分はたぶんもうVTuberそのもののファンではなく、気持ちは冷めてしまったと思っています。
とはいえアンチを自称するようなレベルではなく、わざわざVTuberのアンチになろうとは思いません。
そもそもなんでVTuberはこんなにアンチが多いんだろうという謎は解明できておらず、
博衣こよりお気持ち表明の件(#07998 / 2025年11月08日)がなぜあれほど炎上したのかも分かっていません。
ただ少なくともいまの自分のポジションで言えることは、
一度気持ちが冷めてしまうとより冷めるファクターに対しては気持ちが引っ張られやすい一方で、
VTuberに対してポジティブになりうるファクターに対しては鈍感になりやすいという実感があることです。
このことから、一度反転アンチに寝返ってしまうとそれを正当化するエピソードしか頭に入らなくなり、
反転アンチからファンに戻るのはかなり難しいのではないかと思っています。
そんな中、なぜアンチが多いのかということを説明しうる仮説をひとつ発見しました。
まぁ、これも要するにアンチとしての正当化に過ぎない気づきというわけですが……。


ここ数日、「戌神ころね」というVTuberが『ピクミン2』の実況プレイをしていて、
自分は大手VTuberがピクミン2をやっているというので興味を持ち、少しだけ見ていました。
たまたまラスボス戦だったのですが、まあ一言で言うと下手くそです。そして別にリアクションも面白いわけではない。
自分は別に戌神ころねが嫌いなわけでもなんでもないんですが、
あからさまに下手なプレイに対してイラッとするというのは率直な気持ちとしてありました。
というのも、ゲームとしての基本的なセオリーを守っていないんですよね。
分かりやすいのは、状態異常のピクミン(笛で呼ばないと死ぬ)はなるべく早く助けるとか。
どう見ても近くに死にそうなピクミンがいるのに「どうしよう、どうしよう〜!」と慌てふためいて何もしない。
視界に入っていないのか、わざとやっているとしか思えないわけです。
これがゲームの最序盤で初めて状態異常にかかったなら分からなくもないんですが、仮にもラスボス戦ですからね。


戌神ころねに限らず、(ホロライブの)VTuberはゲーム実況を生業にしていますが特別ゲームが上手いわけではなく、
ゲームは視聴者に多くのコンテンツを届けるという目的を達成するための土台として消費しているにすぎません。
例外は『GeoGuessr』のAZKi、モンハンシリーズの姫森ルーナくらいでしょうか。
もちろん、ガワをかぶってただゲームをするだけではチャンネル登録者数は増えないので、
気の利いたトークをしたり、箱企画に参加したり、1/8192を引くような苦行じみた耐久プレイをしたりしているわけですね。
そういう企画は面白いんです。だから自分も『The Game of Sisyphus』をきっかけにホロライブを観るようになりました。
ただ基本的に苦行・耐久・クリエイティブ・箱企画以外の単発タイトルのプレイ内容は良くて平凡でしかないので、
すでにそれをプレイしたゲーマーからすると、さきほど挙げたように
「(既プレイならみんな分かっている)ゲームの基本セオリー」を守らないことにイライラしてしまいがちだと思います。
自分なら絶対しないことをしているのをみるとイラっとするのは人の性ですが、
そうした感情が既プレイの視聴者とVTuberの間では少なからず発生しているのではないかと。
もちろんこれだけではアンチになる理由になりませんが、とっかかりにはなると思います。
そうした感情を蓄えた上で、たまにあるVTuberの失態が起爆剤になってアンチになるのではないかと。
そしてさまざまなゲームをプレイしているということはあらゆる方面のゲーマーからこうした感情を向けられうるわけで、
その潜在的な悪感情はかなりの数が潜んでいるのではないかと思います。
キャラクターや配信の企画やコミュニティ統治戦略はこうした事情を踏まえた上で立案されるべきなのでしょう。


そもそもVTuberはそれ自体嫉妬されやすい業種です。
裏でいろいろやっているとはいえその苦労は明るみに出ず、表だけ見れば配信だけで大金を稼いでいるというのは事実。
さらにそれなりのゲーマーからすれば「ゲームは下手なのに売れている配信者」という認識になると思います。
つまりゲームという土俵で言えばVTuberは視聴者より格下というコンセンサスがおそらくある。
加えて、外見特徴ですら作られたもので個性といえば声質とトークスキルくらいのもの。
箱に所属しているのでさまざまなバックアップがあり配信業としては成功していますが、
それも言ってしまえば箱(会社)ありきの実績であり、
底辺配信者をはじめ「ネットで成功したかった人」からしてみれば不平感はかなりあるのではないでしょうか。
VTuberが「家を建てた」「家族を養っている」と公言するのは生粋のファンには美談として受け取られるかもしれませんが、
アンチからしてみれば嫉妬を加速させるエピソードでしかないのかなと。
こうした嫉妬感情や「ゲーマーとしては格下」という意識が、
何かやらかしたときに徹底的に叩かれる土壌になっているんじゃないかと思いました。


というわけで、VTuberはゲームをダシにして配信業を成立させている以上、
そのプレイが上手くないかぎりは構造的にいろんなゲーマーのアンチを抱えやすいのではないか、という話でした。
とりあえずVTuberに関しては自分の知らないゲームタイトルの配信のみ観るのが無難そう。
ゲームを配信することがメインになっているVTuberは今後淘汰されていくんじゃないかなと思っています。
トークスキルが卓越している人や、地下アイドルみたいに視聴者との距離感を重視する人が残るんじゃないかと。


#8115

希少価値のインフレ

今日の出来事遊戯王ocg

先月末、遊戯王OCGで「LIMIT OVER COLLECTION」という新たなシリーズが発売され、話題になっています。
遊戯王OCGは国産TCGの中でももっとも長い歴史の中でさまざまなレアリティを開発しており、
近年はその新規レアリティの希少性がかなりインフレしていました。
そして今回登場した新シリーズではこれまでの歴史に無い2つの新たな試みが加えられています。
まず、イラストが全面に描かれた「オーバーフレーム」仕様のカードが初登場。
ポケカで言うところのAR(アートレア)やSAR(スペシャルアートレア)に相当するほか、
MTGではボーダーレスやフルアートに相当します(フルアートは基本土地に多い)。
イラストの面積を増やしてカードの希少価値を上げる試みは遊戯王OCG以外では昔からありましたが、
とうとう遊戯王OCGでも解禁されたという感じですね。
なお、遊戯王OCGの若年向け派生シリーズの「遊戯王ラッシュデュエル」でも、
来月出るパックでオーバーフレームに相当する「フルオーバーラッシュレア」が登場する予定となっています。


またこのオーバーフレーム仕様のカードの最上位のレアリティとして位置付けられるのが
「グランドマスターレア」と呼ばれるレアリティで、高級感のある黒枠が特徴となっています。
これのすごいのは、なんと各カードが世界に100枚しか存在しないというとんでもない希少価値を有していることです。
しかも100枚それぞれに固有のシリアルナンバーが付与されており、各番号のカードは世界にただ1枚。
今回、その初めてのパックの中に〈黒魔導のカーテン〉という魔法カードが収録されたのですが、
これがただ有用なだけでなくイラストにシリーズのヒロインである〈ブラック・マジシャン・ガール〉が描かれており、
しかも胸やふとももが大きく強調され男子を惹きつけてやまない構図となっており、瞬く間に大人気となっています。
カードショップでは350万円もの買取価格をつけている店もあり、とんでもないバブルの様相です。
このパックは現時点で「何を引いても元が取れる」と言われるほど軒並み価格高騰しており、
当然ながらもう未開封ボックスなんてもうどこへ行っても手に入りません。


まあ、いまから「LIMIT OVER COLLECTION」を手に入れようと考えるのは愚策だと思うのでしませんが、
それよりも気になるのはラッシュデュエルの「フルオーバーラッシュレア」。
先日、遊戯王OCGのキャラの中でも霊使いが好きだという話を書きましたが(#08103 / 2026年02月21日)、
なんとその霊使いが記念すべき最初のフルオーバーラッシュレアの対象カードになっているんですね。
まぁ、1箱程度でどうにかなるとは思えないし本気で欲しいならシングルで買うしかないとは思っていますが、
どうにかして素引きのチャンスを得られないだろうかといちおうAmazonのウォッチリストに登録しています。


TCG界ではトップレアの希少価値がどんどんインフレする傾向にあり、
一種の資産としてみなして買い集めるお金持ちと転売ヤーによって価格がどんどん釣り上げられ、
それに群がる不届者によって半ばカオスな状況になっています。
店頭販売では1人1箱までと制限しているのに際限なく並び直す謎の外国人がいるという話はよく聞くし、
ネット販売では開封したカードを独自の裁量で再封入してランダム販売する、いわゆる「オリパ」が流行っていますが、
これは本当にそれが入っているのか誰も証明できないという点で屋台のくじびきのようなグレーな販売方法です。
また、今回のグランドマスターレアでは当然のように同一シリアルの同名カードが出品されているそうです。
この辺、法規制をもっとキツくしないとTCGで金儲けをしたい連中のやりたい放題になると思うのですが……。


いずれにしろ、本当に純粋に欲しいカードが登場するときに「もう予約さえできない」では後の祭りなので、
推しのカードが出そうなシリーズはとりあえず予約しておくということも少し検討してみてもいいかもしれません。


#8116

読書のペース

今日の出来事読書

最新の実績によると、いまの自分は新書を1ページあたり1分で読んでいます。
新書はだいたい200ページくらいで収まっているので、1冊読むのに3時間20分かかる計算になります。
もちろんこれはそれなりにすんなり読めるケースにかぎられ、
哲学書の解説書などそれなりに難しい分野の本は新書レベルでもグッとペースは落ちると思われます。
いまの自分の読書方針は「買った本はできるかぎりパッと読みその上で精読する本を決める」というものですが、
この「パッと読む」というのが1ページ1分という速度で読むということだと思っています。
ちゃんと理解しようと思ったらこれ以下のペースになる本も、無理やりこのペースを維持して流し読みする。
その上で精読したい本はペースを考えずにじっくり読む、という感じになるでしょうか。


この「1冊約3時間半」という時間コストを週間計画に落とし込むと、
現実的にどれくらいのペースで本を読めるのか。
これについては、「その気になれば1週間で1冊読めるものの、現実的には2週間で1冊以下」
というのが自分の中でそれなりに腑に落ちるボーダーラインだと思っています。
まず、3時間半というのは毎週ブログに費やしている時間のおおよそ下限に近い時間コストだったりします。
週7本×30分=3時間半というわけですね。現実にはもう少しかかっていると思いますが。
自分の中では本を1冊読むのに必要なコストは、1週間分のブログを書くコストにおおよそ等しいわけです。
そう考えると自分の中では感覚的にすごくわかりやすい(他人にしてみれば理解不能だと思いますが)。


ここ1年ほど、ブログは主に水曜日と日曜日に2〜3日分集中的に書くスタイルが定着しつつあり、
それ以外の曜日は書けるなら書くというスタンスでやっています。
ということは、読書も土曜日と平日どこか1日に集中的に読む機会を設ければ、
1週間につき1冊とは言わないまでもそれにかなり近い実績は出せるのではないかと思うわけです。
いまは読みたい本がかなり溜まっている状態なので、
「実績」を重視するかどうかはさておき、コンスタントに読み続ける習慣を作るに越したことはない。
興味関心ベースの行動力はどうせまたすぐに失速するでしょうから、
勢いがあるうちにこうしたフレームワークを作ってしまうことは重要であるように思われます。


あと、読書習慣後押しのために15年ぶりに「読書メーター」の活用を再開しようかなとも思っています。
読書メーターとは読書を記録することに特化したSNS機能つきのwebサービスで、
当時のブログ記事によると知り合いから教えてもらって知ったそうです(#02703 / 2011年07月15日)。
その知り合いはすでに絶縁してしまっているのですが読書メーター上では相互フォローになってしまっており、
他にも連絡を取らなくなって久しいリアル知人にフォローされていたりするので、
ブログからリンクを貼ることなんかも想定するとアカウントは作り直しが妥当かなと。
平均読書冊数などはサインアップからの経過日数で計算されるみたいなので、
アカウントを流用すると5,000日くらいのハンデを背負うことにもなってしまうんですよね。


読書に関しては、復帰後いまのところ順調だと思っています。
ゲームという趣味を失いつつある自分にとって、ある意味ではいまもっとも将来性のある趣味とも言えるかも。
当面は変に背伸びして難解な本を手に取って習慣が途絶えることがないように気をつけたいところです。


#8117

ファンタジー小説を探す

今日の出来事創作の姿勢

実はここ数日、海外ファンタジー小説について(ChatGPTと)調べていました。
2025年の年間目標だった大キリ番記事(短編小説)の執筆はいちおう形にはなったと思っていますが、
去年末時点ではかなり低い自己評価に留まっていました。
その理由は「タスクを細分化しすぎて個々の活動に実感が無く、そのため完成しても達成感が皆無だった」
としていますが、改めて振り返ると
長年温めている創作世界のフレームワークは2025年の1年間でかなり輪郭が明確になり、
その意味での功績は大きいのではないかと思っています。
もちろん、年間計画という概念が放っているプレッシャーからするとしょぼい実績かもしれませんが、
これによって創作関係については大きな一歩を踏み出せたことも事実です。


このブログでは伝統的に1000本に1本の割合でブログ記事の代わりに小説を書くこととしており、
1日1本なのでちょうど1000日周期でその出番が回ってきます。
順当に行けば次は2028年08月までにまた小説を書かなければならないわけですが、
次は単に形式的な短編を書くだけでなく、ちゃんと「小説らしい」体裁をある程度整えたいと考えています。


これまでは創作にしろ随筆にしろその他雑記にしろ、
自分の文体は誰から習ったわけでもない「天然」の技法を流用してきました。
つまり小説においても、それは言ってしまえば日頃ブログを書くのと同じようなノリで書いていたわけです。
小説に特有の技術であるところのプロットやレトリック(修辞技法)などは独学以前の問題だと思っています。
なので、9000本目はそういう側面もある程度形にしたいという気持ちがあります。


そこで考えられるアプローチは3つ。
①優れた文学作品を読んでスキルを身につける、②小説のハウツー本を読んで身につける、
③AIにレトリックを学習させてその出力から学ぶ。
①<②<③の順で合理的かつ即効性があるのと同時に自分の執筆スキルを信用していない側面があると思います。
そこで、まあ現実的には最終的に③に頼ることになるだろうと思いつつも、
自分の書きたい世界観に似た世界を書く先駆者がいることに賭けて各国の作家について調べていました。
そして今日、その情報を頼りに市営図書館に行って実際に書架を探し歩いてみました。


結果から言うと収穫はほぼ皆無でした。
「自分の描きたい世界観」は現代サブカルチャーの影響を多分に受けていることもあるからか、
いわゆる昔の文豪が書いた作品の中にマッチングする作品は(ある例外を除いて)なかなか無いという認識です。
とはいえ本当に中身を確認したいいくつかの作品にかぎって貸出中で中身を読めなかったので、
たとえば言い回しやプロット構成などが役に立つかどうかといったことはまだ分かりません。
もっと大きな図書館や書店に足を運んでみる必要はありそうです。


これは、要は自分の「推し作家」を今更ながらに発掘したいという欲求もあります。
元来全然小説を読んでこなかった自分がこんなことを言うのは大変おこがましいのですが、
小説を書く以上は小説に対するある程度の矜持が欲しい。その拠り所として好きな作家を見つけたいということですね。
ただ、純粋に小説が好きというより作家としての箔がほしいという不純な動機なので正直厳しい気はします。
そもそも、自分は小説家になれるとは思っていません。
この超レッドオーシャンな市場で自分だけがピンポイントで賞賛されると思うなんておこがましいにもほどがある。
ただ、一方で長年温めてきた創作世界をモノとして出すことが長期目標になるのなら、
社会に認められるかどうかはさておき、一生のうちに完成させたいという気持ちはある。


そう考えると、究極的には作品本体はAIに書いてもらって、
自分はその設定が矛盾しないようにひたすら作品設定を練りまくるのが妥当のような気がしないでもないです。
つまり、原作が自分でノベライズ担当がAI。そして自分はそれの世界でただひとりの読者。
作品の完成に主眼を置くなら、レトリックを学ぶ、推し作家を探すなどという遠回りをするよりも、
最終的にはAIに書いてもらうことを念頭にただただ設定を練りまくるのが合理的のような気がしないでもない。
たぶん、Claude Opus 4.6ならもうプロ作家並みに豊かな表現で書いてくれるんじゃないでしょうか。
まぁでも、それをするにしても参考にする作家を知っておくに越したことはないんですけどね。


「小説」という分野は思春期に触れていながら大人になってから開拓が全然進んでいないので、
書くにしろ読むにしろそういう意味ではまだまだ掘り下げる余地はあると思っています。
ただ、このスマホ依存の激しい世の中にはちょっと刺激の薄い分野であることも確かで、
腰を据えてそれに集中する環境を作れるかどうかというのは大きな問題になりそう。
とりあえず図書館はそれに対するひとつの答えだと思っています。


#8118

ゲーミングマイク購入

今日の出来事pc環境

Amazonの新生活セールで「HyperX QuadCast 2S」というゲーミングマイクとマイクアームを購入しました。
お値段32,000円のところを25,000円まで大幅値下げ。
前々から、もしマイクを新調するならこれを買おうと思ってウィッシュリストに入れていたのですが、
過去最安値になったこのタイミングで購入を決意した次第です。


正直、かなりオーバースペックだと思っています。
このゲーミングマイクは32bit/192kHzでの音声入力に対応しているのですが、
人間の可聴域をとっくに超えているし、そもそもDiscordはこんな高音質に対応していないので意味がありません。
また、そもそもこれまで使っていたマイクはAppleのEarPodsなのですが、これの性能が非常に良いんですよね。
とても2,600円の単なるマイク付きイヤホンとは思えないくらい音質が良い。
今回、新しいマイクで声質が変わったかどうかをボイチャの相手に聞いてみましたが、
確かに明瞭にはなったと思うがそこまで顕著ではないと言われました。
それはつまり、それだけEarPodsが優秀だということなのでしょう。
EarPodsが優秀なので、相対的に高いゲーミングマイクを必要としてこなかったのは事実です。
その状況はいまも特に変わっていないので、今回はたまたま金銭的に余裕があるから買った、という側面は否定できません。


まぁでも、買ったこと自体は後悔していません。
ボイスチャットをする機会は年々増えていて趣味面において重要なポジションを占めているのは確かです。
であれば、ボイチャ環境を追求したいと思うのは自然な欲求ではある。
そこで改めて手元の環境を眺めてみたとき、マイクだけが安価な機材だったというわけです。
ただEarPodsが優秀なのでこれでも十分役割を果たしてきたというだけで。
まぁあと、今後開催を想定しているオフラインイベントで配信を画策する場合、
このゲーミングマイクのような無指向性のマイクが無いと困るので、そこまでを見据えて買ったというのもあります。
イベントをやるかどうかは微妙なところなんですが。


マイクアームを取り付けるとデスク周りが急に配信者のそれっぽくなったので、
なんとなく配信モチベも高まっています。そろそろRTAに手を出すときが来たのだろうか……?
実は昨日、寝違えてほぼ一日中首が痛く、加えて花粉症も相変わらずでさんざんな思いをしたのですが、
一転して今日は花粉症もほぼ症状が出ておらず心身ともに安定しています。
これにより作業再開の機運も高まっていますが、
実はコンシューマーゲーム復帰のチャンスでもあるんじゃないかとも思っています。
まぁ、それでも配信をするかどうかは五分五分ですが……ともあれできるところから手を伸ばしたいところです。


#8119

20代の仕事について

2年前の春、Twitterの本アカで以下のようなことをつぶやきました。



社会人になって最初の5年くらいが人生の分水嶺だと思う。
ここで軽率にリタイアしたり、無計画にやり過ごして30代になってから路頭に迷う人をたくさん見てきた
20代社会人は若干理想高め意識高めで仕事にぶつかっていくのがちょうどいい。
低すぎても高すぎてもいけない
@koppachappy, 2024/04/02



これは自分の2年前当時までの社会人経験を経て、20代はこうすればよかったという後悔の念を詰め込んだものです。
2年経過したいま、本筋としてはそれほど間違ってはいないと思っているので、
改めてブログで解きほぐしてみることにします。


前提として、自分は「最初の5年」をそれなりのブラック企業に身を置き、結果的に耐え抜いた立場の人間です。
ピークを乗り越えて業務量が少なくなってきたのを見計らって4ヶ月前に申告してから退職したので、
ブラックすぎてギブアップしたわけではなく、いちおう自分なりに責任を果たしたつもりです。
その後、その実績を武器に転職活動した結果趣味を仕事にすることが叶いましたが、
転職前にいたブラック企業の先行きや転職による待遇の向上を考えると転職自体は間違ってはいなかったと思います。
こうしたストーリーがあるので、自分は20代は実績作りのために多少無理してでも会社に留まり、
30代以降はその実績を武器に社会を渡り歩くのが理にかなっていると思っています。
しかし自分はたまたま途中でリタイアしなかったのでこのような経歴になりましたが、
世の中には目先のツラさで会社をあっさり辞めてしまうことが多いと聞きます。
プライバシーの関係で詳しく言及することは避けますが、実際周囲に路頭に迷っている人もいます。
そうした経験則や知見を踏まえて、軽率に会社を辞めるとその後のキャリア形成に大きな傷をつけることになるかもよ、
と警鐘を鳴らしているのがこの投稿です。


まず「軽率にリタイアしたり、無計画にやり過ごすと30代になってから路頭に迷う」という前文について。
これは実際に周囲の人間を観測していて得られた教訓ですが、これを援護するさまざまな持論があります。


第1に、単純に仕事がキツくて耐えられなくて辞めると燃え尽き症候群で休職期間が長期化しやすいという事実。
新卒でそこに入ったのなら、その人にとって仕事=ブラック企業で働く=ツラいものというイメージは拭えません。
ということは転職は再びツラい目に遭うことを承知でする覚悟が必要であり、精神的にかなり高いハードルがあります。
もちろんそうでない可能性もあるわけですが、人は経験に基づく恐怖はなかなか拭えないものです。
海に入ったことのない子どもは海に対する恐怖心が無いので何も考えずに海を泳ごうとするかもしれませんが、
その結果死にかけたのなら、その子どもは今後二度と海に入ろうとはしないでしょう。
新卒は社会を知らないがゆえに社会に対する恐怖心が無いのである程度突っ込むことができますが、
仕事で何らかのキツい思いをした中途の求職者はすでに恐怖心が芽生えてしまっているのでそういうわけにいきません。
特に、「自分はこの業種くらいしか適性が無いだろう」と思って新卒でその業界に入った結果、
ブラック企業にこき使われて燃え尽きると適性検査や自己分析、資格取得などからやり直す羽目になります。
そのハードルはかなり高く、それゆえか最初の会社で心が折れたらずっとニートというケースをたまに聞きます。


第2に、基本的に出世はスキルで卓越した人以外は長期で働き続けるしか道は無いという点。
嫌になったら自己都合退職すればとりあえずリセットできるというのは労基法でも許されている被雇用者の権利ですが、
それを行使すると基本的に社会的地位は振り出しに戻ります。


会社に用意されている椅子はポジションごとに限られているので、
上に行くにはその椅子に座っている人にどいてもらうか、その人よりも明確に優秀でなければなりません。
後者はよっぽど熱意がないと難しいので基本的には椅子が空くまで待つことになるわけですが、
会社を辞めるということはその待機列を途中離脱して別の列に並び直すようなものです。
列の長さや椅子が空きそうかどうかは部署や会社ごとに事情も椅子の数も人数も異なるので見極める価値はありますが、
基本的にこの椅子取りゲームは業務スキル云々よりも最後まで残っていた人が必ず勝つ仕組みです。
一度上の椅子にさえ座ればそれが実績として通用するので、平社員として列に並ぶ段階は耐えどころかなと。


第3に、その人の中で厳しい仕事を耐え抜いたという事実自体が成功体験として通用するという点。
そもそも就職先は労働者がその責任において選んだものであり、その結果キツかったからと早々に辞めるのと、
ある程度落ち着くまで耐えてから責任を取って辞めたのでは自尊心への影響度合いが根本的に異なります。
前者はどうしても損切りみたいなニュアンスが強く、言い訳は避けられずそれを成功体験と自負するのは厳しいですが、
やりきってから辞めたのであれば、それは自分の歴史として堂々と語ることができます。
人生において成功体験が重要であることは言うまでもなく、それは30代以降の仕事の姿勢の基礎になります。
キツい現場を生き残ったということは、どうあれ目先のツラさよりも責任感を重視したということであり、
世の中はそれができる人を基本的には誠実な人として高く評価します。


ちなみに逆も然りで、損切りに成功するとそれもそれで個人にとっての成功体験として通用してしまいます。
今後の仕事においても「嫌になったら辞めればいい」という姿勢が根付いてしまうわけですね。
部署や地位が変わらないかぎり、その業務のキツさはたいてい「逆難易度曲線」を描き、
最初がもっともキツく徐々に楽になる傾向にあります。中途採用であればさらにその傾向は顕著でしょう。
これは仕事がキツい会社特有の社内政治や本人のスキル、人間関係の成熟などさまざまな要因があると思われますが、
いずれにしろ最初の3年くらいがもっとも離職率の高いサバイバルだと言えるでしょう。
そして「嫌になったら辞めればいい」というマインドが定着してしまった人ほど、それを突破するのは難しくなります。
会社に入って一番嫌になる時期が最初の3年なので当然といえば当然。
そうなると3年以内に正社員転職を繰り返すようになり、結果的に何も積み上がらないということになりかねません。


基本的な傾向として、20代に対する人事評価は「これからしたいこと」を問われますが、
30代以上では「何をやってきたか」を問われることが多いと思います。
20代ではコミュ力や熱意さえあれば重宝はされます。なので20代のうちは実績皆無でも職場を転々とできる。
しかし30代、特に後半になってくるとそのやり方は通用しなくなってきます。
30代は社会人経験が10年近くある人間としてみなされる以上、
その10年近くで「何をやってきたのか」ということが最重要視されます。
30代が「無資格無実績ですが、これから頑張ります」などと言っても印象が悪いだけです。
単純に10年椅子が空くのを待っていれば実績皆無ということはあり得ないわけで、
転職を繰り返している人とそうでない人の間にはおそらく想像以上に社会(人事)から見た印象に差があります。
それは30代以降じわじわと転職活動の成績に響いてきて、
40歳になるころには多少のリーダー経験があってもなお書類選考で落ちることも珍しくなくなります。
そうした狭き門を潜ってやっと就職できても、与えられるポジションはたいてい新卒と同じです。
それがどれだけその人の自尊心を傷つけるか計り知れません。


逆に言えば、20代に堂々と言える実績を作れれば、30代以降はそれを武器に転職することも可能です。
「最初の5年くらいが分水嶺」というのは20代で実績を作れるか否かで後人生に大きな影響を及ぼすという意味もあり、
また人の身体的ポテンシャルがもっとも高いのが10〜20代である以上、
多少無理できるというアドバンテージがあるので実績を作るのに適しているという意味もあります。
30代以降は体力低下や自尊心などの事情によってそうはいきません。
20代でできなかったことは30代でもできないと考えるのが無難でしょう。
その辺は瀬戸内寂聴さんの「若き日にバラを掴め」という言葉のとおりだと思います(#07023 / 2023年03月10日)。


次に「若干理想高め・意識高めで仕事にぶつかっていくのがちょうどいい」という後文について。
これは本文で指摘している通り、この文そのままの意味というよりは
理想・意識が高すぎるのはダメで、なおかつ理想・意識が低すぎるのもダメという2×2=4つの主張が念頭にあります。
そして特に「意識が高すぎるのはダメ」という主張は、自分自身の失敗経験に依るものです。
まず、社会人デビューすると学生時代とのギャップで意識は高くなりやすいと思います。
これはアルバイト経験の有無や実家の太さでだいぶ感覚が異なりそうですが、
多くの人にとって学生時代は1万円というのは大金であるというイメージがあるのではないでしょうか。
しかし社会人になるとその数十倍の金額を毎月、賞与にいたってはさらにその数倍が臨時収入としてもらえるわけです。
この報酬はなかなか強烈で、一部の新社会人を調子に乗らせるのに十分な威力があると思います。
まぁ、自立している人はそのうちかなりの割合が生活費に消えるわけですが……。


つまり、学生時代と違って社会は金銭的報酬という形でしっかり報いるシステムが確立している。
しかも頑張れば頑張るほど、昇給や臨時賞与などの形で報酬が増える。
ネットと違って「自分」と社会は地続きなので他者承認もガッツリ得られる。
これは学生時代にそうした報酬を与えられず、頑張りたいのに頑張る機会を得られなかった人ほど魅力的なシステムです。
なので社会人デビューすると、見違えるようにバリバリ働く新卒の人は結構いる。
そうすると意識も青天井に高くなっていくわけです。


本来のポテンシャルを無視して金銭的・社会的報酬や与えられた責任の大きさに応じて働こうとすると、
先述の燃え尽き症候群に陥ったときに一気に反動が来るので危険であるということは言うまでもありません。
しかし個人的にそれと同じくらい危ういと思うのは、
こうした金銭的・社会的報酬、責任の重さによって調子に乗ると謎の全能感を得て他人を侮りやすくなる傾向があり、
それが職場の対人関係で問題を起こすリスクを飛躍的に上げるという点です。
要は「しっかり仕事をしていて会社はそれを認めている以上、自分は基本的に正しい」という態度をとりがちなんですね。
そして事実はどうであれ自分がいないと現場は回らないだろうという驕りがあり、
あるいは自分ができることをできない人は愚かだという思い込みがある。
それゆえ部下はもちろん、現場のやり方に文句を言ってくる上の立場の人や総務などに対して高圧的な態度を取る。
こういう人はたいてい仕事で得たノウハウを独り占めする傾向にあり、教育が下手くそです。


世のブラック企業をブラックたらしめているのは実はこういう責任感のある実直な人たちだと思うわけですが、
こういう人がいると基本的に人は会社から離れていき定着率も悪くなるので、人員不足に陥ります。
そうするとめちゃくちゃ頑張っている意識の高い人がさらに限界を超えて頑張らなければならなくなる。
同僚をはじめとする周囲の人間への配慮を忘れた人に待ち受けているのは、オーバーワークからの破滅的な退職です。
実際、周囲を頼れなくなって破綻した人は何度も見てきました。
こういう人はだいたいロクに引き継ぎをせずに辞めていくので残された現場は大炎上します。
彼らは一見すると有能で責任感があるから仕事を抱え込んでいるように見えますが、
その実、社会人としての対人関係構築力に乏しいと言う意味では無能だと言えるでしょう
(業種や現場、ポジションによっては頼れる人が文字通り「いない」ケースもあるので一概には言えませんが)。


元学生にとって社会から与えられる報酬は強烈なものですが、
それに惑わされずに一定の謙虚な気持ちを忘れずに他者と関われると、
20代社会人としての評価はものすごく上がると思います。なにしろそれができる人なんて滅多にいないので。


ちなみに意識が低すぎるのがダメなのは言わずもがな、楽な仕事というパイは世の中にそれほど多くないからです。
通常、倫理的・法的に逸脱していなければブラック企業とは言いませんが、
なるべく楽をしたい人やキャパシティの小さい人にとっては、
しばしば「会社が最低限求めるレベル」がキャパを超えると会社がブラックに見えたりします。
そのときにひたすら他責的に考えてしまうとキャパを超える仕事を要求されたら即転職が合理的になってしまい、
そういう人でもできる簡単な仕事は世の中にそれほど余っていないので転職もいずれ行き詰まります。
この問題を乗り越えるには、1箇所にとどまって現場の経験値を溜めてキャパを広げるしかないわけです。


また、「(意識ではなく)理想が高すぎてもいけない、低すぎてもいけない」というのは
このブログで近年散々擦っている無能問題および達成感の問題に関する持論です(#07755 / 2025年03月11日)。
要はヒトは理想を越えられるかどうか微妙なラインのタスクを引き受けて初めて努力することができ、
理想が不当に高すぎるとそもそも行動さえできず、逆に低すぎると物事がつまらなくなってしまうという話ですが、
仕事においては「ほどよく忙しい」職場を追い求めることでこれを達成することができると思います。
なので他者から見たら「それブラックなのでは?」と思うほど忙しくても、
本人の適性の範囲内で達成感を味わえる仕事ならやりがいのある仕事に化ける可能性はあります。


以上をざっとまとめると、まず多少仕事がキツいからといって軽率に辞めるのはオススメしませんと。
その理由として仕事がキツいほど反動で休職期間が長くなりがちなこと、
(社会というより)会社からの信用がリセットされるので待てば得られるはずの出世の機会を逃しやすくなること、
またそうした休職や社会的地位の停滞は「社会人としての実績」を生むことがないため、
それは30代以降のステップアップを阻む壁になりうるという話を書いたつもりです。
また後半では新卒はえてして意識が高くなりがちだが、それは高慢な姿勢を生み他人に頼ることを難しくし、
結果的に仕事がさらにキツくなりやすいので自制するのが望ましいというようなことを書きました。


では、転職することが絶対ダメなのかというともちろんそんなことはありません。
まず、この言説はそもそも「新卒にとってブラックに見える職場も、長い目で見ればマシになる」という前提があります。
モチベーションアップ株式会社のポスターが貼られていたり、パワハラなど不道徳なことが横行していたり、
人事部が機能しておらず年配も巻き込んで万年デスマーチだったり、朝礼で『職場の教養』を読まされたり、
会社の財政や社内政治的に昇給・昇進がありえなかったりするようなところは損を承知でさっさと辞めるべきでしょう。
また、有資格者や専門職ならそもそもこうした問題の多くはあてはまらないかもしれません。
資格や専門職としてのポートフォリオがその人の人材価値をある程度担保してくれるからです。
それから「自分は趣味を人生の軸に据えているから仕事は最低限でいい」という人も一見当てはまりませんが、
その場合は趣味側の実績が求められ、それはそれで茨の道です。
本来リアル社会で得られるものをゼロからネット社会(趣味)に求めるのは、
本記事とはまた別の文脈で非合理と思われ、自分はオススメしません(#08106 / 2026年02月24日)。
生活基盤や社会的欲求のことを考えると、よほど成功していないかぎりは仕事もほどほどにやる必要はあるでしょう。


それから、こういうことを書くと「20代で停滞した人間に救いは無いのか」と突っ込まれるかもしれません。
非正規労働や短期間での転職、あるいは空白期間を作って一度路頭に迷ったらもうダメなのかと。
「若い」という武器を捨ててしまうと不利なのは社会のシステムの都合上間違いないので
そこはなんとも擁護のしようがありませんが、
ここまでの言説がある程度妥当ならそれなりに難しい資格の勉強は具体的な挽回の手段になると思います。
また、20代あるいはそれ以前からの人生の停滞は本人というより社会(他人)に原因があるケースも多々あると思われ、
そもそも停滞すること自体を「悪」「負け組」のように認識することは、
格差があって当たり前のこの世の中において不当に差別的な考え方だと自分は思います。
逆にホワイト企業でまったり稼いでいる人やそもそも働いていない人が「善」「勝ち組」とも思いません。
会社がジグソーパズルのようなものなら個人はいわば1つのピースであり、
そこではちょうどハマるかどうかだけが重要で、個々のピースの大きさは関係ないということです。


それを見極めるためにはやはり就職・離職・転職など職業選択に関することは短期展望ではダメで、
自分の人生がどうありたいかということを俯瞰した上でその責任において決定すべきなんだろうなと。
福利厚生が豊富で仕事が楽で年収がより多い方が偉くて勝ち組なんだと思っている人は少なくないですが、
勤労というのはそんなに単純なものでもないのではないかと今更ながらに思っています。


#8120

スマホ依存深刻化

今日の出来事意欲の問題

人はどんなに不調で生産的な活動ができなくなっても、与えられた時間は消化しなければなりません。
しかし、多くの場合基本的な欲求を満たすためにはなんらかのコストがかかったり、
睡眠のようにいつでもできるわけではなかったり、いずれも万能ではありません。
そして退屈であることへの対抗手段が減れば減るほど精神もすり減っていくわけですが、
現代人は、……というとちょっと主語が大きすぎるので少なくとも自分は、
ネットの主な無料コンテンツを浴びるように摂取することがこれに対する有力な対抗手段になっています。
一言で言えば、SNS依存です。


直近の自分の場合、年初からの不調を経て、回復期に差し掛かったところでそれに本格的に手を出してしまいました。
従前から当然それなりにSNS(旧Twitter)は見ていたわけですが、
新たに読書・自己啓発・哲学系のサブアカのキュレーションをパーソナライズすることに成功したことにより、
各アカウントのオススメを一通り読んで読み終わったら別のアカウント……
という無限ループが確立したことで依存度がさらに進んでしまった感じです。


TwitterのおすすめTL依存はメンヘラ期を乗り越えたと実感した2023年以降、サブアカを作ったことで確立し、
サブアカでの活動が定着するにつれて徐々に生活に占める割合が大きくなってきた経緯があります。
それ以前は基本的にフォロワーの投稿しか読んでいなかったのでこうした泥沼感はありませんでした。
まあ、メンヘラ以前のメインアカは1000アカウント以上フォローしていたこともあって、
あれもあれでまあまあなTwitter依存を形成する要因にはなっていたと思いますが。
しかしフォローのみのTLは最新まで読み切ってしまえばいったん枯渇するのでそこまで泥沼感はありません。
おすすめTLが本当に危険だと思うのはコンテンツが無限にあるのでキリが無いということです。
ここに、スマホという「いつでも手に取れる」という物理特性を加えると依存の条件が整うわけですね。


自分がコンシューマーゲームをやらなくなったことについて、
実家を出たから一緒にやる相手がいなくなったとか加齢でゲームが下手くそになったからとか、
得られるものが無いからとか過去にさまざまな理由を考えてきましたが、
結局のところスマホ×Twitterという「ゲームより強い娯楽」が登場したからというだけのような気はしています。
なのでパッと始められてサッとやめられるタイプのゲームはいまでも条件が揃えばハマったりする。
去年末のあつ森とかですね。一方、腰を据えてやるビッグタイトルは本当にできなくなってしまった。
タイムパフォーマンスの観点で言うとどうしても直感的にTwitterの頻繁で豊富な刺激には劣るからです。
このことから、興味の強さよりも着手のしやすさの方が重要なのではないかという仮説が浮かび上がります。


いま、『ぽこあポケモン』を買おうかどうか非常に迷っているわけですが、
それもスマホ依存で結局やらないだろうということが念頭にあります。
これに加えて去年は任天堂系のビッグタイトルを特に考えずに順番に買った結果
半数は未クリアに終わるという失態を犯しているので、その反動で迂闊に買いたくないというのもある。
まぁでも、もしスマホ依存がゲーム衰退の原因でゲームを代替にしたいという思惑があるのなら、
スマホの代わりにSwitchを手元に置くというのは有効なのかもしれない。


いよいよとなったら機能の制限されたサブスマホも検討に値するかもしれませんが、
サブスマホでもなんらかのSNS的なアプリを入れてしまったら元の木阿弥なのでいまのところ有効打にはならなさそう。
ほぼガラケーに近いほど機能が制限されていないと役割を果たさなそうですが、
そこまで制限が強い端末が必要なのかと言われると微妙ではある。


#8121

間の悪いマルチ購入

去年の大晦日に購入していた『Balatro』Switch版を初起動して少しだけプレイしていました。
『Balatro』はポーカーにローグライトの要素を加えた「ルール破壊」系の元祖とも言えるタイトルで、
なかなか個別のゲームにハマらない近年の自分には珍しくかなり刺さった魅力的なタイトルです。
去年の春からしばらくスマホ版(iOS/iPadOS)をやり込み、
デッキの全解禁と各デッキの最低難易度でのクリア、
さらにブルーデッキでパープルステーク初クリアまでは達成し、最高難易度のゴールドステークに到達したところです。
世の中的にはローグライトというと元祖的ポジションの『Slay the Spire』の方が有名で人気ですが、
個人的には『Balatro』の方が好きです。


すでにスマホ版で持っているのにSwitch版を購入した理由として、
やはりゲームはゲーム機でやりたいという気持ちがあるのと、iOSでは画面共有・録画が難しい(不可能ではない)ので、
その点でもHDMI出力できるSwitchにアドバンテージがあると思っていたからです。
要するに、誰かにプレイを見せたい場合に備えてSwitch版も所持しておきたかったと。
じゃあ最初からSwitch版を買えばよかったじゃないかと思われるかもしれません。
当初スマホ版を買ったのは、ゲーム自体いつでもどこでもできるというスタイルと合致していることと、
あとは実績機能がおそらくSwitch版に無いであろうことを重視したためです(#07828 / 2025年05月22日)。
基本的に、ソロプレイでやるならスマホ版で間違いないというのはいまでもそう思っています。


実際にやってみると、確かに実績機能はありませんでした。
あと『Balatro』はもともとSteamでリリースされたゲームということもあり、マウス操作を前提としています。
スマホではタッチ操作がちょうどその代替になるので操作性に問題があるとは思えませんでしたが、
それを知った上でSwitchでプレイすると、ボタン操作があまりにも煩わしいことが気になる。
本体のタッチスクリーンで操作もできますが、
それでは画面出力ができないのでSwitch版を購入した大義名分が失われてしまう。


じゃあSwitch 2の新しい機能であるマウス機能なら快適になるのではと思ったら、
Switch 2 Editionもごく最近リリースされていました。……が、なんと別タイトル扱い。
つまりアップグレードパスによるアップデートではなく、完全に異なるタイトルとして引き継ぎもされないということです。
これを買うこと自体はやぶさかではないのですが、Switch 1版を買った意味が完全に失われてしまう……。
スマホ版もある状況でマウス機能のだけためにSwitch 2版を買う理由はかなり薄いと言わざるを得ず、
この間の悪さは本当に運が悪かったとしかいいようがありません。
大晦日に慌てて買っていなかったらいまごろSwitch 2版を買っていたことでしょう。


まぁ、そもそも『Balatro』における実績は実質数個しかないし、
サンドボックス系やポケモンなどと違ってセーブデータが「資産」と言えるほど大切なものとも言えません。
そういう意味ではあまり考えずにマルチで買っても問題ない部類のタイトルではあります。
こういうゲームの本質的なところとは異なるところで悩むというのは、
根本的にコンテンツとの向き合い方を誤っていると自分でも思っているのですが……。
少なからず所有欲が絡んでいる以上、マルチプラットフォームの問題については今後もつきまとうのではないかと思います。


#8122

コンテンツ摂取の完璧主義

基本的に「完璧主義」はそのカッコいい語感に反して明確に性格上の欠点であると認識しています。
もちろん状況によっては妥協しない潔癖さが求められる場合もあるのは間違いないし、
完璧主義=悪と機械的に片付けるのもそれはそれで愚かだとは思います。
ただ、その負の側面であるところの「完璧でないなら着手できない」というのは機会損失を生む要因以外の何者でもなく、
またクリエイティブな活動においては第一歩を踏み出すのに大きな心理障壁になりえます。
対人関係では、他者や自分への不当な期待を生み出し、その人の等身大の長所やスキル感を軽視しかねません。
そもそも完璧主義は「失敗への恐れ」が肥大化しているということが本質であり、
それを野放しにすると人生が「閉じて」しまうというリスクがあります。
つまり、新しいことは着手できず興味関心に対して素直に行動できず、ただ時間を浪費するだけの日々になるということ。
完璧主義を手放すということはつまり、「つくりかけ」の状態を受け入れるということです。
こうしたアンチ白黒思考的な考え方を、近年ではネガティブ・ケイパビリティと言うそうです。


自分は、自分自身の完璧主義についてはここ7年くらいで矯正するようになったと思っています。
自分自身の理想像を不当に高めすぎない、妄想に耽溺しないということですね。
もちろん妄想が全部ダメだというわけではないですが、それによって現実を見ないのは絶対によくない。
要は自分の価値を不当に高めすぎないことを意識するようになったという感じ。


それはいいのですが、最近これとは別の文脈で問題になっているのは、
コンテンツに対して「完璧」を求めてしまうという傾向が強くなってきているということです。
このコンテンツは楽しむに値するのか、自分の「こだわり」を満たしうる将来性があるのかどうか、
というようなことを過剰に考えてしまうということですね。
しかもそれはコストや時間との相対ではなく、自分の中にある「肥大化した自尊心」との相対である気がします。
そのカテゴリ(=文化)が自分の自尊心の深くに根付いているほど、軽率にコンテンツを選びたくない。
またゲームの場合、やり込んだ場合に自尊心を満たす余地があるかどうかも重要です。
それが実際に到達可能かどうかは問われず、ただそういう可能性があるかどうかということが問題になります。
あとは「選択できる可能性から『推し』を見出せるか」というのも重要ですね。
このコンテンツのある部分が自分の価値観・好みに直結している場合、それを軸とした活動が可能かどうか……。
さらに言えばそれらの活動の結果、それが他者に認められるかどうかも重要だと思っていたこともありますが、
これはさすがに不合理だと最近気づきつつあります。
ただ、他人に認められるかどうかはさておき「証」となるものは欲しい。


何が好きで何が嫌いかといった価値観やその閾値が変わったわけではないと思っています。
ただ、着手するまでのハードルはものすごく上がってしまった。
特に、着手する前にそれに関するなんらかの欠点が明らかになってしまうと着手はかなり厳しいという現状があります。
たとえばレビューで作品に対する否定的な意見が上がっているのを見てしまうなどですね。
これは年初のPICO-8で改めて実感した理想化と脱価値化と同じことが言えるかもしれません(#08062 / 2026年01月11日)。
いっそのこと、それを何も知らないまま買ってしまった方がもう少し文化にタッチできる気はする。


こういう姿勢はそもそも「作品を楽しみたい」という純粋な動機が非常に軽視されていて、
「作品を摂取することで自分という人間の価値を底上げしたい」というような不純な動機が多分に含まれています。
だからこそ、摂取する前に不純物を見つけてしまうとそれはもう摂取できない。
ただ、これも文化カテゴリによってだいぶ事情は異なっているように思います。
SNSに流れてくるのも「コンテンツ」ですがこれはもはや自分が選んでいないのでこうした意識は皆無だし、
能動的に選ぶコンテンツも音楽アルバムは比較的この傾向が薄いです。
あと最近復活した読書も、新書・専門書など教養に直結するジャンルはあまりこういうことは考えません。
ただ小説・ライトノベル・エッセイなどの文芸となると180度変わってきます。
そしてやはりゲームはこの傾向が非常に強いのですが、
たとえ同一タイトルでもスマホで買うのとゲーム機で買うのとではかなり異なる気がします。
前者の方が明らかにハードルは低く、後者の方が高いです。


こうしてみると、過去にしっかり選んでから買った実績があるかどうか、
逆にあまり吟味せずに貪欲に次々に買ってきた実績があるかどうかといったことが関係している気がします。
音楽アルバムやスマホゲームはよくよく吟味してから買ったものも多数ある一方で、
次々に買ってきた歴史も短くありません。
一方、コンシューマーゲームは伝統的に本当に好きなタイトルに絞って買ってきた歴史があり、
いまさらそれを否定できないという事情があるのは確か。
まぁ、だからといって買ったタイトルを全部積まずにやってきたのかと言われるとそこはお察しですが。
実用書と小説でこの辺の価値観が違うのも、過去の実績が関わってそうです。
小説は実績が無いからこそ「最初の一歩」に相応しいものを選びたいというプレッシャーがある。
実用書は曲がりなりにも大人になってからそれなりに読んできたのでそういうプレッシャーが無いわけですね。


いずれにしろ、この壁はぶち壊さないと無味乾燥の日々からの脱出は難しそうです。
少なくともコンテンツの消費に関しては、もう味がしない昔からのコンテンツを永遠に再放送することになってしまう。
これは年齢が上がるほど脱出するのが難しくなる予感がしているので、
ここ1〜2年くらいが正念場だと思って意識を変えていきたいところ。


#8123

読書補助としてのシステム手帳

今日の出来事手帳

今月から本格的に再開している読書ですが、非常に良いペースを維持できています。
読書メーターによると平均読書ペースは80ページ/日。
1ページ1分なら平日込みで毎日1時間半弱を読書のために確保できていることになります。
実情を加味すると実際には1ページ1分以上のペースなのかもしれません。


この圧倒的情報量を流し読みすることは、意外とTwitterのおすすめTLをダラダラ読んでいるのに近いと思います。
なので、日頃からTwitter依存が強くてスクロールしまくっているおかげで、
やや早いペースで本を読むのもすんなりできているという感じですね。
読書は意外にもSNS中毒を「逆利用」するためのひとつの手段として有用なのかもしれません。
もちろん、これを成立させるためには書籍の内容が(ハイペースでも頭に入るほど)簡単である必要があり、
正直ベースで鑑みるとしばらくは読む本を比較的簡単なテーマの新書に絞った方が無難のように思っています。
読書できるからといってすぐに調子に乗って専門書に飛びつかない方がいいんだろうなと。
いっそのこと今年は比較的簡単な新書を想定の2倍の量読む「乱読の年」にしてみるのも面白そう。


これをちゃんと成立させるためには、読む本を見極めることが重要であるということは言うまでもありません。
正直ベースで「知りたい」という気持ちがある分野かどうか。読解難易度が許容範囲に収まっているか。
読むのに必要な前提知識をどこまで知っているか。前に読んだ本とどのような関係があるか。
2020年の読書習慣が最終的に廃れてしまったのは、
そういった自分の教養レベルを無視して興味関心だけを頼りに本を選んでいった結果、
分野があまりにも広くなりすぎて収拾がつかなくなってしまったというのも原因としてあると思っています。
なので今シーズンはその轍はなるべく踏みたくない。
そういう視点は維持していきたいですね。
どうせ読書そのものもまたいずれ低迷する時期が来るとは思っているので、
モチベーションがあるうちに読めるだけ読んでおきたいものです。


あと読書モチベを上げるのにシステム手帳を改めて買おうかなと思ったりもしています。
システム手帳は2年前にもいわゆる着想メモのアナログ化として検討していますが(#07429 / 2024年04月19日)、
デジタルで完結する「ただのメモ帳」としてはアナログなツールが不利なのは確かで、
結局着想メモ自体はいまもスマホアプリ(Drafts、Craft)に頼っています。
が、読書をしていると付箋やしおりなどといった道具が手元に欲しいケースが結構あり、
そういったツールを本と一緒に携行するというニーズがあるのは確か。
それなら一緒に読書記録を残せるという点でもシステム手帳が合理的なのではないかという思いつきです。


ただ、システム手帳はちゃんとしたものを買おうとすると(文房具としては)それなりの値段がするので、
「システム手帳を買ったはいいものの読書は全然持続できなかった」では済まされません。
読書習慣はまだ復帰したばかりなので、定着したのを確認してから改めて検討しようかなと。
しばらくはそれを楽しみに読書が捗りそうです。


#8124

チャレンジモードの高い壁

今日の出来事ピクミン2

ピクミンプレイヤーとしての現状確認をしておきます。


自分は2006年にピクミンのファンサイト(同盟サイト)を開設したことでピクミン活動を本格的に始め、
翌年末から黎明期の動画サイトで動画サイト史上初のやり込みプレイ動画を連載し、
数年後にTwitterがネット文化の交流拠点として使われるようになるとピクミンプレイヤーを自認するようになり、
その後は2013年の「ミッションモード詰め合わせ」、2015年の「総合70万点超え」など、
主にチャレンジモード領域でプレイしてきました。
が、ピークはその2015年でその後はピクチャレ大会管理人として現役プレイヤーをバックアップする立場に転向。
メンヘラ期と上京を経てゲームのやり込み自体から遠ざかってしまいいまに至ります。
いちおう2024年には「ダンドリバトル」のやり込みに少し着手していた時期もありましたが、
参加人数が多くないこともあり、現状いくつかのステージでランキング上位を保持しているものの
その価値は高くないと思っています。


基本的にピクミン界隈メンバーとしての自分はサイト運営やイベント開催にリソースをかなり注ぎ込んできて、
少なくともここ10年は自分がプレイすることは徹底的に軽視されてきた現実があります。
ただ、そのスタンスではなかなか帰属意識を維持するのも限界があると観念しつつあり、
ピクミンが好きでピクミン界隈が好きだからこそ、自分もプレイヤーになることを諦めるべきではないのではないか、
という気持ちはボイスチャンネルに参加するようになって以降、高まりつつありました。
その気持ちを大きく後押しされたのが、去年立て続けに界隈のプレイヤーがRTAイベントに出場したこと、
とりわけ「RTA in Japan」という大舞台で脚光を浴びてその背中を見届けたことです。
もちろん、自分がいまさらRTAというやり込みで結果を残せるとは思っていないですが、
ゲームをひたむきにやり込み続けることの眩しさに感銘を受けたのは確かです。


プレイヤーとしての長期停滞から脱出するにあたり、
いきなりRTAはやはりハードルが高すぎるのでやはりチャレンジモードが無難かなと思っています。
特に『ピクミン2』のチャレンジモードはどのステージも自己ベストを出したのは10年前で、
しかも当時(NGC版)と違って現在はより操作しやすいSwitch版でプレイできる。
これだけ条件が揃っていれば自己べを次々に更新できてモチベを高めやすい……と思うじゃないですか。
実際にはそれでもそうそう簡単に自己べは更新できない現実があり、
むしろ10年前の記録さえ超えられないほどウデがなまってしまったのかとガッカリしてしまっている現状があります。


それでも年初からいくつか更新はしているのでここはさすがに踏ん張りどころなのかも。
このゲームはいまもなお上級者によって記録が更新され続けており、もはや10年前の腕前は通用しません。
まずはこの10年で生み出されたスコア向上のためのナレッジを集める必要があると思っています。
でも、そういう情報は初心者がWRの記録動画を見ただけではなかなか理解できないことも多く、
こうした知識のハードルが意外にも高いのではと思っています。
10年前の合計スコアは当時曲がりなりにも世界で10番目の70万達成者ということもあり、
当時の水準ではそれなりに頑張っていたのは確かです。とても10年ブランクで易々と更新できるものではありません。


まあ、知らないなら誰かに教えてもらえばいいわけで、この辺は結局やる気次第かなと思っています。
いま、自分の総合点は700,610点。あと390点伸ばせればひとまずプレイヤーとしての矜持は維持できそうなので、
それが喫緊の課題になるのかもしれません。


#8125

語りえぬもの

これは自分のようにネットに依存している人が折りに触れて確認すべきことだと思うのですが、
基本的に人は互いに、当事者でない属性については理解し得ないということを認識したうえで、
「理解」という活動には限界があること、しかし社会ではそれでもなお他者を「理解しようとすること」が大事であること、
また自分はそれについて完全には分からないという態度を甘んじて受け入れることはかなり大事だと思っています。
「当事者でない属性」は究極的には他者そのものを含むので、
したがってこの主張には「人は他人を理解できない」という主張が含まれています。
ただし自分 vs. 他人という構図はあまりにもスケールが大きいのでここではあくまでも「属性」について考えます。


ここで属性とはその人を他の人と区別する特徴、
またはその人の社会的ステータスやアイデンティティになりうる特徴を言います。
たとえば性別、身長、国籍、最終学歴、出身、政治信条、思想、年収、障害・病気の有無、好きなもの・文化などなど……。
ネット社会のような匿名社会では一番最後の要素が思いのほか強い属性としてみなされる気がしますが、
基本的には先天的なものほど強い属性と言っていいと思います。
そして、我々は基本的に自分に当てはまらない属性に関する議論においては外野の人間であり、
その「内側(当事者事情)」についてはたいていの場合、さっぱり知らないことが多いです。
当事者と関わった経験が少しあるのでそれについて知っているような気になることはありますが、
それはあくまでも外野から観測した現象、しかも当事者全体からするとごくごく一部にすぎず、
外野から得た知識だけで当事者特有の心情、背景や経緯、価値観を織り込むのはかなり困難なことです。
たとえば男でも女子には生理があることを知っていて何となくツラいものであると知っていますが、
「ツラいんでしょ」と言われた女子は「何も分かってないくせに!」とでも言いたくなることでしょう(たぶん)。
この隔たりは子宮の仕組みを知ったところでどうにもならず、
生理という属性特有の事情を踏まえた個々の相互理解が必要になってきます。


現代は情報社会であり日々膨大な量の情報(意見、議論、事実など)が飛び交っていて、
この中には一見正しそうでも実はある属性を外野から観測しただけの「偏見」にすぎない情報が相当含まれています。
そしてその偏見が当事者にとって正しいかどうかは外野の人間だけでは検証できないため、
当事者が少ないコミュニティにおいて、偏見は誰も否定しようがなく独り歩きすることも少なくありません。
さらにネットコミュニティは似た者同士が集まる仕組みになっているので、
この「偏り」は多数派に都合がよければこそなかなか矯正することができません。
こうして偏見はもっともらしい「真実」として世に憚ることになるわけです。
ネット社会ではこういう構造がどうしようもなく異なる属性同士の分断を助長しているような気がします。


つまり、自分が当事者でないかぎり、ネットの属性に関する価値主張を鵜呑みにするのは相当危険だということになります。
しかもそれは、ちょっと当事者と話しただけではなかなか「矯正」できないのではないかと考えています。
我々はどこまで理解しようと頑張っても当事者そのものにはなれないのですから。
しかしだからといって異なる属性の理解を諦めるべきというのも乱暴な話です。
結局のところ、人は他人を理解するには限界がある(完全には理解できない)という前提を飲み込みつつ、
それでもなお理解しようとする立場を崩さないという姿勢を貫くしかありません。
もちろんこれは、「当事者の言うことは盲信すべき」などと言っているわけではないことは重要です。
そもそもネットの嘘情報は当事者を騙って発信されることが多いのでその点でも要警戒ですが、
「本当の当事者」に耳を傾ける際にも完全な理解は不可能だと観念することが大事だということですね。
そして、当事者でない属性については語らない勇気を持つことも重要です。
これはこのブログのように情報発信量がそれなりに多い場合やSNSなどでは必須の心構えではないでしょうか。


博覧強記という言葉が古くなって久しい現代でも、知識が多い人=偉いという風潮はそれなりにあります。
そしてこの情報過多社会で「情報強者」であるためにはものすごい量の情報を捌かなければならない。
すると、どうしても少ない情報に基づいてさもその属性や分野を知っているかのように振る舞いたくなる。
情報の精度が求められていないような現場ではなおさらそういう傾向があります。
しかし、そうして想像力で補填された情報は当事者から見ると間違いだらけであることも少なくないわけです。
これはネット社会の構造も悪いですが、根本的には人の性なんじゃないかなと。
自分もちょっとした雑談の場では虚栄心や虚勢で「補填」して語ってしまっていることは振り返るとかなりあります。
とはいえ、そこに厳密な正確性を求めるとアウトプット自体が難しくなるのも確かで、
この辺はわかっていてもなかなか難しいところなのかもしれません。


#8127

Twitterの不愉快な広告

今日の出来事twitterweb広告

取り留めもないTwitter依存に唯一歯止めをかける要素があるとしたら、それは広告です。
今日も元気に複数アカウントのおすすめTLを読みまくっていたのですが、
いずれのアカウントでも示し合わせたように不愉快な広告が出るようになってしまい、
非常にイライラしながら対策などについて調べていました。
体感ではTwitterはあるタイミングで一斉に広告表示頻度が増え、インモラルな広告が増える傾向にある気がします。
当初、自分はこれは広告リジェクト(「この広告には興味がない」ボタンを押す行為)にはペナルティがあり、
ある時期にペナルティの累積量をチェックして閾値を超えるとリセットされるものだと思っていました。


しかしChatGPTのリサーチモードでガッツリ調べてもらったところによると、
そもそも広告リジェクトは「タイムラインの表示改善に役立てる」的な文言が表示されるものの、
実際にはリジェクトした当該ポストが表示されなくなる以外の機能は無いそうです。
あるカテゴリの広告をリジェクトしたらそのカテゴリ全体の表示回数が減るものだと思っていましたが、違うんですね。
一方、Twitterアカウントには自己紹介文、直近のポスト内容、
どのポストに反応(いいね/RT/リプライ)したかどうかが個人情報として紐づけられており、
このデータは広告の選定に大いに活用されています。設定を見ると自分が何に関心があることになっているかがわかる。
基本的にはこのパーソナライズデータに関連した広告が優先的に表示されるのは確かなので、
インモラルな広告表示が嫌な場合、健全な内容の多種多様なカテゴリの内容をつぶやくことは対策になります。


ただ、あくまでも「優先して表示」するだけなので、枯渇すればターゲティング広告以外も表示されてしまいます。
そしてどうやら、インモラルな広告はこの非ターゲティング広告として表示されている節がある。
なのでTwitterで投稿などのアクションに対して閲覧量が圧倒的に多いと、パーソナライズもあまり意味がありません。
あとはおそらく、インモラルな広告の出稿開始タイミングなどで同じ広告を見る機会が多いように感じるのでしょう。


閲覧頻度としてはヘビーユーザーに当てはまるので課金することはやぶさかではないのですが、
複数アカウントを使っている以上、課金総額がアカウントの数だけ増えるのは正直厳しいんですよね。
かといって用途も名義も発信内容も全然違う各アカウントをいまさら1本に絞るのも難しい。
しかも、Twitterは課金したとしても広告は半分になるだけでゼロになるわけではありません。
現状だと4投稿につき1本が広告になっているので、それが8本につき1本になるだけなら大差ないような気はする。
ちなみにTwitterは広告配信と一般投稿の配信が同じドメインで読み込まれるため、
アプリ単位の広告排除としての最終手段であるDNSブロックも通用しません。
唯一、web版であればコンテンツブロック系のアプリが動作するので完全に広告を削除できますが、
ネイティブアプリと比べるとどうしても使い勝手は劣ります。
いまのところコンテンツブロックアプリ(280blockerなど)を導入した上でPWAとして利用するのがもっとも無難かも?


なかなか手強いですが、まぁでもそのおかげでTwitter依存は一定のところで歯止めがかかりそうな気はします。
もしこれで広告ゼロの理想的なTLが完成したら、ますます泥沼のTwitter依存症になってしまうでしょう。
そういう意味ではインモラルな広告は不愉快ですが、依存していることを自覚する良い契機なのかもしれません。


#8128

機種変更の見通し

今日の出来事買い物計画

サクッと書き終わりたいので今年予定している大きな買い物、デスクトップPCとスマホについての現状整理でも。


まずPCについては、Windows 10の延長サポートが10月13日に切れるのでそれまでに買わざるを得ません。
基本的にはメインPCはMacbookであることは今後も変わらず、
サブPCであるWindowsの用途としては動画配信・録画、データの保管、ローカルAIの処理を想定しています。
動画配信や録画は2014年購入の現行オンボロPCでもできているので、スペックは必要ありません。
データの保管についてはHDDを増設すれば済む話なのでこれも特に問題なし。
基本的にこれだけできれば最低条件はクリアしていると思っていて、
有識者に相談したところそれならまあ15万円以下で組めるのではないかと言われています。


ローカルAIについては「できたらいいな」というレベルの話ではありますができるに越したことはないかなと。
というのもSoraが撤退し、Grokはプレミアムプランをどんどん値上げしていることからも、
クラウドサービスに全面依存したAIの使い方はいずれ限界が来ると思っているんですよね。
一方、ローカルAIは日進月歩でどんどんクラウドAIに追いつこうとしているので、
いずれは「AIはローカルで動かす」という風潮が一部のクラスタでは定着するのではないかと見ています。
PCは一度買ったら最低でも5年くらいは使いたいので、いちおうそこまでを見据えておきたいところではある。
とはいえいますぐ必要ではないしパーツ交換でどうにでもなる分野ではあるので、
最低限GPUをグレードアップしても耐えられる電源ユニットを選んでおけばなんとかなるかなと思っています。


いずれにしろ、2026年現在サブPCの立ち位置はそんなに重要ではないので出費は抑える方針です。
購入時期については夏のボーナス支給後の07月を予定していますが、メモリ市場も見極めたいですね。
つい先日GoogleがAIに使うメモリの使用量を6分の1にする技術を発表して半導体株が暴落しましたが、
これでメモリの高騰が抑えられるならチャンスのような気はする。


冬のボーナスではついに6年ぶりにiPhoneの新調をしようと画策しているわけですが、
初代iPhone Fold(仮)は1TBモデルで38万円になるという予測もあり、さすがにそこまで高価だと少し迷います。
また発売が後ろ倒しになり12月になるのではないかと言われており、そもそも年内に手に入らないかも。
それ以外にネガティブな情報はいまのところ出ていないのでずっと欲しいと思っていたFoldを選ばない理由はないし、
25〜30万円くらいはまあ覚悟しているのですが、四捨五入して40万円となるとさすがにちょっと……。
何も考えずに1TBを選ぶのではなく、
ストレージは現行据え置きの512GBにしてアプリを徹底整理することも視野に入れようかなと思っています。


あと優先度は低いですがまとまったお金を使いたい分野として、イラスト制作依頼も検討しています。
現行webアプリのヘッダーイラストやファビコンをいい加減ちゃんと作りたいというニーズがあり、
とはいえ人力でしっかりしたものを作るのは難しいのでプロに委託しようという方針。
ただ、これはお金云々の前にまず自分がある程度構想をまとめ、
それを他人に伝えられるだけのデザイン力が求められるため実現の見通しはまだまだ立っていません。
とはいえこれも大切なことなので、頭の片隅には置いておきたいことです。


#8129

まのさばRTA炎上事件

執筆時点で元ツイは消えており、すでに鎮火した炎上事件について書き残すのは若干大人気ないのですが、
わりと考えさせられる一件だったので書かせてください。


03月17日ごろ、『魔法少女ノ魔女裁判』(PC版)というノベルゲームのファンでRTAに挑戦している人が、
「このゲームはロード時間がPC性能に依存しており、その性能差で10秒近くのタイム差が出てしまうため、
ロード時間を省いた時間を最終リザルトとするRTA動画を投稿することにした」
というような趣旨の投稿をしたところ、RTAに詳しい人たちから
「RTA(Real Time Attack)はその名の通りタイマーストップしたものは認められず、
ロード時間を省いたものはLRT(Load Removed Time)と呼ばれている。
計測方法はLRTなのにRTAを名乗るのはおかしい」というような反発が起こりました。


これに対し最初の投稿者は「プレイ環境でタイム差が出るのは競技としてそもそもおかしい。
私はなんと言われようともLRTをRTAと呼称することにする。
一般人はタイムアタック=RTAという認識なのだから、LRTと名乗っていてはインプレッションが見込めない」
というような主張を展開しました。
この時点で投稿者はLRTというものが何なのかも知らなかったそうで、
さらに言えばSpeedrun.comの当該タイトルはすでにRTAとLRTでカテゴリ分けがなされています。
それを知らない時点で、RTAに関してあまりにも無知という他ありません。
しかしnoteに書いた内容が「詭弁はやめろ。私は断固としてLRTをRTAと呼ぶ。私はRTA界隈に一石を投じている」
というような火に油を注ぐ保身的な発言で塗り固められていたため、炎上がヒートアップしたという感じです。


RTAは文字通り「(ゲーム内のTAとは違い)リアルタイムを競う」という大義がそもそもあり、
タイマーストップという行為自体がそうした文化の憲法に反するのは事実です。
しかし一方、実はRTA界隈では個別の事情によってすでに事実上のLRTがRTAとして通用するタイトルもいくつかあります。
『Celeste』や『Minecraft』など、RTAのプレイヤーが多くミリ秒単位で競われているタイトルですね。
これらは研究が進んでいてプレイヤーも多いのでプレイスキルで縮められる余地が小さく、
ロード時間を入れるとプレイ環境がタイムに大きな影響を与えてしまうのでLRTにするのは妥当だと思います。
そしてノベルゲームもプレイヤーは少ないとはいえ同じような事情を抱えているので、
真面目に競技性を取り入れたいならLRTにすべきという投稿者の主張は実は何も間違っていません。
(当然、LRTを競技にするならタイマーストップ区間をフレーム単位で計測する必要があるわけですが……。)


唯一悪手だったのは、この投稿者は1本目のnote投稿で誹謗中傷してくる人への対応として
「ストローマン論法や早まった一般化は詭弁なのでやめてください」と誤謬についての解説をしたにも関わらず、
投稿者自身が「RTA界隈はLRTもRTAとして呼称することを認めるべき」という、
まのさばRTA以外のRTAに対する問題提起とも取れる発言をしてしまったことです。
ノベルゲームのRTAであればLRTは妥当かもしれませんが、
基本的にRTA走者は環境を揃えることも含めて妥協しない姿勢が求められる風潮があるのは確かで、
仮に海外版の方が早いなら海外版を手に入れるといったことはRTA界隈の常識として考えられています。
そういう共通認識をも無視してLRTの方が妥当に見えるノベルゲームの事情をRTA界隈全体に言うのはさすがに無理があり、
これこそ過剰な一般化に陥ってしまっているという残念な論理的矛盾があります。
要するに、主語がデカすぎたと。


今回もっとも印象的だったのは、
本当にRTAと向き合っている走者ほど「まあ好きにすればいいじゃん?」と冷静に見ていたのに対して、
投稿者に「それは間違っている」と突っかかっている人のプロフィールを見るとほとんどが部外者らしい人だったことです。
この炎上は側から見ると「RTAを誤解している人 vs. RTA界隈」というような構図にしか見えず、
それをもってRTA界隈を冷笑しているような勘違い第三勢力もいます。
しかし蓋を開けてみると多数派に見える意見は当事者(走者)の意見ではなかったということです。
RTAの事情は知っているがCelesteなどの個別具体的な事情は知らないにわかファンといったところでしょうか。
まあ中には走者として苦言を呈している人もいたかもしれませんが、少なくともそれは多数派ではなかったと思います。


「イジメはいじめられる方にも原因があるという事例の見本のような炎上」と言っている人がいましたが、
確かに炎上の本質はイジメに近いのかもしれないと改めて思うとともに、
この手の多数派は正しいかどうか以前に当事者ですらないこともあるのだという視点を得られたのは収穫だったと思います。
炎上に対する見方がまた大きく変わった一件でした。


#8130

スローライフ・サンドボックス


実家帰省初日の今日は、新幹線に乗る前に『ぽこあポケモン』を家電量販店で購入し、
実家で夕食その他諸々を済ませてからがっつり3時間半プレイしていました。
今回の帰省は半ばぽこポケに集中するための帰省といっても過言ではありません。


正直、購入に至るまでそれなりに悩みました。
上京以降、素直に楽しめなくなって久しいコンシューマーゲームは基本的に衰退の一途を辿っており、
買ってもことごとく積んでしまいクリアまで行けないという事態が珍しくなくなり、
ピクミンシリーズ以外のゲームはもう厳しいという認識が半ば定着しつつありました。
そんな中2025年にNintendo Switch 2が発表・発売され、自分は幸運にも1次抽選で当選。
『マリオカートワールド』『ドンキーコングバナンザ』『カービィのエアライダー』などの期待作が矢継ぎ早に発表され、
本格的にコンシューマーゲームに復帰したいという機運が高まることに。
そして実際に『マリオカートワールド』『ドンキーコングバナンザ』まではいちおうクリアしたと言えるところまで行き、
マリカーワールドに至っては自分にしては珍しくネット対戦にも手を出しました。
まあ「やりこんだ」と自負するには足りないですが、一般ゲーマーに返り咲いたとは言えるような気がします。
ただ、その後は失速。『ポケモンレジェンズZ-A』は散々迷ったあげく買って中盤で放置、
『カービィのエアライダー』は長年待ち望んだはずなのにほとんどやらずに終わり。
そして5作品目の注目作として発売されたのが『ぽこあポケモン』でした。


自分の中では積みゲーがある=ゲーム意欲が十分ではないという固定観念があり、
積みゲーがあるのに次を買うのはかなり憚られます。
が、ぽこポケは自分にとって1015種のポケモンのうち最推しであるメタモンがまさかの主人公であること、
しかもMinecraftのようなサンドボックスゲームであることが刺さりまくっており、
積むかもしれないという可能性があってもなお欲しいと思わずにはいられないタイトルでした。
それでも発売当初は「どうせやらないだろう」という不信感から保留していたのですが、
次第にぽこポケが世間にヒットして話題作になるとTwitterのタイムラインもぽこポケ一色に。
ハイクオリティなファンアートやぽこポケを絶賛する各方面のツイートに後押しされ、
実家帰省という舞台を整えればさすがの自分でもやるだろうと思い購入を決意した次第です。


ゲームはニンゲンに変身したメタモンを操作して、
「モジャンボはかせ」と共にニンゲンがいなくなった荒廃した街を復興していくという流れ。
草むらやオブジェクトなどを特定の並びに配置するとポケモンの「すみか」が生成され、
そこにポケモンがやってきて住み着くようになります。
彼らと仲良くなると特技を教えてもらうことができ、それによってメタモンのできることがどんどん増えていきます。
サンドボックスゲームではあるもののストーリーも存在し、
それぞれの街に特有の「大事なおねがいごと」をクリアすると次の街に行けるという筋立て。
Minecraft風味のゲームですがいわゆる体力も空腹ゲージも無く、当然バトルのような要素も無し。
ポケモンとの交流を重視しているという意味では『あつまれどうぶつの森』に近いかも。
ただマイクラ要素も当然濃く、回路も作れるみたいです。
とりあえず実家帰省で行けるところまで行って、最終的にストーリークリアまではいきたいなぁと思っています。


#8131

追いついた再読

今日の出来事one-piece漫画

去年のゴールデンウィーク帰省最終日から改めて読み始めた少年漫画の金字塔『ONE PIECE』。
1997年の連載開始からなおも物語は続いており、現在既刊114巻だそうです。すごいですね。
自分はまず60巻までをBookliveのスーパーセールで一気に大人買いして去年の05〜08月くらいに読み、
61巻からは実家帰省のたびに読み進めるようにしています。
リアルタイムではたしかアーロンパーク編の辺りでこの作品を知り、
アラバスタ編の頃には一番好きな漫画になっていました。
そしてその後もどんどん面白くなっていき、
頂上戦争編連載当時はあまりにも好きだったので読み直したくなり、
学生で一人暮らし、かつ実家に帰れば全巻揃っているのに自分用にもう1セット買うというアホなことをしていました。
まぁ、それくらい当時の自分にとって『ONE PIECE』が好きだったのでしょう。


しかし新世界(61巻〜)突入後は登場人物やキーワードのあまりの多さについていけなくなり、
そのため作品自体も楽しめなくなり、ワノ国編が始まった頃にはついにリタイアしてしまいました。
改めて読み返すと、新世界編は最初の島パンクハザードに到着した時点でワノ国まで繋がっている伏線があり、
それぞれの島で物語が完結しているというよりは全体で1つにつながっています。
なので途中で脱落するとなかなか復帰は困難なのではないでしょうか。
そういう意味でも中途半端に途中から読まず、最初から読むと決めて良かったと思います。
そして今回の実家帰省でついにワノ国の入り口(91巻)まで読み、リタイア当時までほぼ追いつきました。


リアタイしているときは「ドレスローザ編は面白くなかった、ホールケーキアイランド編はさらに面白くなかった」
と家族に苦言を呈していた記憶がありますが、改めて読むとホールケーキアイランド編も普通に面白いと思います。
『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』をベースにメルヘンやおとぎ話の世界観を作者なりの解釈で展開していて、
しかもそれを見事にストーリーや各能力者のバトルに組み込んでいる。
あとナミの衣装なんかもしれっとテーマに合ったものになっていますね。
リアタイしていたときは『不思議の国のアリス』をモチーフにしているなんて考えもしなかったので、
こういう作品の楽しみ方はできていなかったと思います。
これは自分の中で読み方ひとつで作品の印象はこうも変わるのかという好例になりそう。


現時点で60巻までしか持っていないカラー版も、いずれはセールの大人買いで揃えたいところです。
いったんいま読み進めている分については実家帰省の楽しみとして消化するつもり。
あと13巻で最新刊まで追いつくので、連載終了の目処がつく前には追いつきたいですね。
100巻までには終わると思っていた『ONE PIECE』もいよいよ終盤っぽい雰囲気は感じており、
連載終了がマスメディアに報じられることになる日もそう遠くないのではないでしょうか。
いま、SNSはおすすめTLありきになっているのでネタバレの危険性は昔よりマシになったとは思いますが、
それでも警戒は怠らないようにしたいところです。


#8132

AI依存開発の危険性

今回の実家帰省は「ぽこポケをガッツリ遊ぶこと」「2つのwebサイトで2026年春のアプデをリリースすること」
を目標にしているわけですが、その後者について思うことを書き残しておきます。


今回のリリースは個人的にChatGPT Codexを本格的に使うようになってから初めての大規模改修になりました。
1ファイル単位、関数単位でweb開発にChatGPTを活用することはすでに一昨年からスタートしており、
そこではまだ開発主体は自分という意識があったと思います。
しかし複数ファイルを横断的に分析してそのまま改修してくれるCodexでは、すでに人間は蚊帳の外。
開発主体はもはやAIであり、自分はそれを指示している人間でしかありません。
そうすると、当然Codexが回収した部分のコード内部は人間には掌握できないという問題が発生してきます。
「AI以前」はすべて人力で書いてきたので理屈ではコードの全容は理解できていたはずなのですが、
Codexが手を加えれば加えるほどそういう部分は少なくなってきている現実があります。


つまりCodexによる改修が進めば進むほど、もはやコードはAIでしか書けないものに変わっていきます。
これにより、ひと昔前なら人力でコードを読んでささっと修正していたような軽微な作業でさえ、
いまや何がどうなっているのか分からないのでAIに委託せざるを得ないということになるわけです。
確かに新機能の追加などの大掛かりな改修についてはAIは圧倒的なパフォーマンスを発揮しますが、
サイトの細かいメンテについてはその「細かさ」を言語化するのにも手間がかかったり、
またGPT5.4現在においても一発で正確に理解してくれるともかぎらず何往復も必要だったりするため、
むしろ効率は大幅に悪化したとさえ思っています。


この状況を改善に持っていきたいのなら、AIが生成したコードを人間が把握する必要があるでしょう。
しかもそれを、コードの大幅な改変が発生するたびにしなければならない。
しかしそれはロースキルであればあるほどタイパが悪く、なかなか現実的ではないという事情もあります。
こうなると結局、AIが従来より非効率と知りつつもAIに開発を依存せざるを得ないという状況になってくるわけです。


このことから、少なくとも元々人力で作ったwebアプリをCodexに任せて開発するということは、
成果を先取りする代わりにメンテナンス性を犠牲にする、「成果の借金」のような側面があるのではないかと感じました。
その意味での借金が後々重しになるようなプロジェクトにおいては、AIの利用は必ずしも正義ではないのでしょう。
AIの登場で浮かれていてもうプログラミングの勉強は必要ないと思っていた自分ですが、
むしろAIが登場したからこそ基礎スキルの重要性が増したと言えるのかもしれません。


#8133

日本語の再学習

今日の出来事日本語

いつか必ずやりたいとは思うものの、なかなか手が出ない分野に「日本語の再学習」があります。
自分はこうして長年ブログを書いていますが、当然その言語のほとんどは日本語です。
そしてその文法や言葉の用法、使い分け、適切な表記については当然ルールがあるわけですが、
最後にそのルールを体系的に学んだのは高校の授業が最後です。
その高校時代当時も、すでにブログは書いていましたが文法を気にするようなレベルには達していませんでした。
その後、長年の執筆経験によって自分なりに日本語のルールが整備されつつありますが、
これは言うなれば独自ルールであり、一般的な日本語のルールとは乖離している可能性を否定できません。
まあ、めちゃくちゃ乖離しているわけでもないとは思いますが。


とにかく完全に独学でここまで来てしまっているので、
まあそれについてはいまさら大きく方向転換する必要性を感じているわけではないものの、
一般的な国文法と自分のルールのどこに差異があるのかは一度点検したいと思っていました。
また、明文化されたルールをちゃんと読むことで独自ルールをさらに読みやすく洗練できるかもしれないな、とも。
そういう意味で、たまに日本語を学び直したいという機運がやってくるのですが、
いかんせんそれを学ぶメリットがブログの書き方がほんの少し変わるかもしれない、という程度のことであり、
あまりにも優先度が低く後回しにされてきたという経緯があります。
基本的には本を読むという手段によって学び直しするつもりでいるのですが、
「日本人のための日本語学び直し本」って意外と少ないんですね。外国人向けならわりとありますが。


3年前、国立国語研究所の石黒圭先生が書いた『ていねいな文章大全』という分厚い本を衝動買いしたことがありますが、
これは自分みたいな物書きオタク向けというよりは一般ビジネスマン向けの本で、
書いてあることは有意義ではあるもののニーズに完全一致はしませんでした。
なんというか、「副詞はこういう順番だと一番伝わりやすい」とか「この助詞はこういうときに使う」とか、
そういう日本語の細かい表現が好きな人が食いつくような話題を網羅した本はないんでしょうか。
いつぞやに発見した、「えっとですね」という言葉が助詞だけで構成されているという話や(#07595 / 2024年10月02日)、
「とんかつ専門店よ」の〈ん〉は音声学的にすべて異なるという話などのように(#07162 / 2023年07月27日)、
日本語の面白い側面をまとめた本があるならぜひ読んでみたいですね。


#8134

帰省のタイミング

今日の出来事実家帰省

今回の実家帰省(03月20日〜03月24日)は3つの思惑があっていつもとは違うタイミングで決行しました。
まず、有休が余っていて総務に消費しろとお達しが来ていたということ。
期限はもう少し先ですが、04月からは別プロジェクトに新規参画することになるので有休が取れるとはかぎらず、
退場前で暇すぎるいまのうちに消費しておきたかったという思惑です。
また、買いたくてしかたなかった『ぽこあポケモン』をがっつりプレイする環境として適切だったというのもあります。
あと今年はGWを東京で過ごそうと思っているので、
GWに帰らない場合は前後の3連休で帰るのが適切だと考えていたというのもあります。


反面、一人暮らしにマンネリ感は特に感じていなかったので
「実家帰省でリセットをしたい」という欲求はそこまでではありませんでした。
04月から忙しくなるので作業をするならいまのうちという機運はあったものの、
作業をガッツリしたい!!というような気持ちもそこまでなく、単にタイミングが良かったから決行した感じです。


結果的に、手持ちの作業はまあまあ捗ったし一定のラインまでは片付けることができました。
とはいえ最低限のボーダーラインを越えたにすぎず、本当に着手したいと思っていたことは着手できませんでした。
またいつもの実家帰省と違う点として初日からいきなり夜更かししてしまい、
実家帰省前半特有の健康生活は今回1日たりとも経験することができませんでした。
要は睡眠薬がまったく効かなかったということです。
これは正直自分の身体のことながら原因はよくわかっていません。
お酒を飲むと崩れることはありますが初日は飲まなかったし、水面下で欲求不満が溜まっていたのだろうか。
これのせいで今回の実家帰省の自己採点はあまり良くはありません。
まぁでも年末年始もかなりイマイチだったので、それと同じくらいと考えるのが妥当でしょうか。
いちおうタスクすらも投げ出して怠惰を貪っていたというわけではないし、
メインのぽこポケはそれなりにプレイ時間を重ねているので言うほど悪くもないとは思っています。


もしGWに帰省しない場合、次は07月18〜20日の海の日連休ということになります。
4ヶ月も開けば大丈夫だとは思いますが、
やはり実家帰省は「帰省したい」という気持ちがある程度溜まってからするべきで、
そういう気持ちを無視して都合だけで決行しても満足感は得られないのだということを戒めた方がよさそうです。
もしかすると、07月も帰省しないという選択肢もある……かも。
代わりにビジホ1泊のプチ旅行をするのもアリかもなーと思っています。


#8135

匿名テスト

ここ3年くらい、主に「独り言」ではネット人格の承認不安の実践的な解決に向けていろいろな角度から考えています。
承認不安についての考察は何度もおさらいしているので割愛しますが、
ここ最近の自分の思想を一言で乱暴にまとめると、ネット活動はよほど卓越していないかぎり基本的に不毛な活動であり、
少なくとも実績ゼロの地点で不特定多数に認められることを前提とした活動はすべきではない、となります。


これは自分のネット活動遍歴のかなりの割合を否定していますが、しかしすべてではありません。
では、どういう活動は不毛で、どういう活動なら不毛ではないのか。
これについては、匿名テストをパスしたならば、その活動は有望であるというのが現時点の答えです。
ここで匿名テストとは、それが誰にも見られなかったとしてもしたいと思えるかどうかを自問して、
はいと答えられるかどうかという検査です。
逆に言えば、活動の結果、その成果がまったく認められないとしてもそれでもやる価値があると思えるかどうか。
もしそうでないなら、その活動はいずれ承認不安との戦いを避けられなくなるという点で不毛だということです。


この匿名テストは0か100かで決まらず、部分的にはそうだけど部分的にはそうじゃない、
ということが往々にしてありえます。
自分の場合、たとえばこのブログはさまざまな紆余曲折を経て誰にも見られなくても継続できる地盤を手にしました。
そういう意味では大部分は匿名テストをパスしているとも言え、伊達に長く続いていないと思います。
ただ、それでも「誰かに認めてほしい」という欲求はもちろんゼロではありません。
むしろ近年は低コストで誰かに認知してもらうチャンスを作れるなら積極的に実施すべきだ、
との思いから数年ぶりに投稿告知Twitterアカウントを復帰するなど、社会からの認知も狙うようになっています。


一方、なかなか手が出ないクリエイティブな活動はやはり他者承認を主目的としている側面を否定できません。
なぜ承認ありきなのかを否定しがたいのか改めて考えてみると、
これは主要プラットフォームに投稿するという前提があるからなのかもとふと思いました。
たとえば小説なら「小説家になろう」、イラストならPixiv、ゲームならSteamに投稿することを考えたとき、
否応なしにその閲覧数、「いいね」数、コメント(レビュー)、DL数などのステータスが作ったモノに結びついてしまう。
せっかく作ったモノのステータスがよりよいに越したことはないわけで、
つまり何らかのプラットフォームに投稿した時点で他者承認を重視せざるをえなくなるからなのではないかと。
本当にロースキルで努力のきっかけが掴めない活動は、これらに投稿することを前提とするのはむしろ悪手なのかも。


もしそうだとしたら、自分の場合ブログは2014年に独立プラットフォームへ移行したからこそ継続できている側面があり、
またクリエイティブな活動もプラットフォーム非依存なら着手できる可能性はあると言えそうです。
ややこしい言い方をしましたが、要するに自分独自のwebサイトでのみ発表し、承認は期待しないということです。
まあせっかく作ったらSNSで紹介くらいはするかもしれませんが。


去年春、完成度4割くらいで頓挫してしまったデジタルイラストの挑戦も、
「ブログの挿絵を作る」という目標なら再挑戦する価値はあるのかもと改めて思います。
あれもいろいろ方策を考えましたが、結局プラットフォームに発表するという前提が織り込まれていましたからね。
もちろんゆくゆくはそこに行き着くのでしょうが、自信が確立していない段階からそこを目指さなくてもいいのかなと。
ある意味、去年の大キリ番記事としての短編執筆プロジェクトはその一歩だったと言えるでしょう。
いずれはブログを文字媒体だけでない創作物を発表する場として育てていけたらいいなと改めて思います。


#8136

計画管理アプリの再々移行

タスク管理のアプリをここ2ヶ月ほど「Craft」にしていましたが、撤退することにしました。
Craftはアプリデザインにこだわりが垣間見える高機能メモアプリで、
markdownからの一括インポート、AIとの連携(MCP)にも対応している、
スマホからすぐに未完了タスクを含むドキュメントを一覧表示できるなどの強みがあり、
全然活用できていなかったNotionから脱却してEvernote時代からのメモを全部整理して移住しました。
移住(一括インポート)に際し、課金が必要だったので月1,500円ほど課金していました。


ところが今日、突然アプリが使えなくなるという不具合に遭遇。
ログアウトして再ログインしようとしてもすぐには直らず、状況的にサーバー起因の不具合と思われます。
Craftはサーバーの状態を公開していないため障害が起きたかどうかも不明ですが、
いずれにしろこんなことがあると非常に困るわけです。
タスク管理は思いついたときにサッとメモすることが重要なわけで、
それがいつでもどこでもできるというのはタスク管理アプリの最重要ポイントといっても過言ではないかも。
その点、Craftはそもそも動作もかなりモッサリしているので気にはなっていたのですが、
今回のサーバートラブルがタスク管理アプリとしての信用を決定的に壊してしまったと思います。


結局MCP接続できるといってもAIはコンテキスト長の制限もあって横断的な情報収集ができるわけではなく、
「自分のタスク履歴を何もかも把握しているパーソナルAI」を作るためにはそれなりの労力がかかります。
そして、そこまでして過去の情報資産を活用して何かしたいというわけでもない。
まぁ、今回の移住作業で2010年以降のすべてのメモを一元管理できるようになったのは収穫だと思っていますが、
月1,500円払ってまでクラウドに置いておくメリットは正直無いのではないかと改めて感じました。
まぁ、要するに今回のサーバートラブルで気持ちが冷めてしまったということです。


一元管理できるようになったメモ資産はローカルにあるかぎりCodexでAI連携できることはできるので、
いったんはアーカイブされたメモはここに溜め、
クラウドに置く必要のある直近の計画管理ノートはNotionで運用する方針でいこうと思います。
気が向いたらメモ資産の活用も検討したいところですが、
それをやるなら創作設定ナレッジベース(#08063 / 2026年01月12日)の方が優先度は高い気がします。


#8137

AI業界の選択と淘汰

おととい、OpenAIが動画生成プラットフォーム「Sora」をサービス終了することを発表 し、話題になっていました。
画像生成のDALL-Eに続いて動画をAI生成できるサービス、
しかもスマホ完結で誰でも使えるということでリリース当初は招待コードの争奪戦が起きるほど人気でしたが、
著作物の無断使用、有名人のディープフェイクなどで方々から叩かれるようになり、
リリースしてからすぐに機能を大幅に制限することに。
その後ずっと音沙汰がありませんでしたが、このたび製品研究の「選択と集中」のために切り捨てることを決めたと。
また、これによりxAIのイーロン・マスクは「Grokの動画生成を強化する」との声明を発表しており、
動画生成のニーズを囲い込もうとしているように見えます。
ただ、そのGrokも最近画像編集・動画生成機能である「Grok Imagine」の使用制限を大幅に強化しており、
現状はSuperGrokという月5,000円のサブスク課金をしないとほぼ使えない状況です。
動画生成については無料で使える時代は早くも終わったと見てよさそう。


個人的なイメージでは、Grokは生成コンテンツの権利があいまいで不安定なため、
オリキャラの生成には適していないと考えています。なんというか、AIポルノのためのAIという不健全なイメージが強い。
実際、Grokではスパイシーモードを有効にするとある程度までのポルノの生成が許容され、
これは他のクラウドベースのAIとは大きく異なる点です。
そういうプラットフォームに大切なオリキャラを預けるのはちょっと勇気が要ります。


Soraは基本的に不健全さを徹底排除する方針だったのである意味Grokの対抗馬として有望だったのですが、
個人的にSoraが失敗したと思うのはSNSという体裁を採ったことです。
つまり、生成した動画は公開するという前提でUIが設計されていたわけです。
基本的にAI生成コンテンツは自分が個人的に楽しむために作るもので、それ以上の目的はありません。
また他人のAI生成コンテンツを見たいともまったく思わない。
「自分が作った」という部分が大事なわけで、SNSにしてしまったのはそういうニーズへの無理解があったと思います。
まぁ、自分みたいなスタンスの人はマイノリティなのかもしれませんが……。
正直、普通にDALL-Eと同じようにChatGPTに組み込んでほしかったですね。


AIのコンテンツ生成サービスは世界的にコンプラとの兼ね合いで試行錯誤の状況が続いています。
Grokの動画生成も最初期は「なんでもあり」でしたがTwitterのディープフェイク問題を経て現在は大幅に制限されています。
GoogleのNanobananaも年末年始ごろはかなり制限が緩和されていましたが、
おそらくGrokに追従したのか現在はめちゃくちゃ厳しくなっています。
ChatGPTは相変わらず保守的な運用が続いており、
第1四半期以内に文字ベースでアダルトな会話ができるモードをリリースすると言われていましたが、
結局周囲や社内からの反対を受けてリリースを断念したと報道 されました。
一連の流れは、やはりGrokがTwitterで調子に乗って大批判を浴びたことで決定的に風向きが変わった気がします。


報道だけ見ていると、最近はOpenAIがとにかく逆風を浴びているような気がします。
まもなく課金継続して丸1年になる自分としてはChatGPTがやはりしっくり来るので頑張ってほしいところですが、
メモリの問題、コンプラや倫理の問題、果ては政治的な問題までChatGPTを取り巻く「敵」はあまりにも多く、
いまのところこのAI過渡期がどこに向かっているのかはまったく分かりません。


#8138

計画遂行に必要な意志力

えー、もう2026年の4分の1が終わろうとしている現実に半ば絶望しているわけですが。
この第1四半期最大の反省点は、
「作業をするにあたり阻害要因が全部取り除かれるのを待っていたら、永遠に着手する機会は来ない」ということです。
この3ヶ月間は思い起こせば一見して「年間計画を進めるどころではない」状況がメドレーのように続きました。
年始実家帰省の生活リズム崩壊(〜01月15日)→草コインを起因とする仮想通貨の含み損抱え(〜02月28日)、
例年とは比べ物にならないレベルの花粉症悪化(〜03月19日)という感じですね。
そして春の実家帰省でweb制作系の作業は多少挽回しましたが、
その5日間にほとんどブログを書けなかったことにより03月末はブログの執筆に追われているという感じです。
花粉症は半ばどうにもならなかったですが、他はブログを含め自己責任と言えるでしょう。
まあ仮想通貨に関しては結果的に25万円の含み益が出たので結果オーライではあるんですが……。


これらの経験から、年間計画はもっと強い意志で推進しないとあっさり破綻するという危機感があります。
多少の逆風が吹いていてもゴリ押しで進めるくらいの意識があっても良いのかもしれない。
確かに逆風が吹いていない状況の方が作業が捗りやすそうな気はしますが、
だからといって好機を待つのは単に時間の損失であって、やらない理由を絞り出しているだけなんですよね。
第2四半期は仕事場の変更という大きな変化が待ち受けているため、
趣味活動にとって大きな逆風が吹く可能性は大いにあります。
だからといって第2四半期も停滞してしまうと、もう1年の半分を消費してしまうことになる。


とはいえ実は去年末に立てた年間計画はこうなることをそれなりに織り込んでいて、
期間限定ランキング制作が若干遅延していること以外はおおむね想定通りだったりします。
web制作方面では春季アプデはいちおう実施できたし、イベントもコンスタントに開催できている。
読書についてはむしろ想定よりかなりハイペースで進んでいるので、
「年間4冊」という低い目標は今月だけでほとんど達成できそうな勢いです。
まぁ、低い目標に沿ったところで達成感も実績も生み出せなければ意味はないので、
低い目標そのものの存在意義がやや怪しいところではありますが……。


とにかく、第2四半期は作業遅延の原因を自分から作るような愚行は意識的に避け、
また逆風がある程度吹いてもできる範囲で少しずつ進めていくような執念を心に宿していきたいところです。


#8139

イメージカラーの重要性

そういえば、春のアップデートでこのブログに3代目以降の伝統だった「イヤーカラー」を復活させました。
イヤーカラー(年カラー)とは簡単に言えば西暦ごとに色を1つ決めるというものです。
このブログでは各年の個別記事の記事番号と、その記事へのリンクを着色するのに使っています。
このブログはベースデザインがモノクロなので、アクセントカラーとしても機能するようになっています。


年カラー自体は3代目以前からも自分の中にあった概念で、
古くは「マイベストゲームランキング 2006」でも使用していた記憶があります。
基本的には翌年初頭くらいにその年を象徴する個人的カラーを決め、各種デザインなどで使うという感じですね。
特に2003年から2010年までは順に橙、黄緑、青、青紫、黄、赤紫、赤、灰と決まっていて、
これは当時を過ごした自分がその年に抱く抽象的なイメージを総合して決めたものです。
この8年間が特に象徴的な年カラーで、逆に言えばそれ以外の年カラーはほとんど後付けでしかありません。
しかし思い出補正とは恐ろしいもので、
たとえばいま2005年について思い出そうとすると「青色」というイメージは絶対に拭えないほど、
当時決めた年カラーは自分の中で常識的な概念として定着しています。青以外は考えられません。
2011年以降もできるだけその年の抽象的なイメージを踏まえて決めるようにしていますが、
2003〜2010年のイメージが強すぎて、それぞれの各下1桁と共通している色にイメージが引っ張られてしまいますね。
たとえば2023年は橙色です。これは2023年が「橙色っぽい」という感じもしなくもないんですが、
おそらく無意識下で「3=橙」という数と色の暗黙的な結びつきに影響されているのではないかと思います。


同じく春のアップデートでカラースキームを整理したピクチャレ大会でも色イメージは大切にしています。
こっちはピクミンシリーズのナンバリングタイトルを取り扱っているわけですが、
1作目から順番に青、赤、緑、黄というイメージカラーを昔から使っています。
このうち3作目はパッケージデザインの雰囲気から、4作目は新色ピクミンの花の色を由来としていますが、
1〜2作目については後付けであり特に根拠はありません。
しかしこれもそれなりの歴史があるためいまさら変えるつもりもなく、
自分の中では『ピクミン2』=赤というイメージは完全に定着してしまっています。
ランキングの1位=黄、2位=緑、3位=青というカラーイメージも同様で、開設当初からある大切な設定です。
これこそがwebサイトのアイデンティティと言えるかもしれない。


webデザインにおいて、色は軽率に扱ってはならない重要な要素だと思っています。
自分が作るサイトは基本的に色数を絞っていますが、それはそれだけ色1色が与える影響力を重視しているからです。
色数を多くすればするほどその影響力は打ち消しあってしまうので、色数を増やすのは本当に難しい。
色についてのノウハウは5年ほど前に色彩検定を取ることである程度学んだつもりですが、
webデザインを今後も続けるなら折に触れて学び直したい分野ではあります。


#8140

サブPCとしてのタブレット

今日の出来事ipad

いまでこそ用途の限られているiPadですが、いよいよサブ機として環境整備する土壌が整ってきた感じがします。
というのも、直近の大型アップデート(iPadOS 26)でついにウィンドウサイズの変更に対応し、
さながらパソコンのようなマルチタスキングができるようになったからです。
加えてAIの台頭によって環境さえ整えば手元に必要なのはターミナルのみになりつつあり、
近い将来、実際に動かすのはサーバーだったり「母艦」的なデスクトップ環境だったりするものの、
手元の環境はそれとは別に身軽な端末から操作するのが普通になるんじゃないかと思っています。
そういう環境が揃ったとき、iPadは端末サイズとしてはとてもうってつけのサイズ感と言えそうです。


また、ミニPCのような用途で扱えるので普通にサブPCとして運用したいという機運も高まっています。
いま、iPadのケースは軽さ重視で何も機能がついていない最軽量級のシンプルなカバーを装着していますが、
キーボードとトラックパッドのついたカバーにすれば簡単にサブPCとして扱えるようになります。
実は以前もそういう運用をしたことがありますが、結局キーボードは別に持ち歩くことが定着していたこともあり、
値段相応に活用できていないことを鑑みてメルカリでカバーを売ってしまった経緯があります。
まぁ確かにキーボードも別に使い慣れたものを持っているので当面はこれでいいかなと思っていますが、
キーボード+マウス+iPadを持ち歩くならもうMacbookでいいじゃん……という話ではあるんですよね。
この辺がかなり微妙な問題で、だからこそiPadの活用はなかなか進展してこなかった背景があります。


先日、ギリギリ10万円を切るMacbookの廉価版シリーズとして「Macbook Neo」が新登場しました。
こちらは13インチディスプレイと従来のMacbookと比べて1インチだけ小さく、
またSoCにiPhoneのAシリーズのモデルを採用することで価格を落とすことを実現したものです。
単純に大きさの序列だけ見ればiPad Proの上で従来のMacbookの下になるので、
直感ではサブPCとしてうってつけなのではないかと思ったのですが、
実際にはMacbook Airとまったく同じ重量でMacbook Proと比べても400gほどの差しかないので、
小型Macbookと割り切って買うにはさすがに中途半端かなと思っています。


次の現場では出社頻度が少し増える可能性があり、また始業時間がやや早くなる見通しです。
これまでは終業時間が遅かったので基本的に出社日は直帰一択でしたが、今後は
「オフィスに私物PCとしてのMacbookは持ち込めないが、帰りに都心のカフェで軽く作業してから帰りたい」
というようなケースも出てくると思われ、iPadの作業環境は一度整備しておきたいところです。
VPS(Linux)にもCodexはインストールできるそうなので、それでどこまでできるのかは一度試してみる価値はありそう。


#8141

緩すぎた現場の末路

今日の出来事仕事

自社・客先プロジェクトを含むwebエンジニアの経歴としては「9社目」となる現場の退場日でした。
入場は2024年06月なので、1年9ヶ月いたことになります。


入場当時、この現場は「自分が今後webエンジニアとしてやっていけるかどうかの分岐点」という位置付けでした。
というのも直近は、というよりコロナ禍以降ずっと、いわゆる開発に携われていないという実情がある。
営業部に散々開発をしたいとプッシュしているにも関わらず、そうした現場に行かせてもらえない。
このままではもはや新卒・若手から見たら「ロースキルのおっさん」でしかなく、相当に焦りがありました。
そもそもキャリア云々を抜きにして考えても、直近の現場はあまりにもやりたいことにマッチしていない。
そういう観点からも、「営業がまともに動いてくれるかどうか」を試した結果入場した現場でした。


結果的にはここも、自己都合退職する自社の外国人の尻拭いとして入ったに過ぎません。
現時点では、もう技術者は自分が望む現場には行けないものなのだと半ば諦めているところです。
とはいえ、それとは関係なく現場の就業環境や人間関係はとても良好で、かなり良い印象の現場ではありました。
ただ致命的だったのは仕事が少なかったこと。
自分はもともと「これから大掛かりな開発をするから」という名目でアサインされたのですが、
その開発プロジェクトがいつまで経っても動かないんですね。
現場レベルではすぐにでも動きたいと思っているし、関係部署のプロパー社員もそれに同意している。
けれども、もっと上の立場の人からゴーサインが出ないと当然動けないわけです。
そしてこの現場のネガティブな特徴として、大企業ゆえなのか上の人間の腰がとにかく重いというのがありました。
結局入場当初のプロジェクトはものすごく簡略化して実装するにとどまり、
その後更改のたびに「開発案件を動かすようにプッシュしている」と現場上司から説得されたものの、
それが実現する前に自分たちが所属している部署ごと閉鎖することになり、最後の3ヶ月は全部引き継ぎ期間でした。


そうこうしているうちに世の中ではCodexやClaude CodeなどといったエージェントAIが登場し、
もはや開発のみ(コーダー)としての需要は早晩無くなるだろうと囁かれるようになり、
それは最近「SaaSの死」などと呼ばれる関連株の大暴落によって世界的潮流としても加速しています。
自分自身も2024年08月のブログ4代目移転に始まり趣味においても開発はAIに任せるようになっていき、
もはや入場当初こだわっていた開発実績には未練が無くなってしまいました。
むしろ今後は上流工程など他の工程に精通しなければという思いが募っていきました。


実態としてはITに詳しい人材として非ITであるプロパーの業務支援を遂行するというような立場に近かったので、
そういう意味では上京後でもっともイメージの良い2021年の現場の状況にかなり近い、理想的な現場だったと思います。
ただ世の中の激変によって客先企業内でも「AIができることはAIに任せよう」という方針が定められ、
結果として自分たちのような技術で業務支援をするような立場の人間はその方針によって淘汰されてしまいました。
上司も部署閉鎖の理由はまさにAIだと言っていたので、ある意味AIによるリストラとも言えるかもしれません。
業務支援的な立場ならプロパーから頼られやすいし、そういう意味でやりがいも見出しやすいのですが、
AIの登場によってそういう仕事は今後どんどん減っていくと思われます。
もしかしたらこの手の仕事で自分が携われるのは今回の案件が最後だったのかも。


(10社目の入場に至る経緯を含め)営業に対する信用やAIを取り巻く世の中の状況などを鑑みると、
30代で上京してwebエンジニアになった自分の未来はとてもポジティブには描けないというのが正直なところです。
上京当時は、最初の数年〜10年くらいで幅広い分野の現場を渡り歩いて、
その実績でどこかの企業に転職して情シスなどのお抱えエンジニアとして定年まで頑張るというビジョンがありましたが、
その展望はもはや打ち砕かれたといっても過言ではないと思います。
かといって、果たしてこのまま40代も50代も客先常駐前提の技術社員としてやっていけるのか……?


もはやAIと一蓮托生と言うほかない状況ですが、果たして数年後の自分はどうなっているのでしょうか。


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